第十六話 敵味方の見極めと、勇者の剣技

 王国内で祟られた雨が嘘のように、大公国に入ってからは好天に恵まれた。行程は順調そのもの、使節団は公都ファーリアを目前にしている。


 少し日差しがキツいかな。『王女の騎士プリンセス・ガード』隊長のトーンは、空を見上げてそう呟いた。


 長旅の経験が無く疲れも見られた王女アンであるが、かつての王国侍従長ギャリソンとの再会で持ち直したように見える。そのギャリソンはアンの希望で同じ馬車に乗り込み、王国の思い出話や大公国の様子などを話しているらしい。


 馬車内の様子は、ステフから逐一報告を受けている。近衛騎士達はギャリソンに対する警戒を解いてはいない。老侍従が今は大公国の人間であり、大公妃の側近でもあるという認識は、四人の近衛騎士に共有されていた。


 トーンはアンが乗っている馬車を見ながら考えに耽る。


 一先ず王国から出た事で、アンに対する国王一派と王国騎士団の干渉は当面気にしなくて済む。


 特使として使節団に同行している勇者パーティーメンバーの四人は、王女アン個人に助力しているのだとスミスから言質を取った。とはいえ、大公国に彼らが働きかけたからこそアンが王国を出られたのも確か。大公国寄りの行動を取る可能性は排除しないでおきたい。


 そして大公国だが、これがアンに対してどのようなスタンスなのか全くわからない。ギャリソンがかつては王国の侍従長であっても現在は大公妃の侍従であるように、セーラもアンの実姉で王国出身ではあるが、現在は大公妃だ。大公マーガット共々、大公国の国益に沿う要求をして来ないと考えるのは楽観的に過ぎる。


「アン様はギャリソン殿もセーラ様もお身内という認識だろうが……」


 当然の事ながら、今回の親善使節としてのアンには政治的な決定権は無い。それはアンを無用な危険から遠ざける効果を発揮するだろうが、それでも一国の王女の護衛としてはあり得ない警備の薄さだ。


 だからこそ、相手国である大公国も警戒を緩めてアンの来訪を受け入れ易かったという事は言える。如何に大公の下命でも、突如降って湧いた使節を迎える話が簡単に進むはずはない。


『王女の騎士』隊長を引き継ぐに当たり、トーンは前隊長のブレーメと入念に協議をした。大公国が何か仕掛けた場合、アンに帯同する護衛だけでは守り切れないという認識で両者は一致している。


 その上で両者が考えた基本線は『大公国と勇者パーティー、両者と友好的な関係を維持。優先は勇者パーティー。アンの足元を見る要求が出た時点で大公国から撤収』というものだった。


「アン様がエイミー嬢と懇意になられたのは僥倖というべきか……ん?」


 トーンは不意の視線を感じ、思考を切った。視線の先には馬車があり、窓からバラカスがこちらを見ている。トーンは近衛騎士ヨハンにその場を任せ、バラカスの傍に馬を寄せた。


「何かありましたか?」

「いや何。隊長さんの方が、こっちに話がありそうだと思ったのさ」


 バラカスはトーンの思惑を見透かしたように言う。他国に入った少数の護衛が考える事など、トーンがスミスから言質を取った際にわかっているのだろう。或いは、ブレーメが何か話したのかもしれない。


「私がですか?」

「ここは防音結界の中だ。とはいえ王女様から長く離れる訳にもいかんだろ」


 周囲には大公国の兵がいる。一度はとぼけて見せたトーンだが、バラカス達の気遣いを感じ取り軽く頭を下げた。こうなれば下手に隠し立てするべきではない。何よりここまで来れたのは彼らの協力のお陰なのだから。


「宿に入れば警備に余裕が出来るだろう。王女様にベッタリ張り付いてるエイミーに加えて、フェイスも行かせる。それで暫く隊長の代わりは務まらんか?」

「お釣りが来ますね」

「その自己評価もどうかと思うが……稽古の名目でも時間を空けておいてくれ」

「承知しました」


 トーンはバラカスの求めに了承の意を示すと、馬を返してアンが乗り込む馬車の方へ戻って行った。




 ◆◆◆◆◆




 第二王女アンは、車内の空気感に戸惑っていた。


 原因は大公国の接待役としてやって来たギャリソンである。元は王国の侍従長であり、現在はアンの実姉である大公妃セーラの側仕えと聞いて公都まで同行する事にしたが、これは結果的に良い判断とは言えなかった。


 始めこそ幼少期を知るアンとの思い出話やセーラの近況などに花が咲いたものの、途中からサン・ジハール国王や重臣達への恨み節が交じるようになったからだ。


 かつてギャリソンは王国の侍従長の地位を投げ打ち、戦後処理の一環として大公国に輿入れする第一王女セーラに従った。所謂義の人である。


 大公妃セーラは勿論、ギャリソンを含むセーラの周囲にいる人物が王国に対して強い悪感情を持つ事は、王国内でも常々指摘されてきた。しかしアンは実際の目的はどうあれ、曲がりなりにも『親善使節』としてやって来ているのだ。他国の使節に当てられた世話係として、ギャリソンの言動は見過ごせるものではなかった。


