第十四話 新隊長の初仕事

 大公国への親善使節団が王都を出発してから六日。降り続いていた雨が漸く止んだ。


 久方ぶりの日差しの中、城郭都市の代官公邸前には三台の馬車が並んでいる。王城から走ってきた二台に加えて、廃村に囚われていた女性達の為にデルサール子爵が用立てたものが一台。すでに出立の準備は済み、後はアンが乗り込むだけである。


 前日キャンセルされた公務の代わりに、都市の有力者達が挨拶を述べていく。最後にフィーエとデルサール子爵のウォーレルが残った。


 まずアンとフィーエが抱き合って別れを惜しむ。もしかしたら今生の別れになるかもしれないと思いながら、二人ともそれを口にする事は無かった。

 続いてウォーレルが片膝をついてアンを見上げる。


「王女殿下。真実は時に醜く、残酷です。望む結果が得られる保証もありません。ですが私は、王女殿下には真実を受け入れて前に進む強さがあると信じております。王女殿下がどのような決断をされても我々は支持します。ただ一つ、お健やかであって下さい」

「……有難うございます」


 アンはウォーレルからのエールに胸が一杯になった。

 振り返れば侍女も近衛騎士も温かい目でアンを見つめている。


 多くの人がアンを支え応援してくれる。それでも、いやだからこそ。アンはずっと、王女である自らの言動が他者に及ぼす影響をずっと恐れてきた。


 祖父母が亡くなり、母が亡くなり。姉が他国へ嫁いでからは父である国王に従って、貼り付いたような笑顔で国民に手を振るだけになった。


 なのに、勇者トウヤの死を知らされた時だけは居ても立ってもいられなくなった。

 自分でもわからない何かに突き動かされてここまで来た。


 だけど。


 いつも不安だった。ずっとそばにいてくれた侍女のフラウスや、リリィとパティが処罰されないだろうか。ユルゲンは大丈夫だろうか。近衛騎士達は。トーンはアンの決断により決闘に臨んだが、もしも怪我をしていたら。


「王女殿下、いいえアン様。信じた道をお進みください」


 不意に温もりがアンの身体を包み込む。気づいた時には、フィーエに抱きしめられていた。心がスッと軽くなる。アンもフィーエを抱きしめ返す。


「……ありがとう。フィーエ、子爵様」

「王女殿下、くれぐれもお気をつけください。王都を発った伝令と王国騎士団第五騎士隊のうち、騎士隊はわが守備隊が足止めしていますが伝令は国境に向かっています。別な任務に当たっていた第二騎士隊が転進して国境方面に向かったという情報もあります。そろそろ出発された方がよろしいでしょう」


 アンはウォーレルの警告に対して真剣な顔で頷くと、馬車に乗り込んだ。出発を告げるファンファーレと共に、使節団の馬車が進み始める。


 王国騎士団の代わりにデルサール子爵の騎兵十騎を護衛に加えた一行は都市の北門を出て、少しずつ移動速度を上げて街道を北の国境に向かった。


 フィーエはアンの乗った馬車が見えなくなっても暫しの間、大きく手を振る事を止めはしなかった。




 ◆◆◆◆◆




 馬車を護衛する『王女の騎士プリンセス・ガード』の面々は緊張感に包まれていた。その緊張をもたらしたのは任務ではなく、前夜にブレーメが告げた内容にあった。


「俺は本日をもって『王女の騎士』隊長を辞任する」




 もとより時間の問題ではあった。


 ブレーメは王国騎士団長の候補に挙げられた事もある実力者だ。国王付きの近衛の道も、王国騎士団の上位部隊長の道もあった。それが第ニ王女アンの護衛となったのは、ひとえに妻であるオリビアの傍にいる為だった。王都を長く離れる機会が少ないアンの護衛は、ブレーメの要望に合致していた。


 それでもブレーメが隊長に就任して以来、アンの護衛任務から外れた事はなく、今回もその予定ではあった。大公国への使節派遣が長期に渡る事と先行きが見通せない事から、アン直々にブレーメを説得して退任の運びとなった。


 アンの計らいで、今後は一先ず王都の辺境伯邸詰めを経て、オリビアの体調と相談しながら辺境伯領へ移り軍事顧問となる事が決まっている。




「隊長。先行していたカールが戻ってきます」


 近衛騎士ミハイルの言葉通りに使節団一行の前方から騎馬が迫り、一行の先頭で巧みに減速して向きを変える。


「ご苦労。状況は」

「はっ。デルサール子爵の情報通り、王都からの伝令が単騎で北の国境に到達し、国境警備隊に動きが見られます。伝令と同時に王都を発った王国騎士団第五騎士隊は第一騎士隊を回収し、城郭都市ウェブン南方でウェブン守備隊と対峙し足止めされています。第二騎士隊は北の国境へ進行中、使節団への接触が予測されます。以上です」

