第百四十六話 食べなくてもわかる
窓から西日が差し込んでくる。
食堂と酒場、そして談話室を兼ねたスペースのテーブル席で、四人組の女性客が談笑していた。小さなカウンターの奥では、手持ち無沙汰な店主がグラスを磨いている。
二階には客室が三つあるだけ。峠道沿いにポツンと、一軒だけ営業している宿屋である。今日の宿泊客は、四人の若い女性達のみ。
「結局、ここに着くまで誰ともすれ違わなかったわね」
「この先はホワイトサイド伯爵領で、元々人の行き来は少なかったそうです。それに最近は物騒だと噂になっていましたから、峠を迂回する方が多いのでしょう」
金髪の美女が退屈そうに言うと、どことなく気品のある少女が、目にかかったストロベリーブロンドの髪を除けながら応えた。
「今日は凄く働いたし、もう何もしたくない。お腹減った〜」
金髪の女性がテーブルに突っ伏し、他の三人が苦笑する。まだ夕餉には早いものの、厨房から漂う香ばしい匂いは空腹の天敵であった。
少女は今日の夕食に、自分の好物をリクエストしていた。心の中では食事を待ちわびていたのである。
「これでもあたしらは楽してるから、文句は言えないけど――」
バタン!
突然、入口の扉が乱暴に開け放たれた。女性達は会話を中断する。新たな来客の姿に、店主が大きく目を見開いた。
「おー! マジで女がいるぜ!」
「全員上玉じゃねえか!」
「話を聞いた時は嘘だろうと思ってたが、来てみるもんだな」
ガヤガヤと騒がしい男達が宿に入って来る。
旅人とも村人とも違う粗野な身なり。何人かは革鎧の一部のような肩当てや胸当てを着け、蛮刀や手斧などの得物を手にしている。
野盗、或いは山賊。態度も含めて多くの者がそのような印象を持つに違いない。四人の女性はあっという間に、大勢の男達に取り囲まれてしまった。
宿の店主は顔を引き攣らせ、凍りついたように固まっている。
「随分殺伐とした出で立ちの方々ですが、私達に何かご用ですか?」
ストロベリーブロンドの髪に青い瞳の少女が、毅然とした態度で尋ねる。男達が愉快そうに笑った。
「いいねえ、気の強い女は好みだぜ。とりあえず武器になるものは全部テーブルに出しな」
「見りゃわかるだろ、山賊だよ山賊」
「痛い目に遭いたくなかったら、大人しく言う事を聞けよ」
山賊の一人が、少女の顎を摘もうと手を伸ばす。宿の店主がハッとしたように叫んだ。
「駄目だ、逃げろお前達! こいつ等はヤバ過ぎる!!」
「へっ?」
山賊達がポカンとした瞬間、少女――ネーナは男の手を掴んでタイミング良く捻り、関節を極めた。
「あでででで! 折れちまう!」
「折れませんよ、筋は切れるかもしれませんが」
「このアマ――ぐはっ!!」
慌てて助けに入ろうとした別の男を、金髪の女性が惜しげもなく美脚を晒した回し蹴りで叩き伏せる。
「エルーシャはテーブルの下に隠れてて」
「フェスタさん、お気をつけて!」
フェスタは言いながら、素早く男二人の武器を落とした。男達の鳩尾に膝を入れて悶絶させ、予め結んであるロープを取り出して腕を拘束する。
室内が急に暗くなる。
「な、何だこりゃあ!?」
逃げようとして扉を開けた男は、土壁に行く手を遮られて呆然と座り込んだ。部屋が暗くなったのは、宿の周囲全てが高い土壁で囲まれた為である。
「エイミーとテルミナ? やるじゃない!」
金髪の美女――レナが窓の外を一瞥し、最後の一人に手刀を落として意識を刈り取った。ネーナはテーブル下からエルーシャを引っ張り出す。
「もう大丈夫ですよ、エルーシャさん」
「有難うございます……あっという間ですね」
僅か数分の早業である。エルーシャは次々に拘束されていく男達を見て、目を丸くするのだった。
◆◆◆◆◆
室内に再び光が差し込む。入口の扉が開き、テルミナとエイミーが入って来た。
「これで終わりかしら?」
「みんな大丈夫〜?」
「テルミナ、エイミーもお疲れ様。先に捕まえた連中と合わせて、エールグの守備隊に引き渡せばお終いね」
フェスタが宿の外で逃亡の警戒をしていた二人を迎え、労う。
