第五十三話 逢いたかった人
「司祭様行っちゃ嫌〜!」
「司祭様早く行って! 大人しくしなさいセシリア!」
「ちゃんとご飯食べてくださいね」
往来の真ん中で号泣して暴れる少女を、二人の少女が羽交い締めにしている。
三人の前には困り果てた顔のゴツい中年男。行き交う人々の視線が痛い。先に駅馬車に乗り込んだオルト達は、完全に他人のフリを決め込んでいた。
騒ぎを眺めながら、フェスタがため息をついた。
「予定とはいえ、三ヶ月離れるだけでこれだと先が思いやられない?」
「うちの二人も幼児退行が酷いと思ってたが、全然マシだったな」
「でしょでしょ?」
「当然です!」
「言っとくが、お前達の方が年長だからな?」
オルトは何故か自慢げなエイミーとネーナに釘を刺す。
呆れた御者が出発を告げ、何とかセシリアを宥めすかしたブルーノが馬車に駆け込む。走り出した駅馬車の最後尾で、ブルーノは少女達にいつまでも手を振り続けていた。
◆◆◆◆◆
駅馬車が走り出して暫くは車内の視線を独り占めにし、大きな身体を縮こまらせて恐縮していたブルーノだったが、他の乗客達の興味もそう長くは続かない。思い思いに時間を潰し始める。
リベルタへの道中、ブルーノに積極的に話しかけたのはネーナだった。スミスからの講義の時間を除くと、ほぼブルーノと話していた。
「ですから、教育を受けられない事で不利益を被る方が減るだけでも、その地域や社会に大きなメリットがあると思うのです」
「最初は手弁当で構わないかもしれない。だが教育を広く行き渡らせようと思えば、多くの人員とコストが必要になるのだ。本来ならば、町や都市、国といった規模で税金から費用を捻出すべき事ではあるな」
「必ずその地域に住む方々が恩恵を受けますからね。でもそうなると、時の権力者の意向が反映されるようになってしまいます。悩ましい所です」
ネーナはブルーノが少女達に読み書きなどを教えているという話に、強い関心を持っていた。自分もそういった事が出来ないかと考えていたからだ。ただ、今は漠然とした夢のようなもので、それを実行に移す時間も方法も見出せていなかった。
熱心に話し込む二人の様子を眺めながら、フェスタがオルトに問いかけた。
「戦闘中に私とブルーノの役割が被りそうだけど、どうするの?」
これまでは、フェスタがネーナを含む後衛をガードしていた。実力の程は不明ながら、神官戦士であったというブルーノ。二人の立ち回りはこれから詰めるべき重要事項であった。
「リベルタに着いたら彼の武具を揃えて、その後の話だけどな。適性もわからないし。メイス使いで治癒回復出来て盾も使えるとなると……第一候補としては、今のフェスタの代わりに後衛のガードになるか」
「ああやってネーナとコミュニケーションが取れるのはいいわね」
まずはフェスタの現在のポジションにブルーノを入れ、スミスと浮いたフェスタがサポートしながら様子を見る。ブルーノがやれると判断出来たら、フェスタを別なポジションにつける流れが想定された。
「そしたら、フェスタは俺の後ろで好きにやっていい」
「抱き着いてもいいの?」
「殺気を出すと、うっかり斬るかもしれんぞ」
「じゃあ今にしとく」
「おいおい」
フェスタはオルトにもたれ掛かり、オルトの左腕を抱え込んだ。オルトの右側はすでに、半ば夢の中のエイミーが占拠している。
「リベルタに着いたら、まずカールと合流よね。どこで待ち合わせてるの?」
「待ち合わせというか。こっちが冒険者ギルドに行く事しか書いてないから、俺達は待つだけさ。予定より早くリベルタに着くから、最大で三日滞在する事になる」
リベルタでの用事はそこそこある。
まずはギルド職員のマーサにシルファリオの愚痴を言い、ギルド支部の状況を伝える。
アーカイブで調達出来なかった物の仕入れ。
ブルーノの冒険者登録と武具の購入。ギルド本部にある修練場で実力も見ておきたい。
カールが来なかった場合の、スカウト技能を有する冒険者のピックアップ。
「三日あっても余裕は無いのね」
「そういう事だ」
「早く合流出来るといいけど」
「そう上手くはいかないさ」
オルトは決して現状を楽観していなかったし、カールの合流にもそれ程期待はしていなかった。
手紙を出した時期を考えると、カールが王都なり辺境伯領をすぐに出発しても、リベルタ到着はオルト達と同じ頃合いになるはずだった。何かあれば間に合わない、そんなタイミングだ。
どの道、月光草に限らずスカウト抜きで探索をするのは自殺行為に等しい。カールと合流出来なければマーサに無茶振りして、出来る限り優秀なスカウトを紹介してもらうしかない。
