第十一話 雨中の電光石火
――帰りたい。
近衛騎士トーンの、偽らざる思いである。
蚊帳の外にいたはずの自分が、何故か注目を一身に集める事になってしまった。雨に濡れたアッシュベージュの髪をかき上げる。
トーンはこの上ない居心地の悪さを感じながらも、王女アンと馬車の護衛から離れられずに甘んじて視線を受けていた。騎士団長との決闘をぶち上げたアンがこちらに歩いてくるのに気付き、地に片膝を着く。
「トーン……ごめんなさい」
「ご指名に預かり、光栄の極みであります」
「…………」
ふと顔を上げると、アンが半泣きのような申し訳なさそうな表情でトーンを見ていた。トーンは思った。
――重い、重すぎる。何の罰だろうか。
「トーン、意地の悪い事を言うなよ。王女殿下に推薦したのは俺だ」
「私も推したよ」
隊長のブレーメに加えて、ステフまでアンのフォローに回る。トーンは心の中で、しばらくステフと口をきくのをやめようと思った。
「私が文句を言えない人しかいないじゃないですか、隊長。決まったものは全力でやります。ですが、私は騎士団長に負け続けてるんですよ? 昨年の『国王杯』でも負けているのは、王女殿下もご存知の筈です」
王国の内外から武芸者が集まる年に一度のトーナメント戦『国王杯』。昨年の決勝は騎士団長ヴァンサーンと近衛騎士トーンの組み合わせとなったが、トーンは敗北を喫した上に大怪我を負ってしまっていた。
王女殿下もあの試合を見ていたはずで、不安が無い筈はない。本気で嫌がっていた騎士団長との婚約まで賭けるなど、正気の沙汰ではないだろう。ブレーメ隊長は何故止めないのか。
考えがトーンの顔に出ていたのか、ブレーメが真顔で答える。
「もちろん覚えているし、
「わ、私も。自分で戦う事は出来ませんが、一人だけ楽をしたくなくて、その……」
「――王女殿下」
「!?」
トーンが声をかけると、アンはビクッと反応した。傍からはどう見てもトーンが悪役である。トーンは小さくため息をついた。
「王女殿下、そのような顔をしないでください。王女殿下を泣かしたなんて噂が広まったら、私の首が物理的に飛びます。そもそも怒ってませんから」
「……本当に?」
「ええ」
ホッとしたような表情のアンを怖がらせないよう、トーンは笑顔を見せる。
「王女殿下の機転で、王国騎士と近衛騎士の全面衝突は回避出来ましたから。騎士団長の相手をするのが隊長でないのが疑問なだけです」
「それは簡単な事だ。今この場で、騎士団長に勝てるのがお前以外にいないからだ」
「…………」
ブレーメの返事に沈黙で応えるトーン。
正直に言えば、対戦成績など気にも留めていないし自身の力が騎士団長に劣るとも思っていない。だが、決闘のルールが大きなネックになると感じられた。決闘を騎士団長に飲ませる為に、武具の制限をしなかったからだ。
ヴァンサーンが装備している白銀のブレストアーマーとブロードソードは、代々の王国騎士団長のみ使用が許される魔法の武具だ。装備者の筋力を大きく補強するだけでなく、戦いにおいて疲れを知る事が無い。魔法の武具の有無は、対戦者の素の能力差を簡単に覆してしまうだろう。トーンの武具には魔術的な効果は一切無い。
トーンは離れた場所で決闘の準備をしているヴァンサーンを見た。今までの
今回は絶対に勝たなければならない。皮肉な話だ。
「トーン……これを」
アンがトーンの前にしゃがみ込み、その右手首にハンカチーフを巻き付ける。このハンカチーフがアンの代理決闘者としての証明だ。
「……王女殿下」
「は、はい」
「一つだけお聞かせください。騎士団長と結婚したいとお思いですか?」
「っ!?」
突然かつあんまりな質問に、言葉を失い口をパクパクさせながらも首をブンブン横に振り、アンは全力で拒絶の意思を示した。トーン以下、近衛騎士も侍女も苦笑するしかない。
離れた場所にいるヴァンサーンには、やり取りは聞こえていないようだった。トーンは呟く。
「そうですか……では負ける訳にはいきませんね」
「自信無いなら、私が代わるよ?」
いつの間にか傍にいたステフが、トーンの闘志を探るように顔を覗き込む。トーンが軽く睨む。
「しばらく口をきかないからな。というか護衛が勝手に動くなよ」
「姫様から許可を取りましたー。……後でたくさん謝るから。だから勝って。負けちゃ駄目」
「誰に言ってる? しっかり見とけよ」
「痛っ!?」
ステフの額を指で弾き、トーンは王女アンに向き直る。再び片膝をつき、口上を述べる。
「近衛騎士トーン。第二王女アン殿下の決闘代理人を謹んでお受けします。必ずや、殿下に勝利をお届け致します」
「有難う、トーン。私の騎士の武運を祈ります」
身を翻し、ヴァンサーンの元へ向かいながら、トーンは思う。
ステフはきっと、自分がヴァンサーンに負け続けた理由を知っている。話した事は無いし、聞かれた事も無いがそんな気がする。
