第六十二話 今の言葉、取り消して下さい

 私室にあった冊子は三冊。ネーナはそれらをパラパラとめくり、片っ端から記憶していく。ネーナの能力を知らない者が見れば、無造作に流し読みしているとしか思わないだろう。


「お兄様」


 ネーナが微妙な表情で顔を上げた。


「どうした」

「あの、この日記……断片的にしか内容を理解出来ないのですが。二冊は何というか、故人の名誉の為にも表に出さないであげた方がいいような気がします……」


 横から覗き込んだスミスが、納得したように言う。


「ポエムですね。愛の言葉が盛りに盛られてます」

「……何かのコードや暗号の可能性は?」

「この遺跡に、そこまでするものがあると?」

「だよなあ」


 一応食い下がっては見たものの、オルトは早々に抵抗を諦めた。ポエムは恥ずかしい。自分が死ぬ時には絶対に処分しておきたいものだ。オルト達は故人を辱める為に来た訳ではない。


「それ確か、机の引き出しが二重底になってたのよね」

「……仕舞っておいてやろうか」

「了解」


 フェスタが二冊のポエム帳を受け取り、引き出しの底を外してそっと仕舞う。


 名も知らぬ研究者の名誉と尊厳が守られた事に、【菫の庭園】の面々は満足した。とはいえ、遺跡は誰でも侵入出来る状態なのだから、再び黒歴史が日の目を見るのは時間の問題でしかないが。


 残った一冊は研究日誌とも言うべきもので、原本を置いていく以上はネーナに記憶して貰うしかない。月光草の自家栽培を目指すならばどうしても必要だからだ。


 ネーナが日誌に目を通している間に、他のメンバーは荷物のチェックを始めた。遺跡での作業は最終フェーズを迎えていた。




 ◆◆◆◆◆




【菫の庭園】一行が遺跡を出ると、既に昼近くになっていた。体感以上に時間が経過していた事に仲間達は驚いたが、休む事なく出発する。


 後は森の中で公国騎士団の調査隊と合流し、タニアに遺跡の見取り図を渡して帰路につくのみである。森の中での野営は避けられず、徹夜明けではあるが用事は先に済ませておきたい。


 オルトは仲間達の状態を確認し、全員無事な事に安堵した。


「シルファリオに着くのは、私達が旅に出てから三ヶ月を少し回る位かしらね。我が家のベッドが恋しいわ」


 フェスタが言うと、仲間達が笑う。身体の重さよりも、目的の品を手に入れた達成感があった。帰るまでが何とやらとも言うが、それを口に出すのは野暮というものだ。


 帰路は駅馬車を乗り継いで帝国領を抜けて都市国家連合に入り、リベルタでカールと別れ、アーカイブでブルーノを置いていく予定である。パーティー残留に関してのブルーノの意思は、道中に確認しようとオルトは考えていた。


 だが、そんなオルトの意識は突然現実に引き戻された。




「――止まれ」


 先頭を歩いていたカールが足を止め、短く言葉を発する。直後、一行の前方に矢が突き刺さった。仲間達が臨戦態勢に入る。


「木の上に誰かいるよ!」


 エイミーが仲間達に注意を促す。


 相手は巧みに気配を殺し、姿を隠している。【菫の庭園】一行から距離を置いている事、矢を放ってきた事から、遠距離の敵を害する手段を持っているとオルトは推察した。


 仲間達のものとは違う、森の木々に木霊するような妙な響きの声が聞こえてくる。


「野蛮な人間共が! 崖の扉の中で何をしていた!」


 若々しいが敵意剥き出しの、威圧的な声。


「答えろ! 森を荒らす下賤の物共!」

「物陰から無言で矢を射かけて罵倒に尋問か。どう見ても物を尋ねる態度ではないな」

「答えろと言っている! これは命令だ!」


 オルトの足下に矢が突き刺さった。オルトは表情を変えず、仲間達に言った。


「話にならんな、行こう。もう一度手を出して来たら後悔して貰うが」

「待て。用件はもう一つある」


 落ち着いた声。

 立ち去ろうとしていたオルトが動きを止めた。呼び止める声の主が、先程とは別な人物だと思われたからだ。


 オルトは声の主より先に口を開いた。


「話が通じるなら、こっちにも用はある。威勢のいいガキの振る舞いに何も言わないという事は、それを容認しているという認識で構わないんだな? その結果何が起きても受け入れる覚悟はあるんだな?」

