第九話 降りしきる雨の中

 王都の空にかかる厚い雲から、ぽつりぽつりと雨粒が落ち始める。雨粒はすぐに纏まった量の雨となり、王都へ降り注いだ。


 中止になった出発式の撤収作業が始まる中、王女アンを乗せた馬車がゆっくりと進み始める。見送りの為に残った民に応えるように、アンも馬車の中で手を振り続けた。


「姫様、お疲れ様でした。街道に出ましたのでカーテンを閉めましょう」


 馬車が王都の門を抜けると、アンを労いながら、侍女のパティが馬車の窓に幕を閉じる。同じく侍女であるリリィは、アンの肩に薄手のコートをかけた。


 王族専用の大きな馬車の中にいるのは、アンの他にはリリィとパティの侍女ニ名、『王女の騎士』所属の近衛騎士であるステフに加えて、王女アンの希望で接待役として乗り込んだエイミーの計五名。


 フラウスは前日、夜が明ける前に王城を出た。数日王都に滞在して用事を済ませてからメーメット辺境伯領に向かうのだという。


 姉のように慕ってきたフラウスと離れた不安が顔に出ていたのだろうか、リリィとパティがアンに声をかけた。


「姫様。フラウスのようには行かないかもしれませんが、私たちも姫様が心安く過ごせるようにお尽くししますので、何でも遠慮なくお申しつけ下さい」

「そうですね。いくらフラウスが完璧超人でも、二人がかりなら負けられませんわね」


 それを聞いたエイミーも笑顔で言う。


「あの侍女のお姉さん、王女様が凹んでるなんて聞いたら飛んできそうだよね」


 全員の脳裏にこの上なく取り乱して走るフラウスの姿が浮かび、馬車の中は笑いに包まれる。侍女達の心遣いはアンの不安を確かに和らげた。リリィとパティもまた、フラウス同様にアンを支えてきた侍女である。アンに関する情報の共有は、当然の如く行なわれていた。




 親善使節団の初日の行程は特に障害もなく、一行は夕刻には宿に到着した。


 その日の晩に、先触れから齎された情報を元に協議が行われた。降雨による川の増水の影響を鑑みて、行程五日目のルート変更が決定される。


 王国内六日間、大公国四日間の全行程に変更は無く、五日目のみ旧街道に迂回して当初と別な橋を渡り、六日目に大公国側の関係者と合流して越境。その後は大公国側のタイムテーブルに沿って公都へ向かう予定となった。


 アンは説明を受け、ルート変更を承認した。実質的に決定権は無いものの、親善使節団の中では最高位にあるのだ。同行する王国騎士団長ヴァンサーンも『王女の騎士』と王女付きの侍女が目を光らせている先で、王女を蔑ろにするような真似はしなかった。




 ◆◆◆◆◆




 アクシデントが起きたのは、そのルート変更された五日目だった。


 親善使節団一行は旧街道を進み、大森林を縦断しようとしていた。大森林の東端に沿って延びる街道と平行するように北上し、大森林をを抜けてから両街道の合流を通過。そこからは当初の予定に戻るはずだった。


 止まない雨の中、馬車が急に停止する。大きな揺れこそ無かったが、通常あり得ない挙動。続いてブレーメの指示らしき声が聞こえて馬車の左側で護衛の動きが慌ただしくなる。


「何? 外が騒がしいみたい」


 不安そうにアンが言う。近衛騎士のステフは、窓から状況を確認した。


「襲撃ではないようです。戦闘は起きていません。恐らく女性……一名が、この使節一行に接近したようです」

「女性?」


 アンも急いで窓に取り付く。街道の端に、数名の王国騎士に取り囲まれた人影が跪いている。遠目にもずぶ濡れの泥だらけだ。


 何を話しているのだろう。アンがそう口に出そうとした時、王国騎士の一人が人影を蹴り飛ばした。剣を抜いた者もいる。


「!?」

「姫様!!」


 アンが突然馬車の扉を押し開け、外に飛び出した。僅かに遅れながらステフが反応して後を追う。ステフは大声でブレーメに急を報せる。


「ブレーメ隊長!!」

「っ! トーン、王女殿下の護衛を! ハンスは私と残れ!」

『はっ!』


 近衛騎士が一斉に動く。対して王国騎士達はその場から動かない。アンはあっという間に自分を追い越して先行したステフに懇願する。


「ステフ! あの方を助けて!」

「お任せを」


 声だけを残し、ステフは一瞬で人影の傍に到着し確保した。その時にはすでに、アンの周囲を追いついた『王女の騎士』が固めていた。

 ステフは声を抑えて王国騎士達を牽制する。


「そこまでに。王女殿下が参ります」

「っ!?」


 アンは動揺する王国騎士には目もくれず、息を切らしながら人影に駆け寄った。躊躇う事なく水溜りに膝をつき、倒れている人影を助け起こしてその安否を確かめる。


「酷い……」


 ステフの言った通り、人影は女性だった。ボロボロになった服。恐らく成人しているのだろうが、かなり痩せて衰弱しているように見える。そして露出した肌には、暴行を受けたのか傷や痣がある。


