第百四十五話 最終通告
「ギルド脱退だと!?」
執行部側の席がどよめく。ネーナはしっかりした口調で繰り返す。
「はい。ヴァレーゼ支部による執行部の退任要求が受け入れられない場合、【菫の庭園】は冒険者ギルドを脱退します」
現執行部の顔触れと、執行部のメンバーが保持する『拒否権』。二つの相性が悪過ぎる以上は、少なくともどちらかを排除しなければならない。建設的なやり取りが期待出来ないのであれば、まず現執行部に退場して貰うしかないのだ。
「私達が求めているのは、冒険者ギルドに基本理念に立ち戻って貰う事です。冒険者、職員、依頼人や地域住民、誰も幸せになっていない。一部の利益を代表する者の集団が持つ拒否権は、凶器でしかありません」
ネーナは言いながら、ヴィオラ商会設立時に理念を決めるよう求められた事を思い出していた。今のギルド本部、そして執行部は理念を忘れて迷走している。ネーナはそう感じた。
『理念』と聞いて鼻で嗤う部門長がいる中で、ギルドマスターは柔らかく微笑んでいた。カンポス技術部長が顎髭をしごきながら頷く。
「妥当じゃな。儂は最も長く執行部に留まっているが、今の顔触れでは全会一致などあり得ん。少数派による拒否権の乱発で多数決が覆される状況は想定されておらんのじゃ」
「カンポス貴様! 反乱に与するというのか!?」
カンポスは怒声に臆する事なく、飄々と言い返す。
「最初からお前さんに与した事は無いわい、ブライトナー。儂とて叩けば埃が出る身じゃが、正される時が来たという事よ」
突発する場外戦をよそに、落ち着きを取り戻したリベック人事部長が笑みを浮かべた。
「ネーナ・ヘーネス、いやアン・ジハール王女殿下。そして『聖女』マグダレーナ・アークトゥルス。貴女がたは冒険者資格を返上しては困るのでは?」
王族としての名と聖女としての名を呼ばれた二人が眉を顰める。
「長距離も含めて頻繁に移動しているようだが、お二方には冒険者ギルドの身分証明とバックアップが必要なのではないかな?」
隠している訳ではない。だが二人が名乗っていない、戸籍や冒険者登録にも使っていない名と肩書を、リベックがここで
だが執行部メンバーの個人情報を握り、それを使って戦う事を選んだのはネーナだ。相手が同じ事をしてきたからといって怒るのは筋違いである。
「私達はそのように名乗った事も、署名をした事もありませんが? それにリベック部長は何か考え違いをされているようですね」
「考え違いですか、王女殿下?」
リベックが薄い笑みを浮かべ、またもネーナを敬称で呼ぶ。声のトーンは、ネーナの発言の意味を理解していないような軽薄さを感じさせる。
オルトが心配そうに見ているのに気づき、ネーナはこっそりピースサインで大丈夫だと伝えた。オルトは苦笑しつつ頷き、再び目を閉じる。
レナが呆れた様子でリベックに言う。
「あたしらがその名前を使ったら、そもそも冒険者ギルドの証明なんて必要無いんだけど。移動ならあたしとスミス、エイミーの『勇者一行』の肩書で十分」
「リベック部長が他国に対しての証明の事を仰っているのなら、私達は既に冒険者ギルドの力をお借りする必要はありませんよ」
「何を言っている……?」
リベックの顔から笑みが消え、代わりに困惑の色が見えた。それまで黙っていた女性の部門長が、隣の席のリベックを窘める。
「リベック君、やめなさい。ギルド所属冒険者が本名と登録名を使い分けるのは合法、少なくともシュムレイ公国は【菫の庭園】の各種証明書を出すわよ」
女性は指を折り、理由を数え上げる。手前のネームプレートには『ヒンギス営業部長』と刻まれている。
『
領民が暴政に苦しんでいた旧コスタクルタ伯爵領解放のきっかけを作り、オルトはヴァレーゼ支部長代行としても、撤退前に悪化していた冒険者ギルドのイメージを大きく好転させた。
災厄級の被害も想定された召喚ゲートを封じ、凶悪な広域犯罪組織『
その際、オルト・ヘーネスは元勇者パーティーのメンバーであり元Sランク冒険者でもある『剣聖』マルセロと交戦して、マルセロが逃走するまでに追い詰めた。
「シュムレイ公爵が手づから宝剣を貸与された。公国の人気者よ、彼等は。フリーになったら冒険者ギルドそっちのけで各国の争奪戦が始まる事必至だけど、まず公国は絶対に【菫の庭園】を粗末には扱わないわ」
鬱憤が溜まっていたのか、ヒンギスの語りは止まらない。
「今既にクライアントから【菫の庭園】メンバーに関する照会を求められてるのは、執行部会で伝えたわよね? どうしてBランクなのか私に聞かれても、答えようがないって言ったでしょう」
ヒンギスは営業部長だけに、ギルド外の動きや噂話に通じている。一部で冒険者ギルドに対する風当たりが強くなっている事を最も強く感じ危機感を持っていたのは、執行部の中ではこのヒンギスだった。
「冒険者ギルドの証明自体が疑われ始めているの、わかってる? 【菫の庭園】を自分の目で見た者は、フリードマン統括の報告を受けながらBランクに放置している、ギルド本部の公平性や公正性、中立性に疑念を持つわよ」
一通り言い切ったヒンギスがグラスの水を豪快に呷り、大きく息を吐いた。会議室が静まり返る。
「まあ、【菫の庭園】の昇格を執拗に阻止したのは――」