「…………」


 姿無き声の主から返答は無い。煽り口調でないだけで、考えている事は変わらないという認識で良さそうだ。

 排他的かつ、概ね人族に好意的とは言えない種族。オルト達は既に、相手の正体に当たりをつけていた。


 思い通りに相手が動かない事に苛立った様子で、再び若い声が喚く。


「そこの半端者の女!」


 オルト達は顔を見合わせた。女性は三人いるが、『半端者』と呼ばれて応える謂れは無い。相手が恐らくエルフであろうと見当がついていても、だ。


「人間の血が交じった半端者の女! 貴様だ!」

「……私に、言っているの?」


 エイミーが戸惑った様子で聞き返す。若い声はどこまでも高圧的に命令する。


「そう言っているだろう半端者! どこから盗んだか知らんが、貴様の腕輪はエルフの加護がかけられた特別な物だ! それをその場に置き、今すぐに我等の森から出て行け!」


 確かにエイミーは、いつも同じ腕輪を着けている。

 エルフである母親の形見で、母が亡くなる直前に譲られた時も『お守り』としか聞いていなかった。父は先に亡くなっており、今となっては腕輪の詳細はわからない。


 腕輪は若い声が言う通りの品なのかもしれない。だがこの言い方はあんまりだし従えないと、エイミーは思った。腕輪を胸に抱え、激しく首を横に振る。


「嫌だよ! これはお母さんの形見なんだから!」


 若い声がエイミーの叫びに当てられたように激昂する。


「それは貴様のような、中途半端な出来損ないが持っていて良い品ではない! こちらが下手に出たからと調子に乗るな! 貴様の腕を切り落として取り返してくれるわ!」

「もう相手しなくていいわよ、エイミー。相手がここまで清々しく尊大だと、微塵も遠慮しなくて済むわ」


 フェスタが相手のエルフに対する不快感を隠さず言う。エイミーは目に涙を溜めていた。


「同感だ。仲間を侮辱されて理不尽な要求をされ、黙って聞いている理由が無い」


 ブルーノは背負っていた大盾とメイスを構え、静かに怒りを示す。スミスも頷き、目の前の空間から杖を引き出した。


 エイミーはポロポロと大粒の涙を流している。


「みんな……」


 若い声は更に激昂した。


「貴様等! 忌子を庇い立てするなら命の保証はせんぞ!」






「――取り消して下さい」






 それまで黙っていたネーナが、涙を流すエイミーを抱き締めて静かに言った。


 居丈高だった若い声が押し黙る。ネーナはもう一度口を開いた。


「今の言葉を、取り消して下さい。『半端者』『中途半端な出来損ない』『忌子』。貴方がエイミーに放った暴言を撤回し、謝罪して下さい」

「煩い!!」


 ネーナに鋭く矢が飛ぶが、ブルーノの大盾によって阻まれる。オルトが口を開いた。


「三度目だな。カール」


 カールが短く応じる。


「相手は四人だ」

「了解。カールとフェスタは一人ずつ、俺は喋った二人をやる。近づいた奴はブルーノに任せる」


 オルトは指示を出すと、返事を聞かずに走り出した。身体が軽くなり一気に速度が上がる。ネーナのバフに感謝しつつ、オルトは呟いた。


「離れた所から一方的に攻撃出来るとでも思ったか? そこは俺の間合いなんだよ」


 長剣が薄く輝く。オルトは足を止めると、剣を一息に振り抜いた。




裂空閃ディストーション




 自分に向かって来たオルトが立ち止まったのを見て、若いエルフは落ち着きを取り戻した。


