第百六十九話 ドリアノン支部長

 フェスタとスミスが二階へ駆け上がり、レナは受付カウンターを乗り越えて奥へ消えた。エイミーは弓を構えたまま、怪しい動きに目を光らせている。


「ネーナ」

「はい」


 オルトに促されたネーナが、仮面を外してパンパンと手を叩く。支部の一階ホールにいる職員や冒険者達の注目が集まる。


「私達はシルファリオ支部所属のAランクパーティー、【菫の庭園】です。皆さんには今より、私達の指示に従って頂きます。異議も拒否も認めません」


 支部内がざわめく。お淑やかそうな少女を相手に気が大きくなったのか、戦士風の冒険者が詰め寄り、乱暴にテーブルを叩いた。


「た、例えAランクパーティーだろうと、ここはドリアノン支部だ! 一体何の権限があって、他支部の者がこんな事をするんだ!?」


 そうだそうだと野次が飛び、ネーナの声を塗り潰していく。だが次の瞬間、支部は再び静まり返った。




 ――パキッ。




 戦士が手をついたテーブルが氷の塊と化した。そこに乗っていた戦士の手も一緒に、肘まで巻き込んで凍りついている。ネーナは表情を変えずに答えた。


「そのドリアノン支部が機能していないので、部外者の私達が動いたのですよ」

「見た目で相手を侮る者は早死にするぞ。この娘がその気になれば、支部ごと凍らせる事も出来るし――」


 オルトが剣の柄に利き手を添える。




 ――キンッ。




 直後。ネーナと戦士の中間で、テーブルが二つに分かれた。戦士が声にならない悲鳴を上げながら、半分になったテーブルを引きずり後退る。


「使い途の無い連中なら、俺が潰してもいいが」

「『刃壊者ソードブレイカー』オルト・ヘーネス……っ!」


 誰かの呟きが、静かな支部にさざ波のように広がっていく。冒険者達にも太刀筋は見えなかったが、オルトが長剣の柄から手を離した事で、テーブルが斬られたのだと漸く認識したのである。


「一階はこれで全員かな」


 静まり返ったホールに、奥にいた職員達を引き連れたレナが戻る。職員達はAランク冒険者のレナから説明は受けたものの、支部内の異様な雰囲気に戸惑いを見せていた。


 再びネーナが話を引き取る。


「説明の時間も惜しいので、手短に申し上げます。まず皆さんには検査を受けて頂きます。次に、私達に協力するか否かを選んで下さい。ご協力頂けない方と検査結果が芳しくなかった方は、事が済むまでギルド支部の一室で『保護』させて頂きます」


『検査』に備えてヴィネヴィアルとテルミナ、二人のエルフが仮面を外す。現在のドリアノンでは殆ど見かけないエルフが姿を現した事で、冒険者も職員も驚いた様子を見せた。


 何の為に検査をするのか。それはギルド支部内に潜む『ラボ』の耳目を炙り出す為。これをせずに【菫の庭園】一行が支部を離れても、残った者は疑心暗鬼のまま動く事が出来ないのだ。


 具体的にはドライアードの力を借りて魅了を施し、誘導尋問で『ラボ』との関係を聞き出すのである。一行はギルド支部に来る前にスラムを解放し、検査を繰り返して炙り出しの手法を確立していた。




「取れたぁ……」


 泣きそうな顔の戦士が情けない声を上げながら、テーブルから解放された手をブンブン振っている。ネーナの反撃に酷く懲りた様子で、仲間の背に隠れて縮こまっていた。


 冒険者達の中から、敵意に満ちた声がネーナに浴びせられる。


「――俺達が従うと思っているのか?」

「勿論です。私達は皆さんに同意も理解も求めていないのですよ、カリーム・シンさん」


 冒険者の一人が投げかけた言葉を即座に切り返し、ネーナは相手を見据える。中肉中背、バンダナを巻いた中年の男が、自分の名前を呼ばれて目を見開いた。


 ドリアノン支部のBランク冒険者にしてスカウト。支部のエース格のパーティーが消息を絶って以降は冒険者達を纏めている。ギルド職員のプリシラからそのように聞き、ネーナが警戒していた冒険者だ。


