第二十話 王女の剣は道を拓く

「会場警備の方は侯爵をお願いします。楽団は音楽を再開してください。大変お騒がせしました」


 トーンが参加者に一礼する。その瞬間、弾かれたように会場の人々が動き出した。


 音楽と喧騒の中、アンの一行が進む先にいる者は左右に散っていく。さながら海が割れて道が出来るようだが、人々はアンの方を見ない。関わり合いを避けようとしているのかもしれない。見事なまでの掌返しにアンは苦笑する。


 そのままアンは大公夫妻に挨拶をして広間を退出する。大公夫妻はその間、一言も発する事は無く。アンは姉妹の間の壁を感じながらも、寂しい思いを胸の奥に仕舞って立ち去った。


「トーン」

「ああ。まずはここから離れよう」

「了解」


 一方、ステフとトーンは舞踏会の間中もこちらを窺っている正体不明の視線に気づいていた。だが特に敵意を感じなかった上、気づいているはずのフェイスも対処しなかった事から、相手が具体的な行動を起こすまでは放置する方針を貫いていた。


「…………」


 トーンは視線を感じた方向を一瞥するも、やはりその主を特定する事は出来ずに舞踏会の会場を後にした。




 ◆◆◆◆◆




 アン達は客間に戻り、待機していた五人の出迎えを受けた。特に変わった事は無いという返事に一同は安堵する。逆に侍女の二人はアンが受けた災難を知り、抗議をしようと息巻いた。


「それにしてもよ。隊長さんは余興でサービスし過ぎたんじゃねえか? 俺はいいモン見せてもらったがな」

「バラカス様、それはどういう事でしょうか?」


 上機嫌なバラカスに、アンが尋ねる。


「隊長さんは、あの乱暴な侯爵の剣を切ったのさ。正確には『切り飛ばした』だな」

「まあ……」


 アンはそう聞いても、トーンが何か凄い事をしたらしいという程度の認識しかない。ステフがコナーズ侯爵も騎士団所属の実力者である事や、他者が振り下ろす剣を切る自体があり得ない神業であると補足した。


「隊長は、王女様が大公国の貴族に揉みくちゃにされそうになってるのに大公殿下が放置してたから、かなり怒ってたんだろうね」

「……少々反省して頂きたい方々がおられたのは、否定しません」


 トーンがフェイスの想像を肯定する。


 そのトーンの行動で一時的にアンが危機を脱したのは確かだが、状況が良くなった訳ではない。アンにとって大公国がアウェーであるという事実が確定しただけである。


 アンの本来の目的からも、親善使節としても成果があったとは言い難い。それでも大公国滞在二日目を終えての現状は、早期の帰国に強く傾かざるを得ないものだった。このまま大公国に滞在して王国からの書状を待つ気には、とてもなれない。


 バラカスがボソッと呟く。


「こうなったら、『ジーナ』を呼ぶしか無いんじゃねえかな」

「竜に乗って空路で安全な場所まで移動するんですか? 我々の関与は隠しようがないですし、各国に王女誘拐犯として通報されますよ?」

「だったら強行突破するのか?」


 スミスとバラカスのやり取りは、最終手段にまで言及している。陸路であろうと空路であろうと、国王の命に背く事になるのは同じである。さらに強行突破を選択するならば死傷者も覚悟しなければならない。


 アンも勇者トウヤと共に戦った竜戦士ジーナについては聞いた事がある。相棒の黒竜と心を通わせ、空を駆ける竜戦士。助力を得られるならば大きいが。


「……ジーナ様には、サン・ジハール王国の王女である私に力を貸していただける理由があるのでしょうか」


 アンの素朴な疑問。


 バラカス達はアンの人となりを知って協力してくれている。だがアンの祖国であるサン・ジハール王国は、勇者トウヤに対して好意的でも協力的でもなかった。むしろ冷遇したと言える。


 スミスが苦笑しつつ答える。


「王女様、痛い所を突きますね。正直に言って、お願いしても聞いてもらえる保証はありません」

「そうですか……でも、当然だと思います」


 室内が静まり返る。アンは王城の謁見の間での一幕を思い出す。あの時、魔王撃退と勇者死亡を報告したバラカス達は感情を押し殺していた。トウヤの仲間で王国貴族や王族を嫌悪する者がいてもおかしくない。