「は、ハハハ! 見掛け倒しか! 下賤な人間らしい――っ!? 何だ!!?」


 高い木の枝に乗っていた若いエルフは、突然木が地面に沈んでいくような感覚に襲われた。一メートルはある木の幹が斜めに切断されており、木の上部が断面に沿って滑り落ちていたのだ。


 若いエルフは、別な木に移ろうと慌てて枝を蹴る。が、踏み込んだ足に枝の硬い感触は無く、バランスを崩して落下する。エルフは落ちながら、自分が立っていた枝の付け根を見て愕然とした。

 そこには、枝が切り落とされた事を示す鋭い断面があった。


「少しばかり頭が高かったんでな、降りてもらった」

「ガフッ!?」


 背中から地面に叩きつけられ、悶絶する若いエルフ。骨折と打撲の痛みにのたうち回る事も許されず、オルトに剣を突きつけられた。


「馬鹿な……」


 落ち着いた声のエルフは、呆然と立ち尽くしていた。自分が駆けつける間もなく、若いエルフは無力化された。他の二人は交戦中だが、見るからに分が悪い。目の前の剣士にも、その仲間にも隙は無い。


 だが落ち着いた声のエルフには、若いエルフを見捨てられない理由があった。絞り出すような声で降伏を告げる。


「私達の……負けだ。彼の手当をさせてくれ」

「エルフの作法では、武器を構えて降伏を宣言するのか? 戦ってる奴もいるが?」


 ハッとしたエルフは慌てて剣を捨て、仲間にも武器を捨てさせた。四人のエルフは武器を奪われた上で一箇所に集められる。


 オルトはエルフ達に冷たく言い放った。


「手当をしようがするまいが、その若いエルフはここで殺すぞ」

「!?」

「当然だろう? 最初から喧嘩腰の上、エイミーを罵倒し、ネーナには矢を射かけて戦端を切った。生かして帰す理由がどこにある?」

「……私の命で勘弁して貰えないか」

「却下だ。無駄に寿命が長くて、延々と粘着する暇のある主犯を見逃すメリットが、人間の俺達にあるか?」


 オルトは落ち着いた声のエルフの嘆願を一蹴する。ネーナもエイミーも口を挟む事なく、オルト達のやり取りを見守っていた。


「俺は先に問うた筈だ。このガキの振る舞いを容認するのか、起きる結果を受け入れる覚悟はあるのかと。これが結果だ。相手を害しようとした以上、害されても文句は言えまい?」

「…………」


 エルフ達は何も言い返せず、恨みがましい目を向けるだけであった。


 相手の実力を見極める事も出来ず、相手を見下し自らは傲り。戦いを回避する努力もせず、態々相手の逆鱗に触れて現状を招いた。


 オルトからすれば、度し難いの一言である。悪手中の悪手を積み重ねない限り、このような結果になる訳が無いのだから。


「お前達が余程の間抜けでないのなら、この森で活動している武装集団が複数いる事も掴んでいる筈だ」


 トリンシック公国騎士と、恐らくはアルテナ帝国軍。後者は森の異変に関わっている可能性が高い。声高に「我々の森」と叫ぶのならば、そちらに対処するのが筋だ。オルトは言う。


「それらを避けて俺達に絡んで来た理由は容易に想像出来る。俺達ならばねじ伏せられると踏んだからだ」


 色白なエルフ達の顔色は、真っ青になっていた。


「これ以上は時間の無駄だな」


 オルトが若いエルフの胸倉を掴む。剣を抜こうとしたオルトを、スミスが制止した。




「ちょっと待って下さい。私に考えがあるんです」

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