第二百四十四話 そこで臭い飯でも食うんだね
アルテナ帝国を許さない、ネーナはそう言い放った。
謁見の間が騒然となり、面と向かって拒絶された皇太子は顔を紅潮させて言い返す。
「『帝国勇者計画』は、国防上重要な研究だ! 外部の技術弱者どもが難癖をつけているに過ぎん! 勇者召喚を行うサン・ジハールの王女にとやかく言われる筋合いも無い!」
煽り交じりの反論にも、ネーナの反応は冷静だった。
「それは詭弁というものです。帝国の軍事技術が惜しみなく他国への侵略に投入されている現状、周辺国が危機感を抱くのは当然。予測できる横槍に対処する術が用意されていなかった事に、驚きを禁じ得ません」
当時の帝国も皇太子と同じ論法で正当性を主張し、強行突破を試みた。結果、対帝国軍事同盟が実現しかけ、帝国は慌てて『帝国勇者計画』の凍結を決めたのである。皇太子の言い分は今更でしかなかった。
「私は確かに王族として生まれました。今はそうでなくとも、サン・ジハール王国の勇者召喚に無関係だと言い張るつもりはありません。かの国が再び召喚を行うならば全力でそれを阻止しますし、私の生涯を賭けて召喚の術と向き合う事になるでしょう」
初めて言葉にした、ネーナの決意。フェスタが、レナが、エイミーが驚きの視線を向ける中、オルトは変わらず敵を威圧し続けている。
言いたい事を言えと、その邪魔をさせまいとしているのだとネーナにはわかる。勇気が無限に湧いてくるように感じられた。
「そして私の身内が巻き込まれた『帝国勇者計画』についても、口を
「それに何の問題がある!? 実験体は我が国の犯罪者、そして敵国の捕虜だ! より多くの命を救う為の犠牲は許容されるものではないか!」
ネーナは皇太子の言葉に、フッと笑みを漏らす。
「少数の人々も、多数の人々と価値は変わりませんよ。数は時間の経過で増すものですし。それでも少数の人々が犠牲を強いられるのは、多くの場合多数派が力を持っているからです。生き残る資格の有無は、その時点の頭数の多寡ではありません。どちらが強いか、それだけですよ」
そもそも、帝国が帯剣した冒険者の一団に謁見の間まで踏み込まれているのは、ぶつけた戦力を全て潰されたからだ。冒険者ギルドの戦力を過小評価し、これまで同様に恫喝出来ると高を括った結果である。
帝国軍の情報局と研究所を捜索して、実験体となった人物の素性は明らかになっている。
死刑も同然の処分で、実際にガルフを除けば誰も生き残っていない。しかし実験体として送り込まれた死刑囚は、全体で見ればごく一部に過ぎない。
大半は政治犯ほか、死刑の適用基準に遠く及ばない者。更には敵国の捕虜。中には後宮に入った妃のパートナーだった者もいた。
「敵国の捕虜と言っても、戦を仕掛けたのは帝国ではありませんか。妃のパートナーは見せしめとして研究所に送られたのでしょうか?」
リストには研究所送りの理由までは記載されていなかった。顔触れからも並びからも規則性や一つの基準を導き出す事が出来ず、恣意的な運用が為されていると考えた方がスッキリする。
「家臣の妻娘、敵国の妃や姫を後宮に入れるのも、下衆ですが効果的ですね。残された者とお互いに足枷になりますから。
ネーナの軽蔑しきった視線を受け、皇太子が不満気に声を荒げる。
「我が国とて
「その為に相当な恨みを買うのは本末転倒ではありませんか? 今こうしている間にも、奪われた妻子を取り戻そうと、地方貴族達が帝都を目指しているようですよ?」
周辺国に対する横暴を支え、家臣や民衆の反抗を抑え込んできた往時の軍事力は、既に帝国には無い。皇太子の理屈は、今となっては相手の怒りを燃え上がらせるだけだ。
領土が半減すれば税収も激減する。これまでのような贅沢は勿論、後宮の維持も困難になる。新しい妃など迎えている場合ではなく、ネーナへの縁談自体が非常に的外れなものだ。
