第十三話 ディアナの庭園の誓い

 もう十分に待った。トーンはそう判断し、決闘の立会人に声をかける。


「立会人。騎士団長は立ち上がれないようですが」

「う、うむ……」

「他の者に交代しますか? こちらは構いませんよ」

「…………」


 沈黙する立会人。これでは埒が明かない。トーンはため息をついた後で、いまだ立ち上がらない騎士団長に言い放つ。


「私は十分に待ちましたので、お二人が敗北の宣言を拒むのであればどうぞご自由に。王女殿下に事の次第をお伝えし、近衛騎士と大公国の特使殿で護衛をして宿泊地に向かいます」

「ま、待て……」


 ヴァンサーンが弱々しく顔を上げ、トーンの言葉を遮ろうと口を開いた。一瞬、二人の視線がぶつかり合う。ヴァンサーンの目からは怯えが感じられた。


「では決闘の続きを始めますか?」

「う、いや……」


 再びヴァンサーンは俯き、視線を逸らした。トーンはヴァンサーンの様子から戦闘継続不能と判断する。立会人は『王国騎士団第一騎士隊副隊長』という肩書きの、言ってしまえば騎士団長の腹心である。敗北宣言を期待するだけ無駄かと思いながら、トーンは剣を鞘に収めた。


「では我々は移動を開始します。決闘前にこちらが要求した通り、盗賊に囚われていた女性達はこちらでお連れします。この廃村について、特使殿がご存知なようですからお話を伺います。大公国への入国は当初の予定に準じる形に。『王女の騎士プリンセス・ガード』の統帥権と人事権は変更無しとします。それから――」


 一旦言葉を切り、トーンはヴァンサーンを見つめた。騎士団長は俯いたまま、その表情を窺い知る事は出来ない。


 トーンが殺気を飛ばすと、ヴァンサーンは肩を震わせ、顔を上げる。


「っ!?」

「王女殿下は騎士団長閣下との婚約を辞退します。当然、近衛騎士ステフの件も同様です。では失礼します」


 トーンは一礼すると、騎士団長に背を向け歩き出した。

 背後から斬りかかれる程度には隙を見せたものの、何事もなくステフの出迎えを受ける。


「カッコよかった」

「だろ?」


 照れ隠しに戯けて見せて、ステフが突き出した拳に自らの拳を合わせる。

 トーンはアンの前に出て片膝をつくと、右腕に巻かれたハンカチーフを解いてアンへと差し出した。


「王女殿下にお力を頂き、勝利をお届けする事が出来ました」

「有難う、トーン。貴方の忠誠に感謝を。……凄かった、です」

「勿体ないお言葉です」


 アンは泥で汚れたハンカチーフを受け取ると、大事そうに両手で抱えて微笑んだ。






 トーンがヴァンサーンや立会人と交わしたやり取りを聞き、アンとブレーメ、バラカスは即移動再開で意見が一致した。今ならば王国騎士団を振り切り、干渉を防げると考えたからだ。


 次の宿泊地の代官が先王に重用された子爵であり、アンに非常に好意的な人物と見られるのも判断を後押しする。

 囚われていた女性達もアンとの同行を希望した為、使節団一行は早々に廃村を出発した。


『王女の騎士』のカールを哨戒と改めての先触れに出し、一行が王国側最後の宿泊地となる城郭都市ウェブンに到着する頃には完全に日が暮れていた。


 他国への親善使節団、それも王女であるアンを迎えるとあって、夜間でありながら煌々と明かりが灯る市門を通過すると、少なくない数の市民による歓迎を受ける。


 馬車は濡れた石畳の街路を抜け、代官の公邸に滑り込む。そこには先触れの騎士から連絡を受けた代官が、受け入れを態勢を整えて待ち構えていた。

 大勢のメイド達や医師が慌ただしく動き出したのを見て、ようやくアンは張り詰めていた気を緩める事が出来たのだった。


「王女殿下!」


 ホールを慌ただしく行き交う人の間を縫って、アンと同じ年頃の少女が駆けてくる。少女の顔を見るやアンも笑顔になり、ホールの中央で二人は抱き合った。


「フィーエ!」

「到着が遅れると聞いて、気が気ではありませんでしたわ」

「心配をかけてごめんなさい」

「謝らないで下さい。お迎えするのを楽しみにしていたのですから」


 フィーエは城郭都市ウェブンの代官を務めるデルサール子爵の孫娘である。アンの学友でもあり普段は王都に滞在しているが、今回の親善施設派遣でウェブンが宿泊地に決まった事から、接待役として急遽呼び戻されていた。


