第十九話 王女殿下の剣
「どうしてそんな話に?」
トーンの疑問は至極当然である。アンとセーラの面会に同行しなかった者達は、皆一様にそう思った。
パティが代表して状況を説明する。
「最初は姫様とセーラ様がお互いに近況を伝えあっていたのですが……国王陛下がヴァンサーン騎士団長と姫様の婚約を言い出した辺りでセーラ様の様子が怪しくなり……」
聞きながらトーンは思った。妹思いとして知られていたセーラ妃のスイッチが入ったのだろうと。
「姫様が廃村での決闘の様子をお話しされてから、トーン様に強く興味を持たれたようでした」
『あー……』
「そう言えば王国にいた頃は『剣姫』と呼ばれてましたね、セーラ妃殿下……」
トーンの予想はあっさり覆された。単なる脳筋だった。
何人かの脱力したような声が被る。恐らく、同じ結論に達して納得したのだろう。
「まだ騎士団長になる前のヴァンサーン様との婚約話が持ち上がった時に、『自分より弱い男とは結婚しない』と言ってヴァンサーン様を叩きのめした事も……」
「王国ににいた頃から勝気な方ではありましたが、セーラ様……」
聞いた話を合わせると、久々に会った妹の口から
トーンは頭を抱えたくなった。バラカスは首を捻る。
「それにしても、非公式の面会で六年ぶりの姉妹の再会とはいえだ。他国の護衛に勝負持ちかけるなど舞い上がり過ぎに思えるがな。素面だったのか?」
「確かに、大分お酒を召し上がられてはいました」
その疑問にパティが答えた。
王国時代のセーラ妃は酒に弱いタイプでは無かったはずだが、何かあったのかもしれない。公子もまだ幼く、久々の酒だったのかもしれない。が、その辺はさして重要ではない。
考え込むトーンに、スミスが問いかける。
「それでトーン殿はお受けになるのですか?」
「受けませんよ。私は護衛ですから」
即答し、トーンはアンを見た。アンは自分の発言がきっかけの出来事が続いている事に落ち込み気味だったが、トーンに励まされて顔を上げる。
「トーンは私の剣です。相手が誰であろうと、興味や享楽の為に戦わせたりはしません」
アンがはっきりと明言した事で、この話題は打ち切りとなる。面会には同席しなかった大公マーガットに確認を取った上で、正式に辞退を申し入れる事に決まった。
一同は慌ただしくレセプションに出席する準備をし、会場へ急ぐのだった。
◆◆◆◆◆
初日の日程最後に盛り込まれたレセプションでは、問題点がいくつか浮き彫りになった。
まずはトーンやスミスの予想以上の数の参加者が、主賓であるアンに殺到した事。それはアンの容姿も然る事ながら、隣国の王家の血筋や大公妃の実妹という立場を利用したいと考える者の多さを示すものだった。
次にレセプションのホストである大公国側の人員が、アンに群がる貴族達を制止しなかった事。大公マーガットも目の前で見ていた以上、大公の意と考えて差し支えない。意図は不明ながら、大公国としてはアンの身の安全にも頓着しないと考えざるを得なかった。
大公妃であるセーラが、夫に貴族達の制止を求めていた姿は確認されていた。そしてレセプションの警備担当者が、アンを公都まで護衛したアニエス・ドル上級将軍でなかった事からも、大公マーガットが何かを狙っているという見方は強まっていた。
疲れた様子の使節団一行を見回してスミスが言う。
「……他にもありますが、特に支障がありそうなのはこの二点でしょうか」
使節団の一行は部屋に戻り、レセプションの結果を分析していた。何故それが必要かと言えば、翌日に舞踏会を控えていたからだ。警備の難度はレセプションよりも遥かに高い。
「レセプションも、外からの侵入者に対してはガチガチに固めてたんだよねえ。ただ、中ではむしろ何かが起きるのを期待してるようにも見えたよ。警備が偏ってたね」
問題点を指摘したスミスに対し、盗賊の視点でフェイスが警備を評した。続いてステフが私見を述べる。
「今日のように侍女の二人だけでなく、私にまで男性が寄ってくるようでは、アン様の警備に集中するのは難しいかと」
「酔いに任せて無体を働きかねない者もいましたね。注意人物をリストアップしておきます」
最終的にアンの傍で警護するのはトーン、ステフ、エイミー。会場内の、アンから離れた場所で目を光らせるのがフェイスとバラカス。客間で待機するのが残りの近衛騎士二名、侍女二名とスミスに決まった。
バラカス達は、アンが大公との面会を果たした時点で大公国の特使の任は終了している。その後も大公城に滞在しているのは、アンと臨時の護衛契約を結んだという体になっているからだ。
ダンスの申込みやその他の誘いは全て断るつもりではあるが、アンは仮にも親善使節。どうしてもダンスをする必要に迫られた時を想定して、王国で把握している親王国派の貴族を数名ピックアップし、それらの子弟に話を通しておく。それは留守番組の侍女と近衛騎士の仕事となった。
スミスは日中は別件で動くと告げた。スミスは大公国から勇者パーティーに参加していて、当地に縁があるのだとか。思い起こせば、魔法で大公夫妻に連絡を取ったのもスミスであった。
舞踏会に臨む方針がようやく決まり、一同が脱力する。
「完全に後手に回っていますね」
「…………」
トーンの呟きに全員苦笑するしかなかった。
◆◆◆◆◆
「王女殿下! 私と踊ってください!」
「いや私と!」
「横から入るな! 俺が先だ!」
貴族の男性達がアンの元に殺到する。身の危険さえ感じる状況に、アンは顔を強張らせて後退った。傍らのエイミーが握ってくれる手が心強い。
「皆様! 少し落ち着いて――」
「護衛風情が邪魔をするな!」
「!?」
ステフは大公国の貴族達とアンの間に身体を割り込ませ、懸命にアンを守ろうとしている。アンに掴みかからんばかりに手を伸ばす成人男性達を抑えるのは、如何に鍛錬していようと体格で劣るステフには厳しい作業であった。
事前にかなり厳しく見積もったにも関わらず、舞踏会が始まってみるとアンの周辺だけが戦場のように混乱している。
トーンはアンとステフを気遣いながら状況を見る。
ゲストが怖がるような催しなど通常では考えられない。
仮にエスコートやダンスの順番を巡って小競り合いがあったとして、二日続けて起きたアクシデントにホストが対処しないのも異常だ。
アンに群がる人の多さと混乱の酷さで、事前に協力を求めていた貴族の子弟も近づく事が出来ない。
バラカスが助勢の為、こちらにやって来るのが見える。
大公夫妻に目を向ければ、大公妃セーラが大公マーガットに何か訴えていた。しかし、大公が動く様子は無い。
――やはり夫婦間で思惑が違うか?