「……どうしますか、


 ミハイルの問いかけに、トーンは少しだけ考えて指示を出す。


「ミハイル副隊長、暫く警護の指揮をお願いします。第二騎士隊であれば、私が出向いて『話し合い』ができるかもしれませんから」

「お一人で?」

「ええ、警護は薄くできません。ミハイル副隊長の補佐をお願いします、ブレーメ前隊長」

「心得ました、トーン隊長」


 ブレーメが真顔で応える。トーンは苦笑しつつ馬車に近づき、アンの承認を得ると単騎で走り去った。

 遠ざかる近衛騎士の背を見送るブレーメに、ミハイルが声をかける。


「この判断は及第点ですか?」

「柔軟な対応も出来るのは長所だろう。新隊長の初仕事、喜んで使われようじゃないか」

「確かに第二騎士隊長ならば、トーン隊長が行けば『話し合い』にも応じてもらえるでしょうね」


 前日の決闘を見て、ブレーメは隊長の引き継ぎを決めた。正確には、トーンの太刀筋が決め手だった。


 正確無比。スピードでなく、パワーでもなく。誰もが目指せる頂きだからこそ、トーンの剣には重ねに重ねた研鑽の跡が見えた。その剣を感情に任せて振るのでなく、意思を乗せる剣技にブレーメは感嘆を覚えた。託せる。そう素直に思ったのだ。


「惜しむらくは、『王女の騎士』自体がどこまで存続するかわからん事だな」

「ええ」


 大公国に入国した後、王女アンの護衛を大公国側で固める事を求められる可能性もあるのだ。


 そもそもアンが『勇者トウヤの功績を知りたい』と願い、その事に対して好意的でない国王や重臣の手からひとまず逃れるのがこの親善使節団の真のテーマである。


 王国の影響下を脱する為に他国に入れば、当然ながら他国の影響を避けられなくなる。その先は、アン自身の選択も含めて全く見通しが立っていない。『王女の騎士』が不要となる事もあり得るのだ。


 つまり。トーンは最後の最後に短期間、『王女の騎士』の歴史に終止符を打つ役割の隊長になるかもしれなかった。トーンはその事も承知で引き受けたが、ブレーメには罪悪感があった。


「私も国境で引き返しますが、隊の存続はブレーメ隊長が残ってもどうにもなりませんよ」

「……そうだな。それと俺はもう隊長じゃないぞ」

「これは失礼しました」

「隊長!」


 声のした方を見れば、馬車からステフが顔を出している。『言ったそばからこれか』と苦笑しながら、ブレーメは騎馬を寄せていった。




 ◆◆◆◆◆




「それで」


 オーガを想起させるような巨漢は、ジロリとトーンを見た。それだけで並の胆力の持ち主であれば、言葉を失い震え上がるような視線。


「黙って王女殿下を大公国に行かせろってか」

「はい」


 トーンは短い返事で巨漢の男に肯定を示す。男は何やら考え込む様子を見せた。


 トーンが対峙している男は王国騎士団第二騎士隊隊長クレモンテ。第一騎士隊の半数以下の人数で最も危険な任務に当たる、事実上の王国騎士団最強部隊を率いる隊長として知られる。


 国境に向かって移動中のクレモンテはトーンの接近を認めると、全隊を停止させ休息を命じた。そして開口一番に発したのが冒頭のセリフだった。トーンはまだ、自らの所属と氏名を名乗ったのみである。


「いいぜ」

「宜しいのですか」

「宜しくない方がいいのか?」

「宜しくして頂きたいのですが」

「なら宜しいだろ」


 おかしな問答の後、クレモンテは大袈裟にため息をついた。


「王女殿下が何する気かは知らんがな。城に連れ戻した所でいいように使い倒されるだけだろ」

「恐らくは」

「ま、『手合わせ一回』だな。新隊長さんよ」


 話が飛んだ。クレモンテは話を頻繁に省略するので有名だ。だがトーンは、おおよその意図を読み取った。


 ――王女殿下は見逃してやるから、お前が俺と戦え。


 クレモンテが実力者と認めた相手に勝負を挑むのは、多くの者が知っている事だ。


 家柄が重視される王国騎士団にあって、クレモンテ率いる第二騎士隊は実力が物を言う異色の部隊。それ故に騎士団長のヴァンサーンもクレモンテには強く出られない。確かに何かしら言い訳をすれば、親善使節団の出国を許しても咎められる事は無いだろう。


 トーンは内心で思った。


 ――ただし、クレモンテ隊長が満足すれば、だが。


「承知しました」

「話が早えのは悪くないが、いいのか?」


 クレモンテが手合わせを持ちかけてきたのは、トーンとヴァンサーンの決闘の顛末を知ったからだろう。


 いかに王女アンを連れ戻す任務に気乗りしないとはいえ、クレモンテが軍規に触れる行動をしようとしているのは間違いない。土産の一つも出すのが礼儀。


 トーンは左手で剣の鞘を握った。


「隠す必要が無くなりました」

「そいつは重畳――場所を開けろ! 戦るぞ!」


 二人の傍でやり取りを聞いていた王国騎士達が、どっと沸き返り準備を始める。いかにも強者と戦いを尊ぶ第二騎士隊らしく、騎士達のトーンを見る目は敬意と興味の混じった好意的なものだった。

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