第二百七十二話 私は、貴女を憐れみません

 シュムレイ公国の貴族、バーイン子爵の屋敷が何者か・・・に襲撃されてから二日後。

 

 ネーナ達は、引き続き『ガスコバーニ』のクランハウスに逗留していた。


 ココンとおざなりなノックの直後、出かけていたエイミーとレナが部屋に入ってくる。


「ただいま〜」

「街はバーイン子爵の話で持ちきりだわ」


 どっこいしょと残念な声を出し、レナが抱えている袋をテーブルに置いた。室内にいるのは【菫の庭園】の四人だけだ。


「フェスタお姉さん、リンゴ切って〜」

「はいはい」


 エイミーが良く熟れたリンゴを差し出してせがむと、フェスタは微笑んで皮を剥き始める。レナは自分で選んだ実をゴシゴシと服の袖で拭いてかじった。


 シャクッと小気味の良い音がし、ほのかに甘い香りが漂う。


「ネーナの火柱、他の町でも見えたらしいよ。荷馬車のおっちゃん達が言ってた」

「そうなんですか」


 ネーナは苦笑し、読書を中断した。エイミーがおどけて見せる。


「せかいのおわりじゃ〜」

「ああ、終末派もいたね。あいつらいつも同じ事言ってるから」


 終末派とはストラ聖教の一派だ。無害な為に異端認定を免れているが、教団内では全く相手にされていない。街の片隅で辻説教しているのを見かける程度だ。

 

 あの晩、およそ三十分に渡って公都北セレスタに出現した巨大な焔塔は、深夜にも関わらずシュムレイ公国の各地で目撃されていた。


 発生元のバーイン子爵邸周辺は見物人でごった返し、屋台や露天、大道芸人や吟遊詩人まで出ていたという。どうにか人混みを捌いて憲兵隊が到着した時には賊の姿は無く、子爵邸は灰と炭の山に変わり果てていた。


 当初は賊に押し入られた被害者として事情聴取を受けていた子爵だったが、程なくして立場は一変した。憲兵隊に多数の被害届と通報が寄せられ、それらを裏付ける証拠が謎の密告通り・・・・・・に子爵邸跡地から続々と発見されたのだ。


 子爵父子は勿論、その使用人達も拘束されて厳しい取り調べを受けている。


 捜査の手はネーナ達が滞在するクランハウスにも及んだ。彼等の狙いは【菫の庭園】とクラリッサであった。


 子爵邸の襲撃犯である『マスク・ド・フォー』の正体を【菫の庭園】に結びつけるのは、子供でも容易だ。そもそも貴族家の警備を無力化し、その邸宅を焼き尽くして死人も近隣への被害も出さない、そんな真似の出来る者は限られる。


 実際にはフェスタではなくテルミナが交ざっていたが、当人達以外は知り得ない誤差のようなものだ。


 そしてクラリッサはバーイン子爵令息の婚約者として子爵家で暮らしていた。虐げたられていたのも掴んでいる。それがあの晩から【菫の庭園】に保護されて子爵邸を離れていた。


 捜査関係者が話を聞きたいと考えたのは当然。しかしそれは実現しなかった。


 クランリーダーでありSランクパーティーのリーダーでもあるマヌエル・ガスコバーニが、【菫の庭園】及びクラリッサの引き渡しと取り次ぎを拒否したからだ。


 冒険者クラン『ガスコバーニ』はシュムレイ公国の要請で拠点を置いている。クランハウスの敷地は他国の大使館同様、治外法権が認められている。憲兵には手出しをする法的な根拠が無かった。


 クラリッサと【菫の庭園】に参考人として話を聞かせて貰いたい。そう申し入れた憲兵達を、マヌエルは一喝した。


 元々は治安維持組織としての憲兵隊が機能していれば被害の拡大は無かった。【菫の庭園】は虐げられていた少女を保護した善意の第三者であり、少女に至っては意識が戻っていない。こちらに来る前にやる事はいくらでもあるだろうと突っぱねる。


 人道的な観点で、そして治外法権をもって捜査への協力を拒否されれば、憲兵達はスゴスゴと引き返すしかなかった。


 こっそりとそのやり取りをのぞいていたネーナは、少しだけ捜査員に同情した。公国で長く続く貴族制の弊害へいがいにより、憲兵達がバーイン子爵の脅威になり得なかったのも確かだったから。




 フェスタが切り分けたリンゴを皿に置く。飾りのように身に残した皮がウサギの耳のようだ。

 

