第四十九話 ネーナの力
「引越し、ですか?」
キョトンとした顔でジェシカが聞き返した。ネーナが頷く。
「はい。引越しです」
「誰の引越しですか?」
「ジェシカさんとベルントさんの引越しです」
「??」
訳がわからないといった風な表情のジェシカ。ネーナが説明する。
「私達はジェシカさんに手続きをお願いして、借家を買い取りましたね?」
「はい」
「さらにジェシカさんに申請をお願いして、暫く町を離れる事になりましたね?」
「はい」
「そうなると折角手に入れたマイホームが空き家になってしまうのです。非常に困ります。ここまでは宜しいですか?」
「はい」
素直に頷くジェシカに、ネーナは満足そうな顔をした。
「私達の事情は一先ず置いて。ジェシカさんは危険な目に遭ったばかりではないですか。とても心配です。そこで私達は考えたのです」
「はい」
「ジェシカさんとベルントさんが私達の家に住めばいいのではないかと。私達は留守中の自宅の管理人と警備員を手に入れ、ジェシカさんとベルントさんは無料の住居が手に入るのです。正にWin-Winというやつです」
「はい? あのちょっと待って下さい色々と聞きたい事が――」
「質問は後で受け付けます」
「……はい」
黙って見ていたフェスタは、ネーナの舌の回転に驚くと共にジェシカのチョロさが心配になった。現役冒険者時代、ジェシカはスカウトだった筈である。しかも現役のギルド職員だ。こんなに簡単に言い包められて良い訳がない。
「ガードの方々に加えて冒険者仲間の皆さんも、家に見回りで立ち寄ってくれるそうです。トーマス先生の往診やニコットさんのお世話も、部屋が広い方がしやすいでしょう。ニコットさんやお客様がゲストルームに泊まる事も出来ますし」
「で、でも、ベルントの身体は」
「トーマス先生に聞いて許可は取ってあります。負担の少ないやり方を教わりましたし、引越しに立ち会ってくれるそうです」
「…………」
「ベルントさんの部屋も先生に聞いて、負担の少ない場所にしました。ジェシカさんの部屋は隣です。引越しを手伝って頂ける方を頼んでありますから、行きましょうか」
「後は大丈夫よ、ジェシカ。たまには早上がりしちゃいなさい」
「エルーシャ……」
背中を押されたのか、外堀を埋められたのか。エルーシャが笑顔でジェシカに手を振る。それでも動かないジェシカに、ネーナは小首を傾げた。
「あ、ジェシカさんは持ち家でしたか?」
「い、いえ、借家です」
「思い入れのあるお家でしたか?」
「長く住んだ訳でもないので、特には」
「でしたら問題ありませんね。参りましょう」
「あ、はい。え? え? え?」
無数の疑問符に振り回されて混乱したまま、ジェシカはネーナに手を引かれてギルド支部を出た。
ジェシカの家の前では、ニコットやトーマス医師、それにジェシカの見知った冒険者達が待っていた。
バタバタと荷造りを始めて箱や袋に札を貼る。男性冒険者達はベルントを担架に乗せて、引越し先へと運んで行く。
真新しいベッドに横たわるベルントに毛布をかけると、ジェシカは後をニコットに頼んで元の家に戻った。
元の家は既に掃除も終わっていた。ジェシカの到着を待っていた女性冒険者達が帰っていき、後にはジェシカとネーナ、オルトだけが残る。
夕暮れの中、借家の入り口で、ジェシカはぼんやりと何も無くなった室内を眺めていた。
「……こんなに広かったんだ、この家」
「寂しいですか?」
ポロポロと涙を流すジェシカ。ネーナの問いに対して、首を横に振った。
「お父さんとお母さんが死んで、ベルントと二人でこの家に来て。ずっと必死に生きてきて。でも、もう駄目かもって思って。そしたら皆が助けてくれて。すごいお屋敷に住まわせてもらえる事になって」
「はい」
「何だか夢の中にいるみたい。夢じゃないよね、これ」
ネーナはジェシカの頬を軽く抓った。
「どうですか?」
「痛い」
「じゃ、夢じゃないんです。ベルントさんも待ってますし、帰りましょう」
「……ええ」
ジェシカはガランとした家の中に、深々と頭を下げた。
『今まで有難う。お世話になりました』
◆◆◆◆◆
【菫の庭園】はジェシカ達の引っ越しが済むと、慌ただしく出発した。駅馬車は順調に進み、予定通りにアーカイブへと到着する。
「はわあ……」
ネーナはあんぐりと口を開け、目の前の巨大な塔を見上げていた。途中で雲に阻まれ、その全容を掴む事は出来ない。
学術都市のシンボルである『グランドアーカイブ』は、高い場所に登ればシルファリオ市街からでも望む事が出来た。だが真下まで来て見上げれば、迫力が違う。
「行くぞ、ネーナ」
「あっ、はい……あわわわ」
オルトに促されてその場を離れようとしたネーナは、お約束のように転びそうになり、仲間達に笑われてしまった。
一行はひとまず冒険者ギルドに立ち寄り、都市の情報を得てから宿を取り、荷物を下ろして同じ部屋に集まった。
オルトが仲間達を見回して言う。
「わかってるだろうが、観光は無しだ。依頼も受けない」