アンは気丈に振舞っているが、相当なストレスを溜め込んでいる筈だった。早々に会場を退出し、アンの体調不良を理由に予定を切り上げて帰国する事も視野に入れる。
そう考えを巡らした所で、トーンは会場の異変に気づいて声を上げた。
「えっ?」
突如広間にざわめきが起きた。そのざわめきが静まるのに合わせて、アンに迫ろうとしていた貴族達の圧力が弱まり、ゆっくり離れていく。
入れ替わりに近づいてくる男の顔を見て、トーンは僅かに顔を顰めた。
「ステフ。エイミー殿と共に王女殿下を頼む」
「了解」
トーンにだけ聞こえる声で『気をつけて』と言いながらステフが後ろに下がっていく。
――ここで注意人物リストの特注とは。
現れたのは母方が大公家に連なるボリス・コナーズ侯爵だった。大公マーガットの従兄弟に当たり、騎士団の重鎮でもある。父親の死去により若くして当主を引き継いだ。
性格は苛烈にして粗暴。札付きであるにも関わらず、血筋と本人の武勇により罰せられる事も少ない。他国の重要なゲストを迎える催しに呼ばれるはずの無い人物が、前夜のレセプションにもこの舞踏会にも参加している。
トーンは再び大公マーガットを見た。
――確信犯か。
マーガットの口角が上がっている。意図はわからない。だがアンが怯えるこのアクシデントも許容している事になる。
トーンは腹を決めて、こちらに近づくバラカスを止めた。バラカスは一瞬驚いた風であったが、頷いて立ち止まる。
ボリスは引き摺るように連れて来た女性を突き飛ばし、トーンの前に立った。女性はよろけて倒れかけるも、フェイスに抱きかかえられて事無きを得た。
「護衛に用は無い! 退け!」
「こちらにはあります。女性のエスコートも出来ぬ者を王女殿下に近づける事は出来ません。王女殿下も怯えていらっしゃいます。お引き取りを」
威圧するボリスに対し、毅然と拒絶を告げるトーン。いつの間にか舞踏会の音楽も止まり、広間は静まり返っていた。
「貴様ァ! 俺を誰だと思っている!」
「何方であろうと同じ事です。お引き取りを」
「!! 許さん! 目にもの見せてくれるわ!!」
ヒートアップしたボリスは最早歯止めが効かなかった。上着の胸ポケットから白い手袋を引き抜き、トーンの頬に叩きつける。
広間にどよめきが起きた。
トーンに叩きつけたはずのボリスの手袋は、掠りもせず空を切っていた。
「何故避ける!」
「態々当たる理由がありませんので。決闘は不成立ですね」
「避けるな!」
二度、三度。手袋が空を切る。ボリスの激昂は留まる所を知らない。
「許さん! 許さんぞ!!」
怒りが限界を越えたボリスは、場所を顧みる事無く剣を抜いた。広間に悲鳴が上がる。
「後悔する間もなく死ね!」
ボリスが振りかぶった剣がトーンに襲いかかる。思わずアンが声を上げる。
「トーン!」
キンッ―――ガツッ
再び広間が静まり返った。
トーンの体勢は変わっていない。
驚愕の表情のボリスが振り下ろした両手の――握りしめた柄の先には、あるはずの剣身が無かった。
「…………」
一方、玉座には口を半開きにし、呆然とする大公マーガットの姿があった。ボリスが失った剣身は、マーガットを掠めるようにして後方の壁に突き刺さっていた。
大公妃セーラの大きく見開かれた目は、目の前で起きた事を必死で理解しようとしているようであった。何せ大公夫妻とボリス侯爵を含めた会場の殆どの者は、トーンが剣を抜いた瞬間を認識していないのだから。
トーンは大公マーガットに視線を向けた。
「……王国に、王女殿下に剣の一振りも無いと侮る方は、この機会に認識を改めていただきたい」
トーンは大公マーガットを見据えて言い放つ。言葉を失ったマーガットの目には、先刻までのように高みから見下ろすような余裕は無くなっていた。
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