「私達もそろそろ、シルファリオに帰らないとね」

「そう、なんですが……」


 歯切れの悪いネーナの返事に、レナは首を傾げた。


「およ、なんか問題あるの?」


 問題は、未だ目覚めぬクラリッサの事だ。

 

 彼女が抱えていたストレスは、他人が推し量れるようなものではない。少なくとも全身に刻まれていた暴行の痕跡は、ろくに眠れない程の激痛をクラリッサに与えていた筈だ。

 

 目覚めれば消せない過去と向き合い、望まない現状を受け止めなければならない。ある意味、苦しみから解き放たれて眠る今こそが最も幸せなのかもしれない。ネーナはそう思う。


「このままここにご厄介になるのは宜しくありません。けれども今のクラリッサさんを、お屋敷に連れて行って良いものか……」

「あー、そういう話ね」


 クラリッサが眠ったままなら、まだ良い。屋敷にはオルトがいるから、メイド達の負担も然程ではないだろう。難しいのは目覚めた場合だった。


 ネーナは手許の本に視線を落とした。先刻まで読んでいたそれは、メラニアに頼んで取り寄せて貰った医学書だ。


 クラリッサがバーイン子爵家でどのような扱いを受けていたのかについて、この二日間でかなりの情報が集まった。

 

 性的暴行は子爵父子のみならず男性使用人の数名から。暴力暴言はそれ以外の使用人、さらには公立学院の一部生徒からも。一度妊娠した時には腹部を中心に暴行され、子は流れた。

 

 物置部屋に押し込められ、寝具も与えられず衣服は学院の制服と下着が一揃いだけ。食事は使用人の残飯があれば良い方。成り行きでネーナ達が保護しなければ、そう遠くないうちにクラリッサは命を落としていただろう。

 

 バーイン子爵はクラリッサを息子の婚約者として引き取りながら、ハナからそのような扱いをする気は無かったのだ。


 ネーナの胸に、改めてバーイン子爵に対しての怒りがこみ上げる。


 心身に強いストレスがかかった時、人は精神に変調をきたす事がある。その効果は様々な形で表に現れる。自発的な行動をしなくなったり、別人のようになったり、自傷行為や暴力的になったりなど。


 正気を失った者を養うのは、経済的にも労力的にも綺麗事では済まない。ノウハウが必要で、世話をする方に身の危険だってあり得る。綺麗事ではないのだ。


 クラリッサをシルファリオに連れて帰れば、その面倒を見るのは屋敷のメイド達だ。マリア、ルチア、セシリア、リリコ、プリシラ。メイドではないけれどジェシカとブルーノもいる。


 犬猫を拾って帰るのとは訳が違う。それぞれネーナの大切な人達で、オルトが体を張って守ってきた人達でもある。


 そんな人達に大きな負担をかけかねない選択を、ネーナは躊躇していた。




「ん」




 不意にネーナの目の前に、切ったリンゴが突きつけられた。


「リンゴ、たべなよ」


 エイミーがフォークを差し出し、じっとネーナを見つめていた。まだ自身は皿のリンゴに手を付けていない。


「ネーナ変なかおしてるよ」

「変な顔って失礼過ぎます」


 ネーナは苦笑しながら、大きく口を開けてリンゴを頬張る。瑞々しい果肉を噛みしめれば、少しばかり気分が晴れた。


 その様子を見て安心したように、エイミーもリンゴを口に運ぶ。


「クラリッサについては、目を覚ましてからでないと決められないわね」

「あたしら、屋敷にいつもいる訳じゃないしね。一時的にならまだしも、ここでは何とも言えないかな」


 フェスタもレナも、ネーナの懸念を理解していた。


「でも、方針を決めておくのは大事だわ」

「なら簡単でしょ。屋敷ではオルトが寝てるし、メイド達もいる。危害を加えそうだったりエラく手間をかけさせるようなら連れていけないよ」


 レナはシンプルに線を引いた。


 ネーナにも妥当な落とし所だと思えた。だがその表情は冴えない。


「あの時、クラリッサを助けないって手は無かった。ネーナが行かなきゃ他の誰かが行ってた。クラリッサの状態も、周りの連中もそれくらい酷かったし。だからそこを後悔するべきじゃない」


 レナにフェスタが同意する。


「そうね。この先ベストではなくても、出来るだけベターな状況になるよう考えましょう。屋敷で受け入れるのが無理なら、隔離施設を考えてもいいと思うわ」

「どうするかはクラリッサが起きて、ヤババ確定してからでもいいっしょ。伝手はいっぱいあるもんね」


 二人の言葉がネーナの肩にかかった重しを取り除く。


「私達や身の回りの人達の事だもの、皆で考えて決めましょう。それにシルファリオに戻れば、メイドの皆以外にも相談出来る人達がいるわよ」

「最悪、オルトを叩き起こして押しつけるか」


 レナが冗談めかして言うと、ネーナはクスリと笑った。


 そこにコンコンと、控えめに扉が叩かれる。


「皆さんお揃いでしたか。クラリッサさんが目覚めました」

 

