閑話五 娘達は、そして姉達は
「司祭様、今日も帰って来ないね……」
テーブルに頬杖をつき、セシリアが呟く。それを聞いたルチアとマリアは苦笑した。
ブルーノが冒険者パーティー【菫の庭園】に同行して旅立ってから、すっかりセシリアの口癖となってしまったセリフだ。テーブルに突っ伏し、時折壁のカレンダーを眺めるセシリアの姿は、ルチアとマリアにとっては見慣れたものになっていた。
「あんたそれ、司祭様が出かけた次の日から言ってるじゃないのよ……」
「もう一ヶ月過ぎたでしょう?後二ヶ月、私達も頑張りましょ」
「司祭様がいてくれるから頑張ってお仕事してたんだもん! 司祭様いなくなって、また変な男の人がついてくるようになったし! もう嫌だよ……」
セシリアはたまに駄々っ子のようになる。こうなると手がつけられないのだ。ルチアとマリアは顔を見合わせて溜息をついた。
ルチアとマリア、セシリアは娼館で働いている、所謂娼婦である。不思議な縁で『司祭様』ことブルーノと暮らすようになってから半年程が経っていた。
ルチア達が『司祭様』と呼ぶ事にブルーノはいい顔をしなかったが、ルチア達にとってはブルーノこそが司祭様であり神様の代理人だった。頑なに譲らないでいる内に、ブルーノが折れて諦めた。
ルチア達三人ともが、親の酒癖や暴力、借金に苦しんだ末に売られた娘達だった。
三人の生まれ故郷にも司祭や神官などの聖職者はいたし大人も沢山いた。だが三人に親身になって、見返りを求めず手を差し伸べてくれたのはブルーノだけだったのだ。三人の中でも末っ子気質で、娼館の客に付き纏われていた所をブルーノに助けられたセシリアは、とりわけ彼に懐いていた。
「二人は平気なの? 司祭様は危ない所に行ったんだよ? 怪我したり死んじゃったりするかもしれないんだよ?」
自分の言葉に自分で傷ついたのか、セシリアはシクシクと泣き出した。ブルーノがオルト達に同行する決意をした時、最も強硬に反対したのもセシリアであった。
マリアが涙を流すセシリアを抱きしめながら、諭すように言った。
「ねえセシリア。司祭様は本当は、好きな所に行って好きな事が出来る人なのよ。それを私達を可哀想に思って一緒に居てくれてるの。私達が司祭様の邪魔をしちゃいけないわ」
「そうね。司祭様は何も言ってくれないけど、きっと私達の為に冒険者の人達について行ったんだと思う。私達は自分で身請け出来るように頑張らなきゃ。司祭様のお陰で借金も減ったんだからね」
ルチアもセシリアの頭を撫でながら言うが、セシリアは泣きながら子供のようにイヤイヤをした。
「司祭様、他の女の人を好きになって、ここに戻って来てくれないかもしれないんだよ……? たまにオッパイ大きい女の人とか見てるし……それでもいいの?」
三人が黙り込む。暫くして最初に口を開いたのはルチアだった。
「……司祭様が幸せなら。私は応援したい、かな。私達は十分助けて貰ったもの。心も……身体も、キレイな人が、司祭様を幸せにしてくれるなら。私はそれでいいと思う」
セシリアは静かに涙を流し続けた。ルチアの言葉に何も言い返さなかったのは、セシリア自身もブルーノの幸せが一番大事だったからだ。
黙って二人を見つめていたマリアが、パン! と自分の両手を合わせた。
「司祭様は帰って来るわよ。そう言ったんだもの。待ちましょう、ここで。三ヶ月でも一年でも、もっと長くなっても」
「……そうね。こんな後ろ向きになってちゃ駄目ね。きっと司祭様、お腹空かせて帰って来るんだから。お料理のレパートリー増やしておかないとね。ほら、セシリアも顔上げて鼻水拭きなさい。美人が台無しじゃないの」
グズっていたセシリアだったが、ルチアが差し出したハンカチで豪快に鼻をかむと、目元の涙を服の袖でゴシゴシ拭った。
ハンカチを返されたルチアの顔が引きつる。
「二人ともごめんね。私も頑張るよ。司祭様を『おかえりなさい』って言ってお迎えして、『セシリア頑張ったね』って褒めてもらうよ」
「そうそう、それでこそセシリアよ」
「私のハンカチの犠牲は無駄じゃなかったのね……」
ルチアが大惨事になったハンカチを摘みながら冗談めかして言うと、三人は顔を見合わせてプッと吹き出した。そしてそれぞれにブルーノの無事を願いながら、夕食の仕度を始めるのだった。
◆◆◆◆◆
リベルタで旅に出るネーナを見送ったフラウス達は、ヨハンとリリィの新婚旅行も兼ねて観光をしながら辺境伯領に戻ろうとしていた。
その途中でワイマール大公国の公都に立ち寄り、離宮にかつての学友である大公妃セーラを訪ねたのである。フラウスの来訪を知ったセーラは公務の予定を全てキャンセルして離宮に駆けつけ、二人は固く抱き合って再会を喜んだのであった。
