第百四十九話 不断の努力

 リチャード達が屋敷を訪ねて来た翌日、ネーナとエイミー、オルトの三名は町の共同墓地で掃除をしていた。


 長旅に出る前の、最後の清掃活動。ネーナは落ち葉を掃き集め、オルトは小石を拾って墓地の隅に除ける。エイミーは両親の墓を移す為に確保した区画で、一心不乱に雑草を抜く。


「…………」


 箒を手にボンヤリと無縁墓を眺めていたネーナは、昼を告げる鐘の音で我に返った。共同墓地の中央にある月桂樹の下で、オルトがシートを広げている。気がつけば日は高く昇り、ネーナを照りつけていた。


 ネーナはオルトの傍に腰を下ろし、包みを解いてランチボックスを取り出す。そこへエイミーに連れられ、傷男スカーがやって来た。


「俺も邪魔していいのか?」

「ああ。うちのメイド達が張り切って、沢山持たせてくれたんだ」

「おいしそう!」


 エイミーがランチボックスを覗き込んで目を輝かせた。




「実は、墓守にならないかと誘われててな」


 オードブルをつまみながら、傷男が言った。


「墓守の爺さん、いい歳だろ。そろそろ隠居したいんだと」

「そうか」


 オルトが短く相槌を打つ。


「俺もDランクのまま冒険者にしがみついて来たが、潮時じゃないかとは考えてたんだ」

「そうか」


 Eランク冒険者はその日暮らし、Dランクでも何とか生活出来る程度の収入しか見込めない。それらの下位ランクは、そもそも長くやるものではない。冒険者の研修期間、或いは懲罰として降格させる為に存在するランクなのだ。


 かつて依頼中に幼馴染を失ってから、傷男は単独で日帰りの仕事をして日銭を稼ぎ、町にいる時はこうして墓地で過ごしている。


 酒場に顔を出す時もあるが、他人に迷惑を掛ける事も無い。傷のある厳つい顔とぶっきらぼうな口調から受ける印象に反して、傷男は真面目で物静かな男なのである。


 本当はCランクに上がる事は出来たし、ギルドからの打診もあった。だが傷男はそれを断った。ソロでCランク帯の依頼をこなす実力が無いのは、自分が一番理解していた。それでもパーティーを組む気になれなかったのだ。


「今でもたまに爺さんの手伝いはしてたしな。やる事は変わらん」

「そうだな。決めたのか?」

「ああ」


 冒険者を辞める決心をしたのか。そうオルトに問われ、傷男は頷いた。オルトも頷き返す。


 シルファリオ支部は地元出身者が多く、依頼中の死亡率は他の支部に比べて非常に低い。引退した冒険者を受け入れる土壌が、地域にある。無事に第二の人生に踏み出せるのは幸運な事だと、オルトは思った。


