第二百七十一話 証拠は、要らないのですよ

「このおじさん、なんとかししゃくって言ってるよ」


 縛られて地面に横たわる男をエイミーが指差し、精霊熊のガウェインは前足で押した。


「あ゛あ゛あ゛っ!!」

「いじめられてたお姉さんがいるから、連れてくるね」


 悲鳴を上げて転がる男に背を向け、エイミー達は子爵邸に引き返す。ネーナが心底嫌そうな顔で、魔法障壁を展開する。


「触りたくないです」

「ぶへっ」


 男は不可視の壁に阻まれて止まり、口から泡を飛ばして喚き散らした。


「貴っ様らあああっ! 俺を誰だと思っている!?」

「縛られたマッパのおっさんでしょ。汚いモン見せんな」

「ぐうッ……!」


 レナの冷静な返しに男が歯嚙みする。血管が切れそうな程の怒りに震えながら、僅かに自由になる手で股間を隠す。


 子爵邸の外で集まった野次馬達がドッと沸き返った。テルミナの精霊術により、会話は筒抜けになっていたのだ。


 レナは男が隠す局部を凝視ぎょうしして目を細める。


「つうかさ、なんか小さくない?」

「し、知りませんっ」


 同意を求められ、ネーナは顔を赤くした。


 何が、と言えば男性器の話なのは明らか。誰と比較しているのかも、ニヤニヤするレナの表情が物語っている。


 ネーナはシルファリオの屋敷に滞在している間、昏睡状態が続くオルトに時間の許す限り付き添っている。下の世話もするし、身体を拭いたり入浴の補助もする。


 必然的に見たり触れたりする事になる。他に比較対象など無い。レナはそれを知っていて揶揄からかったのである。


「はいはい。下ネタはそれくらいにしなさいよ、ビッチマスク」

「はあ!? ビッチじゃないしっ、そんなに経験無いしっ!!」


 テルミナが辛辣しんらつたしなめ、レナは憮然とした顔で反論する。


 自分の存在を忘れたかの如くじゃれ合う二人に、男が咆えた。


「こんな暴挙が許されるか! 俺はバーイン子爵だぞ! 貴様らは公国貴族に手を出したんだぞッ!?」


 子爵邸の玄関から、或いは窓から、エイミーとガウェインに追い立てられた者達が転がり出てくる。


 公立学院のパーティーにいた子爵令息のビル・バーインも、呆然と地面にへたり込んでいる。彼の顔立ちは、バーイン子爵と名乗る男と良く似ていた。


 ネーナは呆れ顔で子爵に応える。


「暴挙も何も、発端は公爵閣下もお見えになったパーティーで、貴方のご子息がくだらない寸劇を上演された事ですよ。それに私達を探していたのは、貴方ではありませんか」

「何を……っ!?」


 仮面を着けた侵入者達の正体に気づいたのか、子爵が目を見開いた。


「貴様らは――」

「挙句に貴方の手下が人違いの被害者を出した為、こうして動かざるを得なくなってしまいました。本当に困ったものです」


 ネーナは肩をすくめた。


「……は、ははっ。クハハハハ!」


 子爵が勝ち誇ったように笑い出す。


「【菫の庭園】! いかに公爵閣下のお気に入りでも、ここまでやれば庇い立て出来まい! 憲兵が来れば貴様らもお終いだ!」

「――ふう」


 ネーナがついた溜息で子爵の笑みが止まる。ネーナは出来の悪い子供を諭すかのように言った。


「何か勘違いをされていませんか? この敷地に憲兵が入って困るのは私達ではなく貴方の方ですよ、バーイン子爵閣下。まさかご自身の容疑の数々、お忘れになってはおられませんよね?」


