第六十一話 想いを継いで

 女性は白銀色の絨毯の中、静かに佇んでいる。

 エイミーが戸惑いを隠せない様子で言う。


「あの人、気配が無いよ。ゴーストとも違うの」

「罠とも思えないが」

「危険は感じられない?」


 フェスタの問いに、エイミーもカールも頷きを返す。スミスは目の前の現象を分析して、推測を述べた。


幻影魔法イリュージョンの一種かもしれません」

「成程。見てみるか」

「お兄様?」

「警戒はしててくれよ」


 そう言い置くと、オルトは光輝く月光草を傷めないように気遣いながら女性の下へ向かう。ネーナ達に微笑み続ける女性の向こう側に回ったり、手を伸ばしたりするが、オルトの手は空を切るばかりであった。


「実体は無いし反応も無い、と……これは何だ?」


 オルトは不意に、女性の足下にしゃがみ込んだ。すると女性の姿が掻き消えた。


「ここから幻を映しているという事かな?」


 先程までのように、微笑む女性が姿を現す。部屋の中を調べていたカールが言った。


「オルト。部屋に仕掛けはあるようだが……罠とは違う感じだ」

「ここが月光草の栽培の為の場所ならば、仕掛けもそれに関する物かもしれませんね」


 スミスの見解を聞いて、オルトは考え込む。フェスタはしゃがんで靴紐を締め直した。


「二手に分かれるの?」

「ああ。ネーナは月光草エキスの抽出を始めてくれ。手伝いは必要か?」

「一人で問題ありません」


 ネーナがテキパキと器具を並べ始める。


 月光草エキスの抽出作業は、満月の光を浴びている今夜中が勝負。今日を逃せば一月先まで待たなくてはならず、そこまで遺跡の環境が維持されている保証は無い。治療薬を待っている者達だって時間は無いのだ。


 同時に、速やかに撤収する為にも、遺跡内部の探索を可能な限り進めたい。パーティー分割一択、オルトの判断に異論は出なかった。


「スミス。カールとエイミーは連れて行ってくれ」

「ここはオルトだけ残ればいいわよね?」


 フェスタの一言で、作業をするネーナと護衛のオルト以外は探索に出る事になる。


 まだ開けていない扉は二つ。


 相当数のゴーレムやガーゴイルが外部に流出した事や、遺跡の大半を探索した段階で罠が見当たらなかった事から、危険度は高くないとオルト達は判断していた。




 ◆◆◆◆◆




 仲間達が出て行った後の部屋に、ネーナが作業をする音だけが響く。オルトは目を瞑り、思索に耽っていた。


 この遺跡は何を目的に作られたのか。研究施設のようではあるが、規模が小さい。目につくものと言えば、それこそ月光草だけだ。


 スミス達が探索に向かった扉は、恐らくパーソナルスペースであろうとオルトは予想していた。これまでに見た食堂や入浴施設等の大きさからして、三名程度が常駐するのが精一杯だろう。

 だが、この遺跡で見つかった遺体は一体だけだった。一人で何をしていたのか?


 そもそも『グランドアーカイブ』に文献が残っていたように、オルト達の前に侵入した者達がいたはずだ。にも拘わらず、殆ど探索された形跡が無い。謎は多い。


「……お兄様」

「ん?」


 ネーナが器具を操作しながらオルトに言う。すでに抽出は始まっていて、月光草の花弁の濃厚な香りが辺りに満ちている。


「この女性が、遺体で見つかった方の奥様なのでしょうか」

「多分な。今その事を考えてた」


 ネーナが女性の幻を見上げた。女性はこの部屋の唯一の出入り口に向かって微笑んでいる。


「生前もこうやって、帰って来る夫を迎えていたのかもしれんな」

「はい」


 ネーナが器具にかけていたランプを脇に除けた。液体が冷めるのを待っている間に、蝋を熱して融かす。冷めた液体を手早く三本の小瓶に注ぎ込み、蓋の上から蝋を落として封をした。


 オルトは素直に感嘆の言葉を口にした。


「手際がいいな。大したもんだ」

「うふふ。アーカイブで練習させて貰って覚えましたから」


 褒められたネーナが嬉しそうに笑う。オルトは白銀色に輝く絨毯に目を移した。


「俺達の前にもここに到達した者がいるはずだが、この部屋の中が荒らされた様子は無い。人の手をかけずに、月光草の栽培と維持管理が為される仕組みがあるのかもな」

「月光だけを取り込んで月光草に照射しているようですし、古代文明の技術ならではでしょうか」


 ネーナが古代文明期の技術者達に思いを馳せる。月が出ていれば、当然星も見える。それらの光を選り分けるなど、想像を絶する事だ。現在の技術の粋を集めても再現するのは不可能だと思われた。