 今回のものにしては多過ぎる、とアンは思った。ステフがアンに進言する。


「意識を失っております。ひとまず手当を」

「ええ。馬車へお乗せして」


 ステフが女性を抱え上げる。馬車に向かおうとするが、そこに王国騎士団長ヴァンサーンがやってきた。


「これはどういう事ですかな?」

「この女性が騎士から暴行を受けて気を失いました。馬車に運んで手当をします」

「それは賛同出来ませんな。女性の身柄はこちらにお任せ頂きたい」


 騎士団長の言葉を聞き、アンは不信感を露わにする。女性の身柄を渡す気は毛頭無かった。


「貴方の部下に暴行された方を貴方に渡す事はありません。ステフ、お願いします」

「はい」


 ステフが小走りに馬車へ向かう。入れ替わりにエイミーがこちらへ駆けてくるのが見える。その向こうには馬車の中で毛布を広げるパティの姿が見えた。


 アンはヴァンサーンに告げる。


「大森林の一帯は王家の直轄地のはずです。この一行の護衛もわたしを守るのが任務でしょう。その騎士が民に暴行をして、わたしに関わりが無いという理屈は通りません」

「しかし行程が遅れてしまいます」

「では、遅れる旨を連絡してください。街道の端に寄り、休息とします」

「…………」


 取り付く島もないアンに絶句する騎士団長。アンは近衛騎士トーンが持ってきた外套を羽織ると、そのままエスコートされて馬車に向かう。


 ヴァンサーンが不快そうに近衛騎士を見やるが、そのトーンは騎士団長の視線を黙殺した。




 ◆◆◆◆◆




 馬車に戻るアンの様子を、離れた場所から静かに見つめる三人の男達。


「……スミスの仕込みじゃないよな?」

「私も驚いています」

「この雨は?」

「出来るか出来ないかで言うなら、出来ます」


 言外に『そんな事はしない』と言われてやり取りが終わる。


 今回の使節団には勇者パーティーのメンバー四名が大公国の特使として同行している。エイミーだけ王女アンの馬車に同乗し、他は後続の馬車に乗っていた。


 全くのイレギュラーである先程のアクシデントに対し、彼らは干渉しなかった。しかし親善使節団が出発してから、イレギュラーやアクシデントが重なってる事については大いに思う所があった。


「……王女様が何か持ってるのか。それともトウヤが呼んでるのか。フェイス、どう思う?」

「んー。あの女性の悪運って線もあるかもね。何にしろ、このまま何事もなく越境させてもらうのは厳しいかな」

「では私はをしておきましょうか」


 スミスが何やら詠唱を始める。バラカスは空を見上げた。五日間降り続く雨は、一向に止む気配が見えなかった。




 ◆◆◆◆◆




 馬車の中では、意識を取り戻した女性から驚きの情報がもたらされていた。


 大森林の中に打ち捨てられた廃村があり、そこが盗賊団の根城になっているのだという。女性はそこから逃げ出してきたが、他にも数名囚われている者がいると訴えた。


 それを聞いたアンは、当然の如く即時救出を主張する。詳細を聞いた騎士団長は難色を示し、護衛の立場から近衛騎士隊長のブレーメも反対をしたものの、アンは引き下がらなかった。


「この方が運良く使節団の、わたしの目に留まらなければ直轄領に盗賊団の根城がある事すら気づかなかったのですよ? 囚われている方々の救出も急を要します。我が身可愛さに機を逃がすなどあってはなりません」


 アンにここまで言われては、行かない選択は無い。


 騎士団長としても、王女アンとの信頼関係がほぼ破綻しているのを実感せざるを得ない現状では従う以外ない。

 その代わりアンは、ステフの指示に従う事と、避難が必要な場合を除いて絶対に馬車から出ない事を約束させられる事になった。


 慌ただしく出発準備をする騎士達を見ながら、スミスがフェイスに問いかける。


「実際の所、どうなんですか?」

「盗賊団があそこに潜り込んだのは一週間くらい前だって。王国騎士団は知らなかったんじゃないかな。三十人規模だから第一騎士隊百騎で足りるとは思う。ただ……」

「囚われた方々、ですか」

「言っちゃ悪いけど、王国騎士って猪武者だからね」


 フェイスが嘆息しながら言う。王女アンは救出作戦と考えているだろうが、王国騎士団は掃討作戦程度の認識だろう。『王女の騎士』がアンの傍を離れられず、人命を優先した作戦行動は期待するべくもない。


「バラカス。お姫様に話つけておいてよ。ちょっと行ってくる」

「ん? ああ、気をつけろよ」


 フェイスはバラカスの返事を聞くと、右手をヒラヒラと振りながら喧騒に紛れて姿を消した。

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