第八十五話 だったら、死ぬまで殺すだけだ
視界が鮮明になると、オルトは周囲を見回した。
全く見覚えのない風景。荒れ地のような、砂と瓦礫ばかりの地面。空間の奥行きはそれほど無く、硬く透明な障壁でオルトの周りは囲まれていた。
その障壁の向こうに見えたものから、オルトは自分の置かれている状況を推測した。
「瓶の中に転移させられたのか」
「そうだあ!」
オルトの呟きに対して、空間が震えるような大音声が響き渡る。透明な壁の向こうに、裸の巨大な人間が狂ったような笑みを浮かべていた。
「ざまあねぇなオルト!」
「一応聞くが、お前ディーンだよな」
「そうだ! てめぇともこれっきりだがな! オルトぉ!!」
喚き散らすディーン。
締まらない形ではあるが、オルトはターゲットを確認した。既に部屋に突入してから五分以上経過し、入口付近が騒がしくなっている。
「ギャラリーが増えてきたな。そろそろ終わらせないと――っ」
オルトは死角から放たれた斬撃を回避した。
「言った筈だぜオルト! 『てめぇともこれっきりだ』ってなあ!」
斬撃の主の姿を見たオルトが呟く。
「魔人か」
「如何にも」
相手も短く応じた。
黒みがかった紫の肌、側頭部から突き出す一対の角。右腕の先は鋭い刃物のような形状をしている。男性的に見えるが、人間の感覚の分類が正しいかどうか。
「我が名はグリ――」
――
「済まんが急いでるんだ。仕事を終わらせて帰らなくてはならないんでな」
オルトが剣を一閃し、名乗り途中の魔人の胴が上下に分断された。オルトは瓶の外で驚愕しているディーンを見やる。
すぐにディーンは笑い出した。
「……ギャハハハ!! どこ見てやがるオルトぉ!」
背後に気配を感じたオルトが振り返る。そこには、胴を切断された筈の魔人が立っていた。
「てめぇの相手は俺じゃねえ! 不死身の魔人だ!! てめぇはそこから出る事も出来ねえ! そこでくたばるしか無ぇんだ!」
「……再生か。いや、それだけじゃないな」
オルトは目の前の魔人の能力を推測すると同時に、自身に起きている異変にも気づいた。
身体から力が抜けていく。長く
オルトが魔人の斬撃を受け止める。しかし押し込まれる。
「フッ!」
「――驚いた、まだそんな力が残っているのか」
押し返された魔人が、感嘆の声を漏らす。それをディーンの汚い笑いが塗り潰した。
「ギャハハハ! 無駄な足掻きだ! さっさと死ねオルト! フェスタとか言ったな、てめぇの女は! 他のガキも纏めてブチ犯してやるよ!!」
「……ふう」
オルトはディーンに応えず、深く息を吐いた。剣を握り直して魔人を見据える。
「斬っても再生するのか。だったら――」
「ぬうっ!?」
「――死ぬまで殺すだけだ」
――
「ぐぉおああっ!!」
刃物状の右腕が千切れ飛び、魔人が苦痛の声を上げる。オルトは一気に回転を上げ、魔人を切り刻んだ。
オルトは剣先を直上に向けて高く掲げた構えから、一気に剣を振り下ろす。
『
オルトの剣から放たれた閃光は魔人だったモノを消し飛ばし、障壁に直撃する。そこから障壁全体に亀裂が伸びた。
一瞬の後、耳を劈く轟音と共に障壁が崩れ落ち、オルトの視界が光に包まれる。
◆◆◆◆◆
突如、瓶から眩い光が室内に満ちた。
部屋に駆けつけた用心棒や屋敷の使用人、そして表向きの主人であるムーリスも目を固く瞑り、その上から手で覆う。
光が収まった時、一同が見たものは。
ガタガタ震えるディーンと、その頭を鷲掴みにした見知らぬ男――オルトだった。
「魔人は不死身じゃなかったな。何か言い残す事はあるか」
「……へ、へへ。てめえのそんなツラは初めて見るぜ。何だそりゃあ。俺よりよっぽど『こっち側』の人間じゃねえか」
「それが遺言か」
引きつった表情のディーン。オルトは剣を握り締める。
「何でてめぇは出て来れるんだ!? どうして魔人を殺せるんだ!? おかしいだろ、今迄誰も生きて出られなかったんだぞ!?」
喚き散らすディーンに、オルトは冷たく言い放つ。
「――今迄どうかなんて知らん。瓶に入ったのも、不死身の魔人とやらと戦ったのも。俺は初めてだからな」
オルトはディーンの頭を手放し、剣を一閃した。ディーンの頭が床に落ち、頭を失った身体が血を噴きながら倒れる。
「ひッ」
誰かが短い悲鳴を上げた。ギャラリーの存在を思い出し、オルトが一瞥する。
――窓から出るしかないか。
窓を開けて外を見る。暗い庭に人の気配は無い。だが門の方には無数の光が見えた。
――治安隊か。思ったより遅かったな。
或いは誰かが足止めをしたか。オルトの脳裏にドリューの顔が浮かぶ。
「あ゛、あぁ……」
オルトがベッドを見ると、女性が懸命に手を伸ばしていた。涙を流しながら、痙攣が残る身体を必死に起こそうとしている。オルトが投げた外套は身体から落ちてしまい、全身が露わになっている。
女性は言葉にならない声を絞り出し、オルトに訴えていた。ディーンの手によるものか、顔や身体に暴行の痕が見られる。
事情はわからない。だがオルトには、女性を置いて行く事は出来なかった。
