閑話三十一 これで決着、だね
「オルト戻ってきてぇ……」
「どれだけ胃袋掴まれたんですか」
ギルド長のヒンギスが情けない声を出すと、秘書であるホランは呆れ顔で応え、スープの器に口をつけた。
「普通に美味しく出来てるじゃないですか」
「そうね、美味しい……普通に美味しいのよ。だけど普通の上を知ってしまった私は、もう純な頃には戻れない」
「私の記憶にそんなギルド長は存在しないんですが、何十年
「歳の話はしないで!」
ギャンギャンと言い合い始めた二人を、周囲は苦笑しつつ見守る。長く行動を共にして緩い所も見せるようにはなったが、ヒンギスもホランも
ギルド長の一行は【菫の庭園】と別れた後、帝都を離れてアルテナ帝国北東部の都市ウラカンを目指して移動していた。今の所は追手も無く、食事の為の小休止中だ。
「確かに食事のクオリティが依頼中や屋外行動中のものじゃなかったけど、
「冒険者の皆さんは、いつもあんな美味しいものを召し上がってらっしゃるのかと思っていました……」
ショットとナディーヌの会話に反応し、冒険者達が揃って首を横に振った。どのパーティーも食事には苦労していたのである。
イリーナは手早く食事を済ませ、賑わいから離れた場所でクロスと共に周囲を警戒していた。
ミアは未だ意識の戻らぬガルフに付き添い、馬車から降りていない。
まだギルド長の一行は、帝国の勢力圏を抜けていなかった。目指す都市ウラカンは帝国軍と、ドワーフ族や地方貴族の領軍が対峙する戦線を抜けた先にある。
帝国軍は大幅に弱体化しており現有戦力でも突破は可能、だが被害を最小限に抑えるべく、ギルド本部を介在して様々な手を打っていた。
一行の通過ルートに領地を持つ帝国貴族を買収、或いは恫喝。【菫の庭園】が帝城へ出向き陽動を行うのもその一つ。
現在の小休止も、戦線の向こうのドワーフ族が攻勢を強め、ギルド長一行の援護をするタイミングを図るなどの意味合いが含まれている。
帝国北部で僻地に追いやられ迫害を受けてきたドワーフ族は、長く北部国境で先の見えない戦いを強いられていた。南部の反乱と、そのきっかけとなったカリタスの冒険者の攻撃は、悲願である祖先の土地奪還への千載一遇の機会であった。
ドワーフ族の一部は多くの非戦闘員を連れて安住の地を目指し、苦難の旅の末に『鉱山都市』ピックスを建国した。その後、水面下ではあるが多大な援助で同胞の戦いを支えている。
ピックスのドワーフ族は【菫の庭園】とも縁があった。さらにウラカンのギルド支部長は、【菫の庭園】が追い落とした前部門長の一人に左遷された人物であった。
帝国北部のドワーフ族も合わせ、三者が同じ冒険者パーティーに強い恩義を感じている。だからこそ、帝都脱出に難儀していたギルド長一行に、救いの手は差し伸べられた。
「――イリーナ」
思考がクロスの呼びかけで途切れる。
「何かあったようだよ」
「来るぞ帝都方面! 六騎、いや五騎!」
斥候が大声で伝える。非戦闘員は馬車に退避し、冒険者達が周囲を固める。
「間に合わなかったか」
「仕方ないね」
迎撃する覚悟で、イリーナがギルド長一行の前に出る。するとクロスはその隣に立った。
「クロス?」
イリーナが呼びかけると、クロスは恥ずかしそうに笑みを返す。
「君が剣を振っている時、僕は後ろから見ている事しか出来ない。だからそれ以外の時は、君の隣にいたいんだ。これは僕の我儘だから、笑ってくれていいよ」
イリーナは頭を振って、クロスの手を取った。
「笑わないよ。それに私が剣を振っている時、クロスが見ていてくれる事がとても心強いの――っ!?」
顔を赤くする二人がハッとして振り返ると、ニヤニヤする冒険者達がいた。慌てて二人はパッと手を離し、前を見据える。
イリーナは照れを隠すように背中の大剣を引き抜き、ズンと地面に突き刺した。
迫り来る一団を自らの目で確認し、イリーナは眉を
