第二十一話 大公家の思惑

 アンにとって、昨晩は夢のような一夜だった。


 離れていた六年分、姉と話せなかった事を夜通し話した。夜更かしが過ぎて目覚めても頭がぼんやりしているが、侍女も近衛騎士も大目に見てくれた。




 国境紛争の敗戦に伴い、姉のセーラが大公国へ嫁いでから数年。

 婚姻の体裁は取っていたが、姉が王国上層部の失策の責を押し付けられて大公国の戦利品同然に出された事は、当時幼かったアンにもわかっていた。


 もしかしたら、大公国に送られていたのはセーラでなく自分だったかもしれない。それもわかっていた。


 姉と離れたくないと駄々を捏ねるアンを、困ったような表情で優しく抱きしめたセーラの身体の温かさや柔らかさは今でも覚えている。セーラが僅かに震えていた事も。


 当時のアンは幼く、あまりにも無知で、あまりにも無力だった。アンは泣きながら姉を見送る事しか出来なかった。セーラは学友であった三人の侍女にアンを託し、亡き母から贈られた揃いのネックレスを交換すると大公国へ向かう馬車に乗り込んだ。


 姉が王国を去って三年後、姉が嫁いだ第三公子が大公位を継承してセーラが大公妃になると知らされた。ずっとわからなかった姉の情報が入り、アンは喜んだ。


 いつか会いたい、そう願っていたが両国関係の不味さから再会が実現する様子はなく。いつからかアンは、姉との再会を諦めていた。その間にも僅かに入る情報で、姉が長子を産んだ事を知った。


 姉が幸せであるように。アンは願った。このまま会えないとしても、姉が幸せでありますようにと。


 姉が去って六年後、アンはひょんな事から大公国へ来る事になった。たくさんの人に助けられて国境を越えた。


 それでもアンは半信半疑だった。ずっと会いたくて、でも会えなかった姉と本当に会えるのか?と。


 謁見の間で再会した姉は、アンの思い出よりずっと美しくなっていた。思わずスミスと打ち合わせした口上を忘れてしまう程に。居並ぶ大公国の貴族達がアンに向けてくる視線は好意的に感じられなかったが、そんな事はどうでも良かった。


 面会の時は緊張してあまり話せなかった。アンが近衛騎士トーンの話をしたら思いの外セーラが食いつき、妙な流れになってお開きとなった。姉がアンの記憶に無い程に酔っていたのを覚えている。


 レセプションや舞踏会では、アンに詰め寄る大公国の貴族達が怖くて姉の方を見ている余裕が無かった。舞踏会でトーンに助けられた後、漸く見た姉は泣きそうな顔をしていた。

 近衛騎士のステフから、セーラが何度も大公に何か訴えていたのだと聞いた。


 そして。離宮で見た姉はアンに謝罪をしていた。顔を上げたセーラは、アンの記憶の中の姉と同じだった。母亡き後、王宮の権謀術数から幼いアンを必死に守ってくれていた姉と。


 気がついたら、アンは姉に駆け寄り号泣していた。ボロボロ涙を流す姉の顔は、すぐにアンの涙で滲んで見えなくなった。


 遅い食事の後、同じベッドに寝転がって姉と話をした。いつ眠ってしまったのかは覚えていないが、アンが意識を手放す時に毛布をかけてくれた姉の声は、思い出の中と一緒だった。




『おやすみ、アン。よい夢を――』




 ◆◆◆◆◆




 アンとセーラが朝食を済ませて応接間に行くと、主だった人物はほぼ集まっていた。


「王女殿下、昨晩はよく眠れたかな」

「はい、サンドロット閣下。夜更かしをして、少し寝坊をしてしまいました」

「ははは、結構結構。セーラも朝食は済ませたかね?」

「はい、お義父様」


 聞けばサンドロットが手を回し、今日以降の予定を全てキャンセルしたのだという。


「ここまで大変だったろう。しばらくゆっくりしていくといい。王女殿下のお供の方々も楽にしていただきたい」


 アンはサンドロットの配慮に、深く感謝した。アンの都合でなく、大公マーガットの体調不良を理由にしてあり、問題にならないようにしたのだとか。至れり尽くせりである。


 サンドロットの説明によると、大公マーガットは休養と発表されているがそれは表向きの話。事実上の謹慎処分で、事の次第を聞いて離宮を飛び出して行ったサンドロットの妻でありマーガットの実母ヴァレリーから大目玉を食らっている最中らしい。

