第五十話 行き倒れは破門神官?

 オルト達は翌日ギルドで待ち合わせる約束をして、ポンセと別れた。契約延長についてはオルトとネーナだけでは決められず、他の仲間達の進捗を確認してから伝える事でポンセの了解を得た。


「ネーナ。帰ったら目の周りをマッサージして、温めたタオルを乗せて目を休ませような」


 オルトが声をかけると、ベリーのスムージーを飲みご満悦のネーナがこくこくと頷いた。スムージーはご褒美の名目で、屋台に少し寄り道をして買ってもらったものだ。


 二人は公園のベンチに腰掛けていた。家路を急ぐ者、遊んでいた子供を連れ帰る親、早くも出来上がっているのかベンチで鼾をかく大男、人目を引く派手な装いの女性。オルトはぼんやりとそれらの人々を眺めていた。


「お兄様」


 ネーナはスムージーを飲み終わると、ススっとオルトの傍に寄って同じくご褒美のドライフルーツが入った袋を差し出した。


「くれるのか?」

「違います! いえ違いませんけど、そうではなくて! ご褒美の『あ〜ん』を希望します!」

「はいはい」


 オルトが苦笑しながらフルーツを差し出すと、ネーナはパクッと咥えて幸せそうな表情をした。


「体調はどうだ?」

「特には変わりません」

「そうか。心身に不調を覚えたら必ず言うんだぞ?」

「はい」


 ネーナの様子を見ながら、異変が認められない事にオルトは安堵していた。


 正直な所、オルトは当初、グランドアーカイブでの調査にはそれ程期待していなかった。本命はスミス達が行った専門家の方だと考えていたからだ。だがネーナが高い記憶能力を開花させた事で、状況が変わろうとしていた。


 正確には『開花した』のではなく、本人含め誰も気づいていなかったと見るべきかもしれない。グランドアーカイブの書物を自らの知識として次々と取り込むネーナの姿は、オルトに大きな収穫と強い危惧を齎した。


 ネーナがいれば、調べ物は予定より早く終わるだろう。首尾よくベルントの治療についての情報を得られたとして、オルト達が旅に出る際にも、ネーナの知識に昇華した記憶は大いに役立つはずだ。


 それでも、オルトは強い危惧を抱いていた。ネーナの価値が高まるにつれ、将来的に彼女自身が狙われる可能性があったからだ。


 ネーナは既に賢者としても、Cランク冒険者の魔術師としても水準以上の実力がある。長年に渡り勇者や英雄、偉人達の血を取り込んできたサン・ジハール王族の血脈が、これから覚醒しても不思議ではない。


 ここでさらに人並外れた記憶力を有する事が知られると、王族の地位を放棄して薄れた他者の関心が、再びネーナに向きかねない。そうオルトは考えていた。


 例えばネーナを『自律型グランドアーカイブ』として、軍事面で運用する事を考える者は必ず現れるだろう。【菫の庭園】がステップアップすれば、いずれはネーナの素性も知られる事になってしまう。


 王女の地位を投げ打ったにも関わらず、今度はその力がネーナを縛りかねない。悩むオルトの目の前に口元に、何かが差し出された。


「お兄様」

「お? 有難う……美味いな」


 ネーナがドライフルーツを差し出していたのだった。オルトが食べると、ネーナはニッコリと笑った。そして自分も口を開けて催促する。


「お兄様。難しい顔をしてますよ」

「ん? そうか」

「私の事ですか?」

「む……」


 ネーナがオルトの顔をじっと見ていた。オルトが返事に詰まると、グッと顔を寄せて来た。オルトは思わず体を引いた。


「教えてください。私は自分が守られてる事を知っていますし、お兄様達に守られてる事を嬉しく思っていますが、それに甘んじているつもりはありません。子供ではないのですから」

「……そうか」


 オルトは一瞬驚いたが、フッと笑うとネーナの額を指で突いた。


「生意気な」

「あうっ」

「だが、その通りだな。宿に戻ったら皆と話そう」

「……はい!」


 ネーナは嬉しそうに笑った。


 オルトはネーナを不安にさせる話を避けたかった事もあるが、パーティーを離れる予定が迫っているスミスに懸念を与えるのも避けたいと考えていたのだ。


 謂わば思考の迷路に嵌りかけている状態であったが、ネーナの一言によりシンプルに解決する事にした。


「ネーナも子供じゃないし、そろそろ一人で寝なきゃな?」

「そ、それはそれ! これはこれです!」


 軽口を叩きながら、オルトはネーナに感謝していた。少し気負っている自分に気がついたからだ。




 ◆◆◆◆◆




 オルトとネーナは宿の前で、やはり丁度戻って来たスミス達と鉢合わせした。スミス達も帰りに少し寄り道したらしく、揃って部屋に戻るとお互いの『戦利品』をテーブルの上に広げ、好きに摘みながら進捗を伝え合う。


「成程、これは確かに……」


 オルトの話を聞いたスミスはネーナにいくつかの質問をし、ネーナが『完全記憶能力』を持つ可能性があると判断した。


 その事は仲間達だけで共有する事にした。それはネーナの状態に差し迫った対応の必要性が感じられない事や、ネーナの能力に関する情報が洩れる事で、他者が干渉してくるリスクを抑える為、加えて今は出来る限りベルントの治療の可能性に集中したい事などを鑑みた結論であった。


