第百四十七話 出向の終わり
食事を済ませたネーナ達は入浴を済ませ、食堂に集まって思い思いの時間を過ごしていた。
暖炉には勢い良く薪が燃えている。峠の宿屋は日が落ちた後の冷え込みが激しく、皆が毛布に包まっていた。
「お待たせしました」
最後に入浴したオルトとスミスが戻ると、仲間達が集まって来る。
「はう〜、湯上がりのお兄様は温かいです」
「ごくらくごくらく〜」
「いいなあ……」
ネーナとエイミーが早速オルトの毛布の中に潜り込もうとする。エルーシャはその様子を羨ましそうに見つめていた。
「それで明日の予定だが。裏に馬が一頭繋いであるから、日が昇ったら俺がエールグに行って守備隊を連れて来る」
「守備隊に山賊を引き渡して、私達も出発という事ね。ホワイトサイド伯爵領の境に到着したら、依頼は全部終了って事でいいの?」
オルトとフェスタのやり取りを聞き、我に返ったエルーシャが頷く。
「は、はい。山賊団への対処と峠道の安全確認がヴァレーゼ自治州からの依頼で、エールグへのギルド支部開設を前提とした周辺地域の調査がヴァレーゼ支部からの依頼ですから」
エルーシャの手には半ば完成した調査報告書がある。この依頼を最後に、【菫の庭園】とエルーシャは二ヶ月近くにまでなったヴァレーゼ支部への出向を終えてシルファリオに戻る事になっているのだ。
それは取りも直さず、オルトと【菫の庭園】が当面は冒険者であり続ける事を意味していた。
リベルタでのギルド執行部を相手に回した大立ち回りは、【菫の庭園】とヴァレーゼ支部の勝利に終わった。
本部での面会の記録と共にリコールへの支持を表明した支部名を公表すると、当初は三割強であった支持が五割に迫る所まで伸びた。日和見していた支部が慌てて態度を決めたのが原因であった。
この結果に対して執行部は、オルト・ヘーネスからの改善要求を全面的に受け入れる事を表明した。ダメージの大きかったブライトナーやゴメスが、再起不能になるリコールを避けようと拒否権の行使を控えたのである。
だがブライトナー達の思惑は完全に外れた。面会記録の内容を知った支部から非難や抗議が殺到した彼等は、有力な支援者からも見限られてギルド内での立場を失ったのだ。
ギルドマスターのリベロ・ジレーラは、リベルタの司法当局に外部監査の選任を要請。発足した外部監査チームは精力的に動き、職権を利用した不貞や嫌がらせが酷かったブライトナーと、縁故での引き立てで多額の金品を受け取っていたゴメスの解任を求めた。
この時点で拒否権が廃止されていた執行部は、抵抗する術を持たなかった。他の執行部メンバーも、不正や背任が認められた者は厳しい処分を受けた。
ジレーラはヒンギス営業部長を新たなギルドマスターに据え、空席の三人の部門長を任命すると、自らを降格して本部を去った。
【菫の庭園】とレベッカは初の女性ギルドマスターとなったヒンギスと面会し、以降のギルド改革についての説明を受け、オルト達が冒険者ギルドに留まる事を確認して漸くカナカーナへ戻ったのだった。
「やっとシルファリオの屋敷に帰れるなあ」
オルトが伸びをした。傍らの少女達は船を漕ぎ始めている。
予定通りに帰還すれば、シルファリオを離れてから二ヶ月ぶりとなる。シュムレイ公国とヴァレーゼ自治州は【菫の庭園】の出向期間延長を強く希望したが、ヴァレーゼ支部長のマーサが両者を説得したのである。
『剣聖』マルセロや『
現状を考えれば公国と自治州のギルド依存は仕方無いとも言える。先々の話については、ギルド支部長のマーサの手腕に期待するしかない。
「エルーシャには悪い事をしたな。最後はピクニックに近い、気楽なノリで出かけるつもりだったんだが」
「ガッツリ仕事、それもキツめのやつになっちゃったからねえ」
オルトがポツリと呟き、レナは同情するように言う。シルファリオに戻る前に、エルーシャと共に冒険しようという約束が果たせなくなってしまったのである。
だがエルーシャは頭を振った。
