第五十一話 一宿一飯の恩

「ハッハッハ! 貴殿等には世話になったな! その上相伴にまで与るとは!」


 巨漢が豪快に笑った。短く刈り込んだ髪と鍛え抜かれた身体。ネーナは何となく、サン・ジハール王国軍のユルゲン将軍に似た印象を持った。軍人のように感じられたが、本人は聖職者だと言う。


「ただし、破門されてしまったがな。ハッハッハ!」


 何でもない事のように、男は再び豪快に笑った。


 男はブルーノと名乗った。一年程前にアーカイブに流れ着き、日雇い労働で暮らしているのだという。この町には研究者が多く、力仕事の需要には事欠かないらしい。




 ネーナとオルトは路地裏で行き倒れていたブルーノを伴い、仲間と待ち合わせる酒場へやって来た。


 実の所、オルトはブルーノを助ける事に異論は無かったが、連れて行くのには積極的ではなかった。それをネーナが純粋な善意で強く主張したのである。


 オルトもブルーノが聖職者風の出で立ちをしている事から、何か教会関連の話を聞き出せれば御の字だろうと考えてネーナに同意したのだった。


 仲間達も二人が突然連れてきたゲストに驚いたものの、ネーナが事情を話すとあっさり納得した。

 ブルーノは初め遠慮していたものの、ネーナの『貴方は他者に施す時に見返りを求めるのですか?』との一言で、抑制していた食欲を解き放って猛然と食べ始めた。


「よお、司祭様! 今日はエラく豪勢じゃないか! あやかりたいもんだ!」


「司祭様、最近ご無沙汰じゃない? うちの娘達が寂しがってるからたまにはいらっしゃいよ」


 酒場に出入りする客がひっきりなしに声をかけては通り過ぎる。町にも随分と親しんでいる様子で、ブルーノは食事の手を止める事なく、律儀に返事をしていた。ネーナはブルーノの人となりに好感を持った。


「人気者じゃないか」

「何せこの身体だ。目立つからな」


 オルトが揶揄うように言うと、ブルーノは恥ずかしそうに頭を掻いた。そのブルーノに、ネーナが問いかける。


「ブルーノさん、どうして路地裏で倒れていたのですか?」

「手持ちも無く、仕事続きで昨日から何も食べられなかったのだ。漸く帰路についたが、あそこで不覚にも気を失ってしまってな」


 ブルーノの目の前に空の皿が積み重なっていく。【菫の庭園】の中でも健啖家であるエイミーが、それを呆然と見ていた。エイミーだけでなく、酒場にいる他の客まで面白そうにブルーノを眺めている。


「それで――」


 腹が満たされ人心地ついたのか、食事の手を止めたブルーノがネーナを見た。


「この町にはやはり、グランドアーカイブを目当てに来られたのかな?」

「はい。用件はあらかた済みましたので、じきに離れる事になると思いますが」


 ネーナが答えると、ブルーノは困ったように頭を掻いた。


「そうか。何か私の力で役に立つ事があればと思ったのだが」

「たまたまネーナが見つけただけだ。気にするな」

「むう……」


 オルトに言われても、ブルーノは何やら考えている様子だった。




「いたいた、司祭様! 探したんだよ!」

「セシリアこっちよ」

「もう〜、こんな所に〜」


 急に酒場の入り口が騒がしくなった。


 女性達がオルト達の方へやって来るのが見える。女性達は一見すると派手目な服や化粧で二十代前半くらいに見えたが、ネーナやエイミーより年下かもしれないとオルトは感じた。


 ブルーノが女性達に片手を上げる。


「ルチア、マリア、セシリア。どうかしたのか?」

「どうしたのかじゃないでしょ! 司祭様が帰って来ないから探しに来たんじゃない!」

「そしたら、司祭様みたいな人に助けて貰ったってご夫婦がいたのよ。お財布の中身を全部渡しちゃったんでしょう?」

「司祭様だってお金持ってないのに〜。またご飯食べないで倒れてるんじゃないか心配で、探してたんだよ?」


 平然としたブルーノの態度が癇に触ったのか、女性達は口々にブルーノを責め立てた。平謝りするブルーノ。どうやら行き倒れの前科があったようだ。


「帰るよ、司祭様!」

「お騒がせしました〜」


 まるで連行されるように二人の女性に両脇を抱えられ、ブルーノは酒場の客に笑われながら店を出て行った。ブルーノは去り際にオルト達が滞在する宿を聞き、礼に行くと告げた。


 一人残された女性もオルト達に一礼して立ち去ろうとしたが、ネーナが引き止めた。


「マリアさん」

「っ? はい?」


 名前を呼ばれて、マリアが不思議そうに振り返る。ネーナはマリア達とブルーノの発言から、最後に残った女性の名を推測して声をかけたのだった。


「お時間あれば少しお話しませんか? 私達はブルーノさんと会ったばかりで、彼の事をよく知らないのです」

「そうでしたか」


 マリアは「少しだけなら」とブルーノが座っていた椅子に腰を下ろした。酔った男がマリアに近づいたが、オルトに睨まれると真っ青な顔で離れていった。それに気づいたマリアが苦笑しながら頭を下げる。


