第百四十三話 余興はこれくらいでいいだろう

 宿の部屋でテーブルに突っ伏し、レナが呻いている。完全に二日酔いである。


「うう、頭痛い……」

「自業自得だろ」


 オルトが呆れ気味に言うと、レナは少し顔を上げて恨みがましい視線を向けた。ネーナがポーチの中から小瓶を取り出す。


「このお薬で、少し楽になりますよ」

「ありがたや〜」


 レナはまるで神様を拝むようにネーナに手を合わせた。レナは『元聖女』である。


「妹は女神なのに兄は悪魔だ」


 レナがそう言った瞬間、受け取る寸前の小瓶がヒョイと引っ込められる。小瓶を持ったネーナは頬を膨らませていた。


「宿へ戻るレナさんを背負ってくれたのは、お兄様ではありませんか。そんな事を言うなら、お薬あげませんよ?」

「ええ〜?」


 二人のやり取りにオルトは苦笑した。そもそもレナは薬を飲まずとも、自分で解毒の法術を使えば済むのだ。


 十歳近くも年下の少女に懇々こんこんと叱られる『元聖女』を横目に、オルト達は本番前の最後の打ち合わせを進める。


 ギルドマスターと六人の部門長からなる執行部へのアポイントは、Sランクパーティーの【屠龍の炎刃】が申請する事でスムーズに面会予定が決まった。


「オルト、本当に嫌われてるわよね」

「今までどんな理由で回答もアポイントも黙殺されてたのか、聞くのが楽しみだよ」


 冗談めかして言うフェスタに、オルトは肩を竦めながら応える。


 そうは言っても、その件で執行部会を問い詰める事は無い。本題はオルトが執行部会に突きつけたまま回答を得ていない、冒険者ギルド運営上の改善要求だからだ。


 漸く実現した面会、恐らく次は無い。何としてもこの一度で話を終わらせる必要があるというのが、レベッカと【菫の庭園】の面々が共有する認識である。


 執行部会側があくまで突っぱねるようなら決裂、【菫の庭園】はギルド脱退。拠点をリベルタの統治地域外に移す事でメンバーは納得していた。


「でも、本当にいいの?」


 フェスタが心配そうに聞く。その視線の先にはレベッカがいた。


 レベッカはヴァレーゼ支部の代表としてリベルタに来ている。【菫の庭園】とは別に、意図を持って動いている。オルト達も、レベッカから全てを聞いている訳ではなかった。


「出発前にエルーシャさんが話した通りですし、ヴァレーゼ支部の多数派工作は本部に筒抜けですから、今更です。皆さんはこちらを気にせず進めて下さい」

『…………』


 そう言われても。そんな言葉が顔に書いてあるような【菫の庭園】一行を見て、レベッカがクスリと笑う。


「ヴァレーゼ支部は【菫の庭園】の皆さんのサポートをします。いつもと同じですよ」


 支部の職員達はエルーシャを中心に、幾通りものシナリオを想定して対応を協議してきた。レベッカやナッシュといった本部からの出向組が見ても、非常に現実味の強い想定である。


 全ての対応策はレベッカの頭の中にあり、どのパターンを使うかはレベッカに一任されている。因みに『一任』した面々の中には、ヴァレーゼ支部長になったばかりのマーサも含まれていた。


 レベッカは自分の胸に手を当てる。ネーナとレナもやって来た。


「私、ヴァレーゼ支部に出向して多くの事に気づきました。私達が当たり前に過ごしている日々は、本当は当たり前じゃなかったんですね」


 レベッカの苦しかった日々は、ヴァレーゼ支部に来て終わった。終わらせてくれた人達がいたのだ。


 レベッカが新たに手に入れた、充実した毎日。それが当たり前になると、レベッカは怖くなった。苦しみが突然終わったように、大切な今も突然終わってしまうのではないかと。


 だがそれは終わらなかった。巨大災害級の異変が起きても、悪名高き『剣聖』が現れても、レベッカを悪意が襲っても、今もまだ続いている。守ってくれる人達がいるのだ。


 ギルド本部で総務室の中にいては知り得なかったものを、ヴァレーゼ支部に来たレベッカは目の当たりにしたのだった。


「私の、私達の日常は、冒険者の皆さんや先輩達や、見知らぬ誰かが戦って勝ち取ってくれたもので。ずっと守り抜いてくれたものだってわかったんです。他人任せにしてはいけないんだって」