 フィーエの後から現れたデルサール子爵が、アンに一礼する。


「王女殿下、お懐かしゅうございます。デルサール子爵のウォーレルにございます」


 ウォーレルはアンとフィーエを伴い応接間へ向かう。部屋の中には大公国の特使であるバラカスとスミス、『王女の騎士』のブレーメとトーンが着席していた。

 ウォーレルがアンに席を勧めながら声をかける。


「王女殿下、夕食の前に少しだけお話を伺わせていただけますか?」

「もちろんですウォーレル様。私も親善使節として参りましたから」

「いえいえ、本当に少しお聞きしたいだけです。本日予定されていたご公務は全てキャンセルしてあります。明日は出国が控えておりますから、少しでも長くお休みください」


 ウォーレルの計らいは、大きなアクシデントに見舞われ心身共に疲労が蓄積していたアンにとって、何よりのもてなしだった。






 アンとフィーエが応接間から退出すると、二人を見送ったウォーレルの好々爺然とした表情が一転、非常に厳しいものになった。配下を呼び寄せ、城郭都市のみならず周辺地域までの厳重警戒を指示する。


 名目こそ盗賊団残党に対するものであったが、『使節団一行の出立まで武装集団の都市進入及び国境方面への通過を認めない』とする内容は、明らかに王国騎士団を念頭に置いたものだった。

 これには同席した者達が驚きを隠せず、スミスが真意を問う。


「ウォーレル殿、よろしいのですか? これでは騎士団はおろか、国王派との深刻な対立もあり得ますが」

「構いませんよ、スミス殿。年寄りが不甲斐ないせいで、若い世代に重荷を背負わせてしまいましたから。大森林での決闘の件を聞くに、今の王国騎士団を王女殿下に近づけさせる訳にはいきません」

「そうですか」


 釈然としない風なスミスを見て、ウォーレルは苦笑した。


「……まだ私が王国軍の将軍であった頃の話ですが。先王陛下の召喚により王城に参じました折、庭園でまだ幼い王女殿下にお目にかかりましてね。王女殿下は、居並ぶ厳つい将軍達の顔や手の傷を擦って労われたのです。その際、それぞれにスミレの花を一輪ずつ下賜されました」

「スミレの花、ですか」

「ええ、話は大分端折ってありますが。将軍達は感激し、スミレの花言葉である『忠誠』にかけて力の限り王女殿下をお支えし、お守りする事を誓ったのです。誓いを立てた場所の名を取って『ディアナの庭園の誓い』と名付けました」

「そのような事が……」

「王女殿下は覚えておられないようですがね」


 王城の裏手にある美しい庭園は、その維持管理に熱心だった亡き王妃の名を冠して呼ばれている。野外パーティーや茶会が度々行われた事から、王国民以外にも存在が知られていた。


 スミスは漸く得心がいった。ただ、別な疑問はいくつもある。それを見透かしたかのように、ウォーレルが口を開く。


「この先、王国は割れるかもしれません。長年に渡って蓄積された歪みは、何の損害も出さずに正す事は出来ないでしょう。その時国内にいれば、心優しい王女殿下は胸を痛めて立ち止まってしまうかもしれません。ですが、我々はそれを望みません」

「そこまでの覚悟をお持ちでしたか」

「庭園にて誓い合った将軍は五名。一人は戦死、一人は病死。今も軍に残り老骨に鞭打つのはユルゲン将軍のみです。ですが他にも、先王陛下より恩を受け王女殿下を慕い、国を憂う者はいます。我々は王国貴族。果たすべき責務があります」


 ユルゲンの名を聞き、黙っていたバラカスがピクリと反応するが口を開く様子はない。


「わが王国は多くの過ちを犯してきました。かつては剣も握った事のない少年を異世界から拉致して、人族の命運を背負わせた。第一王女のセーラ様に王国の敗戦と王国民の命運を背負わせた。そして今、第二王女アン様にまた王国の命運を背負わせようとしている。王妃殿下の事もそうです。この流れは、大人が止めねばなりません」

「…………」


 ウォーレル以外、誰も言葉を発する事が出来ない。かつて一軍を率いた将の気迫が部屋に満ちていた。


「おおよその話はユルゲンからの文で把握しております。王女殿下が自らの進む道をお決めになれるよう、殿下がセーラ様とお会い出来るまでの後少しの間、皆様に王女殿下を託します」




「……承知した」


 僅かな間の後、バラカスが短く了承の意を示した。

 ウォーレルは安堵のため息を漏らす。


「かたじけない」


 ウォーレルが謝意を伝えるが、すぐにバラカスの言葉が続いた。


「ただし」

「? 何でしょうか」

「早まってくれるなよ? ユルゲンのジジイを交えて、アンタと一杯飲りたくなった」


 バラカスがニヤリと笑う。ウォーレルも頷いて応じる。


「ここまで死に損なって、先を急ぐ理由はありませんな。楽しみにしておきましょう」


 ウォーレルの表情に先程までの気迫や悲壮感はなく、会談前の好々爺に戻っていた。

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