第五十四話 来ちゃった、です!

 前を歩くネーナと元侍女達を見ながら、フェスタがハインツに問いかけた。


「ハインツさんは、何の目的で来たんですか?」


 警戒心を隠そうともしないフェスタに、ハインツは苦笑する。


「言いたい事はわかるが、俺もヨハンも彼女達の護衛だ。それ以上は何も言われていない。勿論カールもな」

「リリィもあの様子じゃ、フラウス殿の行動に戸惑っている感じだなあ。少なくともハインツさんの言う通り、アン様についてどうこうという話は俺達には無かったよ」


 新婚のヨハンも肩を竦め、妻の振る舞いに違和感を口にした。


 フラウスが話しかけ、ネーナがそれに答える。リリィとパティが相槌を打つ。ネーナが王女アンであった時にフェスタ自身も見てきた光景。


 だがフェスタには、目の前のネーナの笑顔が、酷くぎこちなく見えた。




 フラウスが案内したのは、見るからに高級そうなレストランだった。フラウスは支配人を呼び予約の人数が減った事を告げ、差額も含めて精算時に支払うと伝えた。


 ネーナ達の前日にリベルタに到着したフラウス達は、市内の名店をピックアップして予約を取ったのだという。他国の宮廷でも腕を振るったというシェフの料理は、確かに王城で食したものと比べても遜色ないとネーナは感じた。


 会食の時間は和やかに流れた。ネーナが大公妃セーラの話をすると、元学友であるフラウスは懐かしそうに目を細めた。王女アン付きの侍女の中で、フラウスだけは親善使節団に同行しておらず、セーラが大公国に嫁いでから会っていなかったのである。


「フラウス達も、辺境伯領に戻る途中で公都に立ち寄ったら? リリィとパティが離宮を知っているから、そちらに行けばお姉様に会えるしきっと喜ぶと思うの」


 セーラの長男であるレスターはまだ小さい。フラウスが驚く様子を想像して、ネーナは笑みを浮かべる。


 だが、ネーナの勧めに対するフラウスの返事は、ネーナの思いもかけないものだった。


「その事ですが。姫様も私達と一緒に、王国へ戻りましょう」

「えっ?」


 ネーナはフラウスの言葉が理解出来ずに聞き返した。フラウスは真剣な表情でネーナを見ている。


「私達と一緒に王国へ戻りましょう、姫様。辺境伯様の下へ行けば危険な目に遭う事もなく、静かに暮らす事が出来ます。私は辺境伯様のご嫡男よりご求婚を頂いておりますので、それをお受けすれば姫様の生活も心配いりません」


 ネーナはフラウスが求婚されていると知って驚いた。フラウスは器量良しで、しかも才女と呼ばれる部類の女性だ。侍女を長く務めていて浮いた話の一つも無かったが、多数の縁談が寄せられていた事はネーナも知っていた。


 ネーナは他の二人の侍女を見た。パティが口を開く。


「フラウスがいきなり言ったのには驚きましたが、姫様に危ない事をして欲しくないというのには、私も同意します」

「現在の姫様の暮らし向きは、私達が想像していた以上に危険で過酷なご様子。心配しない訳には参りません」


 リリィも同様の考えを示す。侍女の三人は、ネーナの現在の生活を大分ネガティブに捉えているようだった。フラウス達の認識との大きなズレに、ネーナは愕然とした。


「久しぶりに姫様を抱き締めて、筋張ったお身体や荒れたお肌を見て驚きました。聞けばこれから、危険な魔獣の生息域に踏み込むとか。私は、姫様にそのような事をさせる為に送り出した訳ではありません」


 フラウスが厳しい口調で言う。その矛先はオルト達、そしてこの場にいるフェスタにも向けられていた。


 フェスタが席を立った。テーブルに一人分には多めの代金を置く。


「私は帰った方が良さそうね。ネーナは自分の思うようにしなさい。明日、私達の宿と出発の予定を伝えに来るわ」

「支払いはこちらで持ちますので、それはお仕舞いになってください」


 フラウスが代金不要の旨を伝えるが、フェスタはフラウス同様に感情を見せずに言葉を返す。


「これを懐に仕舞うには、ギルド本部で貴女がオルトに何を言ったのかを聞く必要があるわね。エイミーはともかく、スミスまで厳しい顔をするなんて事はそうそう無いのよ」


 少しの沈黙の後、フラウスが口を開いた。


「……『貴方達に姫様は任せられない。ブレーメ様にお任せしていればこのような事にはならなかった』と。そうトーン様にお伝えしました」


 ネーナはフラウスがオルト達に投げつけた言葉を知り、絶句した。エイミーの怒りは、スミスの険しい表情はそういう事だったのだと。


 フェスタはフッと笑った。


「貴女に奢られる筋合いは無いわね。私の分の代金は置いていくわ。王女付きの侍女って、節穴でも務まるのね。リリィ、パティ。貴女達はトーンの何を見ていたのかしら」


 フェスタが店を出ていく。その後暫くの間、残された者達は誰も言葉を発する事が出来なかった。




 ◆◆◆◆◆




「あれはあんまりだよ! お兄さんの事何も知らないくせにさ!」

「有難うな、エイミー。俺の代わりに怒ってくれて」

「うう〜!!」


 ギルド本部でのやり取りから一晩明けても、エイミーの怒りは収まらなかった。イライラを紛らわすように、オルトの腹に自分の頭をグリグリと擦り付けている。


【菫の庭園】一行はネーナを欠いてこそいたが、助っ人のカールと一時加入のブルーノを加えて準備と打ち合わせを終えていた。翌日の出立を控えて、酒場でささやかな決起会と歓迎会を兼ねた夕食を取っている所であった。


