第二百七十五話 この仔たち、連れて帰りたいです

「せいッ!」

 

 気合の声と共に、タニアが両手持ちの鎧刺しエストックを突き出す。


「ハッ!」


 迫り来る切っ先を、フェスタはサーベルでいなす。


「まだまだ!」


 さらに続くタニアの二段突き。フェスタは引かずにそれをさばき、横薙ぎの一閃で反撃する。


「なっ!?」


 驚きの表情を見せながらも、タニアは軽快なバックステップで距離を取った。

 

 攻防が途切れ、固唾を飲んで見守っていたギャラリーから溜息が漏れる。

 

「踊ってるみたい、とっても綺麗」

 

 メイドのセシリアの感想に、一同は深く頷いた。

 

「あたしやイリーナは自己流だから、どんだけ頑張っても、ああはならないんだよねえ」

「やっぱり剣術を修めた人の動きは違うよ。羨ましいな」

 

 実力では上を行くレナとイリーナが、稽古を続ける二人に羨望の眼差しを向ける。

 

 窓から庭を眺めていたネーナは振り返って、ベッドで眠るオルトを見た。

 

 オルトは旅の空でも屋敷にいても、時間が取れる時は稽古を欠かさなかった。早朝、一人静かに剣術の型を何度も繰り返していた。


 剣術とは別に唯一無二の剣技をも身に着け、絶え間無く継続する思考も他の剣士とは一線を画していた。しかしオルト・ヘーネスの本質は、思考を実現出来る技術にある。


 そうでなければ、『剣聖』と二度も交戦して生還出来る筈が無いのだ。ネーナは今となって、漸くその凄みが理解出来るようになった。

 

「――私みたいな凡庸な人間にこそ、剣術が必要なの」


 外からフェスタの声が聞こえる。稽古は一区切りついたようだ。


「剣術は、人が強大な敵に挑み続けた歴史。膨大な敗北を積み重ねた上に築かれた叡智。この剣だって扱う術が無ければ、重くて邪魔な鉄の塊でしかないもの――まあ、全部オルトの受け売りなんだけどね」

「いえ、深いお言葉です」


 フェスタが恥ずかしそうに締めると、タニアは真面目に応じる。聞こえてくるやり取りに、ネーナはクスリと笑った。


 タニアはすっかり明るくなった。家令の職務にも精力的に取り組んでくれている。


 肩まであった髪はバッサリ切ってショートボブに整え、制服である黒のフロックコートもスラリとした体型に良く似合っている。


 町を歩けば、男装の麗人として熱狂的なファンがつきそうだ。ネーナは、同僚の面食いな女性冒険者達を思い起こした。


 メイド達とのコミュニケーションに問題は無く、ヴィオラ商会のファラやチェルシー、ギルド支部のエルーシャとの連携も十分。


 むしろ、飛ばし過ぎではないかと周囲が心配する程。


 何よりも助かるのは、貴族の出身でありながら考え方が柔軟な所だ。ネーナ達が希望する使用人との距離感も尊重してくれる。


「……お屋敷の状況を把握して、私達の意を汲んでくれているのかもしれませんね」


 ネーナは独り言ちる。


 まだ安心とまでは言えないが、タニアについては良い方向に動きつつあるように思えた。


「そうなると、次は『彼女』のケアに力を入れたいのですが――あら?」


 廊下を駆けてくる二つの足音を、ネーナの耳は捉えた。




 ◆◆◆◆◆




「ガウちゃん、重くない?」

『ガウッ』

 

 エイミーの問いに、何でもない事だと精霊熊が応じる。


 背中に三人の少女を乗せ、首にはネーナの背負い袋を提げながら、白熊は軽い足取りで恋人山の登り坂を上がって行く。


 この山にはエイミーの伯母が住んでいるが、彼女は人間が苦手な事もあり、クラリッサを連れている今回は立ち寄る予定が無い。


「あっ。リサちゃん、あそこの木の上に鳥さんの巣があるよ」


 三人の中で一番前に座るエイミーが左前方を指差す。エイミーはクラリッサの事を、リサと呼ぶようになっていた。


「…………」

「エイミー、遠過ぎて私やクラリッサさんには見えませんよ」


 懸命に目を凝らすクラリッサの後ろで、ネーナが苦笑する。優秀な斥候のエイミーには見通せるものも、素人のクラリッサでは難しい。


 エイミーは山育ちで狩人の資質があり、その上エルフの血を引いている。【菫の庭園】にあっても、敵や目標をいち早く視認するのは、大抵エイミーなのだ。

 

