第二百七十話 劇団マスク・ド・フォー、天誅公演

 レナが伴ってきた、フェスタ似の女性。


 ネーナはいち早く落ち着きを取り戻し、その素性に言及した。


「――劇団の女優さん、ですね」

「正解」


 渋面を崩す事なくレナが肯定する。


 昼間に【菫の庭園】とマリスアリアが観劇した芝居の出演者で、パンフレットにはキャロライン・ブラウンとクレジットされていた。


 問題は不安げな表情の彼女を、どうしてレナがこの場に連れて来たかだ。


 視線が集まり、わかっているとばかりにレナは肩を竦めた。


「見かけたのは、全くの偶然だよ――」




 仲間達が乗る馬車を見送った後、レナは盗賊ギルドへと向かった。北セレスタは、オルトと繋がりのあるドリューのシマだからだ。


 北セレスタの盗賊ギルドを回しているのも当然ドリューの子分達。手違いで【菫の庭園】とぶつかる事の無いよう、レナは仁義を切って配慮したのである。


 ギルドが紹介する情報屋と会った帰り道。表通りに出ようとして、レナは足を止めた。


 足音も気配も殺したレナの先を、女が一人通り過ぎる。続いて三人の男達。明らかに女を追っている様子。


 あまり上手いとは言えない尾行に、女は気づいていない。市街と言っても夜遅く、他に歩いている者もいない。となれば何が起きるか、容易に想像出来る。


 案の定、男達は女に駆け寄り口を塞ぎ、三人がかりで路地に引きずり込んだ。レナが見ている事にも気づかないまま。




「――そいつらは縛って路地裏に転がしてきた。テルミナに言ったらすっ飛んでったから、余程運が悪くない限り回収されてるでしょ」

「ああ……」


 嬉々として駆け出すエルフ女性の姿を思い浮かべ、ネーナは遠い目をした。


「暴漢はバーイン子爵の手の者と見て間違いないと思う。小突いてやったらバーイン子爵の名前を出して凄んできたし、盗賊ギルドや情報屋からも子爵家がチンピラを抱えて汚れ仕事をさせてるって聞いたし」


 レナが連れて来た女性がビクッと肩を揺らす。話を聞けば、レナの判断には納得せざるを得ない。


 フェスタも、エイミーもメラニアも、何とも言えない表情で口をつぐんでいた。考えている事は同じ筈だが、それを言葉にするのははばかられたのだ。


 ――キャロラインさんは、巻き込まれたのですね。


 ネーナは内心で頭を抱えた。


 ネーナ達がクラリッサと共に学院を退出し、迎賓館の宿泊をキャンセルして『まんぷく冒険者亭』から『ガスコバーニ』のクランハウスへ転々とする間、それなりの時が経過している。