いつも自分より悔しがり、励まし続けてくれた。今この瞬間も、自分の力を信じてくれている。だから今回、代理人に推したんだろう。
――王女殿下の代理としての戦いではあるが……少しだけ、
偶には格好良い所を見せてやりたい。自分を選んで、支えてくれる女に『間違いじゃない』と伝えたい。そんな事を思いながら、トーンは歩を進める。
トーンは広場の中央でヴァンサーンと対峙した。
決闘の立会人が両者にルールの説明を始める。時間制限は無し、片方の決闘者が敗北を認めた場合を決着とする。立会人の介入は決闘者に生命の危険が認められる時と、決闘の続行が不可能と判断された時。
立会人が下がり、一足飛びで斬りかかれる間合いの決闘者が残される。ヴァンサーンが口を開いた。
「国王杯以来か。何度負けても向かってくる闘志だけは買おう、トーン」
「私が勝ったのは、最初の手合わせだけですよ。騎士団長」
「っ!!」
トーンの言葉に、ヴァンサーンが不愉快そうな表情をした。その『最初の手合わせ』こそが、二人の実力が示された唯一の戦いである事を自分でも理解していたからだ。
「……今度は腕ごと、そのナマクラな剣をへし折ってやろう」
「どうでしょう。今回は私の邪魔をする者がいませんが、折れますか?」
「ふん……」
トーンに言い返され気分を害したのか、顔を顰めるヴァンサーン。だが何か思いついたように、ニヤリと笑った。
「まあ俺が勝ち、王女殿下を娶って『
「……全力で抗わせてもらいますよ」
「そういえばあの女騎士、中々の器量じゃないか。近衛から外した後は、俺の妾にし――っ!?」
ヴァンサーンは強烈な殺気に当てられ、最後まで言葉を発する事が出来なかった。
「ひぃッ!?」
ヴァンサーンが急に言葉を飲み込んだのと時を同じくし、馬車の近くからアンやステフと一緒に決闘の様子を見守っていたエイミーが恐怖に満ちた悲鳴を上げた。トーンは無表情にヴァンサーンを見つめている。
「立会人、合図を」
「あ、ああ」
トーンは外野の騒ぎを無視して、立会人に決闘を開始するよう促す。引きつった表情の立会人は、ハッと我に返ったように右手を上げて決闘の開始を宣言した。
◆◆◆◆◆
「ひぃッ!?」
「エイミーさん!?」
突然の悲鳴に、エイミーとアンがいる馬車の周辺は一気に緊張に包まれた。慌てて駆け寄ろうとする近衛騎士を、バラカスが制する。雨足が強さを増してくる。
「あー。多分、副隊長の殺気に当てられたんだろ。あそこの会話を聞いてたみたいだしな」
「そうなのですか? エイミーさん」
「う、うん。近衛騎士のお兄さん、ものすごく怒って。びっくりした……」
「怒った? どうして?」
ステフも会話に参加する。ステフの知るトーンは決して喜怒哀楽に乏しくはないが、自制の効く人物だった。アンや侍女達、他の近衛騎士達の認識もほぼ同じだ。
「トーンがそこまで怒った理由、ステフにはわかりますか?」
「はっきりとは……ですが、本人の事で怒るはず――っ!?」
ギィィンっ!!
不意に鈍い金属音が響き渡る。
少し遅れて、重い金属の塊が地に叩きつけられた。
廃村の中央では、トーンが無手のヴァンサーンに剣を突きつけていた。バラカスが感嘆するように低く唸る。決闘開始から僅か五分の間の出来事だった。
「むう……騎士団長の隙を作ったのは子供騙しだが、懐に入って相手の剣を絡め取るまでの動きは見事だったな。あれは隊長の仕込みか?」
「いえ、私も初めて見ました」
バラカスの言う『子供騙し』とは、トーンが一連の攻撃に織り交ぜて三度、剣を横に薙いだ事だ。
ヴァンサーンの目に焼きつけるような速度、高さ、そして軌道。
三度目の横薙ぎに対応しようとするヴァンサーンに対して、トーンは途中から全く同じ軌道と速度で剣を戻した。ヴァンサーンの目にはトーンの剣が消えたように映っただろう。
そこで生まれた僅かな隙に、トーンは滑り込むようにヴァンサーンの懐に入り、その手の剣を巻き上げるように奪った。
ステフが話を戻すようにエイミーに問いかける。
「エイミー。トーンと騎士団長は何を話してたの?」
「え? あ、ええと……割と最初からお兄さん怒ってたみたいだけど、騎士団長の人がね、その」
「うん?」
「お姉さんをね、その……お妾さんに、とか……」
「私!? え、あ、それで怒ったんだ……えへへ」
ニヘラ、と笑うステフ。女性陣は盗賊に囚われていた者までが羨ましそうにステフを見ている。
外野の様子をやはり気にも留めず、トーンは落ちていた剣を拾うとヴァンサーンに放り投げた。ビクッと反応するヴァンサーン。
「何を!?」
「決闘の勝敗は片方が敗北を認めた時、でしたね。王女殿下が雨に打たれたままです。続けましょう。立会人、合図を」
「あ、ああ」
放心状態だった立会人とヴァンサーンが動き始める。トーンは決闘開始の位置に戻ると、剣を構えて呟いた。
「一生もののトラウマにして差し上げますよ、
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