第二百七十三話 お傍にいて、褒めて貰いたいんです

 雨上がりの街道を、父娘と思しき旅装姿の二人組が歩いていた。


 娘は子供らしく元気一杯。キラキラ光る水たまりを覗き込んだり、面白い形の雲を指差して男の手を引っ張り話しかける。


 男は苦笑していたが、何かに気づいたように後方を振り返った。落ち着いた様子で子供を促し、道の端へと移動。

 すると程なく彼等の傍を、四頭引きの馬車がゆっくりと通過した。


 決して華美ではないが、素人目にも上質なものとわかる馬車。その扉には一対の翼を広げて立ち上がった竜の紋章が刻まれている。


 泥水が撥ねないようにとの配慮を感じて、男は深々と頭を下げる。その横で子供が大きく両手を振れば、車中の女性達は笑みを浮かべ、手を振り返す。


 馬車を見送った男は、街道沿いの標識に目を向けた。そこには『この先 シルファリオ』と記されている。


「さあ、街までもう少しだ。まだ歩けるかい?」

「うん!」


 父の問いに子供は元気よく応え、今にも走り出さんばかりに足踏みをする。


 二人は手を繋ぐと、馬車が去ったのと同じ方向へと歩き始めた。




「――あの女の子、かわいかったねぇ」


 馬車の窓に貼りついたエイミーが呟くと、その横で癖の無い銀髪の少女がコクリと頷いた。


「町に着いたらまた会えるかな?」


 二人から同意を求めるような視線を向けられ、ネーナは微笑みを返す。


 前方に延びる街道、それを挟む形に存在する新旧の市街が近づく。

 シルファリオへと帰還する【菫の庭園】一行は、まだ出会って数日の少女――クラリッサを道連れに加えていた。


 クラリッサの扱いについては、【菫の庭園】一行を快く受け入れかくまってくれた【屠竜の炎刃】の面々とも良く話し合った。


 まずは静かな場所で療養すべきと意見が一致。本人の同意を得られたならば、ネーナ達が暮らす屋敷へ連れて帰る事に決まった。


 クラリッサは悩む様子も無く、あっさりと提案を受け入れた。既に身寄りも無い彼女にとって、シュムレイ公国は苦しいばかりの場所だったのだと知り、ネーナ達は心を痛めた。


 シルファリオへの移動は、馬車でも数日かかる。クラリッサが旅に耐えるだけの体力を回復させるのを待つ間、主にネーナとエイミーが彼女に様々な話をした。


 クラリッサと【菫の庭園】には面識が無かったが、彼女の過酷な境遇にネーナ達は無関係とは言えない。その関わりについても、ネーナは包み隠さず彼女に伝えた。


 それでも銀髪の少女が翻意ほんいする事は無かった。


 聞けばクラリッサの両親を始めとする周囲の人々は、自らの将来が明るくない事を理解していたのだという。


 寄親であるコスタクルタ伯爵の、シュムレイ公国に対する重大な背信。発覚すれば国を分かつ内戦は必至。太鼓持ちにおだてられた伯爵は現実を見られずに増長するばかり。


 諫言かんげんする気骨ある者は闇鉱山に送られて命を落とすか、或いは妻子を人質に取られて、心ならずも悪事の片棒を担ぐしかなかった。


 貴族社会のしがらみについてはネーナにもよく理解わかる。何代にも渡って土地や爵位、一族や領民に縛られて身動き出来なくなるのだ。


 結果クラリッサの家族は、寄親の不始末に連座して処刑された。彼女一人を残して。


 その後クラリッサは地獄のような日々の中、奇跡のような確率でネーナ達の目に止まって救い出された。


 それがクラリッサにとって幸せだったのか、ネーナにはわからない。心の傷の深さは日常のちょっとした動作からも感じ取れた。


 ただクラリッサは、家族の処断を裁可した公爵は勿論【菫の庭園】の面々にも、感謝こそすれ恨みなど無いと、美しい文字で書き記した。彼女の澄んだ瞳に、偽りの色は無かった。