身柄を守備隊に引き渡されると聞き、山賊達は真っ青になった。
「な、なあ。見逃してくれよ。俺達も食えなくて仕方なく始めたんだよ」
「そうだ! 好きでやってたんじゃない!」
「頼む、妻と娘がいるんだ……」
「見逃すのは無理ね」
懇願する男達の言葉がネーナの心を揺らす。だがフェスタは、宿の店主を拘束しながらキッパリと告げた。
この宿の店主こそが山賊の頭目である。情報を集め、時には獲物を足止めし、山賊達に指示を出していた。フェスタ達は敵を一網打尽にする為、自らを囮にして店主に山賊を呼ばせたのだった。
「貴方達は何度もあった足を洗う機会を自ら棒に振った上、完全に一線を越えてる。死罪か強制労働が妥当よ」
「フェスタ……」
物言いたげなネーナの視線に気づき、フェスタは頭を振る。
「ただ生活の為に金品を奪うだけなら、情状酌量が入る余地もあった。実際、貴方達も最初はそうしていた」
山賊の正体は、街道の奥にある農村の村人であった。その農村は旧コスタクルタ伯爵領の外れに位置し、旧伯爵領内の村の例に漏れず、重税に苦しんでいた。
領軍は税の取り立てに来るのみ。自分達の力で獣や野盗から身を守らなくてはならない。幸いにも大きな被害はなく何とか糊口をしのいできたものの、不作に見舞われ暮らしが立ち行かなくなってしまう。
きっかけは、ほんの出来心。狩りに出た村人達が、野犬に追われる旅人を助けたのである。見れば旅人は、仕立ての良い服や装飾品を身に着けている。
みすぼらしい身なりをした村人の一人が謝礼を求めると、旅人は恐れ慄き命乞いをし、荷物を置いて逃げ出した。自給自足の村に金品は不要であったが、町で買い出しをして困窮した村人達も一息つけた。
峠の付近に獣が出没するのは珍しくない。次に助けた商人も同じように逃げ出した。
村の男衆は知恵の回る村長の息子を中心に話し合い、『出稼ぎ』と称して峠付近に寝座を設けて追い剥ぎをする事にした。
街道沿いに宿を建て、村長の息子が店主になって情報を集め、指示をする。時折やって来る兵士には賄賂を渡し、目こぼしを願った。時には宿の客も襲った。どんどん犯罪は凶悪になり、相手を殺害して全ての荷を奪うようになった。
あまりにも雑な犯行。腐敗した権力が打倒され癒着が断ち切られれば、窮地に陥るのは目に見えていたのだ。
「貴方達はコスタクルタ伯爵が領主でなくなった時に罪を告白する事も、山賊を辞める事も出来た。それをフイにした時点で、今日のこの結末は決まっていたの」
「そんな……」
山賊達がガックリと項垂れる。それでも一人はフェスタに食い下がった。
「せめて家族に会わせてくれ!」
「貴方達、被害者のお願いは聞いてあげたの?」
「うっ」
フェスタにバッサリ切り捨てられ、男は言葉に詰まる。
「貴方は奥さんと娘さんがいるのよね? 被害者の中に、娘さんとそのご両親がいた筈だけど」
「!?」
男の顔が真っ青になった。
フェスタ達がこの峠の宿にいたのは偶然ではない。リベルタから帰還した【菫の庭園】は、ヴァレーゼ自治州より凶悪な山賊団への対応も含めた依頼を受けていたのだ。
当然、その山賊団の罪状も可能な限り調べ上げていた。娼館で働かされている所を保護された娘は、全く表情を変えずに自らの身に起きた事を証言した。
「娘を両親の前で強姦し、その後両親は殺害。散々娘を陵辱してから奴隷商に売却。人の親に出来る所業じゃないわね。両親と娘さんは、貴方達にやめてくれって懇願しなかったの?」
人の道を外れた者にかける情けは無い、全ては自分達の選択が招いた事。家族は必ず、父親が犯した悪魔のような犯罪行為を知る。その家族に会えるとしてどんな面を下げて会うのか。そうフェスタに問われ、男達は絶句した。
「テルミナ、エイミーも手伝ってくれる?」
フェスタ達が拘束した山賊を地下室に引き立てる。ネーナは後ろから、薄暗い下り階段をランタンで照らしながら歩く。ネーナの肩を、レナがポンと叩いた。
「レナさん」
「あたしも悪い事してたから、ちょっと身につまされるけどね。だからこそ言える。自分の不遇や不幸は、やっちゃいけない事をやっていい理由には絶対にならないの」
