第二百四十五話 ドワーフ族の秘伝

「お兄さん、だれも追いかけてこないよ」

 

 真っ白な精霊熊の背中から、エイミーが並走する馬車に声をかけた。

 

「国境を越えたからな。今のアルテナ帝国には、国外に追手を差し向ける余力は無いだろうさ」

 

 御者台のオルトが応える。

 

 帝国東部の国境から都市国家連合に入った【菫の庭園】一行は、それまで昼夜兼行で無理をさせた馬を労りながら、当初は立ち寄る予定の無かった『鉱山都市』ピックスを目指していた。

 

 都市国家連合の西部には、帝国に隣接し親帝国路線を踏襲するコーラリアや、レナが聖女を務めていたストラ聖教の総本山がある『神聖都市』ストラトスなど【菫の庭園】とは微妙な関係の国々がある。

 

 強行軍に次ぐ強行軍を経て、この後には『剣聖』マルセロとの戦いが控えている。間に合わせで気の休まらない場所に行くより、ホームのシルファリオまで戻って英気を養おう。今の【菫の庭園】に必要なのは何よりも休息だと、仲間達の意見は一致していた。

 

 そこにギルド本部経由で、ピックス王国が一行の来訪を強く要請してきたのだった。

 

「どのような用件でしょうか」

「さあなぁ」

 

 隣に座るネーナに、オルトは肩をすくめてみせる。

 

 恐らく帝国北部のドワーフ族に関する事なのだろうと、予測はつく。けれどもピックスのドワーフ王ライーガは、その為だけに相手の都合も考えず呼びつけるような人物ではない。

 

 仲間達とよく相談した上で、【菫の庭園】は要請を受けた。相手側は用件を伝えておらず、こちらからも聞きはしない。仲介者がいては言えない内容なのだと察していたからだ。

 

「長居出来ない事と、大事にしないで欲しいとは要望を出してある。行ってみるしかないさ」

「はい」

 

 ネーナは頷いた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 帝都を出ておよそ十日、馬車の前方に見覚えのある赤茶けた丘が現れた。『鉱山都市』ピックスである。

 

 前回とは違い、検問所の脇には大きな天幕が設置され、厳重な警戒が敷かれている。ドワーフの兵士達は馬車と白熊を認めると、短い足を懸命に働かせて駆け寄って来た。

 

「我等はピックス戦士団『爆斧団アックスボンバー』である! そこの馬車……と熊は、【菫の庭園】一行とお見受けするが相違ないか?」

「はい、私達は【菫の庭園】です。貴方は市街に巨大ワームが出現した際にお目にかかった兵士さんですね? お迎えご苦労様です」

 

 ネーナが応えると、兵士達は驚愕した。

 

「人族には儂等の顔の判別は出来んのだと思っておったが……」

「概ねその認識で合っていますよ」

「違いがわかるのはこの娘ネーナだけだからね」

 

 一緒にしてくれるなと、苦笑しつつスミスとレナが言う。仕事を忘れかけたドワーフはハッとして、面を改めた。

 

「これは失礼。方々かたがたには、このまま幕の内側へ進んで頂きたい」

 

 兵士の誘導に従い馬車は進み、その後ろに精霊熊とエイミーが続く。

 

 

 

 天幕の中では国王ライーガ、王妃ララキラ、宰相ケルルグ、戦士団長ホーガンといったピックス王国のトップが、今や遅しと待ち構えていた。

 

 馬車から降り、片膝をつこうとする【菫の庭園】一行を、ライーガは制する。

 

「ここは天幕の中で人目につかぬ。礼は不要ぞ」

 

 そして親交のあるスミスに声をかける。二人の縁は、まだレナやエイミーが加入する以前、ライーガの弟が勇者パーティーに参加していた事から始まっていた。

 

「済まぬなスミス。儂の我儘で手間を取らせた」

「問題ありません、パーティー全員で決めた事ですから」

 

 天幕の周囲は警備の兵士こそ多いが、それ以外は検問所で都市を出入りする為に行き交う人々のみ。こうして面会をピックスの外で行うのも、大事にするのを避ける国王の配慮なのだと理解出来る。

 

 その天幕の中で、国王夫妻、宰相、戦士団長、侍女侍従、警護の兵士に至るまでが深々と頭を下げた。

 

「これだけは言わせて貰いたい。お主等はピックスの、そして帝国北部のドワーフ族の恩人じゃ。全ての同胞に代わって礼を申す」

 