 北セレスタに居住する学院の卒業生が事態を保護者に告げ、行動を起こすのに十分な時間だ。


 しかし迎賓館を出た後に【菫の庭園】は行方をくらまし、タイミング悪くフェスタ似の女性が一人で歩いていたとするならば。ツイていないにも程がある。


「キャロラインさん。ブラウンさんとお呼びした方がいいですか?」

「――えっ、あっ」


 ネーナの呼びかけに、女性の反応が遅れる。


「すみません、それ芸名なんです。今回のお芝居で初めて名付きの役を演れる事になって、芸名も急遽決まったので……慣れてなくって……」


 申し訳無さそうに、声が小さくなっていく。ネーナは微笑み、女性の手を取った。


「メインキャストに抜擢されたのですね。お芝居、とても楽しませて頂きました」

「あ、有難うございます。私、キャリーって言いますっ」

「申し遅れました、私はネーナ・ヘーネスです」


 キャリーと名乗った女性は顔を真っ赤にしている。レナはボソッと呟いた。


 ――若手女優じゃ、元王女のオーラには勝てないかあ。


 メイクの違いもあってか、素のキャリーは舞台上の姿よりも年若く感じられる。貫禄が違うのは仕方ない。


「キャリーさん、貴女は恐らく、私達のトラブルに巻き込まれてしまったのだと思います。この度は申し訳ありませんでした」


 ネーナが謝罪すると、キャリーはブンブン手を振った。


「いえいえ! ちょっと驚きましたけど、レナ様がすぐに助けてくれましたしっ!」

「あたしは様付けされるようなガラじゃないし、レナって呼んでよ」


 存外に元気なキャリーの姿。ネーナは安堵する。


「劇団にはすぐにご連絡を差し上げ、無事に戻れるように致しますので少しだけお時間を頂けますか」


 心得たようにメラニアが部屋を出ていく。念を入れて劇団の安全をも確保してくれるだろう。


「――クラリッサの件、それとキャリーの件。もう少し待てば色々とわかってくると思う」


 レナが仲間達を見回す。


「でも、のんびり構えてもいられないよ」

「そうね」


 フェスタが同意する。


 本人の手前言い辛いが、キャリーが襲われたのは【菫の庭園】に対する報復と考えられる。不運もあったとはいえ後手を踏んでしまった形だ。


 ネーナは溜息をついた。


「フェスタなら男が三人がかりでどうにか出来ると。『刃壊者ソードブレイカー』と『大賢者』のいない【菫の庭園】ならどうにか出来ると。そう思われている訳ですね」


 つまり舐められているのだ。その結果、人違いの被害者を出し、多くの人に迷惑をかけてしまっている。


 公爵のマリスアリアに配慮して潜伏したが、それすら弱気と受け取られたのかもしれない。ネーナはそう思い至って、大きな衝撃を受けた。


「馬鹿な奴はいつでも一定数はいるよ。馬鹿だから、そもそも自分の力が全然足りてない事がわからずに行動を起こす。そんでもって、そういう馬鹿に対してあたしらがどう対処するのか、見てる奴等も沢山いるんだ」

「今、現在の【菫の庭園】の力を示す必要があるのね」

「そういう事」


 レナとフェスタのやり取りは、ネーナの胸にスッと入って来た。


 残念ながら、痛い目に遭うまでわからない者はいるのだ。言葉が通じて表面的な会話は出来ても、価値観が違い過ぎて共存出来ない者もいる。例えば『剣聖』マルセロのように。


 今のネーナ達には、守るべきものが沢山ある。どうすればいいかはわかっていた。オルトが教えてくれたから。


 黙って話を聞いていたエイミーが口を開く。


「何とかししゃくっていう悪いひと、やっつけよう」


 仲間達は頷き合った。


「キャリーさん」

「ひ、ひゃい!」


 噛みながら、キャリーが応じる。


「ちょっと出掛けてきますね」


 まるで散歩にでも行くような気軽さで言い、ネーナは微笑んだ。




 ◆◆◆◆◆




 人々が寝静まった深夜の街に、カツンコツンと石畳を踏む音が響く。


 吹き抜ける風が落ち葉を攫っていく。


 月星は厚い雲に阻まれて見えず、まばらな街灯が弱々しく辺りを照らしている。


 その中を三つの影が、方向と長さを変えながら進んでいく。


「ぱらぱ〜」

「ししてシシカバブー、ひろうものなし」

「二人とも台無しです」


 そこに音もなく、もう一つの影が並び立った。


「ごめんね、遅くなって」


 それはクランハウスで留守番をしている【菫の庭園】の剣士ではなく、Sランクパーティーのエルフ女性だった。


「テルミナお姉さん?」


 キャリーを襲った暴漢達を尋問していた筈のテルミナが現れ、エイミーは首を傾げる。


「暴漢からは大した情報を引き出せなかったけれど、クランハウスにレナ宛ての届け物があったの」

「あー、ありがと」


 レナは手紙を受け取り、目を通してからネーナに差し出した。


「思った以上に悪い奴だったわ。シメても問題なさそうっていうか、むしろ喜ばれそうな感じ」


 内容は盗賊ギルドによる調査で、大半がバーイン子爵家に関するもの。子爵令息の取り巻き達の実家は、様子見なのかまだ動いていない。


 読み進めるにつれ、ネーナの眉間にシワが寄る。


 当代の子爵家当主は非常に女癖が悪く、使用人やその娘、平民女性にも手を出していた。子爵家令息や家中の一部も直接関与していると、元使用人からの証言もある。


 女性が妊娠すれば暴力を振るい、子を流して女性も捨てる。バーイン子爵の悪行が発覚していないのは、被害に遭った女性やその家族が子爵家の報復を恐れて泣き寝入りしている為だ。


 ネーナには思い当たる事があった。


 クラリッサの身体には暴行の痕跡が多数残されていた。その中に、執拗にお腹を蹴ったと見られるものもあった。予想はしていたが、何を目的とした暴行なのか、今なら断言出来る。


「……クラリッサさんを子息と婚約させて引き取ったのも、バーイン子爵としてはハナから破棄する気だったのでしょうね」

「処断が迫っていたガタッタ男爵には、クラリッサの籍を他家に移して刑を免れさせるしか無かったのかもね」


 レナは何とも言えない表情で応じた。


 バーイン子爵の評判は知っていても死ぬよりはマシ、というガタッタ男爵の親心だったのかもしれない。けれどもクラリッサが受けた仕打ちをほぼ正確に認識しているネーナには、人として女として、死んだ方がマシだったかもしれないとも思えた。