 国政の方は二人の兄が分担して代行しており、支障は無いのだという。


 セーラが大事にされてる事に安堵して、アンは少し力を入れて姉の手を握った。


「どうしてこんな事になったか、だが……」


 非常に言い難そうなサンドロット。セーラも微妙な表情をしている。


 理由の大半は、大公マーガットの嫉妬。息子を締め上げて途中経過を報告に来たヴァレリーは、疲れた顔で夫にそう言ったらしい。


「つまりですよ。愛する妻が、自分が会った事もない妹の心配ばかりして外交日程までねじ込んだのが気に入らなかったと」

「で? 警護も少ないし何も出来んだろうから、ちょっと嫌がらせしても問題無いと高を括ってたら、逆に剣の切れっ端を飛ばされてビビったのか」

「情けない限りですが……」


 スミスとバラカスから息子の所業を言語化されて、ガックリ落ち込むサンドロット。だが、トーンは険しい表情でサンドロットを追及した。


「閣下。王女殿下の世話役派遣や貴族が殺到した所までは、閣下の説明で納得は出来ます。ですが、舞踏会のコナーズ侯爵の件はそれでは通りません」

「トーン……」


 姉のセーラが辛そうな表情なのを見て、アンがとりなそうとする。しかしトーンは頭を振って言った。


「王女殿下、申し訳ありません。あの時、会場には即座にコナーズ侯爵を制止できる人員はいませんでした。その状況で問題行動の多い侯爵を王女殿下に近づける事を許した理由を、聞かない訳には参りません」

「……当然ですな」


 サンドロットは観念して語り始めた。


 結論から言えば、隠居のサンドロットが出て来てここまで礼を尽くすのも、マーガットが謹慎を食らった最大の理由も、セーラが大公城を飛び出したのも全て、コナーズの一件の問題が大き過ぎたからだった。


 大公への抵抗勢力を弱体化させる為に、それらと繋がりのあるコナーズを外国の使節、それも王族にけしかけて問題を起こさせ、処分する。それが大公マーガットのシナリオだった。そこにアンへの配慮は微塵も見られない。むしろ配慮したくないアンが来たからこその計画と言える。


 明らかに大公マーガットの暴走であった。それを最小限のダメージで抑える為に、こうしてサンドロットが動いている。


「トーン殿の仰る事は至極当然です。非はこちらにあり、当代の大公が首を取られる寸前だったとも認識しております」


 トーンはアンの隣のセーラに目をやった。


「大公妃殿下は如何ですか?」

「……お義父様、サンドロット閣下が申し上げた通りです。加えて言わせていただければ。夫のマーガットはこれまでこのような失態はありませんでした。二度とアンに、王女殿下に危険が及ぶような事はさせません」


 セーラはさらに、大公マーガットがアンに害を為す事があれば夫と袂を分かつと言い切った。しかしセーラはマーガットに対し大公国に嫁いでからの恩義も、家族としての情もあるのだと苦しい胸の内を明かしもした。


「スミス殿、補足はありますか?」

「トーン隊長の進めた通りでよろしいかと。後は事後処理をサンドロット閣下に一任した場合、王女殿下にどのような利があるかですね」


 スミスの問いを受け、室内の者の視線がサンドロットに集中する。


「……王女殿下の事情はある程度、こちらでも把握しております。非公式にではありますが、協力出来る事があると考えています」

「なるほど」


 サンドロットの返答に、スミスが満足そうに頷いた。


「トーン隊長。後は王女殿下にお任せしてよろしいかと」

「そうですね」


 トーンがアンに向き直った。


「王女殿下」

「は、はい」

「話は今、聞いていただいた通りです。マーガット大公殿下は王女殿下に対して重大な外交非礼、ないしは外交問題になりかねない行動をしました。サンドロット閣下は、これに王女殿下が目を瞑っていただけるならば、王女殿下の目的に陰から協力する用意があると仰っています」

「ええ」


『決断はアン自らしろ』と、トーンはそう言っている。ならば言うべき事は決まっている。アンは即答した。


「では、サンドロット閣下。手打ちという事でお願いします」

「アンはそれでいいの?」


 アンがあっさり返事をした事で、逆にサンドロットとセーラが動揺している。二人にとっては願ってもない返事にも関わらず。


「ええ」

「理由を、聞いてもいいかね? 王女殿下」


 アンは首を傾げている。『何でそんな事を聞くのか?』と言わんばかりに。


「非公式が皆に都合がいいから、この場で話すのですよね? トーンから私に一任されておりますし。私の姉の、家族になってくれた皆様ですもの。手打ちで結構です」

「…………」

「何も心配はしておりません。私の騎士達が守ってくれますから。でしょう? トーン」


 感激するセーラとサンドロット。対して何とも言えない表情のトーンとその肩を抱いて苦労を労うフェイス、トーンの背を笑いながらバシバシ叩くバラカス。


 一同を眺めながら、アンは幸せそうに微笑んでいた。

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