 いかにバーイン子爵の素行が悪くとも、通常は憲兵が貴族の屋敷を検める事は出来ない。子爵はこれまでも子爵は憲兵の立ち入りを拒み、追及を免れてきた。


 だがネーナ達が騒ぎを起こせば、合法的に乗り込む名目が生まれる。駆けつけた憲兵隊がバーイン子爵の期待する行動を取る保証は無いのだ。


 レナが意地悪く笑う。


「あたしら名乗った覚えは無いんだけど、どうして【菫の庭園】だと思ったの? 怖ぁ〜い冒険者が乗り込んで来るようなやらかしに、何か心当たりでもあるのかな?」


 バーイン子爵は自らの失言に気づき、慌てて首を横に振る。


「し、知らん! 俺は何も知らんぞ!」


 ネーナはフッと笑った。


「では子爵閣下にご挨拶を申し上げます。私達は仮面の義賊『マスク・ド・フォー』、決して【菫の庭園】ではございませんので、ご承知おき下さい」


 美しいカーテシーと、わざとらしい台詞。隣家の二階から住人が見ているのに気づき、ネーナはニッコリと微笑んでみせた。


「子爵閣下は随分と悪どい事をされているご様子、それは他人の恨みも買うでしょう。脱税に贈収賄、横領、脅迫恐喝、強姦、殺――」

「デタラメだ!!」


 容疑を指折り数え上げれば、バーイン子爵が金切り声で遮る。


「証拠を出せ証拠を!!」

「証拠でしたら、この子爵邸を探せば何かしら見つかるでしょう」


 バーイン子爵は誰も信用していない。自身が他者からどのように思われているかも理解しており、弱味を見せたり借りを作るような真似はしない。


 そしてこれまで、この子爵邸には捜査の手が及ばずにいた。だから証拠があるとすれば子爵邸だ。


 けれどもネーナは、何でもない事のように続けた。


もっとも、証拠など不要ですけれど」

「何だと?」


 バーイン子爵が怪訝そうに聞き返す。


「証拠は、要らないのですよ」


 ネーナは再度、ゆっくりとした言い回しで伝えた。


「お屋敷ごと焼き尽くして灰にしますから。私達が今夜参りましたのは、その為です」

「…………」


 絶句して口をパクパクさせる子爵。


「当然ではありませんか。見つかった証拠のみで貴方の悪事を認定すれば、実際に起きた多くの被害が見逃されてしまいます。中途半端に証拠を残す意味は無いのです」

「まっさらだったら、好きなとこに証拠を置けばいいからね」


 レナがうんうんと頷く。ネーナもレナも、証拠捏造に言及しながら全く悪びれる様子が無い。


 公爵を頂点とする公国貴族の中で、子爵は中堅以上の地位にある。被害者の多くは平民や下位貴族でバーイン子爵には逆らえず、訴え出る事さえ出来なかった。


 だが子爵が拘束され、罪に問われると知れば被害者も立ち上がる。告訴の内容には精査を要するが、ある程度筋が通っていれば片っ端から罪状を追加してもいい。


 シュムレイ公国では貴族の特権が廃止されようとしており、子爵の悪行が広まれば民衆の怒りに火が点き、その流れを加速させるだろう。


「貴方がたに尊厳を踏みにじられたり、財産や大切なものを奪われた方々を掬い上げるにはこうするしかありません。中には火事場泥棒も紛れ込むでしょうが、それは甘んじて受け入れて頂きたいと思います」


 全ての被害者に手を差し伸べるのは不可能。であれば生じた不利益は、このような事態を招いた者が呑み込むべきだ。ネーナはそう考えていた。


 子爵が憤慨し、食ってかかる。


「そ、そんな理不尽な話があるかッ!?」

「貴方がこれまで、他者に強いてきた事ではありませんか」


 ネーナは冷たく切り捨てた。


「行動と選択には責任が伴います。この現状は間違いなく貴方が招いたものですよ」


 野次馬の前で吹聴する事は無いが、クラリッサが受けた仕打ちを鑑みれば理不尽な筈は無いのだ。さらに子爵の手下は【菫の庭園】を狙い、人違いの女性を襲っている。ネーナとしても反撃する十分な理由がある。


 そもそも子爵令息がつまらない寸劇を演じなければ、【菫の庭園】は何も気づかぬまま公国を去っていただろう。教育の失敗ではあるが、この親を見て息子が分別を学ぶのは難しいだろう。


 そしてこの場には、バーイン子爵とその令息以外にも罪を問われるべき者がいた。


「何らかの事情で子爵家の勤めを辞められなかった方もいるでしょう。悪行に直接関与していない方もいるかもしれません。ですが被害者が出ている以上、子爵家から給金を得た者の知らぬ存ぜぬは通りませんよ」


 子爵家の使用人達は、ネーナの宣告にガックリと肩を落とした。


「もう中にはだれもいないよ」


 精霊熊に乗ったエイミーが戻る。


 エイミーの後ろには、シーツを全身に巻いた何者かがいた。顔も隠し、小刻みに震えている。何があったのかを察し、ネーナは子爵を睨みつけた。


「バーイン子爵閣下には、少しだけ感謝しています」


 腰のホルダーから棒杖ワンドを引き抜く。


「見せしめになって頂くのに、全く心が痛みませんから」


 ここには野次馬達の耳目があり、クラリッサや他の女性の性被害について軽々に話すのははばかられた。


 だからバーイン子爵家を叩く表向きの理由は、調子に乗った一貴族とその関係者に身の程をわきまえさせ、【菫の庭園】は依然としてアンタッチャブルな存在なのだとメッセージを発する事にある。


