第十二話 止まない雨、刻まれた悪夢

「……何だこれは。何が起きているんだ」


 絞り出すような声。それは決闘を見守っていた王国騎士のものだった。そこには『これが夢であって欲しい』という願望が込められていたが、その願望が叶う事はない。


 決闘開始当初に歓声や野次を飛ばしていた王国騎士達は、自分達の騎士団長の完敗を目の当たりにし、相手のトーンが静かにこちらを見ているのに気づくと、沈黙して目を背けた。


 すでに決闘は仕切り直しを重ねて、七本目を終えていた。


 七本全てを為す術なくトーンに取られたヴァンサーンは、降りしきる雨の中、地に伏したまま身体を起こす事も出来ずにいる。


 目には力が失われ、決闘の相手であるトーンに向ける事が出来ない。強力な加護を持ち騎士団長の証である剣はその手に無く、弾き飛ばされて離れた場所に刺さっていた。


 八本目が始まる様子は無い。魔法の武具の効果で疲れないはずのヴァンサーンだが、心が戦いの継続を強く拒んでしまう。


 恐れているのだ。目の前にいる男との戦いを。


 トーンの速攻で取られた三本目までは、自らの実力的優位を疑っていなかった。


 トーンと打ち合った六本目までは、屈辱を感じながらも長期戦で挽回可能と考えていた。


 そして七本目。またも剣を飛ばされ、文字通りに泥を舐める事になった。今度はトーンに手の内を全て見切られ、封じられた。決闘の場が敵に支配されている事を、ヴァンサーンは認めざるを得なかった。


 トーンはヴァンサーンの剣を拾い、持ち主の方へ無造作に放り投げた。ヴァンサーンの顔に泥が撥ねるが、気にする様子もなく水溜まりに落ちた剣を見つめている。その肩は僅かに震えていた。


「剣を取って下さい、騎士団長。続きを始めましょう」

「っ!?」


 かけられた声に、ヴァンサーンがビクッと反応する。トーンはすでに位置につき、決闘の再開を待っていた。




 ◆◆◆◆◆




「副隊長エグいな。完全に騎士団長の心を折りに行ってるだろあれ」

「復活されても困るから仕方ないけどな」


王女の騎士プリンセス・ガード』の面々は、王女アンと馬車の護衛を続行しつつ決闘の行方を見守っていた。


 ハンスとペーターのやり取りを聞いていたミハイルが、ブレーメに問いかける。


「隊長はこの結果になる事がわかっていたんですか?」

「……いや。勝てるとは思っていたが、ここまで一方的とは予想していなかった」

「俺も騎士団長の剣と鎧込みで五分だと見てたけどな。結果ほどの実力差は無い、と思うが……正直わからん」


 バラカスが会話に割り込んでくるが、その表情は浮かない。他にも微妙な表情で決闘を見つめる騎士が見られる。違和感を覚えたアンがブレーメに尋ねた。


「ブレーメ隊長。お顔の色が優れない方が見られるようですが、暖を取るようにしては如何ですか?」

「お気遣い有難うございます。雨に打たれ過ぎた者も。ハインツ、ヨハン。気にかけてやってくれるか」

「はっ」


 二人が馬車から離れていく。アンはブレーメの言葉に再び違和感を覚えた。


「ブレーメ隊長。体調が悪そうに見える方は、雨や寒さが原因ではないのですか?」

「恐らく別な原因かと。様子がおかしく見える騎士の大半は、『今行われている決闘』が恐ろしいのだと思います」

「恐ろしい、ですか?」


 アンは改めて廃村の中を見る。多くの者が一様にトーンとヴァンサーンの決闘を見守っている。決闘そのものもアンの目には、トーン圧倒的優位での決着が近づいてるように見えた。侍女であるリリィとパティにも意見を求めたが、ほぼ同様の感想だった。


「私には剣術の事はわかりませんが……トーンの動きが鍛錬を重ねた、洗練されたものに見えて……美しいと感じました」

「王女殿下はそうお感じになられたと。ですが、そうですね……この場の騎士達、それにバラカス殿達には、決闘というよりトーンが騎士団長に対して公開処刑か拷問をしてるように見えていると思います。かなりの恐怖感を覚えているでしょうね」

「ご、拷問!?」

「はい。トーンはこの決闘で様々な勝ち方をしました。騎士団長が取り得る行動の全てを、騎士団長自身が理解出来るように封じて勝ちました。騎士団長は、最早何をしてもトーンに通用しないと感じているでしょう」


 拷問、処刑という物騒な単語が飛び出したものの、ブレーメの説明はアンにも理解出来るものだった。頷いて続きを促す。


「騎士団長は王女殿下からの決闘の申し出を受けました。それは負ける事を全く想定していなかった為です。王女殿下の要求は騎士団長としては受け入れられません。故に敗北を宣言する事も出来ず、勝ち目の無い決闘を続けなければならないのです。そこまでしても、最後はトーンの勝利で決着するでしょう」