「それもそうだが、この遺跡の管理者にとって、この部屋はとても大切なんだろうな。照明や扉の開閉も不安定になってる中で、ここだけは一切の機能を失ってる様子が無い」


 まるで月光草のあるこの部屋の維持を最優先にしているようだと、オルトは感じていた。


「月光草を絶やさず育て続ける事で、誰かに託そうとしたのかもしれませんね」

「かもな」


 ネーナの言葉は、不思議とオルトの胸にスッと入り込んだ。




 器具の片付けを始めると頃合いよく、探索に出ていたフェスタ達が戻ってきた。


「あら? もう終わったの?」

「ああ、そっちは?」


 フェスタの話では、探索を残していた二つの扉の内、一つはゴーレム等の格納庫兼倉庫だったという。


「もう一つは私室みたい。三部屋あって一つは中に何もなし。一つは綺麗に片付いていて生活感が無くて、最後のだけ人が使っていた感じね」

「二番目の部屋がこの幻影の女性、三番目の部屋が遺体で発見された……恐らく男性のものと考えるのが自然だろうな」


 カールとフェスタの見立てでは、遺跡内にはこれ以上進める場所も敵も無いとの事だった。


「こっちは月光草エキスの抽出は終わった。後は月光草を二株か三株持ち帰りたいんだが……」

「月光草はそのままでは萎れてしまったり、変質してしまいそうなんです」


 オルトが言うと、ネーナが補足する。枯らさないのは勿論だが、出来れば今の花弁が輝いている状態で持ち帰りたいのだ。

 【菫の庭園】一行が遺跡に入ってからかなりの時間が経過している。夜明けが迫っており、あまり悩んでもいられなかった。


「スミス。倉庫には何か使えそうなアイテムは無かったか?」


 聞かれたスミスは首を横に振った。


「私室の方に、ケースに入った種のようなものはありました。遺跡内に他に植物が無い以上、月光草の種と考えていいかと」


 種を持ち帰るだけでも、十分な収穫ではある。欲張らずにそこで妥協するのも手かもしれない。そう考えるオルトの服の袖を、誰かが引っ張った。


「お兄さんお兄さん」


 目を向けると、エイミーがオルトの顔を見上げていた。


「エイミー?」

「あのね、ご飯食べるお部屋にあった筒は使えないの?」

「飲み物が入ってたやつか?」

「うん、駄目かな」


 確かに、食堂のテーブルの上に縦置きの筒があった。保存の魔法がかかっているという話だったが。オルトはスミスを見た。


「どう思う? スミス」

「……中身を空にしてしまえば、使えるかもしれませんね。やってみる価値はあるかと」


 スミスとブルーノが食堂に向かう。ネーナはメモを取り出し、月光草の生育環境を調べ始めた。


「エイミー、お手柄だぞ」

「盲点だったわね。上手く行くといいけど」

「えへへ〜」


 オルトとフェスタに褒められて、エイミーは体をくねらせて照れる。


 確保出来た筒は三つ。二つには月光草を根元の土ごと入れて、残りの一つには月光草エキスと種を入れた。筒はそれなりの重量があり、体格のいいブルーノが運ぶ事になった。


「月光草の種を見つけた私室に、日記みたいな冊子があったの。持って来なかったけど」

「例によって古代語で書かれていて、解読に時間がかかりそうでしたね」


 フェスタとスミスの話を聞いて、オルトが考え込む。


「月光草の花びらも多めに採ったし、俺達が全部持って行くのは、流石に気が引けるな……」

「では、日記は私が目を通しましょうか?」


 調査を終えたネーナがやって来る。オルトは顔を顰めた。


 ネーナが記憶してしまえば、冊子自体に仕掛けでも無い限りは原本を持って行く必要は無くなる。だがオルトは、ネーナの能力の全貌が判明するまでは、出来る限り負担を減らしたかった。

 そうでなくとも、アーカイブに到着してから今までに、ネーナの能力頼りな面が多過ぎると感じていたのだ。


 そんな思いを読み取ったのか、ネーナはオルトの手をそっと包んだ。


「大丈夫です。私の体調はお兄様が見ていてくれますし、無理はしません。それよりも私に出来る事、私にしか出来ない事があるのが嬉しいんです」

「……わかった」


 オルトは溜息交じりに了承した。『思うようにパーティーに貢献出来ていない』というネーナの気持ちを理解しているオルトには、ここで強くネーナを抑える事は出来なかったのだ。


 私室に向かう一行が、一人また一人と月光草の部屋を出ていく。

 最後にオルトと共に部屋を出たネーナは、突然立ち止まって振り返った。


「ネーナ?」

「月光草、頂いていきます。病気で苦しんでいる人達の為に、必ず役立てますから」


 ネーナは部屋に向かって深々とお辞儀をした。その先には薄い紫色のドレスを着た女性が、変わらぬ微笑みを浮かべていた。

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