仲間達は無言で頷く。何としてもここでベルントの病気、その治療法や治療薬についての手がかりを掴みたい。情報収集にかける一応のリミットは一週間だ。
オルト達がシルファリオを離れるに当たり、ギルドには三ヶ月間で申請を通していた。ジェシカにも予め三ヶ月分の屋敷の管理報酬と管理維持費用を置いてきている。
スミスが仲間達に提案する。
「まずはナビゲーターギルドに行きましょう。我々だけでアーカイブから目的の情報を引き出すのは難しい。手数料を払ってもナビゲーターを雇う価値はあります」
『ナビゲーター』とは、学術都市の統治機構である『賢人会』から認可を受けた資格を取得し、ナビゲーターギルドに所属する者の呼称である。
依頼人と簡易な雇用契約を結び、グランドアーカイブ内で依頼主の要望に沿った情報の在り処へと案内する事で報酬を得る。
冒険者同様にランクがあり、それがナビゲーターとしての力量を示す目安になる。
「時間の大幅な短縮に繋がる事は間違いありません。彼らの力を借りない手は無いと思います」
スミスの主張は一も二もなく受け入れられた。
さらに効率よく情報を集める為、パーティーを二つに分けて行動する事にした。パーティーの頭脳であるスミスにフェスタとエイミーが同行して疫病の研究者に当たり、ネーナとオルトはナビゲーターと契約してグランドアーカイブへ。
「合流は夕方に宿で。お互いの進捗を伝えて翌日以降の予定を立てよう」
「了解だよ〜!」
エイミーがビシッと敬礼をする。オルトとネーナは立ち去る仲間達を見送ってから、ナビゲーターギルドへと歩き出した。
ギルドに到着した二人は、早速カウンターで契約希望の旨を伝えて受付の職員から説明を受けた。オルトが要望を述べる。
「ある病気についての治療法、治療薬に関する情報を探したいんだ」
「成程。それでは医学的な知識のあるナビゲーターをお探ししましょうか?」
「それで頼むよ」
「承知致しました」
職員が推薦してきたナビゲーターの中から、二人はポンセという男を選んだ。ポンセは医学者と二足の草鞋を履く、Bランクのナビゲーターなのだと言う。
オルト達が面会して要望を伝えると、ポンセは快諾した。職員立ち会いの下で契約書を取り交わし、二人はポンセと共に、早速グランドアーカイブにアクセスした。
お世辞にも丁寧と言えない案内板には目もくれず、ポンセは迷いなく足を進めていく。ネーナはオルトとはぐれないよう、ギュッと手を繋いで時折小走りになって追いかける。
オルトは歩きながら、『このままナビゲーターが消えたら自分達は外に出られないんじゃないか』などと考えていた。さながら本棚の迷宮である。
不意にポンセが足を止め、二人を振り返った。
「この辺りですね。まずはシルファリオの医師の診断を前提とした病気に関連する書物をお持ちします。次に同様の症状が見られる病気に関するものをピックアップしてきます。適当なテーブルについてお待ち下さい」
ポンセはテーブル席を指し示し、本棚の奥に姿を消した。
二人は椅子に座って周囲を見回す。テーブル席周辺は十分な光量が確保され、読書に適した状態になっている。他の席に先客がいるが、私語は殆ど聞こえない。
ポンセが何冊も分厚い書物を抱えて戻ってきた。テーブルの上に置かれた書物を、ネーナとポンセが早速手に取り読み始める。
ポンセはネーナのアシストで、目的に沿うであろう箇所に次々と栞を挟んでいた。
因みにオルトは早々に書物を手放した。ポンセは医学者である。ネーナも王女として高等教育を受け、かつ大賢者たるスミスから様々な知識を得ている。オルトは医学書の文字は読めても、理解には程遠かったのだ。
ネーナが顔上げてオルトを見た。
「お兄様、上から二冊目の黒い背表紙の書物を取って貰えますか?」
「ああ。何かあったのか?」
「全く同じ記述の箇所を見つけまして。出典が同一か確認しようと」
気になったポンセがネーナの後ろから覗き込み、驚いている。
「本当だ……よく覚えてましたね」
「今日目を通した部分は、全て覚えていますよ」
「そ、そうですか」
ドン引きしたポンセが、自分の作業に戻っていく。
栞を挟み終わったポンセも手持ち無沙汰になると、二人でネーナが要求する書物を運びながら小声で談笑を始めた。
オルトの仲間達が別途に専門家を訪ねているのを知り、ポンセが興味を示す。
「差し支えなければ、お連れ様が伺った先をお聞きしても?」
「構わないが……書き記したものを持ってきていないんだ」
オルトが困ったように言うと、書物に没頭していたはずのネーナが顔を上げた。
「冒険者ギルドで教えて頂いたのは五人ですよ。医師のカイゼル先生、アトラ先生、ミランダ先生。研究者のパスカル先生、バビントン先生ですね」
「それも覚えてたのか?」
「はい」
ネーナは事も無げに言い、驚愕するオルトをよそに再び書物に目を戻した。
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