「そっかー」

 

 エイミーは残念そうに言い、他に何か無いかと辺りを探し始める。

 

「魔術に依らず、手軽に視覚を補強するには……」

 

 ネーナが呟く。


 遠方を見るという点では望遠鏡が適しているだろうが、取り回しや携帯の楽さを重視するならば双眼鏡、それも小型のものが便利だろう。観劇にも使えるかもしれない。

 

 ネーナは我ながら良い考えだと自画自賛し、屋敷に戻ってからヴィオラ商会に相談しようと決めた。

 

「――ガウちゃん止まって」

「はわッ!?」

 

 突然、エイミーが精霊熊を立ち止まらせる。考え事をしていたネーナは倒れ込みそうになった。


 抗議しかけたネーナを、エイミーが制する。

 

「ちょっと静かにして」

 

 真剣な表情で目を閉じ、耳を澄ます。ハーフエルフの少し尖った耳が、時折動く。

 

 ――草とお花の精霊さん、動物さんたちの道を教えて――

 

 エイミーが呼びかけると、茂みの草が左右に分かれて獣道が現れた。

 

「この奥でワンちゃん達が泣いてるの。行ってもいい?」

 

 エイミーの確認は、クラリッサをおもんばかってのものだ。


 ネーナが答える前に、そのクラリッサがコクコクと頷く。内心で溜息をつきながらネーナは答えた。

 

「拙い状況であれば、全力でクラリッサさんの安全を確保して離脱。それが条件です」

 

 エイミーとガウェインとネーナがいて、クラリッサ一人を守り切れない状況などそうは無い。そんな時があるならば、レナがいてもフェスタがいても難しいだろう。

 

「おっけー」

 

 エイミーが了承すると、三人を乗せた精霊熊が獣道に足を進める。


 地元の恋人山でのハイキングという認識から、ネーナは一気に警戒度を上げた。



 

 視覚と聴覚を強化したネーナの耳にも、仔犬らしき鳴き声が聞こえてくる。


 獣道の先に一頭の成犬がうずくまり、そこに三匹の仔犬達がすがっている。親犬なのだろうか、黒毛の成犬は動かない。


 大きな白熊の接近に気づき、一匹が前に出て唸り始めた。先刻の鳴き声とは違う、精一杯の威嚇だ。


「……あの子、お兄さんなのかな」

「そう、かもしれません」

 

 エイミーとネーナは同じ事を考えていた。


 他の二匹も横に並んで威嚇を始める。まだ性別はわからないが、まるでオルトの左右で息巻く自分達のようだと、ネーナは思った。


 周囲に人の気配は無い。が、獣や鳥の気配はある。ネーナ達がこの場を離れれば、すぐさま獲物に群がるのだろう。それが自然の摂理というものだ。


 三人はガウェインから降りて仔犬達に近づいていく。


 ネーナは眉をひそめた。成犬の後肢には、虎挟みがガッチリと食い込んでいた。


虎挟みベアトラップです。一頭は死んでいます」

「トラバサミって、ダメなヤツだよね?」

「はい」


 会話の意味が飲み込めず首を傾げるクラリッサに、かいつまんで説明する。

 

「あの野犬がかかった罠は虎挟みと言って、殺傷力の強い罠です。この恋人山は一般の入山者が多く、山を共同で管理する近隣の町村は虎挟みの使用を禁じているんです」

 

 例外的に使用される場合も期間を区切って許可を取り、入山を規制して設置される。罠には設置者の明記が求められ、期間終了後には必ず回収される。


 人間がかかっても四肢の欠損まで起こり得る危険な罠であり、時には戦争で使われる事もあるという。


 実の所、ネーナにはこの虎挟みの設置者、或いは所有者に心当たりがあった。だが確証も無しに口には出来ず、冒険者ギルドに報告するのが関の山だ。

 