「不謹慎かもしれませんけど、私にとっては冒険ですよ。冒険者のお仕事を現場で体験できましたし、守って貰えて危険もありませんでしたし。すっかりお客さんでしたけど」
「……そんな事ないです。エルーシャさんも【菫の庭園】、です」
昼間の活躍で疲れ気味のネーナが、エルーシャに応える。半眼で毛布に包まり、いつ意識が落ちても不思議ではない。
「有難うございます、ネーナさん。私、今回のお仕事は一生忘れないと思います」
エルーシャは微笑みながら、ネーナとエイミーの身体が冷えないように毛布をかけ直した。
「でもテルミナは本当に、こっち来て良かったの?」
「うん?」
レナが問うと、暖炉の前で手を翳していたテルミナが振り返った。
『私も連れて行ってくれない?』
テルミナはそう言って、リベルタを発とうとするオルト達の下ヘ突然やって来た。
『構わない、テルミナを宜しく頼む』
困惑したオルトが確認すると、所属パーティーのリーダーであるマヌエルも問題無いと言う。
話し合いの末、テルミナは一時加入の形で、アルテナ帝国までの往路を【菫の庭園】に同行する事になった。先送りになっていた、エイミーの両親の墓を移す旅の丁度半分である。
「ええ。【屠龍の炎刃】のメンバーが一人、トリンシックで侯爵夫人をやっているの。久しぶりに顔を見ておこうと思って」
テルミナがレナに答える。Sランクパーティーの【屠龍の炎刃】がフルメンバーで対応しなければならない事態など、天変地異のようなもので滅多に無い。自分がパーティーを離れても構わないのだ、とテルミナは言った。
目的地のアルテナ帝国北西部まで、馬車と徒歩で一月半程度。オルト達はもう少し時間をかけて、ゆっくり行こうと考えている。その間テルミナは、エイミーに付きっきりで精霊との関わり方を教える事が出来る。
オルト達にとっても、テルミナの同行はメリットが大きい。断る理由は無かった。
「そう言えばテルミナ達が公国に来て、リベルタのSランクがまたいなくなったけど、どうするの?」
「マヌエルがムラクモに押し付けてたわ」
「へえ〜」
自分で聞いておきながら、レナがさして興味も無さそうに相槌を打った。
冒険者ギルド本部を抱えるリベルタには、常に一組のSランク冒険者が活動拠点を構える事が慣例化している。
この短期間でコンラートがSランクを返上し、後釜の【屠龍の炎刃】はシュムレイ公国に拠点を移した。現在五組しかいないSランクだが、居場所の不明な者もいれば本部の要請を全く聞かない者もいる。
現状、本部が動かせるのはムラクモ・ソラノのみであった。当人もオルトに絡んで返り討ちに遭った映像が公開されてしまった為、リベルタに構えた豪邸に引きこもっているのだという。
「恥ずかしくて外歩けないもんね。丁度良かったんだ」
「恥が服着て歩いてるレナが言うと、説得力あるな」
「っ!?」
「シーッ」
オルトは傍らで寝息を立てるエイミーを指差し、詰め寄ろうとしたレナを黙らせる。エイミーの反対側にいるネーナは辛うじて意識があり、オルトにしがみついて目を
「前にも思ったけど。本当に勇者パーティーの時とは見た目から何から全然違うのね」
テルミナがレナをしげしげと見つめる。レナは居心地悪そうに、寝酒として持ってきたウイスキーに口をつけた。
「まあ、ね。今だってしんどい事はあるけど、素の自分でいられるからね。オルトはちょいちょい意地悪だけど」
「それは心外だな」
槍玉に挙げられたオルトが肩を竦める。エルーシャは笑いながら話題を変えた。
「そう言えば私、ずっと皆さんに聞きたかった事があるんです」
仲間達がエルーシャに注目する。
「【菫の庭園】の皆さんは、指名依頼でも希少な生物の捕獲や討伐は断ってますよね? どうしてなのかなって」
「あたしは気にしてなかったなあ」
レナが首を傾げた。後から【菫の庭園】に加入したレナも、言われてみればその手の依頼に関わった記憶は無かったのである。
「相手にはっきり理由を言えば角が立つから、『緊急性の高い、被害の想定される依頼に絞って受けてる』って伝えてたのよね」
「はい」
