第百四十四話 バカバカしい真実

「余興はこれくらいでいいだろう」


 短く告げてオルトが黙り込む。




 執行部の面々は目の前で起きた事に理解が追いつかず、動揺している。これでは埒が明かないと見て、ネーナが立ち上がった。


「私はBランクパーティー【菫の庭園】の代表として参りました、ネーナ・ヘーネスと申します。只今より面会の映像と音声、会話を記録致しますので、ご承知おき下さい――『自動筆記オート・ライティング』」


 厚めの冊子を取り出しテーブルに置いて、短く詠唱する。冊子が輝き、独りでに開いてページがめくれ始めた。


 ネーナはさらに、懐から拳ほどの大きさの水晶球を取り出した。スミスから借り受けた魔道具である。


「貴様、勝手な事をするな!」


 部門長の一人が怒声を発した。剣呑な表情で言い返そうとするレナを、マヌエル・ガスコバーニが制する。


「ブライトナー総務部長。『勝手な事』が映像と音声と会話を記録する事を言うのならば、的外れだと返しておこう」

「……何だと?」


 Sランクパーティーのマヌエルが反論した事で、ブライトナーはトーンダウンする。


「俺が今回の面会を要請したのは、【菫の庭園】の話を聞いたからだ。彼等の言い分が正しければ、ギルド本部の、執行部の対応は看過出来ない」


 その面会に、マヌエル以外のSランク冒険者が同席していた。勝手に来れる訳はなく、マヌエル達が呼ぶ筈もない。執行部側が呼び寄せたのは明らかである。


「何故かこの部屋に来ていたSランク冒険者、ムラクモ・ソラノは我々に攻撃行動を取った。独断かどうかは関係無い。幻視とはいえ、斬り飛ばされた腕がカタナを握っていた事の意味を、知らないとは言わせない」


 マヌエルが語気を強めれば、ブライトナーは不満そうに視線を反らした。当のムラクモは、オルトを避けるように部屋の隅でジッとしている。


 幻視が視えるには理由がある。ムラクモが『居合い』で刀を引き抜く腕の軌道。そこを狙いすまし、オルトは斬った。正確には『斬ろうとした』。


 ムラクモが完全に刀を鞘から抜いていれば、幻視は現実になっていた。マヌエルはムラクモの挙動を『攻撃行動』だと断じ、執行部会の面々が沈黙する。


 マヌエルが室内を見回す。部屋の中央に向け、無造作にコインを放る。




 バチン!!




 コインが空中で何かに当たった瞬間、大きな音がして弾かれる。床に落ちたコインは黒く焦げ、変形していた。


「隠れて俺達を窺っている警備員。そして会議室を隔てる不可視の障壁。オルト・ヘーネスに対する牽制か、拘束するつもりかは知らぬが、お互いに信頼出来なければ記録を取るのは当然だろう」


 ネーナはマヌエルの発言に違和感を覚えた。


 入室時、ネーナ達は武器や装備品のチェックを受けておらず、提出も求められていない。それなのにムラクモが干渉して来た。明らかに対応がチグハグなのである。


「マヌエル・ガスコバーニ。君が連れて来たオルト・ヘーネスの所業を知っていれば、強く警戒する事こそ当然ではないかな? ラスタン前臨時支部長のように暴力を振るわれてはかなわないのでね」


 新たな発言者がネーナの意識を引き戻した。発言者の前に置かれたネームプレートには『リベック人事部長』と表示されている。


「リベック人事部長。オルト・ヘーネスが当該行為に及んだ経緯については、俺も調書を見た。関係者の証言を纏めたものもだ」


 人事部が当時のヴァレーゼ臨時支部長に推薦したラスタンは、支部長としての資質を大きく欠いていた。その事はヴァレーゼ支部に所属する職員や冒険者、支部と関わった自治州や公国の関係者が一様に証言している。


 オルトは抗弁する事なく処分を受け入れたが、ラスタンを推薦した人事部も、支部長人事を承認した執行部も責任を取っていない。


「当該案件の他にオルト・ヘーネスが暴力を振るったという記録は無い。それとも彼が激怒するような心当たりがあるのかな、リベック人事部長?」

「っ!」


 マヌエルに問われたリベックが沈黙する。だがさらに別の発言者が現れ、オルトに皮肉を浴びせた。


「――フン、猿山の大将が正義の味方気取りか。さぞかし良い気分だろうな、オルト・ヘーネス」

「…………」


 無言を貫くオルトを見て、堪らずレナが口を開く。


「あのねえ――」

「何か勘違いなさっておられませんか、ゴメス経理部長」


 そのレナに被せるようにネーナが言った。またも発言を遮られたレナが口をパクパクさせ、オルトは苦笑する。


「お兄様――オルト・ヘーネスは、ただの一度も正義を振り翳した事などありません。仲間が受けた理不尽な仕打ちに憤り、改善を求めているだけです」

「だからそれが、正義の味方気取りだと――」


 小娘と侮る態度を隠さないゴメスに、ネーナは特大の爆弾を投げた。


「ラスタン前臨時支部長。ゴメス部長のご縁者だそうですね。ご実家は大きな商会だとか」

「なッ!?」


 ゴメスが絶句する。隣の席のリベック人事部長も顔色が変わる。


「人事部長やギャバン前人事副部長も『懇意に』なされていたようですが、大丈夫ですか?」


 ネーナは言いながら、内心で驚いていた。ここまで相手が動揺するとは思わなかったのである。ネーナは話さなかったが、エルーシャから託された情報は商会に内偵が入っている事まで掴んでいた。


