第十七話 王女の不安と魔法の小瓶

「勇者の剣技、ですか?」

「ああ。伝授したのは、当時王国騎士団の副団長昇格を控えていたヴァンサーンだ」

「しかし、あの力は……」


 トーンは自らが受けた一撃を思い起こす。バラカスは『剣技』と言ったが、あの衝撃は明らかに通常の斬撃とは異質なものだった。


 そしてバラカスは、ヴァンサーンが勇者トウヤに伝授したとも言った。しかしトーンの知る限り、ヴァンサーンがそのような技を使った事は騎士学校時代から通じても無いはず。


 トーンは思考を確かにする為、それを呟き、言葉にした。


「バラカス殿は使った。騎士団長も人前で使った事は無いが知っていた。だが騎士である私は聞いた事も無い……」

「俺はトウヤから教わったんだがな。それと、あの技を使うと暫くは体に力が入らん」

「成程。トウヤ殿は体力の消耗以外に何か仰っていましたか?」

「いや。少なくとも俺達には何も言わなかった」

「…………」


 トーンはバラカスとやり取りを交え、情報の断片を繋いで一つの推論に辿り着く。だがそれは非常に不愉快な、認めたくないものだった。


 ――その威力を発揮するのに、大きなデメリットがあるか。それも剣士本人に降りかかる大きなデメリットが。


 王国の上層部が何も知らないとは考えられない。トーンの推論は異世界から召喚された勇者の、不都合な真実に迫るものになるかもしれない。しかしそうなると、トーンには新たな疑問が生まれた。


「バラカス殿。この話をどうして私に?」


 そう。勇者トウヤについての情報を求めているのはアンだ。直接伝えれば済む話を、何故自分にしたのか。


 バラカスは気まずそうに頬をかきつつ、理由を述べる。


「あー。まず一つは、これをダシに新隊長さんと剣を合わせてみたかった。二つめは、改めて王国を相手に回す覚悟を、王女様より先に、新隊長さんに決めてもらいたかった。三つめ。これから勇者パーティーではなく、個人としてヤバい橋を渡る俺達の腹ん中を伝えておきたかったってとこだな」


 続けて、ずっと黙っていたスミスが補足する。


「一番目はバラカスの趣味です。騎士団長と隊長の決闘を見た後からウズウズしていました。二番目ですが、王女殿下の選択如何では王国で内戦が始まりますし、トウヤの旅を辿るにしても王国が認めないでしょうから追われるのは確実です。勿論、王女殿下が全てを諦めて自己犠牲の道を選ぶ可能性もありますが」


『可能性の話』に言及したスミスに、トーンは目を細める。バラカスが顔を顰める。


「最後のその、可能性ってやつの話は置いてだ。俺やスミスを含めた勇者一行に名を連ねた者の大半は、今後勇者一行の肩書きを使う事は無い。当のトウヤがいないんだからな」


 個人としてアンに助力する理由は様々だ。アンの使節団に同行している四人の内、バラカスは旧知であるユルゲンへの恩義。エイミーはアンが気に入ったから。何よりも四人は、自分達の仲間であるトウヤに対し冷淡な王国にあって、トウヤを慮るアンの姿を非常に好ましく思っていた。


「まあそういう訳だから、俺達は王女様に不利になる事はせんよ。そこは信じてもらうしかないな」

「信じます」


 トーンは即答した。バラカスが少し驚いたような顔をする。


「信じる以外無いとも言いますが。今の我々には、身近な信用出来る味方は限られていますから」

「だろうな。世話役の件は聞いた。大公国もあまり気を許せそうにないな」


 トーンは黙って頷き、バラカスの言葉に同意を示した。大公国に長居すればする程、大公国内の各勢力がアンを政治利用しようと動き出すだろう。反王国派でなくても、他国の王族はいくらでも使い道がある。ましてや少数の護衛しかいない小娘だ。


 バラカスがスミスに対し、結界の展開を指示する。


「スミス、結界を頼む。派手に暴れても構わんやつをな」

「無茶を言いますねえ」


 スミスが文句を言いながら詠唱を始めると、トーンとバラカスを中心にした空間が淡い光を放ち始める。

 成り行きを見ていたステフがトーンに視線を向けるが、トーンは軽く首を横に振っただけだった。


「話は変わるが、王女様がこれからどういう行動を取るにせよ、俺達から同行するのはスミスとエイミーだけだ。俺とフェイスは王国に戻ってやる事がある」

「承知しました」

「元からそういう予定だったんだがな。隊長さんの力を見たから安心して行ける。王女様が大公国を出るまで油断は出来んが」


 バラカスは下ろしていた剣を構える。


「さて。もう一手付き合ってくれるか?」

「お手柔らかにお願いします」


 トーンが剣を抜く。剣身が淡い蒼色の光に包まれる。バラカスが感心したように言う。


「まだ隠し玉があるのかよ。その剣もかなりのもんだな」

「ええ。二番目に大事な宝物ですから」

「一番目はそこのねーちゃんか?」

「はい」

「うえっ!? ちょっとトーン!?」


 不意打ちを食らって動揺するステフをよそに。




 二人は一礼し、剣を合わせ――再び打ち合い始めた。




 ◆◆◆◆◆




 王女アンは宿の自室で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 部屋には誰もいない。アンの要望で侍女二人も、エイミーも退出した。

 珍しく一人だからだろうか、王城の自室より狭いはずの宿の部屋が広く感じる。心細いのかもしれない、とアンは思った。


 アンがわざわざ人払いをしてまで一人になったのは、自分を省みて戒める為だった。


 正直に言って、親善使節として出発してからの自分は舞い上がっていたかもしれない。息苦しい王城から飛び出して非日常を感じ、浮かれていたかもしれない。アンはそう思った。


