第五章 元王女は、『門』を閉じる
第百四十八話 大蛇の亡霊
「大変、大変!」
ストロベリーブロンドの髪を揺らし、うわ言のように大変だと繰り返しながら、少女がシルファリオの市街を駆け抜ける。
顔見知りの者達がひっきりなしに声をかけるが、少女は足を止める事なく笑顔で手を振り、律儀にも全員に挨拶を返しながら町外れの方へ走り去った。
「可愛い娘がいるじゃん」
少女の後ろ姿を見ながら、屋台に並んでいた若者がヒューっと口笛を鳴らす。鉄板で肉を焼いていた店主は若者を一瞥した。
「あの娘は町一番の有名人だ。粉かける気ならやめときな」
「へっ?」
店主からの突然の警告に、若者が間抜けな声を上げる。子供連れの母親は不審そうに若者を見る。
「あんた、余所者かい? あの娘にちょっかい出して万が一にでも泣かせたら、町の者がみんな敵になるよ」
「その前に、もっと怖い人がいるじゃないか」
『ああ……』
ベンチに座っていた老婆の言葉に、その場に居合わせた者達が、少女の過保護にも程がある『兄』を思い出して声を揃えた。
若者はいつの間にか注目を浴びているのに気づき、店主に鉄板焼きの代金を支払うとそそくさと立ち去るのだった。
◆◆◆◆◆
「お待たせしました」
「そんなに急がなくても良かったのよ?」
息を切らしながら入室したネーナの前に、フェスタがグラスを置いた。応接室には【菫の庭園】と【四葉の幸福】の面々が顔を揃えている。
「お待たせしてはいけないと思って……」
「いきなり押しかけたのは、僕等の方だからね」
リチャードが言い、【四葉の幸福】の仲間達と共に頭を下げる。
一度汗だくで部屋に駆け込んだネーナは、仲間達から汗を流してくるように勧められたのだった。今回が二度目の入室である。
「ネーナさんは、きっと今のシルファリオで一番忙しい人ね」
【四葉の幸福】のマリンが言い、口数の少ないエリナは肯いて同意を示す。
マリンの言う通り、シルファリオに帰還したネーナは目の回るような毎日を過ごしていた。
ヴィオラ商会のオーナーとして商会代表のファラと打ち合わせをし、従業員や職人の下へ足を運び、協力店に顔を出し、宣伝活動や香水等の商品開発を行い、商談や町の商工会に同席し。
『菫の庭園に所属した人にプレゼントしたい』と思い立ち、自ら菫の花をあしらった銀細工をデザインして職人に製作を依頼し。
シルファリオを離れていた為に出来なかった、冒険者対象の講義に講師として参加し、教会では子供や町の住民に読み書きを教える手伝いをし。
町や墓地の清掃や炊き出しといった奉仕活動にも参加し、テルミナが付きっきりで精霊術の訓練をするエイミーがいない隙に、オルトを独り占めした。
「最後のは忙しいの関係なくない?」
「最後が一番重要です!」
「ネーナ、ズルいよ〜!」
呆れ気味のテルミナに反論し、エイミーの抗議を相手にせず、ネーナはフンスと鼻を鳴らした。
今日はナナリーと共に墓地の掃除をしてから、商会の従業員が体調を崩していると聞いて見舞っていた。屋敷に戻るのが遅れたのは、その為である。
「それで、プリムの様子はどうだったんだい?」
リチャードの問いに、ネーナの表情が少し暗くなる。体調を崩した従業員とは、プリムの事であった。
「トーマス先生は精神的なものだろうと仰っていました。本人は働こうとしてますし、それが気晴らしにもなりますので、ファラさんやチェルシーさんが様子を見ながら仕事に戻って貰うようです」
「そうか……」
ネーナの返事を聞いたサファイアは、浮かない顔をしていた。
「気に病むな、と言われても難しいでしょうが。いずれは誰かがプリムさんに話を聞く必要があったのです。サファイアさんが責任を感じる事ではありませんよ」
スミスの気遣いに、サファイアは僅かに表情を緩めて頷いた。
リチャード達【四葉の幸福】は、一足先にヴァレーゼ支部を離れた後に指名依頼を受け、とある有力者の失踪した令嬢を捜索していた。
一行が探し当てた時、令嬢は既に死亡していた。リチャード達は令嬢の失踪にザビールという男が関わっていた事を知る。ザビールとはプリムを恋人であるルーファスから寝取って貢がせ、プリムが妊娠すると躊躇せず捨てた男である。
ザビールは捕縛され、『取り調べ』で多くの余罪を自白した。詐欺脅迫、強姦準強姦、窃盗傷害、禁止薬物の所持使用、そして殺人。殺人は娘を殺された有力者が、持てる権力を動員してねじ込んだものだ。
犯行は悪質で二十名を超える被害者がいる。どれだけ罪を軽く見積もっても、ザビールが生きて鉱山を出るのは不可能である。
ザビールを捕縛するに当たって、一時期彼と行動を共にしていたプリムの情報は欠かせなかった。だがそれを聞き出すには、プリムが辛い記憶と向き合わなければならない。リチャード達は、自分達がプリムを追い込んだのだと気に病んでいたのだ。
「僕等も心苦しかったけど、プリムには色々話を聞かせて貰ったんだ。彼女の負担にならなければ、お見舞いさせて欲しい」
「わかりました。ファラさんに伝えておきます」
プリムへの面会は、商会代表のファラの領分である。オーナーであるネーナも、商会の事については必ずファラを通すようにしている為、リチャードの申し出を一旦預かった。
ネーナは床に臥せっていたプリムの様子を思い出す。プリムは少し顔が
プリムは恋人であった幼馴染を捨てて、ザビールと連れ添おうとした。そのザビールの犯した罪の重さや自分が受けた仕打ち、自分がルーファスとルーシーに対してしでかした事の罪深さ。それらが改めてプリムの心に重くのしかかっていた。
