第五十二話 守りたい人がいるから

 オルトは仲間達を送り出すと、暫く椅子に座ってぼんやりとしていた。




 周囲に誰もいない。久しく完全に忘れていた感覚だった。


 フェスタと過ごす時間も、ネーナやエイミーに戯れつかれる時間も、スミスと語り合う時間も嫌ではない。だが【菫の庭園】リーダーのオルトと名乗るようになってから、『何も考えない、一人きりの時間』が無かった事に気がついた。


 オルトは思い出したように、愛用の長剣を鞘ごと抜いた。テーブルの上に置き、点検を始める。手持ち無沙汰な時に装備品の手入れをするのは癖のようなものになっていたが、オルトはそんな時間が好きだった。


 愛用の長剣は無銘でありながらとにかく丈夫で、オルトの小まめな手入れと、剣身を強化する戦い方のお陰で殆ど傷みは見られない。ベルントの治療薬の素材を手に入れる為の旅にも耐えてくれそうだった。


 柄に巻きつける革には、オルトの実家であるキーファー子爵家に縁のある女性達が針を入れた、シンプルな刺繍が施してあった。血や汗や脂が染み込んで所々変色しているが、フェスタに繕って貰いながら使い続けている。


 最後に剣身を拭き上げ、手入れ道具を片付けた所で部屋の扉がノックされた。宿の従業員が、オルトへの来客を伝える。


 オルトは客を部屋まで案内してくれるように頼むと、愛用の長剣を腰に提げた。




 ◆◆◆◆◆




「改めて、昨晩は世話になった」

「妹の気まぐれだ。気にしないでくれ」


 部屋にやって来たブルーノが、オルトと握手をかわす。ブルーノはオルトが一人で待っていたのが意外なようだった。


「他の方々は外出しているのか?」

「ああ。明日か、遅くとも明後日にはこの町を離れるんだ。最後の用事を済ませたり出発の準備をしているよ」

「そう言えば、近い内に町を出ると言っていたな……」


 オルトはブルーノの表情を注視していた。行き倒れた所を助けられた礼を言いに来た。それはそうなのだろう。だがそれだけの為に、ブルーノが態々来たとも思えない。


 仲間達がブルーノを悪く見ていない事もあって、オルトの中では既に今回の対応は決まっていた。武人の匂いがする男を相手に、無意味な駆け引きをする気は無かった。


「礼は受け取った。単刀直入に行こう。他に目的か、或いは相談があるという事でいいか?」


 一瞬だけブルーノが驚いたような表情をする。しかしすぐにニヤリと笑った。


「その通りだ。私を貴殿のパーティーに加えて貰いたい。腕に覚えはあるつもりだ」

「金か。いくらだ?」

「金貨で百五十枚」

「それは豪気だな。貴方が掛け合って減らして、その額なのか?」


 オルトは苦笑した。オルトが言ったのは、マリア達三人が現在抱えている借金の額である。ブルーノはオルトが事情を知っている風な事に、今度ははっきりと驚きの表情を見せた。


「あの娘達から聞いたのか。ならば話は早い。私はあの娘達を身請けしたいのだ。幸せになって貰いたい」

「成程」


 オルトは下品な聞き方はしなかった。少なくともブルーノがマリア達に向ける情は、そのようなものには感じられなかった。その上で彼らがそういう関係になるのならば、好きにすればいい。すでに成人しているのだから。


「金貨三枚ならば、すぐに用意出来る。貴方が彼女達の契約に噛んだなら、それで当面は心配要らないのではないか?」

「有難い」


 ブルーノもいきなり金貨百五十枚が出るとは思っていない。『それを稼ぎ出す手段を手に入れたい』という事だろう、そのようにオルトは判断した。


 マリア達がそれぞれ金貨一枚で自分の身柄をキープする。これで人買いも娼館側も勝手な事が出来なくなる。契約違反になるからだ。その金貨三枚は、【菫の庭園】からブルーノへの貸しになる。


「俺達は現状Cランクパーティーだ。貴方が望むような稼ぎは出せないぞ?」

「それでも、日雇いを続けるよりは高額だ。それに、ランクは上がる。そうだろう?」


 確信を持った目で、ブルーノがオルトを見た。オルト同様に相手の力量を感じ取っている様子が見える。昨晩、酒場で【菫の庭園】のメンバー全員を見て将来性を見極めた上で、自分を売り込むタイミングを賭けたのだろう。

 オルトは自分達の要望を伝える事にした。


「俺達は強い魔獣と戦う可能性があって、腕の立つヒーラーとスカウトを求めている。貴方は癒しの力は使えるか?」

「幸いというか、破門されて力が失われる事は無かった。それ程強くはないが、癒し、解毒、浄化等ならば」

「十分だ。俺達のパーティーに加わると、後衛の守護を基本線に、状況に応じて前に出て貰う形になると思うが」

「問題ない。元は神官戦士だった」


 神聖属性の法術が使えるのは大きい。戦力的にはオルト達にとってこれ以上ない条件だ。【菫の庭園】はCランクパーティー。実力がどれだけあっても、ギルドで冒険者からメンバー補充をしようと思えば、腕の立つ者を加えるのは難しい。ブルーノのような人材の加入は願ってもない事だった。