オルトは今回の探索を軽く見てはいなかったが、それより時間的な猶予が無い事を重く考えていた。本来なら時間をかけて可能な限りの準備を整えるべきで、かなり危険な橋を渡ろうとしている自覚もあった。英雄と評されるエイミーとスミスがいなければ、オルトもネーナが何を言おうと聞き入れなかっただろう。
費用が高額になる為にあまりやりたくは無かったが、オルトは冒険者ギルドに自ら依頼を出して高ランクスカウトを雇う事も検討していた。
オルトが考えを巡らしていると、左側のフェスタが力を抜いたのか少し体重がかかった。
「私も少し寝ていい?」
「ああ」
昨晩遅くまで出発の準備をしていたフェスタが、小さく欠伸をする。オルトの肩に頭を預けると、すぐに寝息を立て始めた。
◆◆◆◆◆
結果的に、待ち合わせに関してのオルト達の心配は、全くの杞憂に終わる。
リベルタに到着した【菫の庭園】一行が冒険者ギルド本部の建物に入るなり、ネーナにとって忘れられない声が聞こえてきた。
「――姫様」
「っ!?」
声の主を見て目を見開いたネーナが、人の目も気にせず駆け寄って抱き着く。
「フラウス!! 逢いたかった!!」
「姫様。随分日に焼けましたね。力も強くなって」
ネーナを抱き締めて微笑むフラウス。そしてリリィとパティ。王女アンであった頃のネーナを支えた侍女の三人が、元近衛騎士のカールとヨハン、ハインツと共にそこに居た。
オルトとフェスタも驚きを隠せなかった。
「ハインツさん。カールとヨハンもよく来てくれた」
オルトが差し出した手を、ハインツが握る。
「ブレーメ隊長とフラウス殿が辺境伯様に掛け合ってくれてな。祝い事もあるから手紙を受け取ってすぐに出発したんだ。隊長も風の噂にお前達の活躍を聞いて喜んでいたぞ、『
「それは勘弁してくれませんか……」
オルトは苦笑しながら、移動を促す。
一行は空いている席を見つけて腰を下ろした。ブルーノとカールの冒険者登録と、ギルド職員マーサと話をする為にオルトがテーブルを離れる。侍女三人とネーナは再会を喜び、お互いが王都を出た後の事や思い出話で盛り上がる。
「えっ!? リリィが結婚!?」
「そうなんです」
ネーナが驚くと、顔を真っ赤にしたリリィが左手薬指に輝くリングを見せる。その横では元近衛騎士のヨハンも照れ笑いを浮かべていた。
二人はネーナ達と別れて辺境伯領に行き、匿われて暮らしている間に惹かれ合うようになったのだという。
ハインツが言った『祝い事』とは二人の事であった。元『王女の騎士』隊長のブレーメが、旅行の機会も無かった騎士と侍女を、新婚旅行と観光を兼ねて送り出したのである。
ネーナはフラウスに、親善使節として大公国へ行った時の話や冒険者になった後の話をした。聞かせたい事は山程あった。フラウスはずっと笑顔だったが、冒険者の依頼の話や今回の月光草の探索の話になると黙って聞いていた。
「姫様、少し手が荒れていますね」
話が終わると、フラウスはネーナの手を取り呟いた。
「話には聞いていましたが、冒険者とは危険なのですね」
「え、ええ。でも、人の役に立てる素敵なお仕事よ?」
「そうですか……」
フラウスが何か考え込む素振りを見せる。顔に笑みは無く、真剣な表情だった。見覚えのない表情にネーナは戸惑いを覚えたが、用事を済ませたオルトが戻って来るのを見つけて手を振った。
オルトも軽く手を上げて応え、ネーナ達から離れたテーブル席のエイミーとスミスの所に腰を下ろした。
「少しだけ席を外します」
そう言って席を立ったフラウスが向かったのは、オルトの前だった。
他の冒険者達で賑わうホールの中、オルトとフラウスの会話はネーナには聞こえなかった。フラウスはネーナに背を向けていて表情が見えない。オルトも表情を変えなかった。
だが、エイミーは非常に不機嫌そうな表情で何かを言い、オルトに宥められている。スミスも滅多に見せない険しい表情をしていた。ネーナは不安になった。
オルト達のテーブルから戻ったフラウスは、腰を下ろす事なくネーナに言った。
「姫様。これからお食事に参りましょう」
「お兄様と何を話していたの?」
「お兄様? ……ああ、トーン様には私達が姫様と泊まる宿をお伝えしたのです。彼らは用事があるそうですので」
ネーナが見ると、オルトは微笑んで頷いた。スミスはいつもの表情に戻っていたが、エイミーは不機嫌なまま。フラウス以外の侍女と騎士達も訳がわからない風で、ネーナ同様に戸惑っていた。
ネーナとフラウス達が連れ立ってギルド本部を出て行く。フェスタはオルトと頷き合うと、ネーナを追って出て行った。
後に残されたのはネーナとフェスタを除く【菫の庭園】メンバーと、元近衛騎士カール。オルトがエイミーの頭を撫でながら席を立った。
「俺達はやる事をやろう。まずはブルーノの武具を見繕わなきゃな」
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