 いかに人目につかない状況であっても、一介の冒険者パーティーに対する謝意としては過ぎたるものだ。前回の巨大ワーム討伐でもそうだったが、ライーガの振る舞いは国王としてもドワーフという種族としても例外的なものと言える。

  

 礼は不要と国王自ら言った後の出来事に、ネーナ達は戸惑いを隠せない。その胸中を読んだかのように、ライーガは頭を振った。

 

「この程度では全く足りぬのだ。先祖の土地を取り戻す事は我等の悲願。代々のピックス国王は即位に当たり、土地の奪還を誓ってきた。ドワーフの子供達は、帝国の仕打ちと我等の先祖が歩んだ苦難の道程を聞かされて育つ」

 

 帝国貴族の裏切りで僻地に追いやられ、迫害を受けたドワーフ族は泣き寝入りをしなかった。種族的な特性で強靭きょうじん体躯たいく膂力りょりょくを持つドワーフは優秀な鍛冶師にして優秀な鉱夫であり、優秀な戦士の資質をも持ち合わせている。

 

 しかし帝国の圧倒的戦力に抗する事あたわず、同胞を失い続けたドワーフ族は苦渋くじゅうの決断に至った。部族を分け、非戦闘員を戦場から遠ざけたのだ。

 

「帝国北部ではどこにいても狙われ、戦闘に巻き込まれる。部族の血を絶やさぬ為、里長の弟は旅に出た。それがピックス王家の祖だ」

 

 帝国北部のドワーフ一族には、既に当時の里長の血を引く者はいない。それでも二つの部族は手を取り合い、今日まで戦い抜いてきた。その成果が結実し、流れた血と汗と涙が報われる時が来たのである。

 

「我等の思いを理解するのは難しかろう。ドワーフは恩義も恨みも忘れず、代を経ても宿願叶うまで戦いを止めぬ。我が子や孫に、祖先の怒りと悲しみを忘れるなと呪詛のように言い聞かせてな」

 

 ネーナは気づいた。先祖の土地を回復した事で、ドワーフ達は数百年来の呪いから解き放たれたのだと。同胞や子孫を戦いに駆り立てずともよくなったのだと。

 

「『刃壊者ソードブレイカー』よ、お主に我等の助勢をする意図が無かったのはわかっておる。だが長きに渡り、我等の未来には高く厚い壁が立ちはだかってきた。それを打ち壊したのは、紛れもなくお主の一撃なのだ」

 

 そしてライーガは、オルトが腰に帯びた剣を指し示す。

 

「その剣……スタインベルガーはな、とうに失われたと思われていたものだ。帝国北部のドワーフ族にあって、鬼才と呼ばれた名工スタインの遺作よ」

 

 あえて切っ先を除いたのは、斬撃に全てを集中させて攻撃を完結させる為。後の世では曲解され、形状が酷似する処刑剣と同様に見做されたが設計思想は別物であった。

 

 スタインは文字通り命を賭して隕鉄を鍛え上げ、斬撃に特化した唯一無二の魔剣を遺した。盟友ベルガーは友の形見を手に勇者を助け、魔王軍との戦いで大きな戦果を挙げた。

 

「ベルガーは魔王討伐後、スタインの同胞、つまり北のドワーフ族の保護を求めて帝国に臣従した。帝国はベルガーを軽んじ、地方領主がドワーフ族を排除する事を黙認したがな」

「そのような経緯が……」

 

 賢者たるスミスも知らない事実だったらしく、うめくような声で応える。


 記憶の彼方に忘れ去られる運命だったスタインベルガーを再び世に出し、オルトは帝国の所持する聖剣さえ破壊してみせた。ドワーフ達が感激しない訳が無いのだ。

 

 神妙な表情のオルトを見て、ライーガは苦笑を浮かべた。

 

「そのような顔をするな、『刃壊者』よ。お主に何か背負わせようとしているのではない。何かを求めているのでもない。ただ知って欲しかったのだ、我等ドワーフがここまで感謝する理由をな」

「はっ」

 

 そこまで言われてはと、オルトが畏まる。

 

「先にも言うた通り、ドワーフは決して恩義を忘れぬ。勝手に持ち上げておきながら、手の平を返すような真似もせぬ」

 

 一転してライーガの顔が険しくなる。怒りを感じさせるが、それは目の前の【菫の庭園】一行に向けられたものではない。

 

 もしかしたらピックスの上層部は、『深緑都市』ドリアノンやアルテナ帝国南部の反乱軍がオルトにどのような対応をしたか知っているのかもしれない。ネーナはそう感じた。

 