「俺達は目的があって冒険者をしている。その目的も含めて詮索されたり、口外されたくない事もある。それによってトラブルに巻き込まれる可能性もあるんだ」

「これでも、元聖職者だ。懺悔の内容など他人には言えぬのでな。それに、危険があってこその『冒険者』だろう?」

「違いない」


 二人は声を上げて笑った。女性三人がいるパーティー構成上、新たに加わるメンバーの素行や人柄には注意する必要があった。ネーナの素性が他の者に知られないようにもしなければならなかったが、そこもクリア出来そうだとオルトは思った。


「お互い、守りたい者がいる。まずはそれで十分だろう。俺達は稼ぎが第一ではないから、貴方にメリットがあるかどうかはそちらで判断してくれ。今回の旅にスポットで同行して様子を見るという形に考えていいのかな?」

「こちらには申し分ない条件だ」


 実績を積み、実力を示せば破門された者であろうと重用されるのが冒険者。これが第一歩になり、もっと稼ぎのいいパーティーから声がかかる可能性もある。ブルーノが日雇いを辞めた判断は賢明とも言えた。勿論、彼の力量確かである事が大前提だが。


【菫の庭園】に同行すれば、およそ三ヶ月間はブルーノがアーカイブに戻る事は出来ない。この後ブルーノは家に戻り、その辺りの話をするのだろう。オルトはそう考えていたが、ブルーノは同行を即断した。


 オルトはブルーノの強い意志と、共に暮らす少女達への思いを感じ取った。二人はがっちりと握手をかわした。


 ブルーノの目の前に金貨三枚に加えて、パーティーに同行する三ヶ月間の報酬が置かれる。日雇いの数倍になる金貨を見て、ブルーノが目を丸くした。


「これを前払いで?」

「その価値を貴方が示せば済む事だ」

「……その通りだ」

「パーティーである以上、指示に従って貰う事はある。だが貴方の信念に沿わない事があるなら、パーティーを離脱して貰って構わない。勿論、報酬の返還も求めない」


 ブルーノは無言で頷き、受け取った金貨を大事そうに懐にしまう。その姿を見て、ふと湧いた疑問をオルトは口にした。


「下世話な問いかもしれんが。どうしてその娘達を? ああ、答えなくても構わないが」


 ブルーノは暫く黙り込んだ後で、ポツリと呟くように言った。


「私は四十を超えている。長く戦いの中にいたが、守れなかった者もいたのだ」

「……そうか」


 オルトはブルーノの心情を完全に理解した訳では無かったが、それ以上は聞かなかった。




 ◆◆◆◆◆




「只今戻りました」

「おかえり〜」


 外が暗くなってからネーナとスミスが宿に戻り、【菫の庭園】メンバーが揃った。部屋に集まり、それぞれの進捗を共有する。


 オルトはブルーノと面接して採用決定。明日はメンバーとの顔合わせと歓迎会。念の為ブルーノに『ワルター症候群』についても聞いてみたが成果は無し。


 エイミーとフェスタは、アーカイブで調達出来るものは全て買い揃えた。


 ネーナとスミスは、フィービー博士の下で月光草エキス抽出技術を習得した。フィービー博士から器具の提供の申し出と、余剰な月光草エキスを譲渡して欲しいと打診されて、返事を保留。


「ブルーノはどうだったのですか?」

「俺はいいんじゃないかと思った。性格的な面でも気になる所は無かったな」

「買い出しは問題無しですかね?」

「新しい水筒と、油はリベルタで買って行きたいわね」

「フィービー博士の件は?」


 聞かれたネーナが少し暗い表情になる。


「フィービー博士も、お兄様がワルター症候群で苦しんでいるそうですから……出来れば助けてあげたいです」


 オルトはネーナと一緒だったはずのスミスを見た。


「大事な話ですし、一人分しか入手出来ない可能性もありますから」

「成程」

「私はいいと思うわ」

「私も〜!」


 確かに、一人分だけならベルントに使うか研究者のフィービーに渡すか悩む所ではある。そういう意味で、フィービー博士は『余剰なエキス』と言ったのだろう。入手困難な事はわかっているのだから。


 オルトは不安そうなネーナの頭を撫でながら言った。


「『余剰が出た分』である事をしっかり確認した上で引き受けるなら、いいんじゃないか? 勿論、博士の分も確保出来るように頑張るけどな」

「お兄様……はい! 頑張ります!」

「私も〜!」


 ネーナがやる気を漲らせ、両拳を握る。エイミーも鼻息荒く答え、フェスタは微笑んだ。


「後は、どうしてもスカウトが欲しいですね。パーティーの生存率、帰還率に直結しますから」


 スミスが言うと、オルトは何かを思い出したのか声を上げた。


「あっ!」

「どうしました? オルト」


 オルトは気まずそうに両手を合わせながら答えた。


「シルファリオを出る前に、心当たりのスカウト一人だけ手紙を送ったんだ。すまん、急に出発が決まってバタバタしてた時だから言い忘れてた。返事を待つ時間も無かったが、了解ならリベルタに来るはずだ」


 フェスタが首を傾げながら、オルトに尋ねる。


「私達が知ってる人?」


 オルトは頷いた。




「カールだよ。元『王女の騎士プリンセス・ガード』の」

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