第五十六話 その心意気、見事なり

 【菫の庭園】一行がアルテナ帝国北東の国境の町であるオクローに到着したのは、都市国家リベルタを発ってから二十日が過ぎて後の事だった。


 小さな町は活気に乏しく、人通りも少ない。だが町の広場には大勢の帝国軍兵士の姿があった。一行は広場を通過して真っ直ぐ検問所に向かう。


 検問所の向こうは『惑いの森』だ。高い柵が森に沿って見渡す限りに続いている。駅馬車は広大な森の外周に沿って大きく迂回する為、可能な限り急ぎたい【菫の庭園】は徒歩で森をショートカットしてトリンシックに向かうルートを選択した。


 この検問所を出るのは、ある程度腕に覚えがあるハンターや冒険者を除けば、どうしてもこのルートを使わなければならない者に限られる。主に森に目的のある者が利用する為の検問所と言うべきか。


 ここから国外へ出る者は完全に自己責任という事だ。その危険度の高さから、森を抜ける交易路も駅馬車のルートも存在しない。


 アルテナ帝国とトリンシック公国は森を挟んで対峙していて、決して友好的な関係ではない。仮に森を抜けて相手国を攻撃する手段があれば、すぐさま攻め込むだろう。図らずも『惑いの森』が両国の間にそびえ立つ高い城壁の役割を果たしていた。


 オルト達はリベルタを発つ時、冒険者ギルド職員のマーサから『短期間に両国を頻繁に行き来するのは避けた方がいい』とのアドバイスを受けていた。


『惑いの森』周辺にあるのは小さな町ばかり。どの道小さな町を拠点にするならば、目的地が少しでも近いと見られるトリンシックに行くべきだとオルト達は考えた。現地で森の情報を得たいし、案内人も雇わなくてはいけない。無駄にしていい時間は、オルト達には無かった。


 検問所では、【菫の庭園】がCランクの冒険者パーティーである事から係官が通過に難色を示した。トリンシックに向かう事よりも、森を抜ける実力に疑念を持たれたのである。係官としても森の危険度に対して荷が勝ち過ぎる者を送り出す訳には行かず、ある意味当然の対応ではあった。


 ネーナはワイマール大公国から『嘆きの荒野』に出ようとした時の事を思い出した。当時も係官から出国に難色を示されたのであった。それから半年も経っていないのだが、その時Eランクだった【菫の庭園】は、今ではCランクになっている。


 手続きに時間がかかったものの、最終的にはリベルタで貰った特別通行証を提示し、念書に署名をする事で出国は認められた。




「お兄様」

「ん。ああ、すまん」


 気がつくと、ネーナがオルトの服の裾をクイクイと引っ張っていた。パーティーは既に『惑いの森』の中を進んでいる。歩くのに支障が無い程度に道は整備されているが、それは道が安全である事を保証されるものではない。


 オルトはリーダーたる自分が警戒を怠っていた事を詫びたが、ネーナは『そうではない』と、フルフルと首を横に振った。


「検問所にいた帝国軍の事が気になるのですか?」

「む。……目的が見えなくてな」


【菫の庭園】一行が検問所を通過する際、オクローの町では帝国軍の一個大隊が休息を取っていた。明らかに駐屯部隊とは違う一団。寂れた町の中にあって、それは悪目立ちしていた。


「あれだけじゃ何とも言えないわよ。別な場所にも待機してるかもしれないし」


 フェスタが後ろから話に入ってくる。例えば『惑いの森』で遂行する作戦の予備戦力。或いは防衛力強化。豪華な誂えの馬車が停まっていた事から、誰か要人の護衛と見る事も出来る。


 色々考えられるが、どれも推測の域を出なかった。


「トリンシック公国と一戦交える、というには数が少ないか。森を抜けるにはな」

「この森は、両国が領有を主張していながら帰属が決まっていないのでしたね」

「その観点からは、実効支配をアピールする行動の一環と見る事も出来るな」


 ネーナとやり取りをしながら、オルトは自分が漠然とした不安感を覚えている事に気づいた。


 その不安感はオルトが何度も経験しているもので、はっきり説明は出来ないが悪い予感がするのだ。実際に大抵の場合、何らかのアクシデントに巻き込まれて来た。オルトは溜息をつき、仲間達に一層の警戒を促すのだった。