「誰でもいい! そいつを止めろおおおっ!」


 魔術師らしき女ネーナを阻止せねば、宣言通りに屋敷を焼かれてしまう。そんな確信と恐怖感から子爵が叫ぶ。


 荒事向きな輩はおおむねレナがした後。それでも、派手に装飾された濃紺のローブを着た男が歩み出た。


 男は身の丈ほどもある杖を振るうが、レナもエイミーもテルミナも手出しはしない。


『世に満ちし魔力マナよ、我下へ集い破壊の炎となりて――』

「遅すぎます」


 具現化した火球は、水流の直撃を受けて搔き消えた。ローブの男が驚愕をあらわにする。


「なッ!?」

「敵を前に長々と詠唱するなんて自殺行為ですよ」

「卑怯なッ!」

「…………」


 本気で怒る男に、ネーナは困惑するしかなかった。


 魔術の師である『大賢者』スミスと模擬戦をすれば、詠唱どころか集中の暇さえ無い。冒険者だって同じだ。野盗にしろ魔獣にしろ、こちらの行動を待ってはくれない。


 男のローブに施された紋章エンブレムは、賢者の塔で導師級だと認められた証。だが初手の対応を見る限り、実戦経験があるとは思えない。


『世に満ちし魔力よ、我下へ集い風の刃と――』

「…………」


 拳大の石を無数に飛ばして風刃を破壊した後、ネーナは仲間達の顔を見た。レナが肩を竦める。


「その程度なんじゃないの?」


 あまりに隙がありすぎて、ネーナは何かの罠かと警戒していた。男は友人のメラニアや、シルファリオ支部のCランク魔術師にも大きく練度で劣っている。


 魔力弾エネルギーボルトで杖を弾き飛ばせば、男は術の行使も出来なくなった。


 拍子抜けしながら、ネーナは棒杖を握り直す。


 ――紅蓮よりもあかき炎 巨人王の刃――


 地面にバーイン子爵邸を内包する規模の魔法陣が浮かび上がる。


 ――燃え盛り天をも焦がせ 全てを灰燼に帰さしめよ――


 魔法陣が眩い光を放つ。ネーナは棒杖を掲げた。


終末の劫火レーヴァテイン


 巨大な火柱が一瞬にして子爵邸を呑み込む。


「わあっ」

「すっげえ」

 

 エイミーとレナが歓声を上げた。バーイン子爵は悲鳴を上げる。

 

「あああああっ!!」




 テルミナは無言で夜空を見上げていた。

 

 【菫の庭園】と行動を共にしてから、それほど時は経っていない。けれどもネーナは、魔術師として目覚ましい成長を遂げていた。

 

 考えてみれば『刃壊者ソードブレイカー』が離脱したにも関わらず、『大賢者』もパーティー離脱を決めたのだ。自らの後釜を担うネーナに、それだけの力量があると判断した事になる。

 

 高出力の術を完全に制御し、周囲に被害を及ぼしていない。安全性を考慮して詠唱したが、その気になれば無詠唱でもやれる筈だ。これでスミスに師事してから二年足らずというから、末恐ろしいとしか言えない。

 

 エルフであるテルミナは、その長い生の中で沢山の人族を見てきた。

 

 能力的には人族よりもエルフの方が優れている。けれどもこの世界で繁栄しているのは人族だ。時に野蛮で愚かしく、同族で殺し合いながら他種族とも交わり、生存圏を拡大し続けている。

 

 短い生涯で一気に英雄と呼ばれる地位まで駆け上がる者もいる。これは人族以外には見られない特性で、テルミナが所属する【屠竜の炎刃】のメンバー達、【菫の庭園】の面々、異世界人ではあるが勇者トウヤもそうだ。

 

 今またネーナ・ヘーネスという少女が、偉大な先人達の通った道に足をかけた。何度立ち会っても、テルミナは新鮮な高揚感を味わう事が出来る。これはエルフの里に引きこもっていては得られなかったものだ。

 

 だから人族は面白い。別れの辛さはあっても、だからテルミナは人族の中で暮らし続けている。

 

 テルミナと目が合えば、ネーナは不思議そうに首を傾げた。

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