「そもそもオルト・ヘーネスがギルドマスターに申し入れた改善要求に返答があれば、少なくともこのような面会にはなっていなかったのですが」

「一冒険者がギルドの運営に口を挟むなどおこがましいわ! 執行部は暇ではない!」


 再びブライトナーが吼える。ネーナは冷ややかな視線を向けた。


「それが回答をせず、オルト・ヘーネスとの面会を拒み続けた理由ですか? 確かにブライトナー部長はご多忙のようですね」

「何だと?」


 怪訝な表情のブライトナーが、次のネーナの一言で真っ青になった。


「この三ヶ月ほど、ご自宅に戻られたのは週に一度か二度。ギルド本部は定時前に退出。部長の部下のお宅に足繁く通われ、朝はそちらよりご出勤ですか」


 この部下はブライトナーの命で、単身ギルド支部に長期出向中。留守を守るのは妻一人。


「ご婦人と夜な夜なカードゲームに興じておられたのでしょうか? 部下の方はご存知なのですか?」


 確かにこれでは、一冒険者の抗議になど関わってはいられませんね。そう告げてニッコリ笑うネーナに、ブライトナーは言葉もなくワナワナと震えるのみ。


 ネーナの横で、オルトとレナは責任のなすり合いをする。


『ネーナがどんどん悪人に寄ってくのはお前のせいだからな、レナ』

『鏡見なさいよオルト。あんたと同じ笑い方してるでしょうが』


 ネーナと部門長達の応酬を見つめていた老人が、ブライトナーをたしなめた。


「ブライトナーのヤブヘビは自業自得、リベック、ゴメスもわかったじゃろ。儂等が何も決まらぬ会議を繰り返す間に、相手は準備を終えて乗り込んで来たという事じゃ」


 老人の前にあるネームプレートには『カンポス』と表示されている。老人はネーナに向き直った。


「お嬢さん、儂は技術部長のサンパイオ・カンポスという。予想はしておったじゃろうが、オルト・ヘーネスの要求に対する執行部からの回答は無い。決まらないから回答出来ない、と言うべきか」


 カンポスと視線を合わせたギルドマスター――リベロ・ジレーラが頷き、話を引き取る。


「【菫の庭園】の諸君と話すのは初めてになるか。まずはこのような形になった事を、ギルドマスターとして謝罪する。無論、この場の謝罪で済むものではないが」


 静まり返った会議室で、ジレーラが着席したまま頭を下げた。オルトは目を閉じ、腕を組んでいる。ネーナにはオルトの心中を察する事は出来なかった。




 冒険者ギルドの意思決定をする最高機関が執行部会である。ジレーラからその現状を伝えられたネーナ達は唖然とするばかりであった。


「――つまり。七人いる執行部会のメンバーが、それぞれの利益の為に『拒否権』を行使するから何も決まらない、という事ですか?」


 ネーナの問いをジレーラが首肯する。ネーナは溜息をついた。助けを求めて隣を見るも、当のレベッカは困惑して頭を振っている。


「バカバカしいと思うじゃろう? 儂も全く同感じゃが、これが真実じゃよ」


 カンポスが言うと、ブライトナーやゴメスはフンと鼻を鳴らした。


「俺は本部の状況など知らなかったぞ。本部からの打診を受けて『ガスコバーニ』がクランの拠点を移してから、二月経ってないのだからな」

「オルトがSランクのジジイに腹パンしたやつね」


 マヌエルの弁明に、レナがポンと手を打つ。オルトが目を瞑ったまま顔を顰める。


 ネーナは内心で頭を抱えていた。


 執行部は冒険者統括のフリードマンにヴァレーゼ支部の対応を丸投げして矢面に立たせながら、具体的な部分は拒否権を使って骨抜きにしていた事になる。


 トップの意向で現場が振り回されるのは珍しい話ではないが、精神的に追い詰められ、命の危険すら感じながら職務を遂行した職員や冒険者は納得出来る筈が無い。


「お兄様――」

「『拒否権』か? 当然だな」

「はい」


 短いやり取りでネーナとオルトが確認を行う。こうなっては、現状に大きく影響を与えていると考えられる『拒否権』に言及しない訳には行かない。存在意義はあるとしても、今は停止するしかないのだ。


「レベッカさん。執行部から回答を得られない以上、こちらが話を進める他はありません。試算をお願いします」

「はい」


 レベッカが手持ちの資料を読み上げる。ヴァレーゼ臨時支部開設以降の被害状況から、数通りのシナリオが現実になった場合の被害想定を試算したものである。


 臨時支部の運営が順調に進んだ場合、実働に耐えるAランク冒険者の派遣が速やかに行われていた場合、ラスタンの更迭が早急に実現していた場合。


 レベッカの発言を妨害するように喚いていた者達はマヌエルに一喝され、執行部の失策を数字を用いて指摘されると、徐々に沈黙していった。


「――以上、オルト・ヘーネス氏の要求への回答も無い事から現執行部は冒険者ギルドの運営に適格でないと判断し、ヴァレーゼ支部、北セレスタ支部、シルファリオ支部は連名で現執行部の退任を求めます」

「ふざけ――」

「その連名に、クラン『ガスコバーニ』も加えて貰おう」

「っ!?」


 レベッカへの恫喝を、マヌエルの宣言が阻止する。Sランクパーティーのクランが反執行部を明言した事は、執行部会に大きな衝撃を与えた。


「執行部の皆様。私達は謝罪も許可も求めていません。行動し、結果を示して下さい。冒険者も職員も命を懸けて働いているんです」


 オルトは目を開け、執行部の面々に通告をするネーナを眩しく見つめていた。チラリと顔を窺ってくるネーナに、そのまま堂々と行けとオルトが頷く。


 ネーナもニコリと笑って頷き返した。


「結果が見られなければ――【菫の庭園】は冒険者証を返上し、ギルドを脱退します」

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