「マリアと申します。この町の娼館で働いています。司祭様がご迷惑をおかけしました」

「俺は冒険者をしているオルトだ。こっちは仲間のネーナ、エイミー、フェスタ、スミス」

「冒険者の方だったのですね」


 マリアが何か言いたげな顔をしている。素直な女性らしく感じて、オルトは苦笑した。


「荒事も不得手ではないが、乱暴者という訳じゃないぞ?」

「あ、そういう事では……ごめんなさい」

「イメージは仕方ないわよね。お酒がいいかな? それともソーダ水?」


 フェスタがフォローを入れ、ウェイトレスを呼んでソーダ水と共に何かを頼んでいる。


「ええと、司祭様の事ですよね? 私達もよく知っている訳ではないのですけど」


 そう前置きして、マリアは話し始めた。




 マリア達三人は出身はバラバラだが、今年で十六歳の同い年。成人してすぐに親に売られ、アーカイブの娼館に連れて来られた。三人共、人買いから聞いた事のないような額の借金を背負わされ、支払いを終えるまで娼館で働くのだと言われた。


 同じ部屋に入れられた三人は似たような境遇からすぐに打ち解けた。将来の希望も借金返済の目処も見えなかったし、男性経験どころか恋愛経験も無かった少女達に娼館の仕事は酷だったが、お互いに励まし合いながら日々を過ごしていた。


 ある時、三人の中のセシリアが面倒な客に付き纏われるようになった。三人はまだ町にも馴染んでおらず、知り合いもいない。そんな時に行き倒れていたブルーノを見つけて、貧乏ながらも食事を振る舞い、寝床を提供した。そのブルーノが、娼館の外で客に迫られ、困っていたセシリアを助けたのだという。


 アーカイブに流れ着いたばかりで衣服はボロボロ、まるきり不審者のような出で立ちのブルーノだったが、誰にも助けてもらえず困っていた三人にとっては神様のような存在だった。ストラ聖教から破門されたのを知っても、ブルーノを『司祭様』と呼んで自分達の部屋に泊めた。


 三人の身の上を聞いたブルーノは、彼女達が読み書きや計算が出来ない為に騙されているのだと気づいた。その足で人買いと、事情を知りながら三人に黙っていた娼館の主の所へ出向き、それぞれに掛け合って借金の大幅な減額と待遇の改善を認めさせた契約書を作成した。


 人並みの暮らしが出来るようになった三人は、借金返済の為に娼館で働くのは変わらなかったが、人買いに宛てがわれた部屋を出て借家に住み始めた。立ち去ろうとしたブルーノを半ば強引に居候させて。


 今はそれぞれ働きながら、家に戻れば三人を生徒にブルーノが読み書きや計算を教えているのだという。




「私はよく知らないんですけど、『一宿一飯の恩』なんだって、司祭様が」


 当時を思い出したのか、マリアが微笑んだ。


「恋愛感情かどうかもわかりません。私達三人共、家庭というか父親によい思い出がありませんし。司祭様みたいなお父さんが欲しかったのかもしれません。見返りを求めず助けてくれて、恋愛も欲求も関係なく愛情を向けてくれる男の人は初めてでした」


 一頻ひとしきり話し終えると、思いの外長居したのに気づいてマリアが立ち上がった。フェスタが、店員に頼んでおいたテイクアウトの料理をマリアに持たせて送り出す。


 マリアはオルト達に何度も振り返って頭を下げながら、料理の包みを大事そうに抱えて酒場を出て行った。




「……どう思った?」

「どちらですか?」

「ブルーノだな」


 マリアの姿が見えなくなると、オルトが仲間達に尋ねた。スミスが対象を確認する。


「良い方です」

「いい人だよ、きっと」


 ネーナとエイミーが言う。


「軍人みたいね。聖職者だったなら、神官戦士かしら」


 フェスタはブルーノの素性を推測した。


「後衛のガードと、必要に応じて前衛に出るなどバランスは良くなりそうです。後は癒やしが使えれば言う事は無いかと」


 スミスはブルーノが【菫の庭園】に加わった際のバランスについて述べた。フェスタがオルトに聞いた。


「それで、どうするの?」

「宿に来るようだから話はしてみる。まずはスポットの予定だ」


 パーティーメンバー全員が肯定的な事から、オルトはブルーノの話を聞いた上で【菫の庭園】への同行を打診するつもりであった。『つもり』なのはまだブルーノの事情を知らないからだ。


 『学術都市』アーカイブにもストラ聖教の教会は存在する。町にはその関係者や敬虔な信徒もいるだろう。見る者が見ればブルーノが破門されている事はわかる。決して居心地の良い場所ではないはずだ。


 この町以外に、静かに暮らすに適した土地はいくらでもある。その事はブルーノもわかっているだろう。その上でこの町に滞在を続ける理由があるのだと、オルトは考えていた。


 金銭的な理由ならば、力になれない事もない。それ以外に町を離れる事が出来ない理由があれば、諦めるしかない。どちらにしろ、ブルーノに話を聞いてからだった。


 既にグランドアーカイブでの調査は終わっている。オルト達は遅くとも明後日までに月光草エキスの抽出法を習得して器具を入手し、その後リベルタへ向かう予定だ。あまり時間の余裕は無い。


 抽出法を教わるのに、ネーナとスミスがフィービー研究員の下へ行かなければならない。他に必要な物の買い出しはフェスタとエイミーが行く。


 買い出し組のつもりだったオルトは一人宿で待ち、ブルーノと話をする事にした。

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