第二百四十三話 私は帝国を、絶対に許しません

「……それにしてもさあ」

 

 レナは馬車の窓から見える帝城を指差した。

 

「帝都に降りてきた時は気づかなかったけど、結構あちこち壊れてんのね」

 

 レナ達【菫の庭園】の女性陣は、ドラゴンの背に乗り空から帝都にやって来た。降下しながら見た美しい星型の城はアルテナ帝国の威容を感じさせたが、こうして傷んだ側面を見ると大分印象が変わる。

 

「帝城『大地の星エストレージャ』が築城されてから数百年、損壊させたのはオルトが初めてだそうですよ」

 

 スミスの蘊蓄うんちくに、オルトが肩を竦めた。

 

「大きな穴が、横に三つ並んでます」

「あそこは客間だな。胡散臭い香が充満していたから、風通しを良くしたんだ」

「ふわぁ……」

 

 ネーナが口許に手を当てて驚く。

 

 帝国はのっけから停戦交渉の相手に仕掛け、オルトは返礼とばかりにやり返していた。双方に言い分はあろうが、そこに停戦を望む空気は感じられない。

 

「次に登城した時、前回と同じ部屋を要求したら隣の部屋に案内されたから、逆隣の部屋と合わせて風穴を開けたのさ」

「それで穴が三つ、ですか」

 

 金持ち喧嘩せず、君子危うきに近寄らず。それが通用するのは同程度の精神性を持つ相手だけだ。帝国相手に余裕を見せて譲れば、味をしめてさらに踏み込んでくる。

 

 かつて、ある国の王は帝国と友好的な関係を維持する事が自国の平和に資すると信じ、長年の懸案だった紛争地域から兵を引き、帝国と争っていた領土を放棄した。

 

 帝国の要求により移民を受け入れ、軍備を縮小し、帝国の姫をめとってその護衛を王宮に迎えた。王の政策に異を唱えた臣下はことごとく投獄された。

 

 姫の護衛はさしたる抵抗も受けずに王を捕らえ、王国は帝国に併呑された。王は広場に引き出され、自国の民の保護を怠り国を失わせた罪で処刑されたという。大陸西方サンセット史に残る有名な故事だ。

 

 帝国がどの面下げて、という点を除けば教訓として申し分ない。少なくともオルトは、この国王のように帝国に付け入る余地を与える事はせず、ギルド長の護衛を完遂し他のギルドメンバーをも守り切った。

 

 冒険者ギルドくみやすしと侮ったからこそ、帝国はギルドに工作員を送り込み、Sランクパーティーを引き抜き、カリタスに手を出したのだ。ギルドは同じ失敗を繰り返しはしなかった。

 

 帝城を襲った轟音と衝撃で、喉元に突きつけられた刃に漸く気づいた皇帝は、さぞ肝を冷やしたであろう。ギルドの隙を窺っている他国にも、これ以上ない警告となったに違いない。

 

「まあ帝国側が拙い対応を続けてくれたお陰で、謁見の間に帯剣して入れるようになったし客間も固定された。最初にガツンとやった甲斐はあったかな」

 

 馬車前方の窓が開き、御者台のフェスタが車内を覗き込む。

 

「到着するわよ。準備はいい?」

 

 見れば帝城の巨大な門と跳ね橋が、間近に迫っていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「【菫の庭園】一行、入場!」

 

 案内人が入口で声を張り上げ、先頭のオルトが謁見の間に足を踏み入れる。

 

 ざわついていた空間にビリっと緊張が走り、静寂に包まれる。オルトの威圧に、警護の騎士や兵士までが呑まれていた。

 

 スミスだけは同行せず、馬車に残って番をしている。それは謁見の間が魔術無効の結界内である事、撤収の際の馬車までの移動が長くなる事などをかんがみて保険をかけた為だ。

 

 続いてネーナが入場すると、おおっとが起こる。不躾で不快な視線が集まるも、ほんの一瞬の事。

 

 玉座に座る皇帝のニヤけた顔が、蒼白になる。皇太子以下の皇族、貴族も同様。皇后と皇太子妃は椅子から転げ落ちそうになっている。

 

 オルトは僅かに殺気を収め、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

『大丈夫?』

 

 フェスタが気遣わしげに耳打ちするも、ネーナは小さく頷いた。そもそも一人だけドレスアップしたのは注目を集める意図であり、相手のこういう反応は想定通りだ。

 