 メラニアが現れ、用件を告げる。


「容態は落ち着いています。ネーナさんから伺っていた通り、こちらの声は聞こえても言葉を返すのが難しいようです。メモとペンをお渡しして意思の疎通を図っています」


 今は白湯から重湯を与えて様子を見ているという。


 クラリッサが食事を終えたら知らせに来ると言い残して、メラニアは部屋を出た。




 ◆◆◆◆◆




 メラニアが言った通り、クラリッサは落ち着いていた。


 湯浴みをして手入れをされた髪は銀の輝きを取り戻しており、レナの法術で傷やアザの類は綺麗に消えている。痩せた身体もこれから回復するだろう。


「先日お伝えしましたが、私はネーナ・ヘーネスと申します。貴女のお名前を教えて頂けますか?」


 ネーナの問いかけに対し、彼女はスラスラと筆記で応じる。


『クラリッサです。以前はクラリッサ・ガタッタと名乗っていました』


 その内容も、彼女の目に宿る光も理性的に感じられる。ネーナは表情に出さず、内心で安堵の溜息を漏らした。

 

 クラリッサにバーイン子爵家の屋敷が焼失した事を伝えたが、大事な物は使用人達に奪われたので問題無いと返された。


 傍で聞いていたエイミーが眉をひそめる。ネーナはその件も告発しておこうと胸に留めた。

 

 ややあって、クラリッサは再びペンを走らせた。

 

『一箇所、行きたい場所があります』

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

 クラリッサと【菫の庭園】一行が訪れたのは、廃墟と化した教会だった。

 

 クラリッサは荒廃した教会に悲しげな顔を見せたが、「すぐ戻ります」とメモに書いて中に消えた。


 フェスタが呟く。

 

「ガタッタ男爵領は放棄されたのね。この有様なら、新しく町を興した方が早いものね」

 

 旧ガタッタ男爵領は、旧コスタクルタ伯爵領に隣接している。今では共に領主一族が廃され、民主制のヴァレーゼ自治州に再編されていた。

 

 図らずも貴族制撤廃の流れに関わり、冒険者ギルドヴァレーゼ支部の開設にも参加したネーナにも思う所はあった。


 程なくして、クラリッサは戻って来た。その胸には古い表紙の本が一冊、大切そうに抱えられていた。




 ◆◆◆◆◆




「――クラリッサさん」


 窓を覆うカーテンの隙間から外を見て、ネーナは呼びかけた。

 

 一行を乗せた馬車は『ガスコバーニ』のクランハウスを目指し、既に北セレスタ市街に入っている。


 ネーナが視線を向けると、仲間達は頷いた。

 

「貴女の今後の事ですけれど」

 

 俯いていたクラリッサが、ゆっくりと顔を上げる。

 

「私達は、貴女の身に起きた出来事を、概ね理解しています」

 

 その声にクラリッサの肩が揺れる。気の毒に思いながらも、ネーナは必要な言葉を伝える。

 

「貴女に今必要なのは、心と身体を癒やせる時間と環境です。貴女が良ければ、私達のお屋敷へ来ませんか?」

 

 クラリッサは目を丸くした。

 

「私は、貴女を憐れみません。なぜなら――」

 

 ネーナがカーテンを開ける。


 差し込む光に、クラリッサが目を細める。その目が慣れると、大きく見開かれた。

 

「貴女の障害は、私達が取り除きましたから」

 

 馬車はバーイン子爵邸の前を通過していた。見慣れた門は焼け落ち、苦しい思い出しかない館は跡形も無い。


 現場検証や捜索をする憲兵の中に、バーイン子爵の姿を見つけた。粗暴で尊大だった男は、別人のように項垂うなだ悄然しょうぜんとしていた。


「少なくとも今、貴女は誰かの舞台で端役はやくや悪役を演じさせられる事はありません。ご自分で道を切り拓き、幸せを求めていいんです」

 

 過去は覆せない。失ったものは取り戻せない。ネーナは敢えて言わなかった。クラリッサが決断しなければ、差し伸べた手に意味が無いからだ。

 

 馬車がバーイン子爵邸を通り過ぎる。

 

 クラリッサの双眸そうぼうから、透明な雫が流れ落ちた。

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