護衛のハインツとヨハンは別室に控え、大公国の騎士達も入れずに元学友の四人は学生時代に戻ったようにテーブルを囲んでいる。
「いつもクールなフラウスが、そんな事を言ってしまうなんてね。トーン様、今はオルト様と名乗っておられるけれど。あの方がアンの傍に居てくれる事は、この上ない幸運なのよ? あれ程腕の立つ剣士、お金を積んでも雇えるものじゃないのだから」
セーラはスヤスヤと眠る長男、レスターの顔を覗き込んで微笑んだ。
セーラの言葉に、フラウスが苦笑する。
「姫様の近衛騎士だったステフには、『節穴』だと言われてしまいました。トーン様に謝罪は受けて頂いたのですが、この上なく失礼な物言いをしてしまいました」
「私達もステフに叱られましたね」
「あのような日和見な態度では、私達が呆れられても仕方ありませんでした」
遠い目をする女性陣。セーラとて、オルトが目の前でボリス・コナーズの剣身を切り飛ばすという離れ業を目撃しなければ、近衛騎士トーンの名前すら覚えていなかったかもしれない。
因みに、そのボリス・コナーズは舞踏会での狼藉の他にも諸々の罪を問われ降爵され、騎士団の幹部解任も受け入れて出直し中である。素行の悪い期間が長すぎて厳しい見方をされているが、憑き物が落ちたような表情で新人と共に汗を流しているという。
「そう言えばセーラ様。お腰の剣は懐かしいですね」
「ああ、これ?」
フラウスの目に留まったのは、セーラがドレスの腰に佩いた宝剣スティンガーである。セーラが大公国に嫁ぐ前にはお決まりのスタイルだったのだが、王女アンが親善使節として大公国を訪れた際には無かった。その為、当時王女アンに随行していたパティとリリィには違和感があった。
「姫様が親善使節として訪問された時は佩いておられませんでしたわね?」
「ええ。それがね?」
パティに聞かれ、セーラが嬉しそうに笑う。
王国の第一王女として育ったセーラは、幼い頃から剣の才能に溢れ『剣姫』と呼ばれていた。大公国に嫁いだ時、セーラは誰に言われるでもなく自ら剣を封じて物入れの奥に仕舞った。幸いにも新しい家族に温かく迎えられ、長男レスターも誕生した。
マメだらけだった手は綺麗になり、愛用の剣の柄の感触も思い出せなくなった。セーラはそれでいいと思っていた。
そのつもりだった。
だが、物入れから宝剣スティンガーを取り出し、トーンに挑んだあの時。セーラは思い出した。無心で打ち込んだ剣は、全て捌かれてしまったが。
楽しかったのだ。再び握った剣を振るのが。
「その様子をトーン様が見てくれていて、お義父様に話してくださったの。『好きな事をやらせてあげて欲しい』って」
「それでセーラ様は『剣姫』から『剣妃』になられたのですね」
「ええ、『ソードブレイカー』オルト様のお陰で」
パティの洒落で、室内が笑いに包まれる。だからセーラにとって、愛剣『スティンガー』を再び手にするきっかけをくれたオルトは大恩人なのだ。何ならオルトを剣術指南役に抱えたいとすら、セーラは思っていた。
「それはそうと」
話題を変えるセーラ。
「フラウスは辺境伯領に戻ったのよね? 遂に身を固める決心をしたのかしら? ずっと辺境伯様のご令息から求婚されていたわよね? どうするつもりなの?」
「…………」
「私の話ばかりじゃ不公平だわ。ちゃんと聞かせてくれるまで、帰さないわよ?」
セーラの宣言にフラウスの顔が引き攣り、リリィとパティが苦笑した。
「……と、言いたい所だけど」
セーラが急に真顔になった。
「その前にもう一つ、聞きたい事があったの。貴女達三人に」
侍女の三人が顔を見合わせる。代表してフラウスが口を開いた。
「どういう事でしょうか?」
「アンのネックレスの事なの」
セーラは今も身に着けているネックレスを摘んで見せた。それは確かに、三人も見覚えのある品だった。
「誰を疑っているという訳ではないの。あれは私のとお揃いで、お母様からの贈り物なのは知っているわよね?」
「勿論です」
三人が深く頷いた。自分達が仕えた
「あれには
「私の記憶している限り、セーラ様が王国を離れるまでは、間違いなく姫様が身に着けておられた筈です」
リリィが記憶を辿って言う。パティも頷いて同意を示した。
「ロケーションにかからないと言う事は、範囲外か。魔力が効果を発揮しない場所か。破損しているか……」
「やっぱりそうよね。有難う三人共、アンが物を失くすのが記憶に無くてね。気になってたの」
セーラは話題を変えた。この三人が見つけられない以上、ネックレスは王城には無いのだろう。
母の思い出の品が失われたのは残念だが、次に妹が来た時に贈り物をしよう。セーラはそう考えながら、友人達の恋愛事情を余す所なく聞き出す事に気持ちを切り替えた。
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