「待て、待ってくれ! こちらに戦闘の意思は無い!」
先頭の馬に
「【真なる勇気】のセドリックだっけ、一体何の用?」
数日前に【真なる勇気】の拠点を訪ねたイリーナを、セドリックは「何の用だ」と出迎えている。明らかな意趣返しに相手は一瞬怯んだ。
「――来るぞ第二陣! 帝国騎士が二十騎!」
再び斥候の警告が鋭く響く。冒険者達から向けられる強い敵意に、【真なる勇気】の面々が蒼白になる。
冒険者達が殺気立つのは当然の事。構図としては【真なる勇気】が裏切り、帝国騎士を引き連れてきたようにしか見えないからだ。
しかしイリーナは溜息交じりに冒険者達を制した。
「こいつらは頭が悪いし間も悪いけど、だからこそ狙って誰かの足を引っ張るなんて事は出来ないよ」
不本意ながら、イリーナは【真なる勇気】と少々面識がある。セドリックが噂話を鵜呑みにしてネーナに暴言を吐き、パーティーメンバー共々オルトにボロ雑巾にされた一件からだ。
自身の中に凝り固まった価値観があり、要領が悪く危機察知能力に欠けている。なのに肝心な所で妙な正義感が首をもたげて邪魔をする。それがセドリックという男で、他のメンバーは追従するのみ。
今回は恐らく、ギルド長一行に追手が出たと報せに来ただけ。このタイミングになったのは、セドリックがうだうだと悩んだ挙句に結局動いたからだ。イリーナはそう踏んでいた。
「聞いての通り、追手の到来はわかった。母親が心配で帝国に剣を向けられないお前達がいても邪魔なだけ。今頃は帝都も大変な事になってるだろうし、母親の所に行ってやりな」
追い払うように手を振ってもセドリック達は動かず、放置して迎撃の準備にかかる。騎士団に睨まれたくはない筈だが、そこまではイリーナの知った事ではなかった。
「私は帝国騎士団副長、フリオ・ギュスターヴだ! 帝国は現在非常事態が宣言され、国内の移動は禁止されている! 速やかに帝都へ引き返せ!」
臨戦態勢の冒険者達を前に、若い騎士が声高に告げる。その間に他の騎士は、ギルド長一行を包囲するように移動していく。
相手の名を聞き、イリーナは目を細めた。
「私達は冒険者ギルド長の一行で、帝国から命令を受ける謂れは無い。帝国との停戦交渉が決裂した上、命に関わるような妨害も受けてきた。貴方がフリオ・ギュスターヴだというなら、知らないとは言わせないよ」
ヒンギス拘束とオルトの殺害を宣言して攻撃を仕掛けた過去を暗に指摘されたギュスターヴは、その返答は織り込み済みだとばかりに口の端を歪める。
「ここは帝国、従わぬなら従わせるまで。手荒くなるのは致し方無き事だ」
視線は冒険者から、【真なる勇気】へと移る。セドリックは目を逸らして俯いた。
「『殿下』はどうしてこのような所へ? 先程申し上げたように、今は非常事態宣言の最中です。私達は見なかった事に致しますので、すぐに帝都へお戻り下さい」
セドリックの肩がピクリと揺れる。
「このような輩と付き合いがあると知れれば、『お母君』が悲しまれますよ」
ギュスターヴの言葉の端に侮蔑的なものを感じながらも、イリーナはこのままセドリック達が立ち去る事を望んでいた。
冒険者達は強い不信感を抱いており、連携はおろか共闘も不可能。いてもさしたる戦力になるとは思えず、後々冒険者ギルドとの関係を問われて面倒になる。だったら大人しく帰った方がセドリック達の為だ。
だがこの
「私は、私達は冒険者だ!」
やっぱり、とイリーナは額に手を当てた。
「私は何度も間違えてきた。仲間を巻き込み、多くの人に迷惑をかけた。ここは冒険者ではないと言って、帝都に帰ればいいのかもしれない。だけど――今度間違えれば、私はきっと先に進めなくなる。だから!」
セドリックがギュスターヴに向かって剣を抜き、パーティーメンバーもそれぞれの得物を構える。
イリーナは馬車を見やった。窓の中のヒンギスは、任せるといった風に掌をこちらに向ける。