「俺の話はこんな所だ」

「転職祝いをしなきゃな。エイミーも世話になる事だし」

「よろしくおねがいします!」


 墓地を移転するエイミーが口の中のチーズを飲み込み、ペコリと頭を下げる。あまり表情を変えない傷男が、微かに笑った。


「ネーナはどうした。元気ないな」


 オードブルを摘みながら、傷男がネーナを見やる。急に名前を呼ばれたネーナは、ピクッと反応して顔を上げた。


「ひぃふぉうふぁふぁ」

「昨日から、な。喋るのは食べ終えてからにしとけ」


 パンを口に入れたまま話すエイミーをたしなめ、オルトはスープの入ったカップを手渡す。


「オルトと喧嘩したのか?」


 傷男に聞かれ、ネーナはフルフルと頭を振った。苦笑するオルトの顔を上目遣いに見て、躊躇いがちに話し出す。


「……プリムさんの事を、考えていました」

「体調を崩したんだったな」

「はい」


 特別に親しくはなく、世代も違うが、傷男も地元出身のプリムや生前のルーファス、ルーシーと面識はある。プリムの事情もそれなりに知っている。


「プリムさんはとても苦しんでいます。これからも苦しみ続けると思います。確かに彼女のした事は酷い事で、それが贖罪だと言われればそうなのかもしれません。だけど……」


 ルーファスに対するプリムの裏切りは、ネーナも聞いた。だがネーナが自分の目で見た今のプリムと、過去の裏切りは全く結びつかなかったのだ。


「成程な」


 傷男が視線を送ると、オルトは無言で微笑んだ。好きにしろ。そうオルトの意図を解釈した傷男は、暫し思案をしてからネーナに向き直る。


「お前は、自分がオルトを大嫌いになると思うか?」

「あり得ません」


 ネーナが即答し、傷男はニヤリと笑った。無言で食事を続けていたエイミーの手が止まる。


「そうだな、俺もそう思う。ルーファスと付き合っていた時のプリムも、きっとそう考えていたろう。周囲で見ていた俺達だって、あの二人が別れるなんて想像もしていなかった」


 傷男は、幼馴染であるサフィの墓を眺めながら言葉を継いだ。


「俺はな。大事な幼馴染に肝心な事を何も伝えられず、死んでしまってから後悔して、未だに想い続けている情けない男だ。これからもサフィを想って生きて行くんだろう」


 だけどな。傷男は真剣な表情でネーナに言う。


「恋人未満だった俺とサフィだったが、ザビールのような男が近づいて来ていたら、サフィがプリムのようになっていたかもしれん」


 或いはザビールのような女性によって、自分がサフィを裏切っていたかもしれない。傷男の言葉は、ネーナに大きな衝撃を与えた。


「そんな……」

「そう思うのも当然だ。俺はサフィの気持ちも、俺自身の気持ちも全く疑ってない。それでも、そういう事は起き得るんだ。俺には上手く言えないけどな」


 傷男が言葉に詰まったのを見て、オルトが助け舟を出す。


「ネーナは知ってる筈だぞ。悪人とまでは言えない普通の人々が、他人に酷い仕打ちや裏切りをした例を」

「……あっ」


 ネーナは小さく声を上げた。思い当たる事は多々ある。


 シルファリオにネーナ達が来た時、ジェシカは虐められていた。レベッカもそうだ。ブルーノは教会組織から弾き出された。


 リチャード達は暗殺者『CLOSER』の仕込みで周囲から浮き、自ら敵を作って疲弊していた。エイミーは故郷で迫害と言っていいレベルの仕打ちを受けた。フェスタは家族に疎まれ、オルトは騎士学校時代からヴァンサーンや取り巻きに虐げられて来た。


 先日捕縛した山賊達も、かつては純朴な村人であったという。勇者トウヤは理不尽としか言えない短い生涯を閉じた。


「プリムのケースと同じには語れないけどな。本当はいい人であるとか、悪い人だとか、そこは話の本質じゃないんだ。やった事、起きた事が問題なんだよ」


 プリムは間違いなくルーファスやルーシーに対しての加害者で、その責を免れる事は出来ない。オルトはそう断じたが、物言いたげなネーナの頭を撫でて微笑む。


「一方でザビールは、三人に対する加害者だ。最初はルーシーに絡んですぐに見切りをつけた辺り、恋愛感情で動いたんじゃないのは明らかだしな。ここでのポイントは、悪意を持った人間が向こうから近づいて来た所だ」

「プリムさんにザビールさんの誘惑を撥ね除ける事が出来たか、という事ですね?」


 ネーナの問いに、オルトが頷く。


 現実にザビールは、ルーシーを物にする事は諦めている。だがルーシーは兄の恋人に対して一歩引きつつも、兄以外の男性に気を許す事は無かった。


「ルーシーが拒んだからプリムも拒める筈、というのは短絡的だな。プリムだって、ザビールが最初からあからさまに落としに来たら拒んだろうさ」


 悪事を働く者が、いかにも悪い事をするように見せる筈が無い。ザビールはパーティーメンバーの立場で、プリムと二人きりで行動する機会を増やした。


 プリムが浮気性なのではない。よく言えば純朴、悪く言えば無防備。そんな田舎育ちの女性と距離を詰め、心を揺さぶって取り入るのはザビールにとって朝飯前だった。


 プリムもルーファスも仲間を疑ったりしない。ルーシーは兄しか見ていない。プリムは後戻り出来なくなり、罪悪感からも現実からも逃れようとザビールに傾倒して何もかも手遅れになった。