「帝国の歴史を振り返れば、その治世で混乱を招いた無能な皇帝も少なからず見受けられます。資質に欠ける者を血の繋がりに拘って後継に据えるのは、国益を損なうのではありませんか?」
当代皇帝シルエデは侵略を重ねて国土を倍にし、『武帝』との異名をとった。しかし今は大幅に版図を減らして、皇帝即位時を下回る事が確実になっている。
皇太子ヴァルエデに至っては女癖の悪さこそ父親に並ぶものの、功績の大半は父の威光を利用して挙げたものばかり。補佐する家臣を含めて、これから転落していく帝国を支えるだけの力量があるか、疑問と言わざるを得ない。
「町の広場で靴磨きをしていた青年が初代皇帝になるのならば、その逆も然りです。王女に生まれた私は今、冒険者をしています。人の一生も地位も、何ら保証されたものではありませんよ」
民衆の反乱に参加し頭角を表した青年が打ち立てたのがアルテナ帝国だ。ネーナは建国譚を持ち出し、謁見の間に居並ぶ帝国の皇族貴族に対して、いつまでも特権を享受出来るものではないと言ったのである。
「ぶ、無礼な! 冒険者ギルドは戦争を望むか!?」
「――俺の妹を寄越せなどと、世迷い言を抜かすならな」
「っ!!」
オルトが圧を強めて口を開けば、皇太子は息を呑む。ネーナはオルトに微笑みを向けた。
「我が国だけではなく、世界を敵に回すぞ!? 正に魔王の所業ではないか!」
「いやあ、今までやって来た事を考えたら、戦力を失った帝国に味方する国があるとは思えないけどね」
皇太子に代わる宰相の非難を、レナは鼻で笑う。
「俺達には俺達の行動原理がある。それを魔王だと言うなら、甘んじて受け入れよう。全て失う覚悟でかかってこい」
「皇帝は偽物っぽいし、もうここに用は無いね。うちの魔王様が帰るよ、道を開けな!」
嫌そうな顔をするオルトに構わず、レナが露払いよろしく謁見の間の出口に向けて歩き出す。レナの指摘の正しさを証明するように、皇太子と宰相、『皇帝』の三者が顔色を変えた。
皇帝の御前に帯剣した冒険者が並ぶというのに、警護の帝国騎士団を率いているのは騎士団長の第二皇子ではなく壮年の副長。もう一人の副長であるフリオ・ギュスターヴも、オルトに惨敗してから姿が見えない。
皇太子は皇帝を差し置いて発言しており、本物の皇帝は騎士団長と近衛騎士の精鋭に守られて帝城を脱出していると考えるのが妥当であった。
一人逃げ出した皇帝の為に死ぬ程の忠誠は、皇太子も重臣達も持ち合わせていない。故にどれ程険悪になろうと、帝国側はギリギリまで【菫の庭園】への攻撃を控える。
オルト達は、そういった見通しの上で行動している。相手の反応を見るに、それは概ね正しいと思われた。間違っていたなら強行突破を図るだけなのだが。
ネーナは再度、壇上の皇族に対してカーテシーを披露する。
「それでは、私達はこれで失礼致します。最後に――」
大きく開いたドレスの胸元に、右手を入れる。はしたないと咎めるような視線をオルトから感じるも、ネーナは知らんぷりをした。
「友人が傷つけられた事、私達は腹に据えかねております。意趣返しとして、皆様には帝国のシンボルたるこの帝城から退去して頂きます」
発言の真意を汲み取れず、帝国の人々が怪訝な顔をする。ネーナは胸元から取り出した小瓶の蓋を半回転させて放り投げた。
硬い床の上を転がった小瓶は、皇族が控える段の下に当たって止まる。小瓶のラベルには、頭部に鹿のような角を生やした人間が描かれていた。
謁見の間に緊張が走り、皇族の前に護衛が殺到して壁を作った。小瓶から毒々しい紫色の気体が噴き出し始める。
「私からのプレゼント、
オルトがネーナを小脇に抱え、仲間達と走り出した。
「邪魔だっての!」
