第五十五話 三位一体

 ネーナが戻った翌日、新メンバーを加えた【菫の庭園】一行は駅馬車でリベルタを出発し、アルテナ帝国を目指していた。


 リベルタ等が加盟している都市国家連合の北方に位置するアルテナ帝国、更にその北東の『惑いの森』と呼ばれる森林地帯が一行の目的地である。


 トリンシック公国と帝国との間を分かつ広大な森は、両国が領有を宣言しているものの長年に渡って大軍の侵入を阻んでいた。現在では事実上の緩衝地帯となり、両国間の仮初の平和に貢献している。


【菫の庭園】一行は帝国北東部から『惑いの森』へ入り、徒歩で森を抜けて公国側の拠点から再度森に入る予定であった。リベルタからトリンシック公国まで片道で約一ヶ月、探索に充てた時間は二週間。その時点で目的を達成出来なかった場合、オルト達は改めて探索の予定を組むか、断念して帰還するかを検討する事にしていた。


 リベルタの冒険者ギルド本部の職員であるマーサは、【菫の庭園】の為にギルドの特別通行証を用意してくれた。


 マーサは自分の恩人の子のジェシカとベルントの為にオルト達がした事に、強い恩義を感じていた。加えて、マーサが推薦したシルファリオ支部の体たらくでオルト達に大きな借りを作ったと考えていたのだ。


 オルト達はそれ程大した事をしたとは思っていなかったが、つまらない所で足止めを食らわない為にも特別通行証を有難く受け取った。




「…………」


 オルトはぼんやりと、馬車の中から雲を眺めていた。考えていたのは、オルト達の出発直前にやって来たフラウスが告げた話についてだった。


 フラウスはオルトに対する過日の暴言について謝罪したが、話はそれだけではなかった。フラウス達が辺境伯領で収集したサン・ジハール王国内の情報の中には、オルトやフェスタの実家のものもあったのだ。


 オルトの実家であるキーファー子爵家と、縁のある男爵家が揃って派閥を移ったのだという。


 キーファー子爵家は、オルトの実姉パメラに男爵家から婿を迎えて後を継がせていた。両家とも、レオニス侯爵である前王国騎士団長ヴァンサーンの派閥で苦渋を舐め続けていたが、ヴァンサーンの騎士団長更迭のタイミングで他派閥へと移籍した。


 移籍先はノルベルト伯爵、つまりユルゲン将軍の派閥である。キーファー子爵家は他の貴族から嫌がらせを受ける事もなく、家族家人に至るまで息災との事であった。


「オルト、良かったわね。お姉さんの事」


 オルトの考えを見透かしたように、フェスタが声をかけてきた。フェスタはオルトの家の事情を知っている。姉のパメラとも面識があるし、オルトが姉の結婚を盾にレオニス派の貴族やその子弟達から理不尽な扱いを受けるのも見て来た。


 フェスタはオルトの実家や姉について、自分の家族の事のように喜んでいた。


「ああ。……済まんな」

「いいのよ」


 フェスタは実家の継母と腹違いの妹と折り合いが悪く、それを見ぬふりをした実の父とも疎遠になっていた。


 彼等がしそうな事は、保身の為に自分を勘当するか、でなければ呼び戻して大貴族の後妻や妾に差し出すかだ。だからフラウスに自分の実家の話は聞かなかった。


 オルトはその事がわかっていたから、フェスタに実家の話はしないようにしていたのだ。


 オルトは、想い人と結ばれる事が出来た時の姉の喜びようを思い出した。夫となった男は少々頼りない風ではあったが、オルトには誠実さと優しさが感じられた。国王派が弱体化している今の王国ならば、国王と距離を置くユルゲン将軍派を選択してもやっていける筈だった。


 オルトは心の中で、遠く離れた家族や家人の幸せを願った。




 フラウスはもう一つ、王国教会の件についても触れていた。


 王国教会の人身売買疑惑については、殆ど調査が進んでいなかった。俗世の権力と一線を画し、ストラ聖教の主流派である総本山とも距離を置く王国教会に潜入するのは非常に困難だったのだ。


 他国では成功していない勇者召喚を何度も行っている王国だけに密偵が紛れ込む事も珍しくはなく、王国教会の防諜体制は堅固なものであった。


 今現在も聖女候補という名目で教会に連れ去られた少女達がどんな目に遭っているか考えると、オルト達にも焦りが募った。だが、表には王国教会の悪行を匂わすものが出て来ないのだ。誰かが調べている事を気取られただけでも、さらに調査の難度が跳ね上がるだろう。迂闊な動きは出来なかった。


 オルトは時期を見て、勇者トウヤの仲間でもあるストラ聖教の聖女レナに面会したいと考えていた。残念ながらその件は、破門された神官であるブルーノをパーティーに加えた事で少々遠のいてしまったが。流石に破門された者を入場させる程、ストラトスの警備は緩くないだろう。


 そのブルーノは、ネーナやカールと何やら話し込んでいる。『王女の騎士プリンセス・ガード』で同僚であったオルトとフェスタは、無口なイメージのカールがネーナ達と話しているのが意外に感じられた。


 一方のカールも、かつて自身が仕えていた王女アンが平民の娘ネーナとして振る舞うのを見て、大いに当惑していた。その王女アンから自分は王族の地位を放棄しており戻るつもりが無い事や、冒険者ネーナとして扱って欲しい事を伝えられた。