 王女の地位を放棄し国を出て、ネーナ・ヘーネスと名乗ってもう二年近くが経っている。その間の経験で、ネーナは自分の容姿が他者からどう評価されているのか、正しく認識するに至った。

 

 見るもの全てが新鮮で興味深くとも、ネーナはよそ見をしなかった。王女でなくなる事と引き換えに手に入れた家族、仲間との暮らしが心地良かったからだ。

 

 そうでなかったら、世間知らずのネーナはどんな目に遭っていたかわからない。道を踏み外した人々の末路は何度も見てきた。誘いの言葉に心が揺れる事は無かった。

 

 正直に言えば、時に全く興味の無い異性から重過ぎる好意を寄せられたり、劣情を抱かれたりする自分の容姿を疎ましく思った事もある。

 

 けれども今、ネーナは割り切っていた。なりたい自分になっていいのだと、どんな自分でもいいのだと、オルトが言ってくれたからだ。

 

 だからネーナは、兄を大好きな妹でいる。仲間と過ごす時間を大切にしている。その障害になるものは全力で排除するつもりでいるし、帝国の皇族や貴族に嫁ぐなど冗談ではないと思っている。

 

『全く問題ありません。世界一の剣お兄様が私を守ってくれますし――』

 

 ネーナがニヤリと悪い笑みを浮かべる。

 

『このような方々なら、これから私がする事に、微塵も罪悪感を覚えずに済みますから』

 

 フェスタは目を丸くし、レナが小さく吹き出した。

 

『全くもってその通りだわ。良い事言うじゃん』

『笑い方が本当に、オルトに似て来ちゃって……』

 

 今度は満面の笑みで、ネーナが応える。

 

『当然です。兄妹ですから』

 

 

 

 玉座の前に並んだ【菫の庭園】一行は、誰一人として皇帝にひざまずかない。

 

 帝国の長い歴史の中で、拝謁者が壇上の皇帝にこうべを垂れない謁見は例が無い。【菫の庭園】に剣呑な視線を向ける者、苦々しい表情や怒りを面に表す者もあるが、直接非礼を咎める者はいない。

 

 居並ぶ帝国貴族の誰もが理解していたからだ。最早帝国は、この傍若無人な拝謁者達をかしこまらせるだけの国威も武威も持ち合わせていない事を。

 

 そして同時に、半数以上は理解していなかった。この状況を招いたのは、強大な軍事力を笠に着た帝国の長年の振る舞いの積み重ねだという事を。

 

「――よくぞ参られた、冒険者の方々」

 

 重い空気を振り払うように、帝国宰相が口を開く。

 

 ネーナは何食わぬ顔で体力強化フィジカル・アップの行使を試みた。しかし術は発動しない。身に着けた魔道具も効果を発揮していない。

 

 城門から謁見の間までに何度か確認した際には、術は発動していた。事前の情報通り、謁見の間では魔術の一切が無効になっているようだと仲間達に目配せをし、認識を共有する。

 

「貴殿らの実力と功績に、皇帝陛下は深く感銘をお受けになられた。特にオルト・ヘーネス殿の剣技は、我が帝国が誇る騎士団副長のフリオ・ギュスターヴを超え、マルセロ・オスカー・ベルナルディすら凌ぐ程と聞く」

 

 宰相がスラスラと賛辞を述べる。ここでのマルセロなにがしとは、『剣聖』のフルネームだ。マルセロは元々、帝国貴族の子弟なのだ。

 

 ネーナはチラリとオルトの顔を見る。

 

 ――はわっ、無表情です。

 

 オルトは興味の無さを全く隠していなかった。当然それは帝国側にも伝わっており、宰相の額に汗がにじんでいる。

 

 頬をひくつかせた皇帝は、ここまで一言も発していない。権威付けと見る事も出来るが、目の前にいる皇帝は影武者であろうとネーナ達は考えていた。

 

 謁見の間の魔術無効の結界は機能していても、【菫の庭園】の武器持ち込みは阻止出来ない。帝国はこれまで他国に対し、謁見や会談の機会に何度も騙し討ちを行ってきた経緯があり、相手の善性や自制心を信じられる筈は無いのだ。

 

 だが仮に本物の皇帝が避難していたとしても、皇太子や宰相を始めとする帝国軍政のトップ達は帝城に集まっている。帝都が帝国の心臓である事にも変わりはなく、ネーナ達はここで騒ぎを起こすつもりでいた。

