第二百七十四話 全身全霊で、お仕えさせて頂きます
ネーナ達三人が応接室に戻ると、タニアは大分落ち着いていた。
入れ替わりでフェスタが一人、オルトの部屋に向かう。
「レナさんは行かないんですか?」
「野暮は言いなさんなって。今はフェスタの時間だよ」
「…………」
ネーナに無言で見つめられて居心地悪くなったのか、レナは自ら弁明を始める。
「そ、それに、あたしは別に、オルトの顔見たいなんて思ってないし?」
「そんな事言って、お兄さん大好きだよね?」
「私達がいない隙を狙って、お兄様のお部屋に忍び込んでいるではありませんか」
「んなッ!?」
エイミーとネーナが言い返すとレナは動揺し、応接室が笑いに包まれた。
「あたしの事はいいの! 今はタニアの話でしょ!」
少しむくれたレナにはそれ以上突っ込まず、ネーナはタニアへ向き直る。タニアも笑みを消し、居住まいを正した。
「兄が、オルト・ヘーネスが倒れた今、これまでは気づきもしなかった様々な問題が、周囲で顕在化しています。私達はそれらの早急な対処を求められています」
「……はい」
真剣な表情で、タニアが頷く。
「こうしてタニアさんをお招きしたのは、そういった対処の一環でもあります。具体的に申し上げれば、タニアさんには、我が家の
「っ!」
タニアが息を呑む。
家令、或いは家宰。ハウス・スチュワードと呼ばれる彼等は、家主に準じる権限で家の一切を取り仕切る代行者だ。
主の補助をする
だがタニアの返事は、前向きなものではなかった。
「……それは、いささか
ネーナ達の屋敷へ招かれ、今いる使用人達を差し置いて差配をして欲しいと言われたのだ。その反応に無理はない。
だが違和感を覚え、ネーナはチラリとレナを見た。
「あー、うん。まだあんまり話してないんだ」
「わかりました」
先刻までのタニアは酷く取り乱していた。その様子を思えば、落ち着いて実のある会話は難しかっただろう。
ネーナは頷き、視線をタニアに戻す。
「タニアさん」
「は、はい」
「まず申し上げたいのは、これは対等な立場でのお話だと言う事です」
恩に着せて強制、強要をしないと明言する。タニアの窮地を救ったタイミングではあるが、ネーナは自分達の要望とリンクさせるつもりは無かった。
「勿論、聞いた上でお断り頂くのも結構です。それによってタニアさんに不利益が生じたりはしません。この私が、兄であるオルト・ヘーネスの名に賭けてお約束致します」
メイド達が驚きをあらわにする。対照的にエイミー、ミア、ショットは微笑んだ。
ネーナ・ヘーネスにとって最上級の誓約。言葉を違えればオルトの名誉に傷がつく、そんな事をネーナがする筈がないのだ。
「ま、オルトが寝てる家にいつも居られるなんて、ネーナにとってはご褒美だもんね。義務感や罰ゲーム感覚ではやって欲しくないよね」
「ええ、お仕事さえ無ければ、おはようからおやすみまでお兄様を見つめて――そういう話ではないんですっ」
先刻の仕返しとばかりに茶化したレナを、ネーナが軽く睨む。レナは真面目な顔を作って目を逸らし、ピッと背筋を伸ばした。
「タニアさんとは何度か面識がありますし、失礼ながら経歴等も調べさせて頂きました。是非とも私達のお屋敷で働いて頂きたいと思っています」
ネーナは続けて、【菫の庭園】とこの屋敷を取り巻く現状をタニアに伝える。
今いるメイド達とは雇用関係にあり、家事や屋敷の維持管理を頼んでいるが、同時にネーナ達とは知人友人、家族のような間柄でもあり何の不満も持っていない事。
ただ冒険者パーティーとしての【菫の庭園】が目覚ましい活躍をするにつれ、またメンバーそれぞれが抱える事情により、各地の有力者や実力者、王侯貴族との関わりが増えつつある事。
今までは冒険者ギルドやお抱えのヴィオラ商会を窓口としてきたが、それらでは明らかに荷が重い状況が増え、両者に負担をかけている事。それはネーナ達の望む所ではない事。
パーティーとして屋敷で対応するならば、隙を見せられないような難しい相手もやって来る。そこにあくまで平民の一般レベルであるメイド達を出せば、彼女達を傷つけてしまうのは必至である事。
加えてオルトが倒れ、スミスも離脱した現在、【菫の庭園】与し易しと考える者が一定数いる事。良からぬ企みに関係者が巻き込まれない為にも、屋敷を取り纏めてくれる家令が必要である事。
「――現状はこういった所です」
ネーナが話し終えると、タニアは難しい顔をした。
「……何も私のような若輩でなくとも、【菫の庭園】の名声と伝手を使えば、優秀な家令の来手には困らないと思うのですが」
ネーナは小首を傾げる。
タニアは家令も執事も問題無く務まるし、メイド達の指導も出来るとネーナ達は考えていた。その上、元公国騎士でもある。『トリンシック公一族の従者』という肩書は、誰でも背負えるような生半可なものではないのだ。
「私達は、タニアさんがそういった方々に比肩出来ると考えていますけれど」
「買い被りです……私は期待に応えられず、主を支え切れず、見限られた女ですよ」
