第八十四話 人を殺るには、悪くない夜だ

「ックシュン!」


 往来を歩いていたオルトは、急に立ち止まり、くしゃみをした。道行く人々は、オルトに気を止める事も無く通り過ぎる。


 オルトは軽く鼻を啜り、空を見上げた。まだ日は高い。


「噂でもしてるかなあ……」


 オルトは独り言ちる。


 さり気なく気遣うフェスタも、心配するネーナも、構ってもらおうとするエイミーも誰もいない。皆置いて来たからだ。


 何か言われているとして、良い事では無いだろう。オルトはそう考え、苦笑する。


 一人で『掃除の依頼スウィープ』に行くと告げたオルトに、パーティーの仲間達は強く反対した。それを、強引に話を打ち切る形で来てしまったのだ。


『妹達』には話すらしていない。ついて来ようとするに決まっているからだ。ズルいやり方なのは、オルトも自覚している。


「帰ったら怒られるだろうな……」


 ネーナ辺りは泣くかもしれない。オルトは少し憂鬱になったが、オルト自身としても譲れない決断だった。その結果起きる事は、甘んじて受けるつもりだった。


 オルトが一人で討伐依頼に臨むリスクと、パーティーの女性陣を『犯罪都市』の呼び声も高いハイネッサに連れて来るリスク。そんなものは比べるべくもない事だ。


 間違ったとは思っていないし、後悔もしていない。同時に、仲間達がオルトの取った行動を望んでいない事も理解はしていた。


「ひたすら謝るしかないよなあ……」


 オルトはため息をつき、思考を仕事に切り替えた。




 オルトがハイネッサに到着してから既に三日目だ。初日から精力的に動いていたが、思いの外時間を食ってしまっていた。


 冒険者ギルドのハイネッサ支部に顔を出して協力を求め、盗賊ギルドに出向いて荒事を為すのに仁義を切り。盗賊ギルドでは予想通りに絡まれて、相手に反省して貰う事になった。


 オルト自ら情報の裏取りも行った。何せ情報源が、『暗黒都市』ハイネッサで後ろ暗い事を生業にしているグループなのだ。


 依頼のターゲットであるディーンと衝突して損害が出たと主張していたが、全てを鵜呑みにする程、オルトもお目出度くはなかった。単なる逆恨みであったり、冒険者ギルドには無関係な抗争である事も考えられたからだ。


 結果、オルトは予定通りに依頼を遂行する事を決める。


 調べれば調べる程、ディーンはいた。まだ容疑段階だが三件の殺人を始め、危険な薬物取引や人身売買にも手を染めていたのだ。


 既に資格は剥奪されているにも関わらず、シルファリオの冒険者を詐称し冒険者証を提示している。さらに現在進行形で複数の犯罪に関与しているとなれば、『ディーンを放置する』という選択肢は無かった。




 オルトの目に映る街並みが変わった。市街地から高級住宅街に入ったのだ。


 人通りは減り、見かける者も上等そうな誂えの衣服や所持品で固めている。旅人のように少しくたびれた外套を羽織ったオルトは、かなり浮いていた。


 オルトは路地から表通りに出て、一軒の屋敷の前で足を止めた。他の場所に増して、この一角は通行人がいない。


「何だあ? てめぇは」


 門番なのか、ガラの悪い男が出て来てオルトに絡む。オルトは軽く頭を下げ、謝罪した。


「済まない。立派な屋敷を見て足を止めてしまったんだ」

「ここはムーリス様の屋敷だ、貧乏人はお呼びじゃねえ。とっとと消えろ」


 オルトが無言で立ち去ろうとすると、門の中から声がした。


「何の騒ぎだ、サマラン」

「ドリューさん!?」


 少し小柄だが、目つきの鋭い黒髪の男が姿を現す。ガラの悪い男の腰の低さを見るに、上の立場にある者のようだった。


「い、いえ。この野郎が屋敷を見てたんで、追い払おうとしてたとこでさあ」

「そうか、ご苦労。引き続き頼むぞ」

「こ、こりゃどうも、へへへ」


 ドリューと呼ばれた男は、門番に硬貨を数枚握らせる。門番はヘコヘコしながら引き下がった。


 ドリューはオルトに鋭い視線を向ける。


「……旅の者か」

「ああ、リベルタから来た。重い病で伏せってる知人を見舞いに行くんだ」

「…………」


 ドリューの眼は何かを見定めるかのように、オルトに向けられている。暫くの後、忠告めいた言葉をオルトに告げた。


「悪い事は言わん、市街へ引き返せ。用も無くこの辺を歩いていれば、追い立てられるのがオチだ。『魔女の刻』でもなければな」

「……そうか。一つ、勉強になったよ」


 オルトはそう応えると、元来た道を歩き出した。




 ◆◆◆◆◆




 オルトは再びムーリス邸を訪れていた。痩せた月が中天から落ちかけていて、通りに人の姿は見られない。


 昼間のように見咎められる事なく、オルトは路地に入って行く。


 長く続く塀の途中に、ムーリス邸の裏口が見えた。オルトは扉の前で立ち止まる。


「――人を殺るには、悪くない夜だ」


 オルトの声に応えるように、裏口が音もなく開いた。扉の向こうでは、ドリューが鋭い視線をオルトに向けていた。




「ディーンは二階、階段を上がって廊下を左。手前から三番目の右手の部屋だ」


 茂みの陰で、ドリューが屋敷の見取り図をオルトに手渡す。図を見て、オルトは侵入ルートを頭に叩き込んだ。


「騒ぎになれば、五分以内に用心棒が飛んで来る。治安隊は二十分だ」

「そうか」

「こっちも命が惜しいんでな、失敗と判断した時点でズラからせて貰うぜ」

「ああ」


 オルトは短く返事を返した。




 ドリューは盗賊ギルドの密偵であった。


 屋敷の主であるムーリスは高利貸しや奴隷商で多くの恨みを買っていたが、貧乏な職人の家に生まれて一代で成り上がった男だ。そのムーリスが盗賊ギルドの眼から逃れて禁制品の取引に手を出し始めた為、ドリューが用心棒として潜入し内偵していたのだ。