 ブレーメの発言を受け、バラカスは自らの不明を告白した。


「出来る事なら騎士団長は、決闘自体をグチャグチャに掻き回して無効にしたいだろうな。実際、立会人や他の王国騎士は決闘の先行きが見えてからは介入の隙を窺ってる。が、介入出来ない。俺もあの近衛騎士トーンの実力を見誤っていた」


 バラカスがヴァンサーンの思惑を推測するが、その場にいる者達は当然の事ながら『これほどの力を持つトーンが、どうして今まで騎士団長に遅れを取り続けてきたか』との疑問を持った。トーンの恋人である、近衛騎士のステフに視線が集中する。


 ステフは非常に困ったような表情をした。


「いや、あの……トーンが騎士学校時代から騎士団長に目をつけられてたのは事実ですけど。彼は私にも、それについての愚痴や恨み言を漏らした事は無いですよ」

「怨恨を力に変えたって考えるのが自然じゃないか?」

「トーンがそういう人間なら、私は決闘の代理人に推薦しませんでした。そもそも最初の模擬戦でトーンが勝ってますし、実力で劣ってはいません」


 バラカスの推測を、ステフはきっぱり否定した。


 ヴァンサーンの一年後輩に当たるトーンは、騎士学校でヴァンサーンから持ちかけられた模擬戦に勝利した。その模擬戦自体、学生の一年間という大きなアドバンテージを活用して気に入らない後輩をイビろうとする陰険な企みだったのだが。


 恥をかいたヴァンサーンは、家中の者や取り巻きを使ってトーンの父親の仕事や姉の婚約などへの影響を匂わせ始める。時にはヴァンサーンへ忖度した者の独断もあった。トーンにとって不運な事に、トーンの実家であるキーファー子爵家はヴァンサーンのレオニス侯爵の派閥に属していたのだ。


「ゲスな話だな。そりゃ騎士団長に勝てない訳だ。国王杯で負けた上に大怪我したってのは?」

「負けたのはいつも通りに『勝つな』という要求があったからです。トーンの子爵家は騎士団長の侯爵家と同じ派閥ですから、騎士団長が言わなくても周囲が言います。怪我をしたのは、トーンが剣を庇ったからです」

「剣を庇った?」


 ステフはバラカスの問いに肯いた。


 トーンの剣は装飾の少ない地味なものだが、腕のいい職人の仕事でとても頑丈に出来ている。トーンが騎士学校へ入学する際、トーンの家族や友人、家人達が共同で送ったもので、トーンはその剣を殊の外大切にしていた。


騎士団長あのアホはその剣を折ろうとしたんですよ、パフォーマンスとして」


 トーンは剣を決して手放さず、結果利き腕を怪我する羽目になった。

 話しながら当時を思い出したのか、怒気を隠しもせずステフは言った。アンはトーンが受けた仕打ちを知り、ショックを隠せないでいた。


 アンが近衛騎士とやり取りをするのは、大体がプリンセスガード隊長のブレーメと、女性隊員でアンの傍にいる事が多いステフだった。他の隊員にも声をかけたり労ったりはするが、一人一人をそれ程知っている訳ではなかったのだ。


「トーンがそんな目に遭っていたなんて……」

「そのトーンが、他人に知られる事を望みませんでしたから。周囲の人に迷惑をかけたくなかったんだと思います。近衛騎士になってからは隊長が庇ってくれましたが、トーンから隊長に何か話した事は一度も無い筈です」


 アンが視線をやると、ブレーメが苦笑する。かなりの苦労があった事を窺わせた。


「でもトーンは私にも何も言わないし。いつもいつも『大丈夫。心配いらないから』ってそればかり……」

「お姉さん黒い黒い。邪気がだだ漏れだよ」

「あら?」


 エイミーから纏ってはいけない気に覆われかけていると指摘され、ステフは現実に戻った。




 廃村の中心。雨の中に蹲るヴァンサーンに、歩み寄っていくトーンの姿が見える。決着を予感しながら、ブレーメは言う。


「二人の素質は大差無かったのかもしれない。王国で一番を目指した騎士団長と、ただひたすら自らを高める事に努め続けたトーン。他に差があったのかどうか」

「少なくともトーンは、決して折れなかったし諦めませんでした。結果を他人のせいにする事もありませんでした。それに今も、自分の為には戦っていません」

「……フッ。そうだな」


 ステフの返事を聞き、ブレーメは笑みを漏らす。

 若者達の成長を実感し、自身の決断の時が近づいている事も感じていた。


 廃村にどよめきが起きる。


 トーンが鞘に剣を納め、馬車に向かって歩いてくる。立会人から決闘の決着が宣言される事は無かった。

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