 ◆◆◆◆◆




 果たして、オルトの悪い予感は的中した。


 突如、足下が揺れた。爆発を思わせるような音が聞こえる。揺れは立てない程ではなく、爆発音と共にすぐに収まった。


 一行は足を止めてオルトの近くに集まる。


「音は後方。オクローの町とは方向が違う」

「お兄さん、森が騒がしくなってる。魔物や動物達が混乱して走り回ってるみたい」


 カールとエイミーがそれぞれ、感知した情報を伝えてくる。


「ここに留まるのが得策と考えられる材料も無い。速やかにトリンシックへ向かい森を出るべきではないか?」

「そうだな」


 オルトはブルーノの提案に同意した。


 一行は道に飛び出して来る獣を追い払いながら移動を再開する。だが、その足はすぐに止まった。


 先行しているエイミーがオルトを振り返る。


「お兄さん! 誰か戦ってるよ! 人の声が聞こえる!」

「北西方向。道から大分森に入るぞ」

「行きましょう、お兄様!」


 カールが情報を補足し、ネーナがオルトの決断を促す。


 森の中が混乱している状況。出来れば、道を外れて見通しの悪い森に入るのは避けたい。が、ネーナは今にも走り出さんばかりの勢いだった。


 放っておく訳にも行かないか、とオルトは苦笑する。


 現状のパーティーの戦力から、救援に向かっても構わないとオルトは判断した。


「行くぞ。遅れるなよ、ネーナ」

「っ! はい!」


 カールが先行し、エイミーが続く。他の者も後を追って走り出した。




「いたよ!」


 エイミーが走りながら前方を指し示した。


「人が倒れてるよ!」

「敵はゴーレム、他にはガーゴイルか?」


 オルトはカールの報告を受け、エイミーに尋ねる。


「エイミー、やれるか?」

「ゴーレムの鉄っぽいのは時間掛かりそう。石のやつとガーゴイルなら!」

「人に近づくものから『わかった!』排除してくれ」


 オルトが言い終わる前にエイミーが矢を連射し始めた。エイミーの矢は走り撃ちとは思えない精度と威力でゴーレムの四肢とガーゴイルを砕いていく。


 以前にエイミーの反応が早過ぎる事が気になり、オルトは本人に聞いてみた事があった。それに対してエイミーはキョトンとした顔で、『お兄さんの言う事、わかってるよ?』と答えたのだ。


 実際に指示と違った事も無い為、オルトはそういうものなのだと納得していた。オルト以外の指示でそのような事はなく、スミスの記憶では勇者パーティーでも無かったという。


 少しスピードが落ちたエイミーを追い越し、オルトとフェスタが加速する。仲間達にスミスの身体強化フィジカルアップがかかる。現場が近づき、オルトの目にも状況が確認出来るようになった。


 人間達は騎士風の装い。胸にトリンシック公国の紋章が見える。立っているのは三人だけで、それぞれ倒れている者を庇っていた。エイミーの援護が入った事でこちらの存在には気づいているはず。一際大きなゴーレムと対峙しているのは、恐らく女性だ。


「ネーナ、ゴーレムと女性の間に障壁を。後はブルーノと共に重傷者から手当てしてくれ。カールは護衛を頼む」

「はい!」

「心得た!」


 ネーナは魔力障壁を展開すると倒れている者に駆け寄り、治療を始めた。


 オルトが指示した魔力障壁は、ゴーレムの攻撃を受け止める為のものではない。ゴーレムの前進を妨害してオルトが駆けつける時間を作る為のものであった。


 ――剣身強化エンハンサー――


 オルトの剣が薄い輝きに包まれる。


 ネーナの障壁を破壊したゴーレムが、目の前の女性に襲いかかる。だが女性はフラつきながらもゴーレムを見据え、背後に倒れている者を庇って引き下がらない。


 オルトは女性に対し、称賛の言葉を口にした。


「公国騎士の心意気、見事なり」

「えっ!?」


 直後、女性の眼前で十字に斬り裂かれたゴーレムが四つの金属塊となり、崩れ落ちて地を揺らした。倒れかけた女性の身体は、フェスタがしっかり支えている。


 女性は、ゴーレムだった金属塊と、こちらに背を向けて立つオルトの姿を呆然と眺めていた。




「しっかりしてください!」


 ネーナが駆けつけ、倒れている男性に声をかける。ネーナは錬金術と薬師の知識を活用し、手際良く男性に治療を施した。


「ジャスティン様……」


 ゴーレムと対峙していた女性が男性の手を握り、その名を呼ぶ。目に涙を浮かべ、男性の手を握る。


 その声が届いたのか、男性がゆっくりと目を開けた。


「う……」


 倒れている男性、ジャスティンがネーナを見る。


「美しい……是非、私の伴侶に」

「はい?」


 ネーナが戸惑いの声を上げた。


 ジャスティンはネーナの手を取ろうとし、自分の手ががっちり固められているのに気づいた。動かない手の先を見たジャスティンは、見てはいけないものを見たような顔で硬直する。


「ひッ!? タニア!?」

「はい、タニアです。ジャスティン様の従者のタニアですよ。良かったですねジャスティン様。美しい女性とお近づきになれて」


 タニアと呼ばれた女性がにっこりと笑った。本来は可愛らしい笑顔なのであろうが、目だけは全く笑っていない。対するジャスティンは顔面蒼白になっている。


 オルト達も騎士達も、この後訪れるであろう惨劇を見ないようにそっと目を逸らした。

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