第二百七十六話 三匹揃えば、冥界の番犬

「……この子達、何してんの?」

 

 居間に入ってきたレナが目を丸くする。フェスタは苦笑を漏らした。


「一生のお願い、なんだって」

「ほえ〜」

「どんなリアクションなの、それ」

 

 屋敷の住人達を前に、ネーナとエイミー、クラリッサの三人が正座している。それぞれの襟元からは仔犬が顔を出しており、いまいち真面目な空気になり切らない。


 ネーナの前には、回収した虎挟みが置かれていた。

 

「間違いなく、事前に想定問答を練ってるのよねえ」


 フェスタがじっと見つめると、ネーナは視線を逸らす。虎挟みを拾い上げ、フェスタはその存外な重さに顔をしかめた。


 仔犬を発見した状況、連れて来た経緯は正直に伝えてある。


「犬、飼いたいんでしょ? 番犬もいないし、何か問題あったっけ?」


 レナは首を傾げた。


「私達が飼いたいって先に言ったら、犬が苦手な人がいても言い出せないじゃない」


 ネーナとエイミーは屋敷の主でもある。そのお願いとなれば、特に使用人の立場では反対しづらい。フェスタは敢えて気づかないふりをしているが、メイドのルチアは少し顔が強張っていた。


「それに狼犬は大きくなると聞くし、野生が少なからず残っているからしつけも大変よ? うちは町の外れで隣の家も離れているけど、夜中に遠吠えくらいはしそうよね」


 やはりフェスタは手強い、とネーナは思った。


 反対とまでは言わないが、しっかりと問題提起をしてくる。なあなあで受け入れて、後でトラブルにならないように考えているのだ。


 だが、このフェスタの了解を得られなければ、仔犬達と暮らす事は出来ない。


「遠吠え対策としては、屋根裏部屋や屋根の上などに遮音結界を構築しようかと」


 ネーナが応えると、続いて家令のタニアが控えめに挙手をする。


「狼犬とは勝手が違うかもしれませんが、番犬をしつけた経験があります。多少はお役に立てそうです」


 はいはい! とエイミーが挙手をする。


「ガウちゃんも、ちょっとだけどワンちゃんたちとお話し出来るよ!」


 ある程度言い聞かせる事が出来る、との主張。


「本能的な部分は、実際に育ててみないとわからないわね……それは一先ひとまず、置いておきましょうか」


 ふむ、と暫し考え込み、フェスタは口を開いた。


「うちには病人ではないけど、オルトがいるわよ。それについてはどう考えてるの?」


 来た、とネーナは思った。


 恐らくは、フェスタからの最後の質問だ。ネーナ達の屋敷において、オルトは何よりも優先される。けれども、その問いはネーナが待ちわびていたものでもあった。


「まだ確立されてはいませんが、『アニマルセラピー』という考え方があります」

「アニマルセラピー?」

 