フェスタの言葉に、エルーシャが頷く。ギルド側が【菫の庭園】から聞かされていたのはそのような話であった。だがエルーシャは、それが本当の理由ではないとわかっていた。
依頼ではなかったが、ベルントの難病の治療薬には、比較的希少な生物の一部位が素材として必要だった。月光草以外はマーサが用意したが、足りなければオルト達は自分で入手していただろう。
「希少かどうかは基準じゃないのよ。好事家の見栄や道楽の為に命を懸けるのも、命を奪うのもよそうって事」
「そうでなくても切った張ったの仕事だろう。いつ死ぬかもわからんし、多くの命を奪って来てる。死ぬにも殺すにも、それなりの理由が欲しいんだよ」
元々はオルトの方針であったが、仲間達も賛同してパーティーの方針となった。レナが加入する以前の話である。
「そうやって依頼を選べる冒険者は多くないし、断るのが大変なのも知ってるから、悪いとは思ってるんだけどな」
「あははは……」
オルトが申し訳無さそうに言うと、エルーシャは乾いた笑いを洩らした。【菫の庭園】に対する指名依頼の窓口はシルファリオ支部。断りを入れるのは支部の職員になるのだ。
スミスが口を挟んでくる。
「白い剣牙豹の捕獲依頼を断った時には、依頼人がゴネたとか。後で謝罪に来たそうですが」
レナも身を乗り出して応じた。
「聞いた聞いた。どっかの貴族が、エルーシャに『依頼を断るならお前が妾になれ』って言ったヤツよね。『天罰』が下ったんじゃないの?」
二人がニヤニヤとオルトを見る。何となく事情を察し、エルーシャは嬉しそうな顔をした。
オルトはスッと視線を反らし、漸く寝ついたネーナを起こさないように立ち上がると、火が弱まった暖炉に新たな薪を焚べた。
「見張りは俺がするから、そろそろ寝てくれ。二階の客室にはベッドがあるから、そっちの方がいいと思うぞ」
強引に話を終わらせようとするが、仲間達のニヤニヤは止まらない。結局、全員が暖炉の傍を離れずに一夜を明かしたのだった。
◆◆◆◆◆
「うぅ……」
腕の中の柔らかさに違和感を覚え、ボンヤリと目を開ける。ネーナは丸めた毛布を抱えていた事に気づき、少し残念な気分で起き上がった。
「ネーナさん、お早うございます」
「お早うございます……」
厨房の扉が開き、焼き立てのパンの匂いと共にエルーシャが現れる。ネーナはカップにお茶を注いで口をつけた。ネーナが眠る時には傍らにいた筈のオルトは、姿が見えない。
「お兄様はキッチンですか?」
「私が起きた時にはいませんでした。宿の外かもしれませんね」
二人が話している間に、エイミー以外の仲間がモゾモゾと動き始める。ネーナは洗面所で顔を洗い、髪を整えると上着をしっかりと着込んだ。冷たい水で意識は完全に覚醒している。
押し開けた扉の隙間から寒気が流れ込む。早朝の峠らしく、宿の周囲は深い霧で覆われている。オルトは宿の裏手で馬の毛づくろいをしていた。
ネーナとエルーシャに気づいたオルトは、ブラッシングの手を休める事なく二人に声をかけた。
「お早う、しっかり眠れたか?」
『お早うございます』
宿の店主のものと思しき鹿毛の馬は、主の事など気にしていないかのように大人しくブラシをかけられ、飼葉を食んでいる。
「ネーナ、地下室はスミスとフェスタに任せておけばいい。朝食は――」
何か言おうとするオルトに先んじて、ネーナが口を開く。
「お兄様、朝食は一緒に食べて下さいね? 皆で食事をするのは、お兄様が決めたルールですよ?」
「…………」
オルトが口ごもる。
「急いでエールグに行っても、守備隊はすぐには動きませんよ。ちゃんと仮眠もして下さい」
「……わかった」
抵抗を諦め、オルトはホールドアップした。エルーシャがクスクスと笑う。ネーナはオルトが早々にエールグへ向かうのだと察して、捕まえに来たのである。
グイグイと手を引くネーナに逆らわず、オルトが歩いて行く。その後をエルーシャが楽しげに追う。
三人は勝手口で待つフェスタに迎えられ、宿の中に姿を消した。
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