 だけどアンの周囲の人々にとっては、日常でしかなかった。移動の馬車の中、大公国の接待役としてやって来たギャリソンに対し、侍女のパティとリリィ、近衛騎士のステフは毅然と対処をしてアンと王国の名誉を守った。今日の一件でアンはその事を思い知った。


 思えば王国から出る前、大森林の廃村で騎士団長との決闘に臨んだのは、近衛騎士のトーンだった。それは王女であるアンの代理として、アンが提案した決闘に臨んだのである。


 ――もしかしたら、トーンが大怪我をしていたかもしれなかったんだ。私の言い出した決闘で。


 理解して、覚悟出来ているつもりだった。だがそれが実感出来るようになると、急に恐ろしくなった。その恐怖感は瞬く間に大きな闇となり、アンを包み込む。


 ――私は王女だから、私が王女だから守られている。その為に身近な人達が、傷ついたり死んでしまうかもしれない。それに私が王女だから傍にいてくれる人達は、私が王女じゃなくなったらいなくなってしまうかもしれない。助けてくれないかもしれない。


 でもそれを、周囲の人に話す事は出来なかった。帰ってくる返事が怖かったからだ。


 不安になったアンは何となく右手を胸に当てた。そこであるべき物が無いのに気付く。


「えっ、どうして……」


 アンの右手はシルバーのネックレスに触れていた。だがそのネックレスは、アンがいつも身に着けているものではなかった。宝石箱の中にも見当たらない。アンは呆然とした。


 ――お母様の形見のネックレス、置いてきてしまったのね。


 不安、疑念、恐怖心といった負の感情がアンの中に大きな渦を巻いていく。普段なら聡明なアンは上手く気持ちを切り換えるのだが、この時はただ思考と感情の渦に呑まれかけていた――部屋の扉をノックする音が聞こえるまでは。


「っ!? はい」


 アンが何とか返事をすると、扉の向こうから若き近衛騎士隊長の声が聞こえた。


「トーンです。明日の予定についてお伝えしたいのですが」

「ど、どうぞ」


 思考の淵から突如現実に引き戻され、アンは慌てて返事をする。

 トーンは入室してアンの様子を見ると、ふむ、と小さく唸った。


「姫様」

「はい」

「お茶を淹れましょうか?」


 トーンの申し出は意外なものだった。少なくとも『王女の騎士プリンセス・ガード』の前隊長であるブレーメは、そのような事をしなかった。


「はい? トーンが?」

「ええ。私が、です。侍女の二人程ではないかもしれませんが、中々のものと自負しておりますよ」


 アンは内心で首を捻りながら、二人分の紅茶をオーダーする。『王女の騎士』の隊長を引き継いだばかりのトーンと話をする機会は無かった為、アンはそれ程トーンの事を知っている訳ではない。


 そのトーンがアンの意表を突いてきた。アンはトーンへの興味が勝って、いつの間にか自分に纏わりついていた不快な感覚が薄れている事に気がついた。


「慣れてるのね」

「騎士学校の前に従卒をしましたし、近衛の前は王国騎士団でも新入りでしたから」


 アンは茶器を温めるトーンの横顔を、ぼんやりと眺めていた。


 取り立てて美形と言う訳でもなく、厳しいという訳でもない。評するなら、地味。ステフからトーンとの馴れ初めは聞いたが、そのエピソードが無ければステフもトーンに目をつけたかどうか。


「姫様」

「はい?」


 トーンに呼びかけられて、考えに耽っていたアンが現実に戻る。トーンは悪戯っぽい顔でアンを見ていた。


「私の顔に何かついていますか? もしかして結構酷い事を考えていませんか?」

「っ!?」


 慌ててブンブンと両手を振って、アンはトーンから目を逸らした。トーンはクスリと笑って、準備の出来た茶器をトレーに乗せる。


 然程待たされる事もなく、カップが二つ用意された。正騎士の従卒は小間使いのような仕事も多いと聞くが、トーンの手際を見てアンは納得した。


「もう少しだけお待ちを。魔法をかけますので」

「魔法?」


 トーンが微笑むと、何も無かった掌に美しい小瓶が現れた。小瓶には『ブレイブハート』と手書きされたラベルが貼られている。


「どこから出したの!? これが魔法?」

「これはトリックです。魔法はこれからですよ」


 小瓶の液体をそれぞれ数滴、二つのカップに落とすと紅茶の香りが華やかになった。アンは勧められて紅茶を一口含む。その味わいに目を丸くした。


「美味しい!」

「ブランデーの中でもコニャックと呼ばれるお酒です。私の故郷近くの村で作られたもので、特に紅茶に合うと思います」

「本当に魔法ね!」

「でも、これは内緒ですよ? 姫様にお酒を飲ませたなんて知れたら私が叱られますから」

「うふふ、二人だけの秘密ね」


 アンは自分が笑顔になった事を自覚した。思わずトーンの顔を見る。トーンは先刻同様に微笑んでいた。


「あのブランデーは、奥手な男女が胸の内を告白する時に飲まれた事からその名がついたそうです。それで上手くいけばお祝いを、駄目なら残念会で飲むんだとか。どっちにしろ飲むんですね」

「トーン……」


 アンは目を閉じた。少し前まで悩んでいた事。不安だった事。

 今なら、トーンになら勇気を出して聞けそうな気がした。


 アンは目を開け、心を決めて口を開いた。






「あのね、トーン――」

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