「どうしよう、ネーナ」

 

 警戒する三匹に近づけず、エイミーが情けない声を上げる。

 

 確かに虎挟みを放置は出来ず、外して回収しなければならない。仔犬を排除するのは容易いが、そうしたくないのはネーナも同じだった。

 

「使い古した手ですが、ご飯で釣りましょうか」

 

 ガウェインが持つ背負い袋を受け取り、木皿を山羊乳で満たして仔犬達の前に置く。

 

 仔犬達の威嚇が止まる。しかしミルクには手を出さない。

 

「お母さんのオッパイじゃないと駄目かなあ」

「エイミーはペッタンコですからね」

「ネーナひどい!!」

 

 エイミーの抗議に聞こえないふりをしつつ、ネーナはパンを取り出し柔らかい部分を千切る。

 

 ミルクを浸して差し出すと、仔犬はフンフンと匂いを嗅いだ後、パクリとくわえた。

 

「たべたよ!」


 喜ぶエイミーとクラリッサに仔犬達を任せて、ネーナは親犬の傍に向かう。

 

「ガウさん」

 

 手招きをすると、精霊熊が寄ってくる。

 

『ガウ?』

「この罠、外せますか?」

『ガウ』

 

 精霊熊は頷き、強力なバネの力で閉じた虎挟みを難なく抉じ開けた。

 

 親犬の死体は乳が張っていたが、痩せて傷だらけだった。虎挟みに捕獲されてついた傷、罠から逃れようと藻掻いたらしき傷、獣相手と思しき傷、刃物で切られたような傷。古傷から比較的新しいものまであった。

 

「お母さんでしたか。懸命に子供達を守ってきたんですね……あら?」

 

 ふと、ネーナは死体に違和感を覚えた。

 

 三匹の仔犬は、多少の差異はあれど良く似ている。しかし仔犬達とこの死体は、毛色こそ同じだが顔の形や身体のバランス、パーツに違いが見られた。

 

 母犬の死体の方が、ずっと犬らしく見えるのだ。仔犬達には、狼の特徴が混じっていた。

 

「エイミー、その仔達、『狼犬ウルフドッグ』かもしれません」


 エイミーは食事を終えた仔犬を一匹抱き上げ、まじまじと見つめた。狼犬とは、犬と狼が交配して生まれた仔だ。


「あー、そう言えばそうかも」


 エイミーとクラリッサの後を追いかけ、仔犬達も死体の傍にやって来る。


 土の精霊術で穴を掘り、母犬を埋葬する。本来なら獣達の餌に残していくべきだが、ネーナ達はそうする気になれなかった。


「ネーナ、この仔たち連れていこうよ」

 

 エイミーの言葉に、ネーナは返答しかねていた。

 

 ネーナには、この山の生態系に干渉し過ぎている自覚があった。山の恵みを頂く以外に関わるべきではないと、理屈ではわかっている。仔犬達も置いて行くのが筋だ。

 

 狼犬は家畜化された犬と違い、飼育が困難だとも言われている。成長すれば犬よりも大きくなるだろう。

 

 ネーナもエイミーも、常に屋敷に居られる訳ではない。メイド達に世話を頼む事になってしまう。簡単に「連れて帰ろう」とは言えない。

 

 考え込むネーナの前で、クラリッサが腰のポーチを開いた。

 

『この仔たち、連れて帰りたいです』

 

 メモを見せ、すぐに新たな文字を書き加える。エイミーはクラリッサの行動が予想外だったのか、固まっている。

 

『私が必ず、この仔たちのお世話をします』

『お屋敷でお仕事もしたいです』

『この仔たちと一緒に、私もお屋敷に置いて下さい。お願いします――』




「――降参です」




 ネーナは両手を上げた。これまで主張らしい主張をしなかったクラリッサにそこまで言われては、反対など出来ない。

 

「クラリッサさんがお屋敷にいてくれたら、私も嬉しいです。三人で皆に、この仔達を飼わせて貰えるようにお願いしましょう」

 

 二人が飛び上がって喜ぶ。ネーナは右手の人差し指を立てて突き出した。

 

「これは大事なミッションです。まずは作戦会議からです」

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