それだけの言葉を絞り出すのに、随分遠回りして被害を出したものだ。それが率直な感想だった。彼にしてみれば頑張ったのだろうと思いながら、イリーナは告げた。
「言っておくけど、お前達【真なる勇気】の冒険者登録は抹消されてるから。冒険者ではないよ」
「なあッ!?」
驚愕する【真なる勇気】の面々。
「いや私は、この間言った筈だよ。『帝都支部の人員の半数はギルド長と面談して契約を解除された』って。帝都支部はもう廃止されてるし、お前達は面談どころか支部に顔も出さなかった。どうしてお前達だけがそのままだと思うの?」
ギルドの所属が解除されても、帝国を拠点にするならば出来る事はある。イリーナ自身迷惑をかけられた一人でもあり、親切に教えてやる義理は無いが。
「っ!」
イリーナの頬を
「そういう訳で、部外者は帰りな。今頃帝都は大変だから、母親がきっと困っているよ。それと――」
「イリーナ!?」
「クロスは下がって!」
傍らのクロスが止める間もなく、イリーナは駆け出した。一気に距離を詰め、馬上のギュスターヴに大剣を叩きつける。
「ぐうっ!!」
「騎士じゃないから、名乗りも口上もやらないよ!」
ギュスターヴは長剣で受けるも、大剣の勢いを殺し切れずに馬から飛び降りた。少し前までの余裕に満ちた顔が引きつっている。
「思い出したみたいだね、『
オルトは以前、荒っぽい攻撃でギュスターヴの聖剣を叩き壊した。それは後々、イリーナがギュスターヴと対峙するのを見越しての選択だった。
ギュスターヴが万全ならば、今のイリーナには厳しい相手だ。だがギュスターヴは聖剣を破壊され、大幅な身体強化と相手の攻撃が読める加護を失った。更にオルトの致死性の連撃を回避出来ずに受け続け、剣が砕けた経験は、拭い去れないトラウマとなっている。
オルトの戦い方をなぞれば、勝利は見えている。剣士として不本意でない訳が無い。それでもイリーナは、自分の思いに蓋をして、仲間達の為に確実な勝利を求めた。
この戦いも、感じる不甲斐無さも、もっと強くなれというオルトの檄だと理解しているから。
ガツンガツンと重い一撃を浴びせながら、イリーナはギュスターヴを心理的にも追い込んでいく。
「オルトが帝国を離れたのは、今のお前なら私でも勝てるからだよ。そんなに『刃壊者』が恐ろしかったの?」
「くそッ!」
ギュスターヴが毒づいても、圧倒的不利の流れは変えられない。相手の斬撃を受け止める以外の行動が取れず、身体がガチガチに強張っている。これでは反撃どころではない。
「副長!」
帝国騎士達はギュスターヴの分の悪さを見て取り、包囲を解いて援護しようと動き出す。しかし硬い筈の地面が、まるで泥沼に変わったように騎馬を呑み込み始めた。
「――一騎打ちの邪魔は感心しないわね」
どこからともなく、フワリと風に乗ってエルフ女性が現れる。
「冒険者クラン『ガスコバーニ』のSランクパーティー、【屠竜の炎刃】のテルミナよ。ごめんね、遅くなって」
細い指が、駆けてくる三人を指し示す。
「リーダーのマヌエル、神官のスージー、それと森を抜ける途中で迷子を一人拾ったけど、実力は私が保証するわ」
完全に空気となった【真なる勇気】をよそに、冒険者達は身動きの取れない騎士から武器を奪って拘束していく。
残るはイリーナと戦うギュスターヴのみ。
「――聖剣の加護を失うなんて、考えた事もなかったみたいだね」
イリーナが呟き、勝負所だと一気に回転を上げる。
絶え間なく続く猛攻に耐え切れず、ギュスターヴが後退する。最後は大上段からの渾身の振り下ろしを受け、魔剣を取り落として万事休す。
「これで決着、だね」
ガクッと膝をつくギュスターヴに、イリーナは終戦を宣言したのだった。
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