「押込み強盗のような真似をされて、俺達が受け入れる訳が無いだろう」

「面子や感情の為に、この支部の職員や冒険者を巻き込んで、さらなる選択のミスを重ねるのですか? それとも何か、別な理由がおありですか?」

「っ!?」


 選択のミスとネーナに断じられ、男が絶句する。その様子を見た冒険者達が動揺し始めた。


 薄々感じていた事を指摘された。それでも、冒険者達の纏め役であるシンがキッパリ否定すれば話は終わりだったのだ。だがシンは何も言い返せず、指摘を認めてしまった。冒険者達は大きな衝撃を受けていた。


 ネーナはシンのリアクションが過剰であるように感じたが、ひとまず違和感に蓋をして言葉を継いだ。


「ここでミスを責めるつもりはありません。ですが、ミスの繰り返しは容認出来ません」


 既に町には大きな被害が出ている。自分達の選択した行動がそこに無関係とは言えない。それを暗に指摘された冒険者達が沈默する。


「検査が済むまでは全員、安全の為に間隔を開けて待機して下さい。プリシラさん、最初に検査を受けて頂けますか?」

「はい」


 プリシラが返事をし、仮面を取る。ドリアノン支部の職員であるプリシラが『襲撃者』と行動を共にしている事に、冒険者や職員の間に衝撃が走った。


「何でプリシラが?」

「裏切ったのか!?」


 詰るような声にも怯まず、プリシラは毅然と言い返す。


「違います。私達の手でドリアノンを解放する為に、誰が裏切ったのかハッキリさせるんです」


 プリシラは自分が『純血の誓い』に捕らえられ、危うい所を救われた事、そしてこの後、【菫の庭園】が『ラボ』を急襲する事を支部の仲間達に話した。


「『ラボ』を相手取るのは【菫の庭園】の皆さんにお願いするしかありませんが、それ以外は私達がすべき事ですよね? 私達は今のままでは、見えない敵の影に怯えて動けません。だから検査が必要なんです」


 プリシラの言葉は、少なからず支部の冒険者達の心を動かした。余所者のネーナやオルトが何を言っても心情的に受け入れ難いが、支部の職員であるプリシラが言えば一考の余地が出来る。二人が敢えて厳しい物言いをしたのは、そういう計算も多分にあった。




 職員の一人が階段を見て声を上げる。


「支部長!!」


 ホールにいる者達が見つめる中、槍を手にした痩せた中年男性が、秘書に支えられながら階段を降りてくる。片脚が床に着く度にカツカツと硬い音を響かせ、義足である事を伺わせた。


 二人の後ろにはフェスタとスミスも続いている。


「話は聞いた。私はドリアノン支部長のフレデリク・ラーション。よく来てくれた、オルト・ヘーネス。そして【菫の庭園】の諸君」


 任された支部も守れず、生き恥を晒す事をもう暫く許して貰いたい。支部長はそう言いながらオルトの前に進み出て、まるで罪人のように頭を下げた。支部の職員と冒険者が息を呑む。


 オルトはラーションの手を取り、頭を上げさせた。


「このような形での来訪になった事、駆けつけるのが遅くなった事を謝罪します、ラーション支部長」

「君達の判断は正しい。瞬時にギルド支部は制圧され、外部からの干渉が不可能な状態に置かれている。だからこそ腹を割って話す事が出来る。長らく無かった事だ」


 ラーション支部長は小さく頷くと、ホールに集められた職員と冒険者を見回した。


「ドリアノン支部は【菫の庭園】に全面的に協力し、連携して町の解放に全力を尽くす。ドリアノン支部所属の全職員と全冒険者を対象に、私が支部長権限を発動する」

『支部長!?』


 冒険者ギルド支部の緊急事態宣言。契約書にも明示されている徴用であり、この場合はギルド支部が【菫の庭園】の指揮下に入る事を意味する。オルト達への不信感を拭えない者達が抗議の声を上げるが、ラーションはそれらの者を一瞥して黙らせた。