 移動に耐えうる体力が彼女に戻ると、ネーナ達は後事を【屠竜の炎刃】のテルミナに託して北セレスタを発った。


 クラリッサの境遇にいたく同情したテルミナは、愚か者達に漏れなく報いを受けさせる、と鼻息荒く宣言した。


 一時期パーティーを組んで行動を共にし、テルミナの人となりはわかっている。バーイン子爵父子やクラリッサを虐げていた者達が、彼女を脅かすような事態は二度と無い。ネーナはそう確信していた。






 町に到着した馬車は、乗降や荷捌きのホームを通過して裏門から旧市街に入った。


 墓地を抜ければ屋敷は目の前だ。大剣を背負ったイリーナの姿が見える。


「みんな、お帰り。こっちは変わり無かったよ」

『あははは……』


 呑気のんきな出迎えに、ネーナ達は乾いた笑いを漏らした。視線はイリーナではなく、地面のとある一点に向いている。


「ああ、これ?」


 転がって呻く、ボロ雑巾と化した男達。イリーナは一瞥し、肩をすくめる。


「オルトの客、だよ」


 その返事で一行は納得した。


 オルトが倒れて以降、屋敷にはおかしな客人がやって来るようになった。その中には、オルトが床にせっているのを承知で立ち合いを求める者もいる。


 彼等の目的は明らかで、立ち合いを断れば『刃壊者ソードブレイカーは逃げた』と吹聴するのだ。


 オルトが健在でも相手にしない程度の輩だが、兄大好きなネーナとエイミーが見逃す筈は無い。イリーナが来てからは、そういった仕事は彼女が全て引き受けていた。


 クロスの手当もぞんざいで、男達を法術で癒やしたりはしない。


 イリーナが新たな客人を見つけてニコリと笑う。


「その娘がクラリッサ? 話は聞いてるよ。私はイリーナ、この家の番犬やってるんだ。こっちは相方のクロス」


 ワン! とふざけるイリーナに、クラリッサが目を丸くした。


「今日はお客さんの多い日だね。中は中で大変な事になってるけど」

「お客さん、ですか?」

「行けばわかるよ」


 さあさあと促されて、ネーナ達は首を傾げながら屋敷に入って行った。




 イリーナが言っていた事はこれかと、すぐに理解出来た。


「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙、命の恩人がこのような事になっている時に私は、わたしはぁ……」


 応接室で見覚えのある女性が慟哭していた。貰い泣きしたのか、慰めるメイド達の目も赤い。


「お、お久しぶりですタニアさん。ミアさん、ショットさんもお会い出来て嬉しいです」

「あ、久しぶり。ネーナもエイミーも、グッと大人っぽくなったね」


 応えるミアの目も赤い。グズグズと泣いていたタニアは、屋敷の主が戻ったのを知りバッと顔を上げた。


「タニアでございます! この度は私のような者をお救い頂き、いただき、うぅ……」


 再び泣き始める。


「エイミー、ネーナ、オルトに挨拶をしていらっしゃい。こちらは話を聞いておくから」


 フェスタが困った顔で言うと、二人はコクコクと頷きクラリッサを伴って応接室を出た。




 三人はオルトの部屋へ向かい、屋敷の廊下を歩く。


「タニアお姉さん、大丈夫かなあ」

「どうでしょう」


 以前にネーナ達が会った頃のタニアとは、大分雰囲気が違っていた。ミアが先んじて屋敷に寄越した手紙から、タニアがどのような境遇にあったかは承知している。


「まあ、先にお兄様を見舞われたのもありそうですが」

「それもそうだね」


 オルトの見舞客は大体号泣する。これまで一番凄かったのは、冒険者ギルド長のハーパー・ヒンギスだ。


 クールビューティが眠っているオルトを見るなり悲鳴を上げ、腰を抜かして尻餅をつき、這ってベッドに縋りついてオイオイと泣き続けた。長年の腹心である秘書のホランをして、これほど取り乱した姿は初めて見たとい言わしめた程。


