第十八話 六年ぶりの再会

『ブレイブハート』に背中を押された翌日。


 朝から王女アンはご機嫌であった。それは同行者達が首を傾げる程で。まるでスキップするような軽やかさで馬車に乗り込んでいく。


「何したの?」

「何で俺に聞くの?」


 ステフの追及を軽く躱すトーン。ステフに根拠はない。だが確信があった。こいつトーンが何かしたに違いない、と。


 前日、一人で部屋に籠もるまでのアンは、何か思い悩んでいる風だったのだ。


「浮気かな?」

「何でそうなるの!?」


 トーンは肩を竦める。そんなのは俺の首が物理的に飛ぶから勘弁して欲しい。とはいえ王女殿下に数滴とはいえお酒を勧めたなどと言える訳は無いから、全力をもって逃げ切る所存であった。


 昨晩にアンが語ってくれた不安感は、人生経験も無い若造の言葉一つで解消するようなものではないと、トーンには感じられた。


 故にトーンは、アンのとりとめのない言葉をひたすら引き出す事に徹し、『一緒に考えてみる』と告げる事で共有した。これでアンの気持ちは軽くなっただろうから、トーンは目的を達したと言ってもいい。


 アンの機嫌がいいのは、どうも共有は共有でも『一緒にお酒を口にした』というちょっとワルい事をした秘密の共有が嬉しかった様子。ブランデーの入っていた小瓶を強請ねだられたので、それはトーンからアンに進呈した。勿論、中身は抜いて。


 ――流石に、紅茶に数滴垂らしただけのブランデーがまだ抜けてないという事は無い筈だ。多分。きっと。


 トーンは内心で『そうであって欲しい』と願いながら、ステフに言った。


「今日は公都入りだからな。王女殿下が元気であるに越した事はないだろう」

「それはそうだけど……」

「トーン!」


 アンが笑顔でこちらに手を振っている。釈然としない表情のステフを置いて、トーンは平静を装いながら馬車に向けて歩き出した。




 ◆◆◆◆◆




 多くの市民の歓迎の中、親善使節団は公都ファーリア入りした。


 サン・ジハール王国の王都メサも霞む程の賑わい。歴史ある王城に遜色無い威容の大公城は、先日使節団から遠ざけた世話役であるギャリソンの言葉を裏付けるものであった。


 アンは驚きをもって馬車を降り、周囲を見回す。


 ――今は大公国の方が力があるんだって、ギャリソンはそう言ってたわ。


 使節団は案内の兵士に続き、大公城の赤い絨毯の上を進む。緊張の色を隠せないアンに、スミスが耳打ちをする。


「王女殿下。馬車の中で話した事をお忘れなく。最初が肝心ですよ」


 アンは前を見据え、無言で頷く。使節団の旅程最終日であるこの日、宿泊地から公都までの間はアンの馬車にスミスが乗り込んでいた。アンと侍女の二人、近衛騎士のステフ。四人で相談して、アンからスミスに助力を求めたからだ。


 スミスはアンの要請を快諾し、主に大公との最初の謁見についていくつかの助言を与えた。


 王国側の認識ほど、大公国はアンに対し友好的でない事。

 その大公国も一枚岩ではなく、対外的に強力な敵対勢力の無い今は、アンの行動一つで無用な騒ぎを引き起こしかねない事。

 それら大公国の各勢力は、アンを利用する為に何らかの行動を起こす可能性がある事、等々。


 一先ず、アンは親善使節としての役割を果たす事にした。王国の不利益を招く行動は出来ない。大公国に借りを作る事なく、日程を消化して王国へ戻る。代わりに大公国への滞在期間は有効に使わせてもらう。


 正直に言って、助言を受けてこの方針が決まった事でアンの気持ちはとても楽になった。姉に迷惑をかけずに済むからだ。


 前日までの自分は、かなり無理をしていたのかもしれない。アンはそう思った。気負いが消えた自覚があった。


 ――魔法のおかげかしら?