 フェスタが聞き返す。


「はい。怪我人や病人に限らず、人が動物と触れ合う事によって良い影響を得られるのではないかというものです」


 実際にネーナは、その論文を読んだ事がある。仔犬達を飼う為とはいえ、嘘偽りや出任せを述べるつもりは無い。


 オルトの眠りは、魔術や呪いによるものではない。いつ、どのような条件で目覚めるのかはわからないが、無理に起こすような事はするまいと、仲間達は合意している。


 ただ仔犬達のいる環境で、オルトの眠りが少しでも穏やかなものになるのではないか。ネーナはそう訴えているのだ。学術的な見地から、とても真面目に。


「お兄様だけでなく、クラリッサさんにも良い影響がないかという期待もあります」

「療養とか静養の名目で、田舎に滞在するようなもんかな?」

「大枠はその理解で良いと思います」


 レナは質問こそするが、犬を飼うくらいは良いだろうというスタンス。


 フェスタも積極的に反対する理由は無いと、ネーナ達は考えていた。だからこの状況は、少々予想外ではある。


「勿論、問題があれば近づけません。他の方も申し出があれば最大限に配慮します」


 ネーナの言葉で、ルチアが安堵の表情に変わった。


 あっ、と気づく。


 フェスタはネーナから、この言葉を引き出そうとしていたのだと。ネーナ達が己の要求を通す事に注力していたから、安易に同意しなかったのだと。


「このお屋敷には、色んな人がいるの。犬が好きな人も、苦手な人もね。立場や関係性は常に変わっていくけれど、誰かが一方的に我慢しなければならないのは避けたいわね」


 今回に限った話ではないけれど、とフェスタは付け加える。確かに、今後屋敷を去る者もいれば、新たにやって来る者もいるだろう。ネーナはそこまで考えていなかった。


 厳しい言い方ではないが、ネーナ達三人はシュンとしていた。


「……ええと」


 恐る恐るといった様子で、ルチアが手を上げた。


「私、子供の時に大きな犬に追いかけられて……少し苦手で」


 ズーンと三人が沈み込む。慌ててルチアは両手を振った。


「あっでも、この仔達はまだ小さいし! 慣れるかもしれないしっ! でもやっぱりちょっと怖いので、始めは配慮をお願い出来ればっ!」


 そしたら大丈夫だと思う、と声が小さくなる。


「人に無闇に吠えない、噛まない、じゃれつかない。その辺りの躾から重点的に行うというので、いかがでしょうか」


 とりなすように、タニアが提案する。ルチアはコクコク頷いて同意した。


「見た感じ、まだお乳が必要みたいね。お腹が減ったら夜でも騒ぐだろうし、大変よ?」


 フェスタが言うと、ネーナ達三人は顔を見合わせた。


「頑張ります」 

「毎日運動させてあげないといけないのよ?」

「お散歩に連れていきます。ボール遊びもします」

「ネーナとエイミーは冒険者のお仕事もあるのよ? クラリッサだけでは手が足りなくなるわよ?」

「うっ」

 

 代表して応えていたネーナが、返事に詰まる。想定した問答は、とうに尽きていた。


 口を挟まないようにしていたイリーナが、見かねて助け舟を出す。

 

「私もいずれは冒険者に復帰するから、本職の番犬が来るのは歓迎だよ」

「このお屋敷で暮らす仔達ですから、私も可能な限りお世話させて頂きます」

 

 メイドのマリアは協力を申し出て、他のメイド達も同意を示す。


 フェスタはそれらを聞き、漸く了承をした。

 

「そういう事なら、いいと思うわ」

 

 喜び合うネーナ達をよそに、呆れ声でレナが言う。


「回りくどくない?」

 

 最初からOKするつもりなら、ここまで引っ張らなくてもいいじゃないか。そう聞かれて、フェスタは肩を竦めた。

 

「体裁とか、コンセンサスとか、そういうのが大事なのよ」

「そうだけどさあ。あれか、結婚に反対する頑固親父的なやつか」

「障害があれば、尚の事燃え上がるんでしょう?」

 

 フェスタはニコッと笑い、ネーナ達に尋ねる。

 

「ネーナ、この仔達の名前は?」

「はい、勿論決めてあります!」

 

 ネーナが元気良く応え、服の中から仔犬を出して座らせる。

 

 三匹の中では少し身体が大きく、額に白い星型の模様がある。

 

「この仔がお兄さんのケルちゃんです!」

 

 もう一匹の仔犬を、エイミーがケルの右に並べる。仔犬は右前の足先が靴下を履いたように白い。

 

「このこは女の子で、ベロちゃんだよ!」

 

 ケルの左側にクラリッサが座らせた仔犬は、先が白い左後肢で首を掻いた。『この仔も女の子で、スウと言います』と書かれたメモを見せる。

 

 レナがプッと吹き出した。

 

「ケル、ベロ、スウ……ハハッ、並べたらケルベロスだ!」

「お母さんはもういませんけど、強くて元気な仔に育って欲しいと思ったんです」

「うんうん、良いと思うよ。名前からして番犬にピッタリじゃん」


 ケルベロスは三ツ首の魔獣だ。神話やお伽噺とぎばなし、聖典に登場する。個体数は少ないが実在も確認されており、対峙するには最低でもBランク以上の実力が求められる強敵でもある。