 眠りから覚めた時、クラリッサがどのような選択をするか。ネーナは楽観していない。だからフェスタをクランハウスに置いてきたのである。


「私も行っていい?」

「大歓迎ですけど、いいんですか?」


 バーイン子爵邸に押しかける気満々のテルミナ。


 彼女が所属するパーティーもクランも、この北セレスタに拠点を置いている。問題は無いのかとネーナが聞けば、それにはレナが答えた。


「平気っしょ。これ着けてればバレないって」


 レナが見覚えのあるマスカレードマスクを取り出す。『暗黒都市』ハイネッサの裏闘技場で着用していたものだ。


「堕聖女レイナマスクですか」

「予備もいっぱいあるよ」

「つきに代わっておしおきしたいけど、曇ってるよ?」


 反対意見は出ず、テルミナも含めてノリノリであった。ネーナがここまで認識阻害を行使してきたものの、目元を隠すに越した事は無いのだ。


 全員がマスクを装着すると、ネーナは宣言した。


「では『劇団マスク・ド・フォー』、天誅公演と参りましょうか」




 ◆◆◆◆◆




 四人は横一列に並び、バーイン子爵邸の門に近づいていく。


 それに気づいた門番が二人、半月斧バルディッシュを構えて威嚇した。


「そこの四人、止まれ!」

「このような夜更けに怪しい奴等め、バーイン子爵邸に何用だ!」


 プリンセスマスク――ネーナが淑女の礼を取り、詰問に答える。


「深夜までお仕事ご苦労様です。こちらのご当主様とご令息様が私達をお探しのようで、こうして出向いて参りました」

 

 門番達の反応は当然ながら厳しい。

 

「何も聞いていない! 子爵様は就寝中だ!」

「悪ふざけでは済まさんぞ!」


 大声を聞きつけ、小さな扉から数名の兵士が飛び出してくる。


 チャンピオンマスク――レナは不敵に笑い、手の指をポキポキと鳴らした。


「ハッスル中の子爵様が寝てるわきゃないっしょ。通してくんなきゃ、押し通るだけだけどね」

「レ――チャンピオンさん、指を鳴らすと太くなりますよ」

「……は〜い」


 注意を受けたレナが、気まずげに両手を離す。ネーナは棒杖ワンドを取り出した。


「門の近くにいると危ないですよ――『火球ファイアボール』」

『うわあああっ!』


 何人も丸呑みに出来そうな大きさの火球が門に直撃する。悲鳴を上げる門番達の前で、門は跡形もなく消し飛んだ。


「さて、行きましょうか」

「プリンセス、土壁を出そうか?」


 エルフマスク――テルミナが尋ねる。


 深夜とは言え、貴族や裕福な市民が住む高級住宅街の一角。ポツポツと駆けつける者が現れ、周辺の住宅にも灯りが点き始めている。


「お願いします。あまり高くなくていいです」

「ふふっ、了解」 

 

 ネーナの意図を汲んで、テルミナが笑う。

 

 土壁で子爵邸を覆うのは、誰も逃さない為と被害を拡大させない為。中で起きている事を部外者に見られるのは構わないのだ。

 

「アーチャーさん、中にいる人達を叩き出して下さい」

「おっけー、行くよガウちゃん!」

『ガウガウッ!』


 ポンと現れた精霊熊に飛び乗り、アーチャーマスク――エイミーが疾走する。二人は玄関から子爵邸に突入した。


「うっひょ~、ワラワラ出て来た! ねね、向かって来るのはぶっ飛ばしていいよね?」

「少し順番が狂いましたが、仕方ありません。懲らしめておあげなさい!」

「はは〜っ!」


 待てを解かれた猟犬の如く、レナが子爵家の家人に襲い掛かる。

 

 殺気立った敵がチャンピオンマスクに次々と無力化され、野次馬が土壁の外から歓声を上げる。

 

「ここの子爵様、本当に嫌われてるのねえ」

「ですね……」

 

 テルミナとネーナは乾いた笑いを漏らした。



 

「ワルワルししゃく、シチューかきまわしの刑だよ!」

 

 精霊熊に乗ったエイミーが、全裸の男を引きずり戻って来る。

 

 植物のつるでぐるぐる巻きにされた男は、怒りと羞恥で全身を紅潮させていた。

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