第六十話 亡き妻に捧ぐ
数日の後、遺跡付近に戻った【菫の庭園】一行の中で、オルトは心底安堵していた。
結果的に、一旦町に戻るというオルトの判断は吉と出た。但しそれは、当初の予定通りのものではなかったが。
【菫の庭園】は、アルテナ帝国側の町であるオクローに向かって出発した。その途中にアイアンゴーレムのコアを回収する為に立ち寄った場所で、トリンシックの公国騎士団と遭遇したのである。
最悪の事態も想定されたが、その一団の指揮官がタニアであった事でオルト達は警戒を解いた。
彼女の上官のジャスティンは一時重傷であった事もあり、壊滅寸前に陥った調査隊の報告という名目で公都に帰還していた。入れ替わりに到着した増援を加えた調査隊第二陣の指揮を、タニアが引き継いだのだという。
話の通りならば、タニアは公国騎士団の中でも相応の地位にいると思われた。
オルト達がアルテナに向かう事を伝えると、タニアは『ジャスティン様はこの調査関連の任務でカノに戻る事はなく、絶対に皆様にご迷惑をおかけしませんから』と一行がトリンシックに向かう事を勧めてきた。
元々トリンシック側を拠点に探索する予定であったように、【菫の庭園】一行にとってタニアの勧めは渡りに船の話ではある。移動時間がアルテナに行くより短く、カノには冒険者ギルド支部などオルト達が求める店や施設がある。
だがオルトは、そのまま申し出を受ける事なく一度は拒否をした。
「ネーナから『先を急いでいる』と聞いた上で引き止めてくる相手の拠点で、十分な休息と補給が出来るとは思えない。非礼を承知で言うが、俺達はジャスティンも君も、公国騎士団も信用していないんだ。時間がかかっても面倒の無いアルテナに行くメリットの方が大きいんだよ」
タニアに対して歯に衣着せぬオルトの物言いに、事情を知らぬ公国騎士達が気色ばむ。それらを抑えながら、タニアはオルト達に対して謝罪の言葉を口にした。
「私の剣に賭けて。カノでの滞在とこの森の中で、公国騎士が皆様のお邪魔をする事は無いとお誓いします」
元近衛騎士のオルトも、騎士にそこまで言われては無下に出来なかった。元より、タニアから言質を取る為に厳しい発言をしたのだから。やり取りを見ていた仲間達からも異論は出ず、トリンシックへ向かう事になった。
この流れに内心で安堵していたのは、タニアよりもむしろオルトの方だった。
野営地は水場近くを選んでいたから、小まめに汗を流したり拭いたりは出来た。状況が状況だけにパーティーの女性陣は不満を言ったりしない。
が、宿に泊まって湯に浸かり、ベッドで休めるなら格段に心身の疲労が解消する。トリンシックに行けば一日浮いて、それを実現する事が出来るのだ。出来ればアルテナ帝国に滞在したくないエイミーの希望にも添える。
パーティーメンバーのストレスを早期にケア出来るのは、町での滞在を避けて野営が続く【菫の庭園】一行にとっては願ってもない事だった。
森で回収した魔物の素材は、そこそこの値段で売却出来た。当初の予定通りにアルテナ帝国側のオクローの町に行けば、素材屋に買い叩かれていただろう。だがそうはならなかった。カノの町のギルド支部へ持ち込む事が出来たからだ。
さらに『皆様に余計な手間をかけさせたお詫びに』とタニアが冒険者ギルドと交渉して、【菫の庭園】が公国騎士団の調査隊を救援した件が緊急クエストの扱いになった。
この計らいは素材の買い取りと合わせて、オルトの大きな悩みをもう一つ解決してくれたのだ。
今回の【菫の庭園】の旅の目的は、ジェシカの弟であるベルントの治療薬入手だ。依頼ではなくオルト達の善意からの自発的な行動で、発生した費用はパーティー資産からの持ち出しで賄う予定であった。
当然、費用の中には助っ人を頼んだカールと、少しでも早く稼ぎたい事情があるブルーノへの報酬も含まれる。それが収支マイナスどころか、大幅プラスが見えてきたのである。
一度町に戻る選択をした事で、パーティーが抱えていた幾つもの不安を、芽のうちに摘む事が出来た。遺跡に戻って来たら、僅か数日離れただけでゴブリンの巣になりかけていた事など些細な話であった。
速やかにゴブリンの群れを排除すると、オルトは小さく溜息をついた。
「ご苦労様、オルト」
「フェスタ……」
溜息が見られていた事に、オルトはバツの悪そうな顔をする。フェスタは柔らかい微笑みを浮かべた。
「本番はこれからですが。ここまでは申し分のない結果になっていますよ」
スミスもオルトを労った。
公国騎士団は【菫の庭園】が見取り図を提出するか、満月の夜の五日後までは遺跡に近づく事は無い。ネーナの作業が邪魔される心配も無く、後は夜を待つだけとなっていた。
◆◆◆◆◆
月明かりの下、一行は動き始めた。美しい満月を惜しみながら薄暗い遺跡へと入っていく。この満月が欠ける前に、ミッションを達成する決意を持って。
遺跡の出入り口の扉は半開きのまま。重く分厚い扉は、人の力では微動だにしない。今後、遺跡の内外を仕切る防壁の役割を果たす事は無いだろうと思われた。