 シルファリオのギルド支部でオルト達が見聞きした事を話すと、ギルド職員のマーサから平謝りに謝られた。マーサは支部の状況もジェシカの事も、全く知らなかったのだ。


 当面は本部から送った監査を常駐させる事と、ジェシカについてはマーサがしっかりサポートする事を約束した。オルトはついでとばかりに、月見草以外の治療薬の素材集めをマーサに押し付け、ギルド本部を後にした。


 ブルーノの実力については、嬉しい誤算だった。神官戦士としての盾を用いた堅い守りは、元近衛騎士のフェスタとまともに打ち合えるレベルであった。後衛の守りとしても回復役としても、大いにパーティーの力になる事が期待された。


「出発は明日でいいのか? オルト殿」

「ああ。それから『殿』は要らん。他のメンバーも同じだ」

「承知した、オルト。だが……」


 ブルーノが言葉を濁す。昨日フラウス達と行ったネーナが戻って来ていない。仲間達は誰もがその事を考えていたが、オルトはきっぱりと言った。


「予定に変更は無い。メンバーが欠けてもそのまま出発する。元々、時間の猶予は無いんだ」

「お兄さん……」


 半泣きのエイミーにオルトは苦笑した。


「幸せは人それぞれだろ? フカフカのベッドに贅を凝らした食事だって悪くない。態々危険を冒す必要も無い。そういう生活が許されるなら、選んだっていいじゃないか」

「でも、いなくなるとちょっと寂しいわね」

「……そうだな」


 フェスタが言うと、オルトは小さく頷いた。


「本当の兄妹みたいだったものね」

「ああ」

「本当に寂しいですか?」

「そりゃあな」

「じゃあ、今日も一緒に寝ましょう」

「ああ……は?」


 背後からの聞き覚えがある声に、オルトは勢いよく振り返る。そこには、満面の笑みのネーナが立っていた。


「来ちゃった、です!」

「何だそれ」

「お兄様、約束ですからね? まずはパーティー復帰祝いの『あ〜ん』を希望します!」


 空いている椅子が見当たらず、ネーナはゴソゴソとオルトの懐に潜り込んでちゃっかりと膝の上に座った。可愛らしく口を開けて早く食べさせろとアピールする。


 オルトが小さく切り分けた肉を差し出すと、パクっと加えて幸せそうに食べた。


「私はもう王女じゃありません。オルトお兄様の妹の、冒険者ネーナです。フカフカのベッドより野営でお兄様にくっついて眠るのが好きですし、高級なお料理よりもお兄様が食べさせてくれるお肉が好きなんです。危険でも、皆と一緒にいたいんです」

「……王女?」

「その話は後でおいおい、ね」


 ネーナの王女発言にブルーノが反応したが、フェスタがはぐらかす。


「あっちの話はいいのか?」

「はい。ちゃんと話してきました。お兄様がどれだけ私を大事にしてくれているか」

「……一緒に寝てるとか言ってないよな?」

「言いましたよ?」

「…………」


 オルトは頭を抱えた。フラウスとの関係が改善するどころか、余計に悪化する未来が見える。しかも今回は、ネーナの実姉である大公妃セーラまで話が行ってしまう気がする。オルトに疚しい事は無いのだが、その言い分が通用するとはとても思えなかった。


 苦悶するオルトに、ネーナがしれっと言った。


「嘘です。タイミング的にまずそうなので言ってません」

「…………」

「いふぁいいふぁい」


 オルトは無言で、ネーナの口の両端を引っ張った。


「それは置いてだ。出発は明日なのに、こっちに来てしまって良かったのか?」

「はい。リリィにイエスノー枕も渡しましたし」


 ネーナは頷いた。新婚のヨハンとリリィへのプレゼントがイエスノー枕だったと聞き、オルトが呆れながら言う。


「渡したのか……いつ用意したんだよ」

「駅馬車の出発ギリギリに現れて、馬車からお兄様が差し出した手を掴んで飛び乗るシチュエーションも魅力的だったのですが……私は足が早くないので……」


 現実を見て断念したのか、ネーナがしょんぼりする。


「でもこれで、今回の参加メンバーが全員揃いましたね」

「乾杯しようよ!」


 スミスとエイミーがグラスを掲げた。


「じゃあ、まずは。ベルントの治療薬の月見草が見つかるように」


 フェスタがグラスを掲げる。


「司祭様もお金稼がなきゃね!」

「勿論だ」


 エイミーが言うと、照れくさそうにブルーノが応じた。


「あわよくば、パーティーのランクアップも狙いたいですね」


 スミスが言う。


「私の復帰? と、ブルーノ様、カール様の加入もお祝いしたいです!」


 ネーナとカールがグラスを掲げ、仲間達がオルトを見た。


「慎重に、でも目一杯欲張って行くか。冒険者らしく全部手に入れて、全員無事に帰って来よう。それじゃあ――」


 グラスの合わさる音が響く。




『乾杯!!』

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