「ドリアノンに異変が起きてから約一月、これまでは無理矢理取り繕って来たが、いい加減に他の都市国家も気づく頃だ。このまま待てば、【菫の庭園】に頼らずとも外部からの救援が来る可能性は高い。だが確実ではない。救援が行われる時期も不透明で、その間に確実に犠牲者が増える」


 支部の冒険者達が唇を噛む。彼等も理解はしていた。仲間同士疑い、傷つけ合う事態を恐れて決断を先延ばしにしてきた事を、当事者達は自覚していたのだ。


「【菫の庭園】から指示を受ける事に不満な者もいるようだが、我々に拒否権は無いんだ。現在は四十名強の人員がいるギルド支部が瞬時に制圧され、脱出も不可能な状況にある。その気になれば、我々全員を無力化するのにも大した時間は要しないだろう。我々の中に、同じ事が出来る者がいるか?」


 目に見えない敵の恐怖にガタガタ震えている程度の者が、殺されないと高を括って調子に乗っていないか? そう支部長に暗に問われて叱責され、冒険者の何人かが項垂れる。


「【菫の庭園】の皆さんの目的は、『ラボ』だけなんです。だから本当は、町の混乱なんて気にせずラボに行って大魔法を行使すれば済むんです。オルトさん達には、この時間すら本当は惜しいんですよ」


 プリシラも同僚達に訴えかける。【菫の庭園】一行は口を挟む事なく、説得の様子を見守っていた。


「治安隊も機能していない今、この町を率先して守らねばならない我々が役目を果たせないどころか、町の解放への最大の障害ラボを排除せんとする【菫の庭園】の足を引っ張っている。これは冒険者ギルドとこの町に対する重大な背信行為、ドリアノン奪還戦の『裏切り』に並ぶものだ」


 ラーションは支部の職員と冒険者に、【菫の庭園】には勇者と戦い抜いたパーティーメンバーが三名所属している事、その内スミスとレナはかつてのドリアノン奪還戦に参戦していた事を伝えた。


 スミスもレナもエイミーも、勇者パーティーに所属していた事を隠している訳ではないが、自分から吹聴もしない。こうしてギルド職員が冒険者の素性に言及するのも極めて稀だ。


 敢えてラーションが話したのは、再びドリアノンの為に戦おうという恩人の功績を知らしめる為である。


「支部長も奪還戦に?」


 スミスに問われたラーションが、苦笑交じりに肯く。


「勇者パーティーとは別な部隊に、そこのシンと共にギルドの一員として参加していました。私は一次奪還戦の『裏切り』で片脚を失い、ギルドに職員として拾って貰いました」


 シンはショックを受けたような表情でラーションを見ている。再びネーナは違和感を覚えるが、ラーションに呼びかけられて思考を中断した。


「ネーナ・ヘーネス、手間を取らせたが話の続きを頼む」

「あっ、はい」


 ネーナはプリシラを手招きして椅子に座らせる。プリシラは【菫の庭園】に同行する為、既に検査をパスしていた。今回は支部の面々に検査の流れを知ってもらう事と、プリシラが疑念を持たれないようにする為の検査である。


「検査はこの状態でドライアードの魅了を受け入れて頂き、質問に答えるだけです。お互いの疑念を払拭する目的もありますので、この場で行います」


 ラーションが挙手をする。


「ネーナ・ヘーネス。プリシラ君の後に検査を受ける者を指名したいのだが、可能だろうか?」


 オルトが小さく頷く。ネーナもオルトも、ラーションの意図を察した。


「可能ですが、全員に受けて頂きますので……」

「配慮に感謝する。だが無能な支部長にも、果たさねばならない責任がある」

「……承知しました」


 ラーションは頭を下げて謝意を示し、支部の職員と冒険者を見回した。


「プリシラ君の後は私が検査を受ける。その後は――」


 ラーションの視線は、一人の冒険者を捉えている。その瞳は悲しみに包まれていた。




「シン、お前だ」




 ギルド支部長の指名で、支部内に大きなどよめきが起きた。

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