 フェスタがパンパンと手を叩く。


「お屋敷の新しい警備担当の話は、それで終わりね。タニア、クラリッサと一緒にその仔達を見ていて貰える?」

「かしこまりました」

 

 タニアは一礼し、クラリッサと仔犬達、それとメイドの面々を伴い退出した。


「二人とも椅子に座って」

「はぁい……あっ」


 フェスタに促されて立ち上がったエイミーが、コテンと転がる。ネーナも正座で足が痺れていた為、ソファーの肘掛けを掴んでどうにかよじ登った。




 遠くで仔犬達の騒ぐ声が聞こえた後、タニアが居間に戻って来てジェシカの帰宅を告げた。


「ブルーノ様、それからマリン様もお見えですが」

「ブルーノは奥さん達に返してあげましょう。マリンは本人に聞いてみてくれる?」


 二人がジェシカと一緒ならば、【四葉の幸福クアドリフォリオ】は依頼を達成したのだ。


 これから居間でする話は楽しいものではない。フェスタは二人を気遣ったが、二人はジェシカと共に居間に来た。


「狼犬って優秀なのね」

「いやはや参った」


 仔犬達に吠え立てられたブルーノが頭を掻き、マリンに揶揄からかわれる。巨漢の神官戦士を、新たな警備担当は不審者と見做したようであった。


「ジェシカさん、ブルーノさん、マリンさん、お疲れ様です」


 それぞれがネーナの労いに応え、腰を下ろす。


「概要はタニアさんから伺いました。この罠が、恋人山に設置されていたものですか?」


 ギルド職員であるジェシカが、テーブルに置かれた虎挟みをあらためる。


「所有者等の記載がありませんね……エイミーさんとネーナさんが遅れを取る事は無いでしょうが、相手と鉢合わせなかったのは幸いです」


 既にシルファリオ支部にも、何件か同様の通報が来ているのだとジェシカは言った。その表情は浮かない。


 記名の無い虎挟みを、無許可で設置する人物はそう多くない。ルールを知らない、或いはルールを守る気の無い者。この近隣にルーツを持つ者ではない。


 確証が無い為に口には出さないが、罠の持ち主はシルファリオ新市街の住人かその関係者であろうと、ネーナ達は考えていた。


 東西に伸びる街道の北側に、ネーナ達の住むシルファリオ旧市街はある。町の発展に伴い、南側の土地を拓いて建設されたのが新市街だ。


 元々シルファリオは、働き盛りの住人が職を求めて流出し、緩やかに人口減少が続く寂れた宿場町であった。


 いずれは消滅すると見られていた町は、当地の冒険者ギルド支部が大きな名声を獲得した事を切っ掛けに活況を呈し始めた。


 人口増に転じたシルファリオだったが、余所者が増えれば必然的にトラブルも増え、治安の悪化に繋がる。郷に従う殊勝な者ばかりではないし、元の土地に居られなくなって流れて来た者もいるのだ。


 いきおい新市街には素性の知れぬ者も紛れ込み、一部はスラム化して問題の温床になりつつあった。


「この件については、私から支部長に報告しておきます。それと、私からネーナさんにお伝えしたい話があるんです」


 ジェシカはそこで言葉を切ると、チラリとブルーノやマリンの方を見た。


 二人は【菫の庭園】のメンバーではない。ここからの話は、あまり無関係な者に聞かせていい内容ではないのだと、ジェシカは暗に告げていた。


「続けて下さい、ジェシカさん」


 それを察した上で、ネーナは話の続きを促した。この二人から秘密が漏れるなど考えられないし、そもそもネーナにそんな秘密は思い当たらない。


 ジェシカは頷いた。


「――冒険者ギルドを通じて、ネーナさんに対しての抗議と、聴聞会への出頭要請が入っています」






 室内の視線が集中し、ネーナは首を傾げた。


「はい?」 

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元王女は、勇者の旅路を辿る 風間浦 @vkazamaura

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