 そうなれば否も応もなく、カールなりにネーナとの距離感を測っている最中だった。


 ネーナとフラウス達の現在の関係性について、オルトは知らない。ネーナはフラウス達の下からパーティーに戻って来た時、フラウス達とどのような話をしたのかはオルトに言わなかったのだ。


 ネーナは、ただこう言って微笑んだ。


「私は鳥籠の外の空の広さを知ってしまったから。大きく翼を広げて飛ぶ素晴らしさを知ってしまったから。例え死ぬとしても籠には戻れません」


 オルトも、それ以上ネーナに聞く事は無かった。




 ◆◆◆◆◆




 都市国家連合からアルテナ帝国に入った後も、一行は順調に日程を消化した。ギルド本部のマーサからは、帝国領内であっても僻地にはそれ程安全とは言えない地域があると注意を受けていた。


「オルト、前だ。大きいぞ」

「お兄さん、前方に一体」


 カールとエイミーがほぼ同時に声を上げた。オルトの視界には何も捉えられていない。


「おじさん、ちょっと馬車止めてくれる? 前に何かいるみたい」

「ええっ!? わ、わかった!」


 冒険者証と特別通行証を見せながら、フェスタが御者に馬車を停めさせる。前方左側の茂みが大きく揺れたかと思うと、大きな人影が現れた。その正体はすぐに判明した。


「オーガ……」


 図鑑の知識に酷似した外見と身体的特徴を見て、ネーナが呟く。通常の人間の倍以上の体躯。丸太のような手足。頭部の突起は角だろうか。


「きゃあああああ!!」


 大きな人影を見つけた乗客の女性が悲鳴を上げた。その声を合図とするように、オーガがこちらに向けて走り出す。オルトが乗客に短く声をかける。


「落ち着いて。俺達は冒険者だ。カール?」

「他には気配を感じない」

「ネーナは乗客を見ててくれ。他の者は馬車を頼む。カール、フェスタも行くぞ」


 素早く反応した二人が馬車から飛び降りる。オルト、フェスタ、カールの身体を淡い光が包み込んだ。ネーナの身体強化フィジカルアップと気づいたオルトは、親指を立てて走り出した。


「俺が止める。二人は左右から切り込め」

『了解』


 全速力で馬車に駆け寄るオーガ。間に割って入ったオルトに対し、速度を落とす事なく右腕を振り上げ叩きつける。

 血飛沫が舞い、再び馬車の乗客達から悲鳴が上がった。


 ――だが、普通の人間ならば一撃で肉塊にしかねないオーガの右腕は、オルトの身体を捉える前に肩から分かれて地面に落ちた。


 オーガの胴は、オルトに蹴り止められて推進力を失っている。


 腕を失ったオーガの右脇腹を、深々とフェスタの双剣が切り裂いた。堪らず苦痛を訴え、オーガが身体を折る。


「ウガアアアアア!!」


 オーガの頭が低く下がる。カールはオーガが苦し紛れに振り回す左腕を躱し、オーガの腰と肩を足場に身体を駆け上がった。間髪入れずに後頭部に小剣を突き刺すと、オーガの巨体が大きく痙攣して双眸から光が失われていく。


 カールが剣を抜いて離れた直後、オーガが大きな音を立てて崩れ落ちた。


 オーガが完全に事切れたのを確かめてから、オルトは馬車の仲間達に合図を送る。乗客達が安堵のため息をついた。中には緊張の糸が切れたのか泣き出す者もいる。


「見事な連携であるな! これ程の練度は中々見れるものではない!」

「そうでもないさ、久々だしな。処理を手伝ってくれるか」

「心得た!」


 感心する事しきりのブルーノと共に、オルト達はオーガの死骸を処理し始めた。このまま放置していくと血肉の臭いが魔物や獣を呼び寄せ、後から街道を通る者が被害を受けてしまうからだ。


 馬車の乗客に見せないよう、ネーナが魔法のカーテンを張って視界を塞いだ。


「お疲れ様でした」

「おかえり〜」


 オルト達が馬車に戻ると、スミスとエイミーが迎えて労った。ネーナは体調を崩した乗客の手当てをしていた。


 周囲の安全を確かめてから、駅馬車が走り出す。カールもエイミーも、オーガは単体で、どこからか流れて来たのであろうとの見解だった。


「皆が馬車を守ってくれたから、オーガに集中出来たよ」

「あれは騎士団の連携ですか?」

「『王女の騎士』でも王国騎士団でも、三人ないし四人組での戦闘訓練をするんだ」


 オルトがスミスの問いに答えた。『王女の騎士プリンセス・ガード』は任務の性格上、王国騎士団や『王の騎士キングス・ガード』と比べて実戦に出る機会は滅多にない。その事で時に侮られたりもするのだが、王国騎士から選抜された者達が技量で劣る筈はないのだ。


「わあっ!」


 馬車の前側の席で、子供達の歓声が上がった。見ればオーガにとどめを刺したカールに、子供連れの乗客達が群がって話をせがんでいたのだった。


「オルト、助けてくれ……」

「いやいや。子供達の夢を裏切っちゃいかんだろ、ヒーロー」

「…………」


 オルトに恨めしそうな目を向けるカール。オルトは素知らぬ顔で、他の乗客の手当てを終えて戻ったネーナを労った。


 降って湧いたようなアクシデントではあったが、オルト達にとっては図らずもパーティーの戦力に大きな手応えを得る機会になったのだった。

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