 調査の間にムーリスが元冒険者のディーンを雇い入れるが、そこから雲行きが変わる。ムーリスに関わる者、とりわけ敵対する者が次々と不審死を遂げたり姿を消していった。同時に、ムーリスとディーンの関係性にも変化が見られた。


 表向きはディーンに対するムーリスの態度が丁重になり、常にディーンが付き従うようになった程度の変化。だがドリューは、ムーリスがディーンの顔色を窺っている事に気づいていた。ムーリスは明らかにディーンを怖れていた。主従が逆転していたのだ。


 とはいえ、ドリューがそれ以上踏み込んで調査をするにはリスクが大き過ぎた。報告を受けた盗賊ギルドが、利害の対立が顕著になった『ディーンの排除』を決めて冒険者ギルドに情報提供をし、現在に至っている。




「兄さん、一つだけ忠告だ。ディーンの腰に下がってる『瓶』に気をつけろ」


 母屋に入ろうとするオルトに、ディーンが声をかけた。オルトは無言で振り返る。


「俺の知る限り、妙な事が起こり始めたのはディーンがその瓶を手に入れてからだ。奴は瓶を肌身離さず持ち歩き、誰にも触れさせない。あれには何かある」

「礼を言う」


 短く応じ、オルトは身を翻して駆け出した。




 オルトの中では、以前の『シルファリオの冒険者ディーン』のイメージと、『暗黒都市』ハイネッサの商家を支配し盗賊ギルドに睨まれるような危ない橋を渡る『現在のディーン』のイメージが大きく乖離していた。


 だが『他人に振るえる何らかの力を得た』というなら納得出来る。ディーンがシルファリオを去ってから半年程。修行でどうこうなる時間ではないが、魔法の品を手に入れたとすれば。


「まあ、俺のやる事に変わりは無いがな」


 廊下を疾走するオルトの呟きを聞く者はいない。


 オルトが受けた『掃除の依頼スウィープ』は『生死問わずデッド・オア・アライブ』だ。対象に逃げられさえしなければいい。


 オルトは今回、捕縛の線は完全に捨ててかかっていた。冒険者ギルドもハイネッサの盗賊ギルドも、本音はディーンを生かして捕らえ、聞き出したい事があるのだろうが。それはオルトには無関係な話である。




 階段を駆け上がり、一瞬だけ停止して左右に伸びる廊下を窺う。すぐさま左方に飛び出す。


 ディーンの部屋は探す迄も無かった。静まり返った廊下の一部屋のみから、男女の声が聞こえたからだ。


「ゔぁぁあ゛……嫌ぁ……もう許して……」

「休んでんじゃねえ! しっかり腰を振りやがれ!」

「あ゛ぁああ!!」


 男の声には聞き覚えがあった。ディーンだ。


 オルトは剣を引き抜きざま扉を斬り、無数の木片に変える。扉だったものが崩れ落ちる前に蹴り飛ばして室内に突入する。


 中にいたのは二人。大きなベッドの上で組伏せられた女性と、のしかかっている男。情事とも呼べない、凌辱の現場を目の当たりにしたオルトは、女性の姿を認めた瞬間に突っ込んでいた。


 驚いた男がオルトを見るのと、オルトが男に突き入れるのはほぼ同時。


「ぐあっ!?」


 右腕から血を撒き散らしながら、男がベッドから勢い良く転がり出る。男は広い室内の壁際で漸く止まった。


 オルトは一撃で仕留められないと見て、男に回避行動を取らせる突きを放っていた。ベッド上の女性から男を引き離す為である。


「動けるか、お嬢さん」


 オルトは壁際の男を牽制しながら、女性に声をかける。


「あ゛あ゛……」


 反応はあった。焦点の合っていなかった目が、僅かにオルトを見る。だが男の体液に汚され、力なくベッドに投げ出された身体は動かない。


 オルトはガウンを手に取り女性に投げた。


「動けるなら死ぬ気でこの部屋を出ろ。動けないなら目を瞑ってじっとしてろ。すぐ終わる」


 女性が起き上がる気配は無い。僅かに女性と敵対する可能性を考えていたオルトは安堵した。


 とはいえ、状況は悪い。ベストはディーンを確認し次第、問答無用で殺害する事だったのだ。それが結果的に、最も確実に女性を助ける手段でもあった。明らかなオルトのミスだ。


 廊下も騒がしくなり始めた。じきにこの部屋に用心棒や使用人が来る。


「痛ぅっ……くそっ、やりやがったな!」


 蹲っていた男が、悪態をつきながら頭を振って立ち上がる。裸の腰に巻かれたベルトには、小ぶりな瓶が提げられていた。ずっと身に着けていたのだ。


 オルトは小さく舌打ちをしたが、追撃より早く男が瓶の口をオルトに向ける。男がコマンドワードを口にした。




 ――閉じられた荒野ボトル・フィールド――




 オルトの身体が光に包まれ、部屋から搔き消えた。

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