 正直に言えば、アンはそれほど気にしていなかった。ギャリソンに噛み付いたのは侍女の二人だ。途中までは笑顔で聞いていた二人も、次第に渋い表情になり。ギャリソンが国王ラットムの批判と取れる文言を口にするに至り、リリィが自重を求めた。


 それを煙に巻いて話を続けようとしたギャリソンに対して『このまま続けるのであれば、大公ご夫妻の意向による発言かどうか、公都到着後に確認します』とパティが切って捨てた。これで漸く車内が静かになる。


 近衛騎士のステフは無表情のまま。勇者パーティーの一員であり大公国の特使として乗り込んでいるエイミーは、アン同様に困ったような顔をしている。場を掻き回したギャリソンは、とぼけた表情で内心が読み取れない。


 アンの接待役としてはエイミーがいるからと侍女二人が主張し、使節団一行が休息するタイミングでギャリソンが下車していった。安堵の空気が漂う車内にトーンが入ってきて、侍女とステフから状況の説明を受ける。


「ギャリソンはこのまま戻らないの?」

「そうですね。少なくともアン様が大公国に滞在する間、接触させないようセーラ妃殿下に求めます」

「…………」


 アンの問いかけにパティが答えた。『王女の騎士』同様、侍女の二人もアンのサポートをする為に様々な訓練を積み、教育を受けている。使節団に外交分野の担当者がいない以上、そこをケアするのも侍女の二人になる。


「アン様。私達のギャリソン様への対応が厳しいとお考えかもしれませんが。あれは明らかな外交非礼です。見過ごしては後の災いとなります」

「大変申し上げにくいのですが……セーラ様とのご面会も、あまり楽観されない方が宜しいかと。本当の目的をお忘れになりませんように」


 パティはアンの心の内を見透かしたような事を言い、リリィは楽観を戒める。二人共、アンが数年ぶりになるセーラとの再会を楽しみにしている事は承知していた。その上での苦言に、アンは硬い表情で頷く。


 ――フラウスだったら、もっとスマートに出来たのかしらね。


 アンの姿を見、侍女二人はお互いの顔を見て苦笑した。今は自分達が出来る事をするしかないのだ。


『アンの最善を目指して』




 ◆◆◆◆◆




「お待たせしました」


 トーンが頭を下げるが、バラカスは謝罪無用とばかりにヒラヒラ手を振った。傍らのスミスも小さく頷いている。


「忙しいのはわかってる。それよりも、嫁さんも一緒なのは意外だったな」

妻ではありませんが、仲間に気を遣われまして。下がらせますか?」

「いや、いい」


 トーンについて来たステフは、『嫁さん』というバラカスの言葉と「『まだ』嫁ではない」というトーンの返事に言外の意味を読み取って、照れ笑いを浮かべている。


「時間も無いし、とりあえず一手戦っとくか」

「胸をお借りします」


 あくまで謙虚なトーンの言葉に、バラカスとスミスは苦笑した。稽古を行う事を聞いていなかったステフは驚く。




 お互いに一礼し、無造作に剣を合わせる。一瞬だけ時が止まったかのように二人が静止したと思うと、高速の打ち合いが始まった。


 近衛騎士であるステフの目を以てしても完全に捉えきれない剣の軌道と体捌き。打ち合いに伴う金属音はすでに聞こえず、見切りによる回避の応酬へ移行していた。


「隊長さんよ、やっぱりお前はの人間だぞ!」

「加減をしてもらって、どうにかついて行ける程度ですよ」

「っ!?」


 トーンが回転を上げて手数を増やすと、バラカスが驚愕の表情を見せた。バラカスが距離を取るが、トーンは追わずに剣を止めて佇んでいる。


 スミスが感嘆した様子で顎髭を撫でながら呟いた。


「どうしてこれほどの剣士が埋もれていたんでしょうね?」

「それは……『王女の騎士』が、騎士隊としては最も実戦から離れている部隊だからではないでしょうか」

「なるほど」


 ステフの返事に納得したのか、スミスは対峙する二人を見つめて目を細めた。


「隊長さんよ。一つ、面白い技を見せてやるよ。というか俺の本題はこれだ」


 バラカスは大きく息を吐くと、腰を落として溜めを作った。対するトーンは完全に受ける姿勢。トーンの目には、バラカスの剣が気とも魔力とも異なる力を帯びていくのが見えている。


「フッ!」

「!?」


 一際大きな金属音が響く。咄嗟に後ろに退いて体勢を立て直したトーンは、信じられないような顔で自分の手を見つめていた。

 バラカスの一撃を受け止めた剣には、尋常でない衝撃が加わっていた。弾かれた剣を手放す事こそ無かったが、両手に強い痺れが残っている。


 バラカスは剣を鞘に収めると、大きく深呼吸を繰り返して息遣いを整える。驚いているトーンを見て、感心したように言った。


「初見であれを受けて立て直すとはな。大したもんだ」

「今のは、一体――」


 トーンの問いに、バラカスが答える。






「あれは、勇者トウヤの剣技だ」

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