タニアが
「いやいやいや、それは卑屈になりすぎでしょ。主ってさあ、ネーナに
タニアの表情は曇り、ネーナは嫌そうな顔をしながらも、話の腰を折るまいと口を噤んだ。
ジャスティン・クーマン。トリンシック公国の公爵家に連なる、名家の御曹司。タニアの元上官でもあった男。
タニアは彼に
ジャスティンはネーナに絡んで冒険者ギルドから猛抗議を受けた一件以外にも、地位や立場を利用した不正が次々と明るみに出て、現在は実家に幽閉されている。
「……私はつまらない、何も出来ない人間です。皆様のお力になれるとは、とても思えません」
絞り出すような独白の後、タニアが俯く。応接室は静まり返る。
「…………」
ネーナがぎこちない動きで首を振った。もしも音がしたならば、それは建てつけの悪い扉を無理矢理開けたようなものに違いない。
視線が合ったミアの顔が引き攣る。
「ネーナちょっと目が怖い、落ち着こう、ね? ……アタシ達、帰ったらガルフのリハビリも兼ねてシメに行くから、ね?」
ショットはミアの隣で、何も見ていないかのように振る舞っている。しかし顔色は悪い。
誰をシメるのか。言わずと知れた、ジャスティン・クーマンだ。
タニアがジャスティンを支える為に努力を重ねてきた事は、【菫の庭園】の面々も知っている。それは周囲の人間が彼女にかけた、ある意味呪いによるものとも言えるが、長く彼女の行動規範の柱ともなっていたのだ。
タニアは真面目だ。これまであまり接点の無かったネーナにも、それはわかる。そんな彼女が、「つまらない人間」だと自嘲したのは何故か。それもわかる。ネーナにはわかってしまった。
生真面目なタニアを、このように傷つける事が出来るとすれば、それはジャスティン以外にあり得ない。
あの男をどうするかはミアに任せるとして、ここはもう荒療治しかない。
ネーナはどうにか荒れ狂う自らの心を鎮め、口を開いた。
「タニアさん」
「は、はい」
思いの外低い声が出て、タニアは少し気圧された様子で応える。これは不味いと、ネーナは気持ち声のトーンを上げる。
「貴女は、幸せになるべきです」
「えっ?」
予想もしていない言葉だったのか、タニアは驚きをあらわにした。
「このお屋敷には、貴女を傷つける人はいません。貴女を貶める人もいません。このお屋敷には、温かい食事、清潔な衣服、柔らかいベッド、優しい隣人と穏やかな時間があります。全てが今のタニアさん、そしてクラリッサさんにも必要なものです」
急に名前を呼ばれたクラリッサが、パチパチと目を
「これからは、私達が貴女を守ります。このお屋敷でなら、貴女はきっと幸せになれます。ですからタニアさん――」
ネーナはタニアの瞳を真正面から見据えた。
「四の五の言わず、我が家の家令になって下さい」
「はいっ――はい?」
思わず出た、間の抜けた返事。堪えきれずに、傍らのレナがプッと吹き出した。
「最高だわ! 対等とか強制しないとか吹っ飛んじゃったけど、確かに今のタニアには、体験させた方が早いよね」
「臨機応変です」
ネーナは悪びれもせずに応える。
「当然お給金を支払いますから、先立つものを準備出来て考える時間も確保出来ます。先々お屋敷を離れたくなったとしても、丁度良いと思いますよ」
呆けていたタニアが、ブンブンと頭を振る。
「給金など受け取れません!」
「いいえ、受け取って頂きます」
ネーナはタニアの希望をバッサリ切り捨てた。
「貴女の仕事にも、能力や技術にも価値があるんです。貴女はご自身の仕事に応じた正当な報酬を受け取るべきですし、他の方の仕事にも正当な報酬を支払うべきです。パンを買ったら、代金をお渡しするでしょう?」
価値観を揺さぶられて、タニアが目を見開く。ネーナはさらに追い討ちをかける。
「休日も休憩時間も、しっかり消化して頂きますからね?」
二人のやり取りを、メイド達は楽しそうに眺めていた。
この屋敷での働き方は、決して一般的ではない。当のメイド達も初めて聞いた時は驚いたし、中々慣れなかった。タニアの姿は、いつか来た道、である。
けれども上手く回るようになれば、各自に余暇が生まれるのだ。今となっては元に戻す方が難しい。
メイド達は、タニアと過ごす余暇を、早くも楽しみにしていた。
「――タニアさん?」
ネーナが呼びかけると、タニアはハッと我に返った。
席を立ち、機敏な動作で応接室の床に片膝をつく。ネーナには、彼女が何をしようとしているのかがわかった。
その上で好きにさせる。
「皆様の御恩、この命尽きようとも忘れません。公国に戻るつもりはありませんので、今後は家名の無い『タニア』とだけ名乗らせて頂きます。末永く、宜しくお願い致します」
騎士の誓いだ。公国の作法なのか、タニアは左胸に右拳を当てた。
「――全身全霊で、お仕えさせて頂きます」
ネーナ達の屋敷に、家令が誕生した瞬間であった。
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