「私は王女様好きだし、会えばみんな好きになると思うんだけどなあ」


 ずっと隣にいるエイミーが、アンを励ますように手を握りしめた。アンも微笑みを返す。


「……まずはいつでも出発出来るように準備をしましょう。大公殿下も、その他の貴族達もどう動くか予想出来ませんから」


 トーンの言葉でそれぞれが動き始める。見通しが立たない不安を抱きつつも、身体を動かす事でそれを緩和する狙いもあった。






「隊長」


 部屋の外で警備に当たっていたヨハンがやって来た。少し嫌な予感を覚えながら、トーンは用件を聞く。他の者も耳を澄ましている。


「王女殿下に来客があります」

「来客?」

「『前大公サンドロット閣下の使い』と名乗っています」


 前大公サンドロット。大公位と権限の大半をマーガットに移譲した後は、離宮で妻と共に悠々自適の隠居生活をしているという。

 そのサンドロットが、このタイミングでこちらに接触してくるとはどういう事か。


 トーンはスミスを伴い部屋を出た。前大公の使いがトーンを見て一礼する。


「私はアン王女殿下の警護責任者のトーン・キーファーです」

「このような時間に申し訳ありません。手短に申し上げますと、我が主サンドロットが本日の舞踏会の様子を知り、王女殿下の御一行を離宮にお招きするよう私が仰せつかり参上した次第です」


 トーンはスミスの顔を見た。スミスは肯いて言う。


「受けましょう。本物ならば我々に悪いようにはしないでしょうし、雰囲気の悪い大公城を出る理由にもなりますから」


 予備知識がなく、相手の思惑も掴めないトーンはスミスの意見を採用する。


「ご使者殿。我々は総勢十名程ですが、これから伺っても宜しいのですか?」

「勿論です。主からは先方の都合のよい折にいつでもお迎えせよと」

「有難くお招きに預かります。こちらの馬車で参りますので、案内をお願い出来ますか?」

「承知致しました」


 部屋に戻り、一同に事の次第を伝えてすぐに出発する。前大公の使者は秘密の通路で大公城を抜け出すと、夜の公都市街から郊外へとアンの一行を導いていく。


 月明かりに照らされた馬車は、程なくして小高い丘の上の屋敷に吸い込まれた。




 ◆◆◆◆◆




 屋敷は離宮と呼ぶにはささやかなものであったが、案内役よりそれは離宮の主がゲストハウスとして使う別館なのだと教えられた。


 離宮の別館で一行を待っていたのは、白髪の初老の男と大公妃セーラだった。初老の男が前大公のサンドロットであろう。二人は一行を迎えるなり、驚くべき行動に出た。


「この度の王女殿下に対する非礼の数々、誠に申し訳御座いませんでした」


 深々と腰を折って謝罪の言葉を述べる二人。アンが頭を上げさせようとするも、二人はそのままの姿勢を崩さない。


 何かに気づいたように、バラカスが口を開いた。


「……あー。うちの隊長さんがマジギレしたのを見て、やっと相手のヤバさを理解して失点を挽回しに来たと」

「そのように受け取っていただいて構いません」

「やっぱ怒るべき時には怒っておくもんだな、隊長さんよ」


 バラカスがニヤニヤしながら見たトーンは、心外そうな顔をしている。そのトーンの口添えで漸く頭を上げた二人は、慌ただしく大公城を出た一行を食堂に案内してもてなし、滞在中は離宮の別館を好きなように使って構わないと告げた。


「話は明日にしましょう。王女殿下もまずはゆっくりお休みください。皆様の安全はこの私、前大公サンドロット・ローレルの名にかけて保証させていただきます」


 アンがチラリとトーンを見た。トーンは微笑み、『御心のままに』と頷いてみせる。


 そのアンは、大公妃セーラの『妹を守る為に何も出来なかった』との後悔の言葉を聞いて涙を流しながら姉に抱きつき、今は一瞬たりとも離れない勢いでしがみついていた。


「では……お言葉に甘えさせていただきます。サンドロット様に感謝致します」

「セーラも折角の機会だから、ここに泊まっていくといい。後の事は任せなさい」

「有難う御座います、お義父様」


 セーラはセーラで、妹を怯えさせた夫に怒り心頭に発して、幼い長男を連れて大公城を飛び出してきたのだと言う。

 妙な所での思い切りの良さは、性格はちがっても姉妹の共通点を思わせた。


 アンとセーラは、セーラの王女時代の学友であるリリィとパティを伴い寝室に向かった。前日の姉妹の面会が微妙なものだった分も、積もる話に花を咲かせるのだろう。


 四人を見送るトーンの肩を、バラカスがポンと叩いた。


「バラカス殿」

「正直俺は、流石に手詰まりかもしれんと思ってたんだ。この局面を引き寄せたのは隊長さんの剣技だぞ。誇っていい」

「ボクもやっとギルドに戻れるよ」

「トーン隊長、お見事でした」


 バラカス、フェイス、スミスから称賛されるも、トーンは居心地悪そうにしている。

 それを見て面白がったサンドロットの提案で、食堂に残った者達は乾杯の為にグラスを持ち上げた。




「では乾杯の音頭は私から――王女殿下の剣に、乾杯!!」

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