 アンは懐の小瓶に触れて一人微笑み、謁見の間へと入る。アンの入室がコールされると居並ぶ大公国の貴族達の視線が集まり、その可憐さにどよめきが起きた。


 トーンとステフは一瞬だけ目を合わせる。二人には面倒事の予感しかしない。警戒を強める。




 一方、アンの目は六年ぶりに見る姉の姿に釘付けになっていた。

『剣姫』と呼ばれた少女時代よりも大人の美しさと大公妃の威厳を身に着けた姉は、美しく着飾り一段高い場所に座っている。


 姉の姿に気を取られたアンは、姉の横に座る男が述べた『大公国民の保護への謝意』に対して、無難な口上を返すに留まった。スミスから『必ず、大公国が寄越した世話役への謝意を口にするように』と言われたにも関わらず、飛ばしてしまったのだ。


 アンは自身のミスさえも、客間に戻ってから指摘されるまで気付く事は無かった。




 ◆◆◆◆◆




「ごめんなさい!」

「まあ、終わった事は仕方ありません。王女殿下は決定権の無い使節ですから。元々は王国騎士団の失態の尻拭いですし、王国にどうにかしてもらいましょう」


 スミスは何でもないように言ったが、アンはひたすら謝罪するしか無かった。誰の為に大公国まで来たのかと言えば、他ならぬアンの為である。親善使節の体で来ている以上、それに付随する仕事はしなければならない。


 アンが打ち合わせ通りのセリフを言う事で、『大公国民に対する王国騎士団員の暴行』と『親善使節である王女に宛てがう接待役選定のミス』をぶつけて相殺出来るはずだった。だが、その機会は失われてしまっている。


「六年ぶりにお会いするセーラ様が目の前にいましたからね。この後は御姉妹だけの面会ですから、存分に懐かしんでいただきましょう」

「ごめんなさい……」


 またもや落ち込んでしまったアンを、トーンやスミスが半ば追い立てるように送り出す。侍女二人に加えて近衛騎士のステフとエイミーまで同行させて万全を期す。


 アンが部屋を出ると、黙って様子を見ていたバラカスが口を開いた。


「王女様はちょっと不味いんじゃないか? 精神的に」

「我々にとっては、一先ず王国上層部の圧力から逃れるのが最優先事項でしたからね。ですが王女殿下にとって、姉との再会は非常に大きな出来事だったのでしょう。見積りを誤りました」


 スミスが頭を下げるが、トーンはそれを否定した。


「いえ。皆様には時間に追われながら刻々と変わる状況の中で、最善を尽くしていただきました。私の立場で言うのは憚られますが、アン様にも乗り越えていただかなければならないものはあります」

「厳しいな、隊長さんはよ」

「アン様の選択は、それだけの重いものですから」


 トーンはきっぱり言い切る。そこには、自らもアンを支えるという決意が垣間見えた。


「ところでよ、大公国からこのまま第三国に出るというプランAは破棄でいいんだな?」

「現状、大公殿下が王女殿下に便宜を図れる状況とは思えません。状況が許しても、あの方はリアリストですから。伴侶である大公妃殿下の為であっても、大公国に不利益になる事はしないでしょう。破棄一択です」


 バラカスの問いにスミスが答える。そうなると、南の国境から一度王国に戻らなければならない。


 今度はトーンが問う。


「アン様は国王陛下の帰還要請を蹴って出国しています。恐らく、じきに王国からそれぞれアン様と大公国に宛てて、再度の帰還要請が届くでしょう。帰還命令になるかもしれません。そうなると国境を越えた瞬間に拘束される可能性がありますが?」

「…………」


 部屋にいる全員の視線が、未だ言葉を発していない男に集中する。男はいつもの軽薄な笑顔ではなく、苦りきった表情で答える。


「王女様の手引きすれば、王国と盗賊ギルドの全面抗争だよ。その前に、ボクがギルドを離れてた間に主流派が転落してたんだ。ギルドを動かすのは無理だね」


 フェイスはもっと早いタイミングで離脱する予定を曲げて、アンに同行している。幹部としてギルドに復帰しても、影響力が無ければギルドを動かせない。


「帰還命令が出た場合、王国内の貴族も軍その他の組織も、アン様に表立った助力は出来ないでしょう。とはいえ、大公国に借りを作るのは危険だと思います」

「それには同感だな。だがそうすると、一旦王国に戻って強行突破しなきゃならんか?」

「可能ですが……後の事を思えば避けたいですね。今のままだとお尋ね者にされても反論出来ませんから」


 トーンとバラカスのやり取りも光明を見出す事が出来ない。室内は重苦しい空気に包まれる。




 沈黙を打ち破るように、扉が外からノックされた。トーンは時計に目をやり、議論が長時間に及んでいた事に気付く。


 大公妃セーラと王女アンの面会を終えた一行が部屋に戻るも、一様に微妙な表情だった。トーンが首を傾げながら問いかける。


「どうしました? 面会で何かありましたか?」


 それに対する侍女のパティの報告は、スミス達が全く想定していないものだった。


「……トーン様。少々厄介な事になりました。大公妃セーラ様が……トーン様との模擬戦をご希望になられたと……」


 トーンが思わず、間の抜けた声を出した。


「はあ!?」

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