いち早く謁見の間の出口に辿り着いたレナが、兵士を蹴り飛ばす。エイミーは背中の矢筒から取り出した矢で、弓兵の手を正確に撃ち抜いていく。
「む〜っ、せっかくおめかししたのに、扱いが荷物と同じです!」
「その格好じゃ走れないだろ? 廊下に出るまで待ってくれよ」
不満を述べるネーナを宥めながら、オルトは謁見の間を出た。エイミーの弓から精霊熊が飛び出し、一行と並走を始める。
「投げるぞ」
「はわッ!?」
べちゃっと熊の背中に落ちたネーナが、白い毛皮にしがみつく。エイミーは身軽に飛び乗り、ネーナを助け起こした。
「大丈夫?」
「うう、酷い目に遭いました……」
レナが二人に声をかける。
「あたしらが援護するから、ネーナとエイミーは先頭を行って。熊、邪魔する奴は
『ガオオオオン!!』
返事代わりの一咆えで、前方の兵士が恐慌状態に陥った。精神に作用する精霊術を乗せた、疑似『
「すごいです!」
「かっこいい!」
歓声を上げる二人を背に、精霊熊は行動不能になった兵士達を巨体で撥ね飛ばして駆け抜ける。
背後でも幾つもの悲鳴が上がり、フェスタが顔を引きつらせた。
「うわあああ!」
「息が、何だこれは!?」
「ヒイイイッ!」
謁見の間は混乱を極めており、一行を追ってくる者は殆どいない。入口からは紫色の気体が漏れ出している。
「あの気持ち悪いモヤ、広がるの早くない?」
「恐らく、お城のあちこちに穴が開いたからです」
帝城は換気の為、内部に自然な空気の流れが生まれる設計となっている。オルトが帝城の各所を破壊した事で気流が変わり、ネーナの計算を上回る速度で気体が拡散しているのだと指摘した。
「魔王様のせいかー」
フェスタとネーナの会話に、レナが割り込む。オルトは気まずげに目を逸らした。
風の精霊が気流を操っている為、【菫の庭園】一行が巻き込まれる事は無い。だが帝城の外ではスミスが待っており、脱出の時間を考えれば悠長に走っている余裕も無いのだ。
「あの小瓶で、効果範囲はどこまでなの?」
「帝城の中は全て含まれるかと」
「うわあ……」
フェスタが顔を顰める。
以前にネーナが宿の一部屋を台無しにした悪臭の素は、何が琴線に触れたか度重なるバージョンアップを施されて凶悪さを増していた。
単体でも竜すら逃げ出すと言われる『穢れた鹿』の角の粉末、発酵させた毒魚『バリバリ』の内蔵、巨大な寄生花である『
「発生した気体は、床天井壁、窓扉など硬質な物体にも深く浸透します。私とスミス様が知る限り、現状で除去は不可能です」
「魔法でも?」
「はい」
背後で聞こえる悲鳴は絶える事が無い。悪臭に包まれたまま何年も過ごすのは嫌だと、一行は更に足を早める。
「出口です!」
帝城を飛び出したネーナの視界に入ったのは、倒れ伏す兵士達の中で待ち構える馬車、下りたまま氷で固定された跳ね橋だった。
「スミス、馬車を出して!」
「帝城が禍々しくなって、先に逃げようかと思いましたよ!」
動き出す馬車の側面にフェスタが取り付き、後方に手を伸ばす。精霊熊は先行して跳ね橋を駆け抜け、背に乗ったエイミーとネーナが前方の安全を確保する。
「あたしやりたい!」
レナの主張に苦笑しつつ、オルトがフェスタの手を掴んで先に馬車に乗り込んだ。
「――せーのっ!!」
掛け声と共に、光球を足下に叩きつけた。分厚い跳ね橋が粉々になり、凄まじい衝撃でレナの身体が宙に放り出される。
――風の精霊さん! ――
「エイミー、ありがと」
ゴウッと巻いた風に乗り、レナは馬車の屋根に着地した。
深い堀の向こう側で呆然とする兵士達。馬車と精霊熊は、帝城から悠々と遠ざかる。
「あんた達はとりあえず――」
レナがニヤリと笑う。
「そこで臭い飯でも食うんだね」
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