「――陛下、そろそろ本題の方を。お客人もお疲れの筈です」

 

 ヒートアップしそうな国王を見かねて、宰相のケルルグが助け舟を出す。兵士が数名、天幕の裏に消える。

 

 気を取り直したライーガが、気まずげに言う。

 

「つい熱くなってしもうたが。この度は、感謝を伝える為だけに立ち寄って貰った訳ではないのだ」

 

 しかし続いた言葉は、単刀直入であった。

 

「お主ら、新たな戦いに赴くのじゃろう」

「っ!?」

 

 オルトが珍しく、返答に詰まった様子を見せる。

 

 だが考えてみればわかる事ではある。ギルド長を死守せんと傍を離れずにいたオルトが、陽動という名目ながら別行動を取った。護衛に匹敵する重要な案件を抱えていると考えるのが自然なのだ。

 

「我等がそう考えただけの事、答える必要は無い。【菫の庭園】よ、我等ピックスの民が用意した心ばかりの品を受け取ってはくれぬか」

 

 天幕の裏に下がった兵士達が、布の被せられた台車を押して戻ってくる。

 

 布を取り払うと、トルソーに掛けられた外套が六着現れた。いずれも菫色の地に、斜めに走るグレーのラインが二条の落ち着いたデザインである。

 

「外套……戦外套アーマードコートかな?」

「その通り」

 

 フェスタの呟きを、ライーガが肯定する。

 

 新たに用意されたサンプルの外套に、兵士達が斧やハンマーを打ちつけるもダメージは認められない。

 

「あたしもやってみていい?」

「構わぬよ」

 

 許可を得てレナが蹴りを繰り出し、ククリナイフで切りつけ、感心したような声を上げる。

 

「これすごいね。外からの衝撃に対して、縫い込まれた金属片みたいのが噛み合って鎧みたいになってる。魔法とか矢は?」

「お主らが本気を出せば破れようが、人族の一般的な魔術師を基準にすれば火球程度には耐えるであろう」

 

 レナとライーガの話を聞き、ネーナとエイミーが顔を見合わせる。自分が使うかもしれないものならば、性能には興味が湧く。

 

「試してみればいいさ」

 

 オルトの口添えで、エイミーが矢を放つ。矢は正確に外套の左胸を捉えたが、貫くには至らず弾かれた。

 

「結界を展開しましたよ」

「有難うございます」

 

 スミスに礼を述べ、ネーナが火球の術を行使する。結界の中が爆炎に包まれ、ドワーフ達からどよめきが起きる。

 

 炎が収まった時、そこには多少の焦げはあるものの、しっかり原型を保った外套が残っていた。

 

「……すごい耐久性です」

「……無傷とは行かんか」

 

 感嘆するネーナに対して、ライーガは悔しそうな表情を見せる。

 

 スミスが近づき、外套の状態を確かめる。

 

「見た目程のダメージは内側には無く、軽く、行動を阻害しない。確かに多くの金属片が使われているようですが、薄くて音も無い。耐魔術性までも兼ね備えている。こんな素材は聞いた事がありません」

 

 そもそも外套は鎧ではないのだ。まともに攻撃を受ける為に用いるものではない。それが金属鎧を遥かに凌ぐ、破格の防御力を有している。

 

「その金属はな、『ドヴェライト鋼』というものだ」

「ドヴェライト、ですか?」

 

 首を傾げるスミスに、ライーガは頷きを返す。

 

「知らぬのも無理は無い。ピックスのドワーフの、ごく一部にしか伝わらぬ秘伝よ」

 

 ピックスの坑道の奥深くで発見された希少な素材。その存在は秘匿され、研究が続けられてきたという。

 

 その特性から、武器には使い辛い。しかし布や革と抜群の親和性を発揮し、使用者を守る強力な防具となる。

 

「それをお主らに託す事を、誰も反対せんかった。ドワーフの幼子を守らんと、巨大な魔獣に立ち向かうネーナの勇気。魔獣に食われた者を諦めず、強力な消化液で満たされた体内に飛び込むオルトの胆力。前回の滞在で、お主らはドワーフの信を得たのだ」

 

 天幕の中のドワーフ達が、我が意を得たりと頷く。

 

「我等は、お主らを死なせたくないのだ。この外套が少しでも役に立つならば、どうか受け取ってくれぬか」

「……有り難く。有り難く、使わせて頂きます」

 

 一本気な大地の妖精の申し出を断る選択肢は、オルト達には無かった。

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