「無理をしなくていい。俺と来るか?」
オルトの問いかけに、女性は微かに頷いた。オルトは女性に外套を着せ、両腕で抱きかかえて立ち上がった。
「気持ち悪いだろうが、少しだけ我慢してくれ」
窓枠に足をかけ、下を見る。背後から声がかかる。
「待ってくれ! 妻と娘はどこにいるんだ!」
声の主は恐らくムーリスだろうと、オルトは推測した。ドリューから渡された見取り図を思い出す。邸内だとすれば、ムーリスを排除して隠せる場所は限られる。
「俺は知らん。地下室でも探してみろ。治安隊が来ているから、探すなら急ぐんだな」
治安隊が来れば、ムーリスも拘束されるだろう。彼にかかっている嫌疑の証拠が、屋敷にある筈だからだ。
それだけ言うと、オルトは女性を抱えたまま窓から飛び降りた。
◆◆◆◆◆
オルトは高い塀を乗り越え、女性を抱えて未明の裏路地を疾走する。
体力的には、かなり厳しい状態だった。『
どうにか宿に辿り着き、主人に金を握らせて女性を受け入れて貰うつもりだった。が、そこまで体力が保つかどうかも怪しい。
そのオルトの前方に人影が飛び出した。オルトは舌打ちをして立ち止まる。
「兄さん、俺だ」
人影はドリューであった。オルトは無言でドリューの言葉を待った。
「そう警戒しないでくれ。そのまま宿に行けば、いくらハイネッサでも騒ぎになるぞ。使ってない隠れ家に案内する」
「…………」
言葉を発しないオルトに、ドリューが苦笑する。
「これはギルドの指示じゃない。俺の独断だ」
「……依頼は達成した。もう俺が盗賊ギルドと関わる理由は無い」
「だから『独断』なのさ。俺の気まぐれだ。宿に戻りたいなら止めないが、隠れ家の方が面倒は無いと思うぜ」
オルトは懸命に思考を廻らせた。
ドリューの意図はわからない。一つだけ言えるのは、ドリューにしろ盗賊ギルドにしろ、オルトなり女性なりが目的ならば、ここで別れて宿屋に行っても状況は変わらないという事だ。
「……わかった。行こう」
「こっちだ」
ドリューはオルトの返事を聞くと、足音も立てずに歩き始めた。
◆◆◆◆◆
女性は隠れ家に到着すると、高熱を出して寝込んでしまった。身の回りの事も自分では出来ない状態だが、一つ大きな問題があった。
オルト以外の人間、男性だけでなく女性が近づいただけでもパニック状態になるのだ。必然的にオルトが看病をする事になる。当然、入浴もだ。
恥ずかしいも何も無い。女性を隠れ家に連れて来た状態で、そのままにしておく訳にも行かなかった。オルト自身も大きく体力を消耗していたが、泣き言は言えなかったのだ。
悪戦苦闘の三日目が過ぎると、女性はショックで口がきけなかったが、自力で動けるようにはなった。
オルトはまだ隠れ家を出る事が出来ずにいた。その原因はオルト自身にあった。
ムーリスの屋敷で、オルトはディーン殺害の現場を複数の人間に目撃されてしまっていた。当然、治安隊もオルトの行方を血眼になって探す。
ドリューが盗賊ギルド経由で治安隊に圧力をかけ、関係者に根回しをしてオルトへのマークを外させる為に時間を必要としたのだ。
結果、オルトが冒険者ギルドのハイネッサ支部に連絡した時には、シルファリオに帰還する予定の二週間を大きく経過していた。
「兄さん、いるかい」
食料その他の品が入った袋を持ち、ドリューが隠れ家を訪ねて来た。テーブルの上に荷物を置き、勝手に椅子に腰掛ける。女性は奥の部屋で休んでいた。
「根回しは一通り済んだ。もう帰って貰って構わないぜ」
「世話になったな」
オルトが礼を言う。お尋ね者になれば、シルファリオに戻る事も出来ない。【菫の庭園】に合流するのも、ずっと先になってしまっていただろう。
「事の顛末は聞くかい?」
ドリューの問いに、オルトは頷いた。
ディーンは治安隊により死亡が確認された。ムーリスは屋敷の中から違法な奴隷や禁制品が見つかり拘束された。
ドリューは、オルトが連れて来た女性についても調べて来ていた。女性の名はファラ。『通商都市』と呼ばれるアイルトンの商家の娘で、ハイネッサに来ていた所を拐われたのだという。
治安隊が屋敷へ突入するのが遅れたのは、ドリューの根回しによるものだった。現場の隊長の一人が、突入命令を遅らせていたのだ。それが無ければ、オルトの脱出は非常に困難になっていただろう。
ムーリスの妻子は屋敷の地下で発見された。妻は殺害されており、娘は暴行されて心が壊れてしまっていた。監禁されていた違法な奴隷の中にも同じ状態の者がおり、目撃証言から犯人はディーンと断定された。
オルトはドリューの話が終わると、深いため息をついた。ドリューがらしくない慰めを言う。
「兄さん、あんたのせいじゃねえよ。気に病みなさんな」
「わかってる」
オルトがどうにか出来る余地は、どこにも無かった。それはわかっていた。だからと言って無関係だと開き直る事も、オルトには出来なかった。
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