「プリムにとって、相性が最悪なザビールと出会ってしまったのが運の尽きだったとしか言えないな」

「俺を含めた周囲の人間も、ザビールのような人間を現実に見るのは初めてだった。人の出入りの少ない小さな町だ、見た事の無い物には対処出来ない」


 オルトが溜息をつき、傷男は同意する。


 ナナリー達がルーファスに気づかせずに収拾をつけようと、話を大事にしなかったのも裏目に出た。だがそれはザビールの手の内で、ナナリー達を責めるのは酷だ。


 誰だって不満や不安はある。他人には言えない事を自分の内に抱え、何も無いような顔をして生きている。実際に罪を犯した者が犯罪者であり、嗜好や志向では罰される事も謗られる事も無い。あってはならない。


「だけどな。そうやって他人が秘めた物を引っ張り出して刺激し、貶める悪意を持った人間が向こうから来たらどうすればいい?」

「私が無事に生きて来れたのは、沢山の人が守ってくれたから……」


 ネーナの脳裏に、祖父や母や姉、侍女に近衛騎士、忠義に篤い臣下達の顔がよぎる。その環境も王女に生まれた自分の運でしかない。自分の力では何も出来ないと思い至り、ネーナは愕然とした。


「人質を取られて抵抗出来ないとか、魅了や精神を支配されたとか、完全な不可抗力でなければ本人の意思。全面的に責任を問えるという考え方もある。だがそれは、他人を謀る事に慣れた者を軽く見過ぎてる」


 ブルーノの妻である三人の少女は親に売られた後も、読み書きや計算が出来なかった事から奴隷商や娼館の主と不当な契約を結ばされていた。


 悪人は相手に隙があれば、遠慮なくそこを突くのである。現実に世の中に、詐欺の被害に遭う者が後を絶っていない。


「悪意を持った人間が相手を陥れるのに、強制性や支配力のあるスキルや薬、魔術は絶対に必要なものではないんだよ。話術や振る舞いで相手の思考や行動を誘導する事は、十分に可能だ」

「お兄様が戦闘中に行う『行動誘導』のようなものですか?」

「そういう事だ、よく気づいたな」


 オルトに褒められ、ネーナが嬉しそうに笑う。


「大事なものは、自ら不断の努力で守るしかないんだ。その為にも学ばなければいけないし、信頼出来る人達との絆が必要になる。誰かが守ってくれると甘く考えていれば、足下を掬われて全て失うかもしれない」

「はい」


 話が纏まりそうなのを察し、傷男が伸びをした。


「さて。俺はサフィを綺麗にしてやってから、爺さんの所に顔を出すとするか。昼飯、美味かったぜ」


 傷男はよっと声を出して立ち上がり、片手を上げて去って行く。


「まあ、プリムについては心配するな。ここはシルファリオで、あいつの故郷なんだからな」




 サフィの墓石を磨き始めた傷男を眺めながら、ずっと黙っていたエイミーが口を開いた。


「話がむずかしくてわからなかったけど……わたしはどうすればいいの?」


 ネーナが微笑む。


「私が困っていたら助けて下さい。エイミーが困っていたら、私が助けます。お兄様が困っていたら、二人でお助けしましょう」

「期待してるぞ? まずはランチボックスとシートの片付けを手伝って貰おうかな」

『はーい!』


 オルトに頭を撫でられた二人は声を揃えて返事をすると、競う様に後片付けを始めるのだった。

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