だが早くに身籠りザビールに捨てられたプリムは、まだ幸運であったと言える。他の女性達は売春や水商売を強要されて金を巻き上げられ、或いは薬物漬けにされたり奴隷商に売られていた。
プリムにも性交の快楽を増し、依存させる目的で薬物は使われていた。妊娠したプリムが捨てられたのは、ザビールが妊婦を引き連れる面倒を嫌った事と、これ以上プリムから金を取れないと判断したからだ。
令嬢の死因は媚薬の過剰な服用、そうリチャードが告げた。他にも同様の死因と見られる被害者がいて、もしかしたらプリムもそうなっていたのかもしれない。ネーナはザビールに対して強い憤りを覚えた。
「それでね。ザビールの事に関連して、【菫の庭園】が出発する前にどうしても聞きたい事が出来て、急いでシルファリオに戻って来たの」
マリンの後を受けたリチャードが、少し声のトーンを落とす。
「あまり他言出来る内容ではなくてね。君達の率直な意見を聞かせて欲しいんだよ」
◆◆◆◆◆
リチャード達が帰った後の応接室。【菫の庭園】のメンバーは椅子から立ち上がる事なく、リチャードの言葉を反芻していた。
『ザビールが持っていた薬物と、ルーファスが持っていた物の特徴が一致したんだ』
ルーファスやルーシーが薬物を含む禁制品を所持していた事は、ネーナ達も知っていた。だがシルファリオのガードの捜査では、入手経路までは掴めなかった。
取引が禁止されている薬物だけに出所は限られる。同じ特徴を持つ品ならば、同じ場所から流出したと考えるのが妥当だ。
『ザビールは「
リチャードは苦々しい表情で言った。その情報は娘を失った有力者が怒りの赴くままに暴走した結果、漸く知り得たものであったからだ。有力者が一線を超えて恨みを買っているであろう事を、リチャードは憂慮していたのだ。
ザビール自身は女性を食い物にする、タチの悪いチンピラ。それ以上でもそれ以下でもない。一時期行動を共にしていたプリムが、ザビールは『
問題は既に死亡しているルーファスとルーシーの方だ。こちらも
「大蛇の亡霊、と言った所? ザビールがルーファス達に何かしたって線は薄いかしらね」
「同感です。回りくどすぎますし、パーティー崩壊の後で関わるのは無理でしょう」
独り言のようなフェスタの呟きに、スミスが同意を示す。
それでもルーファス達が『災厄の大蛇』と関わりがあったとすれば、いくつかの疑問が解消されるのだ。
ルーファスのパーティー【
「最初からそのつもりの奴隷で、タイミングが早まったのかも」
再びフェスタが呟く。今度は返事が無かったが、仲間達もフェスタと同様に考えていた。
広域犯罪組織『災厄の大蛇』の最大拠点は潰され、首領以下多数の幹部が捕縛された。各国は自国内に巣食う残党を血眼になって叩いている。
その中で組織の重要な施設でありながら、壊滅はおろか発見の報も流れて来ないものがあった。通称『ラボ』と呼ばれる研究所である。所長は最大拠点から逃げ延びた幹部の一人。
非合法、非人道的な実験や研究が行われ、薬物や魔道具を生産していると噂されているが、『災厄の大蛇』でも首領と一部の幹部しかその実態を知らない。
リチャード達は、ルーファスと『ラボ』の関係を推測していた。それを疑わせるような情報があり、リチャード達が屋敷を訪ねて来たのは、【菫の庭園】のメンバー、特に賢者スミスの見解を聞く為だった。
「幹部への尋問で『ラボ』についても明らかになるだろうが、そんな危険な施設が手つかずで残っているのは不安だな」
「『ラボ』が都市国家連合の域内に存在しても不思議ではありませんし、ルーファスさんと『ラボ』に関係があるならば、そういう方が他にもいるかもしれませんね」
ネーナは言葉を発する事なく、オルトとスミスのやり取りを聞いていた。
ルーファスがシルファリオへ戻って来た時、ナナリーを始めとする知人達は人格面の変貌ぶりに驚いていた。それはルーファスがプリムに手酷く裏切られた後の、感情を失ったような様子とも明らかに違っていたのである。
ルーファスが殺害された後の捜査で、シルファリオに戻る前の【七面鳥の尾】が、Bランクへの昇格目前であった事も判明した。結局昇格は、当時拠点を置いてきた『深緑都市』ドリアノン支部でルーファスが起こしたトラブルの為、立ち消えになっていた。
ナナリーもプリムも、ルーファスはCランク平均レベルの戦士であったと証言をした。ドリアノンで急激に実力を伸ばしたとしても、シルファリオに戻ってからの彼の実力を見た者はいない。
ネーナはルーファスを投げ飛ばしているが、ルーファスを含めた【七面鳥の尾】のメンバー達からBランクに届くような力を感じ取れなかった。
オルトが思案げに言う。
「ギルドからフリーガードに、ルーファス達の捜査記録の照会を要請してみようか」
「それで、あたしらはどうするの? 出発を取りやめる?」
レナの問いにオルトは頭を振った。現状、【菫の庭園】が何かすべき事は無い。これまで延ばしに延ばしてきたエイミーの故郷への旅を先送りする理由は無かった。
「全く……『災厄の大蛇』と言うだけあって、後々まで祟ってくれるよ」
オルトの言葉に、仲間達は苦笑交じりに同意するのだった。
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