「ブライトナー総務部長ですね?」
ネーナに正しく看破され、カンポスが驚きで目を見開く。それはブライトナーも同様であった。
「知っておったか」
「『拒否権』の存在を知って、思い至りました」
ブライトナー総務部長は元Aランク冒険者。ヴァレーゼ支部長のマーサと同じ時期に現役で活躍していた。その辺りの情報も、エルーシャは調べ上げていたのだ。
一方的にライバル視していたマーサを職員になってから足を引っ張り続けた。ブライトナーはマーサに関わりのある冒険者の上位ランク昇格にも、マーサ自身の出世にも注文をつけた。
前冒険者統括のコンラートと懇意であった。【月下の饗宴】を贔屓にしており、元Aランク冒険者のワドルとは『兄弟』の間柄。【月下の饗宴】にワドルを引き合わせたのもブライトナーであると、カンポスは補足した。
「ワドルさんとご兄弟なのですか?」
未知の情報にネーナが首を傾げるが、レベッカから『兄弟』の意味を耳打ちされ、ボッと音が出そうな程に赤面した。
「レベッカ。ネーナに妙な知識を吹き込むのはレナだけで間に合ってるからな」
「何よそれ!」
レナがオルトに不満を訴える。実はSランク冒険者のムラクモを呼んだのもブライトナーであったが、当のムラクモはオルトとのファーストコンタクト以降は会議室の隅で息を潜めていた。
「兎も角だ。【菫の庭園】がギルドを離脱するのであれば、【屠龍の炎刃】もクラン傘下のパーティーと共に離脱する。俺達は勿論、傘下の冒険者やクラン職員の命を今のギルド本部には預けられない」
「ヴァレーゼ支部、北セレスタ支部、シルファリオ支部も同調します」
脱線した話を引き戻すマヌエルに続いて、レベッカも通告を行う。執行部会の席が騒がしくなるが、マヌエルを恐れたのかネーナ達に直接何か言う者はいなかった。
そんな中、ヒンギスがネーナに向かって挙手をする。
「ネーナ・ヘーネス、質問を良いかしら?」
「どうぞ、ヒンギス営業部長」
「有難う」
ヒンギスは暫し考え込む様子を見せる。ネーナは先程の様子から、ヒンギスを少し感情的な女性と見ていた。その評価を修正する。
「まず……票読みも含めて、執行部のリコールの準備は終わっているのね?」
「はい」
ネーナはしっかりと頷く。
「執行部のリコールは避けられないとして、貴女達のギルド離脱を回避する方法はあるのかしら?」
「あります」
「それは何?」
ネーナは執行部メンバー全員の表情を窺う。四名はネーナへの不満や敵意を隠さず、三名は現状を変更される事への受け入れ、諦めを感じさせた。
「オルト・ヘーネスがギルドマスターに出したギルド運営の改善要求に加えて、執行部の拒否権廃止を受け入れる事です。以降、執行部の権限の付与剥奪に関しては総会で決定すべきかと」
「ギルドの職務規定やリベルタの都市法に触れる行いがあったかどうかの捜査は別件という事ね?」
「はい」
ネーナとヒンギスが話し終えると、レベッカが後を引き継いだ。
「明日から一週間、私達はリベルタに滞在します。回答が無ければ一週間後、行動を開始します。この面会の記録については修正を行わずに明日以降、全ギルド支部に公開します」
『何だと!?』
拒否権廃止の要求に加えて面会のやり取りを公開すると聞き、自らに不都合な情報のあるブライトナー達が色めき立つ。だが素性に関して、彼等同様に公にしたくないやり取りが記録されているネーナとレナは、不満を述べずに席を立った。
対照的な両者であるが、ネーナとレナは事前に取り決めていた通りの行動である。僅かにでも記録の修正や編集を行えば、それが正当性を損なうだけでなく疑念や付け入る隙を生む。
ネーナが退出前に、チラリと会議室を振り返る。執行部の中で一人だけ、ギルドマスターのリベロ・ジレーラはネーナ達に向かって頭を下げ続けていた。
最後に部屋を出るマヌエル・ガスコバーニが言い捨てる。
「つまらん真似はせぬ事だ。俺は昨日、オルト・ヘーネスに完敗した。そこのムラクモも使い物になるまい。このリベルタの全戦力をかき集めても、【菫の庭園】に危害を加えるのは無理だろうな」
名前を呼ばれたムラクモがビクッと肩を震わせる。遊び半分とはいえ、自信を持って放とうとした居合いに狙いすましたカウンターを合わされたのである。しかも初見で。
あのカウンターがマグレでない事は、必死で刀を抜く右腕を抑えつけたムラクモ自身が誰よりもわかっていた。実際は斬られなかったにも拘わらず、一瞬利き腕を失ったような感触を思い出し冷たい汗が噴き出してくる。
破竹の勢いで個人Sランクに昇格し、多くの強者や討伐対象を屠ってきた。『剣聖』も『勇者』も手の届く所にいると信じて疑わなかった。そのムラクモの自信は、『
「これで満足か、ジレーラよ」
冒険者達が退出した扉を見つめるジレーラに、カンポスが声をかけた。
「……ええ。冒険者ギルドの『理念』は死んでいないと知る事が出来ましたから。これからは償いに生きます」
応えるジレーラに、カンポスは痛々しいものを見るような視線を送る。だがジレーラの胸の中は、大きな仕事をやり終えた安堵で満たされていた。
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