 レベッカの思いは、ヴァレーゼ支部の職員達に共通したものである。『屋根裏部屋の会』で共有された意思は、すぐに支部の全職員に伝えられ了承された。


「ですから皆さんは振り返らず、前に進んで目的を達して下さい。それが私達職員一同の願いなんです」


 リベルタに向けて出発する際にエルーシャとも同じようなやり取りがあった事を思い出し、オルトはレベッカに頭を下げた。


「二度も覚悟を問うのは失礼だったな、済まない」


 町に時を刻む鐘の音が響く。


「そろそろ『ガスコバーニ』から迎えが来るな。面会に臨むメンバーなんだが――」


 オルトは仲間達を見回した。


 全員で行く訳にはいかない。オルト達の同行は認められていても、あくまで【屠龍の炎刃】の面会なのである。


 まずヴァレーゼ支部代表としてレベッカは当然。もう一人、執行部に回答を求めているオルトが行かなければ話が始まらない。


「俺は個人の立場で話すつもりでいるから、他に行けるのは【菫の庭園】の代表として一人か二人、かな」

「でしたら、ネーナに行ってもらいましょう。もう一人は肩書きのあるレナがいいと思います」


 スミスが応える。元々積極的に発言をするタイプではなかったが、最近は特に一歩引いた立場で助言をするに留まっていたスミスとしては珍しい事であった。


「ギルド本部の執行部は、いずれも食わせ者でしょう。ですがこれから我々が関わって行くのは、そういった者達ですから」


 その程度の連中にやり込められるようでは、【菫の庭園】の頭脳を担う事は出来ない。スミスのいつになく厳しい言葉に、ネーナの表情が引き締まった。


「どうしますか、ネーナ?」

「やります。私にやらせて下さい」


 ネーナが即答する。その目は強い意志を感じさせた。隣からは短い詠唱の声が聞こえる。


解毒キュアー


 レナは酒気を抜くと、大きく息を吐きながら髪留めを外した。ブロンドの長い髪が解けて落ちる。


「メインはネーナでいいのね、スミス?」

「はい」


 スミスが肯いた時、部屋の扉を叩く音がした。宿の従業員が、迎えの到着を報せに来たのだった。




 ◆◆◆◆◆




 レベッカと【菫の庭園】一行は馬車に乗り込み、まず『ガスコバーニ』のクランハウスへと向かった。


 前日と同じ応接室に通され、【屠龍の炎刃】のメンバーと顔を合わせる。


「成程。ならば【屠龍の炎刃】からは俺が一人で出よう」


 オルトから面会に臨む人数の相談を受けたマヌエル・ガスコバーニは、予定を変更してテルミナを残す事を決めた。


【屠龍の炎刃】としては、執行部との面会で話す事は殆ど無いのである。テルミナとしても待ち時間をエイミーの訓練に充てられるならば、残った方が都合が良かった。




 マヌエルとレベッカ、オルト、レナ、ネーナの五人がギルド本部へと馬車を乗り付ける。馬車から降りるマヌエルの姿に、通行人からどよめきが起きた。


 冒険者ギルドが本部を起き、都市の運営に大きな影響を与えている『自由都市』リベルタ。その冒険者の最高峰たるSランクパーティーのリーダーともなれば、都市でも屈指の有名人である。


「流石Sランクね」

「ストラトスの『聖女レナ』には遠く及ばないがな」

「うっ」


 からかうようなレナに、マヌエルも軽口を返す。的確に反撃されたレナは、短く唸って嫌そうな顔をした。


 ネーナは普段通りにオルトの服の裾を掴んで、レベッカは緊張気味に歩いている。


 一行はギルド職員の案内で、本部三階の一室にやって来た。入口のプレートには『会議室』と書かれている。


「失礼します、【屠龍の炎刃】マヌエル・ガスコバーニ様とお連れの方々をご案内しました」

「ご苦労」


 職員の呼びかけに短く返答があり、マヌエルを先頭に会議室へと入っていく。


 横一列のテーブルが会議室の手前側に。奥には半円状に並べられたテーブルと七つの席。ネームプレートから、着席しているのがギルドマスターと六人の部門長だとわかる。


 それぞれの席の後ろに控えているのは、恐らく各部門の副部長だとネーナは推測した。ギルドマスターの後ろにはフリードマンが、総務部長の後ろにはコール副部長が立っている。人事副部長はギャバンではなくなっていた。




「――ムラクモ」




 マヌエルが突如立ち止まり、呟く。ネーナは覗き込むようにマヌエルの前を見て驚愕した。


 壁にもたれて腕を組み、細身の男が立っている。


『キモノ』という薄手のガウンを帯で留めたような異国風の出で立ちに、後ろで纏められた長い黒髪。帯に差した剣は細く、緩やかな曲線を描いている。


 ネーナも文献でしか知らない、東方の文化圏から男が来た事を想像させる。それよりもネーナが驚いたのは、男が全く気配を感じさせずに佇んでいた事だ。


 一度立ち止まったマヌエルが、無言で歩き出す。


 男の前をマヌエル、レナが通過し、オルトが差し掛かった時、男がフラリと壁から離れた。ネーナが再び驚愕する。


「えっ!?」


 次の瞬間、剣を握ったままの男の右腕がクルクルと宙を舞っていた。腰を落とし、男がオルトに向かって突き出した右腕は肘から先が無かった。


 部門長達が息を呑み、背を向けて見ていない筈のマヌエルとレナはフッと笑う。




 ――カチッ――




 剣を鞘に納める音でネーナが我に返る。会議室の中程まで飛んだ筈の右腕は、男の身体に繋がったままであった。


 剣の柄に手を当てたまま、オルトが振り返る。


「ネーナ、レベッカ。行こう」

「は、はい」


 ネーナが男の前を通り過ぎる。男の顔は青ざめ、汗が滝のように流れていた。着席したネーナに、先に座っていたレナが話しかける。


「悪運の強い奴ね。『居合い』っていうのかな、あのまま本当にカタナを抜いてたら、幻視の通りに腕が失くなってたわね」


 レナはネーナ達が視たものを『幻視』と表現した。


 理由も意図も不明ながら、男はオルトに対して攻撃を仕掛けようとした。しかし迎撃される事を察した男は、直前に攻撃行動をキャンセルしたのだとレナは説明した。


「つまり私は、あの剣士の方の身に起きる筈だった出来事を見たのですか?」

「そういう事。あっちの連中にも見えたみたいね」


 ネーナとレナが対面のテーブルに目を向ける。部門長や副部長達の何人かは、明らかに動揺していた。


 ――あの剣士、お兄様に対する牽制のつもりだったのでしょうね。当てが外れたようですが。


 ネーナは落ち着きを取り戻し、部門長達を観察する。不思議な事に執行部会のメンバー達のオルトへの態度は、かなりの温度差があるように感じられた。


 黙って座っていたオルトが口を開く。


「余興はこれくらいでいいだろう。話を始めてくれないか」

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