「お見舞いに来られる方の多くはお兄様と面識がありますし、お兄様はとても強い剣士だと認識されているので、倒れるなど想像出来ないのです」


 少し話題に置いていかれ気味のクラリッサに説明する。


「お兄様、ベルさん、リリコさん、只今戻りました」

「ただいま〜」


 オルトの部屋に入ると、ベッドの傍で刺繍をしていたリリコが手を止めて立ち上がった。


「お帰りなさい、エイミーさん、ネーナさん。お客様もようこそいらっしゃいました、メイドのリリコと申します」


 リリコの挨拶に、クラリッサも会釈を返す。リリコは続けて、ネーナ達の外出中に変わりは無かったと告げた。


「私は外しましょうか?」

「いえ、私達はすぐに応接室に戻りますから」


 ネーナが応えると、リリコは人数分の椅子を用意し自らは少し離れて控えた。


「ベルさんは、お兄様の相棒です」


 オルトの枕元で、スタインベルガーが薄く明滅する。


「お兄様、失礼しますね」


 ネーナが診察する様子を、エイミーはじっと見守っている。


「……異常ありません」


 ネーナがオルトの寝衣を整え、毛布を肩までかけ直す。エイミーは安堵の息を漏らす。


「お兄さんは、わたしとネーナのお兄さんなんだよ」

「血の繋がりはありませんよ。エイミーは押しかけ妹ですし、私はあまりに世間知らずでしたから、実家を離れる際に私の周囲の方々が守り役のようにしたのです」


 ネーナは苦笑した。


「ご家族を亡くされたクラリッサさんには辛いかもしれませんが、少しだけ聞いて下さい。


 お兄様は二月ほど前、ある戦いで倒れてから、こうして眠り続けています。


 いつ目覚めるのか、どのような手段を用いれば目覚めるのかもわかっていません。私達は、お兄様を無理矢理目覚めさせようとは考えていないのですが。


 お兄様は誰よりも勇敢で、とても優しくて、いつも私達の先頭で矢面に立ち、私達の分まで傷つきながら敵を打ち倒してきました。


 少しくらいお寝坊さんでも、大目に見ますよ」


 クラリッサは神妙な顔でネーナの話に耳を傾けている。


「お兄様はとても優れた剣士ソードマンですが、いたずらに戦いを好む方ではありません。


 本当なら恋人のフェスタと二人、慎ましく穏やかに暮らす事も出来た筈です。


 けれどもお兄様は、周囲の人々の苦しみを、何一つ許容しませんでした。その為、このような事に……」


 我儘な王女など置いていけば。勇者一党の因縁など見ぬふりをすれば。厄介な敵など相手をせず逃げていれば。仮にそうした所で、オルト・ヘーネスが大きな非難を受ける謂れは無かっただろう。


 だがその場合、勇者パーティーのメンバーを含む何人かは確実に命を落としていた。ずっと見てきたネーナは、そう断言出来る。


 少なくとも、箱入りで浅はかな王女アン・ジハールは、碌な目に遭わなかったに違いない。


「そんな優しいお兄様だったから、私は悪意や誘惑に惑わされず、脇目も振らず背中を追い続けました。当然、道を踏み外しようがありません」


 大変な事は沢山あったが、衣食住には困らなかった。それがどれだけ大切か、それが無いとどれだけ苦しいか、人の心を貧しくさせるのか、オルトは知っていたのだ。


 ネーナは自分が多くの人々に助けられて生きてきたのだと実感している。中でもサン・ジハール王国を出奔してからの二年は、オルトが身を呈して稼いでくれた時間だ。


「――とはいえ、別に義務感や立派な考えから、私達がこうしてお兄様をお守りしている訳では無いんですよ」


 小首を傾げたクラリッサを見て、ネーナとエイミーが笑みを浮かべる。本当に、そんなに大それた理由では無いのだ。


「いつかお兄様がお目覚めになられた時。お傍にいて、褒めて貰いたいんです。私達が見たもの、経験した事をお話しして、凄いな、頑張ったなと言って貰いたいんです。それだけなんですよ」


 うんうんとエイミーが頷く。リリコはクスクス笑い、クラリッサは目を丸くした。


「お兄様に対して、クラリッサさんから何かして頂こうとは考えていません。ただこのお屋敷でお休みになられているお兄様を、皆が大切に思っているのだと知って頂きたいのです」

「…………」


 クラリッサはオルトをじっと見つめた後、毛布の上から両手で彼の右手を包みこんだ。

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