内部は外の月明かり程の照度はないものの、天井や壁の一部が発光している為に移動に支障は無かった。人工の建造物然とした通路は見通しが良く直線的で、見取り図の作成に都合が良かった。
「スミス様。この遺跡はやはり『死んでいる』のでしょうか?」
ネーナが尋ねると、スミスは頷いた。
「時間の問題でしょうね。遺跡を構成している素材がわかりませんから、『超古代文明期』のものと推測されますが。本来持っていた機能の多くを喪失しているようです。照明が暗く不安定なのもそれが原因でしょう」
オルト達は公国騎士団のタニアと再会した際、前回は話さなかった遺跡の存在について伝えてあった。それは『惑いの森』に現れたゴーレムやガーゴイルの出所を隠し切れない事もあったが、最も大きな理由はこの遺跡が『死にかけている』からであった。
すでに遺跡の入り口に到達する為の結界は用を成していない。入り口の扉は半開きのまま。防衛機構に組み込まれていたゴーレム等は大半が破壊された。オルト達が立ち去った後、いずれ誰かが見つけて侵入するだろう。遺跡の存在を隠す理由は無かった。
この上で遺跡の機能が停止すれば、生育環境に非常に厳しい条件がつく月光草は絶えてしまうだろう。現在、惑いの森の遺跡を除けば月光草の生育が確認されているのは二箇所のみ。いずれも遺跡の内部で、常人が気軽に行けるような場所ではない。自生は確認されていないのだ。
その為【菫の庭園】一行は、月光草エキスの抽出に加えて月光草の生育環境のデータを取って月光草を持ち帰り、研究者に栽培を託す事にしていた。
公国騎士団のタニアに遺跡の事を伝えたのも、首尾よく公国が遺跡と月光草の保護に成功すればそれでも構わないと考えたからだ。下手なボウガンも数撃てば何とやら、である。
幸いにもオルト達が探索していない区画に、ゴブリン等が侵入した形跡は無かった。
【菫の庭園】メンバーの他には、遺跡内に生きている者はいない。動いているゴーレムはいたが、施設防衛の命令を与えられていないのか、一行に襲いかかる様子も無い。
オルト達は、今日の探索本番に備えて遺跡を調査するに当たり、先に進めなかった五つの扉を残しておいた。それらの扉には、人の胸くらいの高さにパネルが設置されていた。
遺跡内で見つけたアイテムのいずれかが鍵になっていると予測し、パネルに合わせてみる。すると、白骨化した死体が所持していたプレートが反応し、扉が開く。完全な不意打ちで、メンバーの対応が遅れた。
「っ!?」
幸いにも何事も起きなかったが、ネーナだけが呆然と扉の正面に立っていた。いち早く反応してネーナを庇おうとしたオルトが、安堵のため息をつく。
「大丈夫か? ネーナ」
「は、はい……」
一行は注意が散漫になっていた事を反省し、隣の扉は仲間達の立ち位置に気を使いながら開いた。
隣り合った二つの扉は、厨房と食堂のようであった。
厨房の小さな扉を開けたフェスタが仲間達を呼ぶ。
「これ見てよ。この食材って相当古いもののはずよね?」
種類は不明ながら、肉や野菜と思しき食材が棚に並んでいた。いずれも入手したばかりの新鮮なものに見える。スミスが推測を述べる。
「魔力が感じられます。恐らく、保存や対象物の時間停止といった類の魔法がかけられているのでしょう。個別なのか、棚の中の空間なのかはわかりませんが」
食堂のテーブルの上には、高さ三十センチ程の円筒形の物体がいくつかあった。中はそれぞれ、飲み物らしい液体で満たされている。こちらもマジックアイテムなのか、温かいものと冷たいものがあった。
食堂を出て移動しながら、ブルーノが言う。
「開かない扉があったらどうする気だ?」
「お兄さんに斬ってもらえばいいよ〜」
「無茶言うなよ……」
エイミーに話を振られて、オルトは嫌そうな顔をした。
出来るか出来ないかで言えば、出来そうではある。だがそれは、剣を苛めるだけでしかない。それに迂闊に設置物を壊せば、遺跡の起動させてはいけないものが起動しかねない。
次の扉を開けると、今までと違う照明の小部屋があり、奥に別の扉があった。同じように扉のロックを解除しようとして、ネーナは扉のプレートに刻まれた文字に気がついた。
「スミス様、これは……」
「古代語ですね。この程度なら読めます」
そこには、『亡き妻に捧ぐ』と記されてあった。
カールが三つ目の扉を開く。隙間から漏れ出す光は、扉が開くに従って一行を包み込む。あまりの眩しさに視界を奪われる中、オルトの声を頼りに全員が集まって警戒する。
「……当たり、ですね。月光草です」
暫くして、明るさに目が慣れたネーナが言った。二十メートル四方の部屋の中一面に、白銀色の絨毯のように月光草の花が咲き誇っている。
天井から降り注ぐ光で、花が強く輝いている。『グランドアーカイブ』の資料にあった通り、月光草が最も強い薬効を持つ状態である事を示していた。
「誰かいる、かな?」
エイミーが首を傾げながら声を上げ、部屋の中央を指差した。そこには薄い紫のドレスを着た女性が一人、【菫の庭園】一行に微笑みかけていた。
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