 ナビゲーターのポンセとの契約延長は、直接関わるネーナが彼の仕事ぶりを評価した事から、六日間の延長が決まった。調査は半分の三日程度で終わる見込みだったが、後から追加の調査が必要になった時の為の予備日も含まれていた。


 スミス達の方は二人の研究者と面会したが、初日は芳しい成果は無かった。ピックアップした残り三人との面会もオルト達同様に三日程で終わる予定で、現状のチーム分けのまま調査を続行する事になった。




 翌日、ナビゲーターギルドでポンセと落ち合ったオルト達は、契約延長手続きの後で調べ物を再開した。二日目にはネーナが治療薬と思しき薬についての文献を発見し、スミス達はアトラ医師との面会の際に、研究者であるフィービーの紹介を受けた。


 三日目、スミス達はネーナが見つけた情報を持って、フィービーの下へ向かった。フィービーは若手の研究者で、実の兄がベルントと同じ難病に罹患した事をきっかけに同病の研究を志した経緯があった。


 その難病は発見者の名を取って『ワルター症候群』と呼ばれていた。症例が非常に少なく研究者も少ない事から、入手困難な治療薬や高度な回復魔法を除けば、対症療法以外の治療法は確立していなかった。


 その日にスミス達が持ち帰った情報と、ネーナとポンセがアーカイブから引き出した治療薬の情報が、宿での報告で漸く結びつく事になった。




「月光草、ですか……」


 ネーナから話を聞いたスミスが、溜息をついた。


 治療薬の入手を困難としていたのは、素材の1つである『月光草』と呼ばれる強い浄化作用を持った薬草の存在であった。


 月光草の生育が確認されているのは、最も近い場所でも馬車と徒歩を合わせて片道で一月半。強力な魔獣が棲むと言われる森の遺跡の中であった。


「もう一つ、治療薬の入手が困難とされる問題があります」


 ネーナが仲間達に言う。


 月光草は劣化が早く、そのまま採取して持ち帰ってもシルファリオに到着する頃には効能が無くなってしまう可能性が高かった。


 治療薬として使う為には、効能が最大になる満月の月夜に採取して速やかにエキスを抽出し、密封する必要があったのだ。


「現地でやらなきゃ駄目な訳ね?」

「はい」


 フェスタの問いに、ネーナは肯定の意を示した。


「ネーナがいなかったら、この時点で詰んでたって事ね」


 フェスタが納得したように頷いた。錬金術の基礎を修め、かつ月光草エキスの抽出作業を確実に習得出来るのは、ネーナただ一人だ。

 負担の大きさを心配するオルトに対し、ネーナは決意を口にした。


「やります。やっと私がお役に立てそうなのですから。それに、ジェシカさんにもベルントさんにも幸せになって欲しいです」

「……そうか」


 オルトは言葉少なに、ネーナの頭を撫でるばかりだった。




 アーカイブ滞在四日目。オルトとネーナはグランドアーカイブでの検索を終えた後、残り三日分の料金も支払ってポンセとの契約を終了した。


「皆さんが目的を果たせるよう願っていますよ」

「世話になったな、ポンセ」

「有難うございました、ポンセさん。とても有意義な時間でした」


 二人は別れ際にポンセと握手をし、ナビゲーターギルドの建物を出た。ネーナははぐれないよう、いつも通りにオルトの服の裾を掴んで歩く。


 この日は酒場で仲間達と合流し、夕食を食べてから宿に戻る予定であった。二人は近道をしようと路地に入った。地図を記憶したネーナの指示で、入り組んだ小道を右へ左へと進んでいく。


「止まって、ネーナ」

「お兄様?」


 もうすぐ通りに出られそうな所で、角を曲がったオルトは急に立ち止まった。オルトの視線の先には、地面に横たわる人影があった。


 後ろから覗き込んだネーナが、何かを思い出したように口を開く。


「あ、この方……」

「知ってるのか? ネーナ」


 ネーナはコクリと頷いた。


「私達がこの町に来た初日、お兄様と公園の屋台に行きましたよね?」

「ああ、行ったな」

「その時、近くのベンチで寝ていた方です」

「よく覚えてるな……」


 オルトはネーナの記憶力に軽く引きながら、人影に近づいた。


 非常に体格のいい、中年の男。ローブのような服は汚れていたが、聖職者が着用するものに酷似している。


 男の衣服と周囲の様子からは戦闘や暴行の痕跡は見つからず、出血も見られない。だが意識を失っているようで、オルトの呼びかけに返事は無かった。


「あっ」


 男を仰向けにすると、ネーナが小さく声を漏らした。男の服の左胸付近に、何かを剥ぎ取ったような痕が見られたからだ。


 男の服が神官服ならば、そこにはストラ聖教の聖印があるはず。それが無いという事から一つの推察が導かれる。


「破門、か」

「う……」


 意識を取り戻したのか、オルトの声に男が反応した。朦朧としている風な男に、オルトが頬を叩いて呼びかける。


「おい、しっかりしろ」

「うう……は……」


 男が何かを伝えようとして見えて、オルトとネーナは耳を近づけた。




「腹が減った」




 ネーナは無言で、懐からドライフルーツの入った袋を取り出した。

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