  

「不世出の剣士は、それに相応しい待遇を受けるべきだと皇帝陛下はお考えです。オルト・ヘーネス殿には『剣聖』の称号、最高位のガントレット勲章、エールシッド侯の爵位と領地、さらに皇室が所有する宝剣――」

「事前に伝えた通り、何一つとして帝国から受け取るいわれは無い。縁談も余計なお世話だ」

 

 オルトは宰相の言葉を遮り、溜息をつく。

 

「冒険者ギルドとアルテナ帝国は、停戦の合意に至らなかった。そのような状況で意図が見え見えの授賞など――過去に受け取った者はいたが、その後彼等がどうなったかは知っている筈だ」

 

 受け取る者などいないと言いかけて、オルトは顔を顰めた。ギルド本部の元部門長、元Sランクパーティーやカリタスの冒険者の一部が帝国に取り込まれていたからだ。

 

 しかしそれらの冒険者達は厳しい罰を受け、処刑された者さえいる。【菫の庭園】が利をチラつかせれば転ぶ類の冒険者だと見られる事は、甚だ不本意であった。

 

「た、他の方々にも多大な褒賞を用意しておりますぞ!」

「あたしいらない」

「私も辞退します」

「いらなーい!」

 

 当初はオルトとネーナのみの筈だった褒賞が全員に変わっていた。しかしレナ、フェスタ、エイミーの三人も受け取りを拒否する。宰相だけでなく、居並ぶ帝国貴族が絶句した。 

 

 オルトがネーナに目配せをし、小さく口を動かす。

 

『この際だから、言いたい事を言ってしまえよ』

 

 その意を正しく汲んだネーナは微笑み、コクリと頷いてカーテシーを披露した。

 

「私、ネーナ・ヘーネスへの縁談も不要です。この場にてお断り申し上げます」

「待て!」

 

 ガタッと椅子を揺らし、壇上の皇太子が立ち上がる。皇帝や宰相は驚きながらも制止せず、ネーナは皇帝が影武者なのだと確信する。

 

「ネーナ嬢、王族の血を引く貴女が望むのなら、皇太子妃にも皇妃にもなれるのだぞ? この縁談は、帝国とギルドの関係改善にも繋がるものでもある。簡単に切って捨てるのは愚かしい選択ではないか?」

 

 ネーナは間髪入れずに、まずは皇太子が馴れ馴れしく名を呼んできた事を咎めた。オルトにならって、呼び名一つの隙も与えまいとしたのである。

 

「私は未婚ですし、皇太子殿下とは公式な場でファーストネームを呼ばれるような間柄でもございません。この場には兄であるオルト・ヘーネスもおりますので、あらぬ誤解を招く事無きよう、私の事はどうぞ『ネーナ・ヘーネス』とフルネームでお呼び下さい」

 

 皇太子がぐっと言葉に詰まる。顔に出かかった不満は、オルトに睨まれて引っ込んだ。

 

「その上で申し上げます。私には現在の生活を捨てて、女性の扱いの酷さが他国にまで知れ渡っている帝国のハーレムに入るという、愚かしい選択をする理由がありません」

 

 先刻の皇太子の発言を逆手に取って切り返し、ネーナは壇上を見据える。皇后と皇太子妃は、目を合わせる事無く顔を背けた。

 

 帝国の後宮に入った女性達の多くは、婚約者や配偶者と泣く泣く引き離された者達だ。好色帝とその息子に見初められた女は後宮で散々に身体を貪られ弄ばれ、別な女に気が移れば見向きもされなくなる。

 

 下賜されて元のパートナーとよりを戻す事も、修道院に入る事も許されず、妃として後宮で暮らすしかない。帝国のハーレムの実態は、悪い意味で有名だった。

 

「私はアルテナ帝国に対して、全く良い感情を持っていません。私の友人達は帝国軍や帝国貴族により、生命に関わる程の負傷をしました。別な友人は本人が望まぬまま『帝国勇者計画』の実験体にされました」

 

 ネーナは怒りの込もった厳しい視線を皇太子に向ける。ギルドが帝国上層部の責任を問わないと決めようが、責任そのものは消滅しないのだ。

 

「何よりも、帝国の暴挙によりお兄様――オルト・ヘーネスは、離反したギルドメンバーを殺害せざるを得なくなりました。私は帝国を、絶対に許しません」

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