「……はい」
山賊達の行為は許されない。そうわかってはいても、ネーナはやり切れなかった。
地下室の扉を開けると、先に宿を襲撃して返り討ちに遭った山賊が拘束されていた。山賊達はお互いに顔を見合わせ、自分達の命運が完全に潰えた事を知り絶望したのだった。
領主であるコスタクルタ伯爵の統治が正常であれば、起こり得なかった犯罪。ネーナにはそうとしか思えなかった。山賊達は善良とまで言わずとも、ある時点までは貧しさに耐えながら懸命に暮らすばかりの村人であったのだから。
王族であったネーナならではの視点、感情。コスタクルタ伯爵は爵位こそ剥奪され厳しい処分を受けるものの、自身が誘発した犯罪や被害の責任を問われる事は殆ど無い。
「ネーナさん。因果を辿ればキリがありません。山賊は間違いなく加害者で、そうなる事を回避する選択もありました。直接の加害者が罰を受けなければ誰も法を守りませんし、秩序を維持できません」
山賊を地下室に押し込め、階段を上がるネーナにエルーシャが言った。
エルーシャはかつて、強要されたとはいえギルド職員としては許されない行為をした。汚名を
オルトもラスタン臨時支部長への暴行に対する処罰を受けた。その行動が必要に迫られたものだと、その行動によって大きな被害を防いだと認められても、違法行為については償ったのである。
山賊は直接の加害者。エルーシャの指摘で、ネーナは思考を止めた。王女の地位を捨てたネーナが、今統治者の事をあれこれ考えても仕方ないのだ。
◆◆◆◆◆
「おや、お疲れ様でした」
一階では、ローブにエプロン姿のスミスがテーブルを拭いていた。
「皆さんが地下室にいるようだったので、食事が出来るように掃除をしていましたよ」
「さっきよりいい匂いがする!」
厨房に駆け込もうとしたエイミーが、入口の直前で急停止した。両手にそれぞれ大皿を乗せたオルトが姿を現す。
「無闇に走らない。危ないだろ、エイミー」
「ごめんなさ〜い」
「これを持ってってくれるか」
『はーい!』
後から来たネーナとエイミーが大皿を一枚ずつ受け取る。オルトはグリルチキンの欠片を二人の口に押し込んだ。
「美味しいです!」
「美味しい!」
二人が目を輝かす。
「私もお手伝いします」
「じゃあ、あたしはお酒を漁ろうかな」
エルーシャは腕まくりをして厨房に入り、レナはバーカウンターの棚にある酒瓶を吟味し始めた。
「寝座の方はどうだったの?」
フェスタに問われ、オルトはうーんと首を傾げる。
「完全にもぬけの殻だったな。こっちは?」
「オルト達が行ってからもう一回襲撃があって、全部で二十七人。地下室に押し込んであるわ」
早々とこの宿に当たりをつけたオルト達は、女性四人を囮に山賊を呼び寄せ拘束した。店主を尋問して山賊の寝座の存在を知り、オルトとスミスはそちらの様子を見に行ったのだった。
「野営続きだったし、『許可』も得てあるから今夜はここに泊まろう。風呂の湯加減を見てくるよ」
屋外の風呂釜に向かうオルトを見送り、テーブルに次々と配膳される料理を眺めながら、テルミナが呆れ気味に言う。
「何者なの、彼?」
料理は殆どオルトのお手製で、エルフのテルミナやエルーシャの好みに合わせた料理の皿も並んでいた。オルトは山賊の寝座を見に行く前に、店主から『許可』を取って厨房で仕込みを済ませ、客室のベッドメイクまでしていたのである。
「その辺は今更よね。あ、これ美味しい」
レナがワイングラス片手につまみ食いをしている。ネーナは配膳が終わると自分の席に着き、微笑んだ。
ネーナの前には、ロールキャベツの赤ワイン煮込みが置かれている。駄目元でリクエストした品を、オルトが作ってくれたのだ。食べなくてもわかる。
――これは美味しいに決まっています。
ネーナはオルトが食堂に戻る時を、今か今かと待っている。少し前の陰鬱な気持ちは、いつの間にか吹き飛んでいた。
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