第二百六十九話 流行りの大衆小説

 メラニアとジャックを先頭に、『まんぷく冒険者亭』の裏口から出た仲間達が次々と路地の暗がりに消えていく。


 見送りに立つ女将は優しげな笑みを浮かべた。


「今度は表通りの方から食べにおいで」

「はい、必ず。大変お世話になりました」


 ネーナは深々と頭を下げ、それからカミラと【明けの一番鶏】の面々に小さく手を振った。


 後ろ髪を引かれる思いを振り切って、待っていたフェスタと共に走り出す。ここでモタモタして誰かに見られては、リスクを冒して匿ってくれた人々の好意を無駄にしてしまうのだ。


「こっちだ」


 路地を戻って来たジャックと合流し、目立たない場所に停められている馬車に到着する。


「その節はマジでご迷惑をお掛けしやした!」

「声デカいっつーの」


 モヒカンヘアの男が腰を折り曲げてお辞儀をし、レナに叱られている。他にも油断なく馬車の周囲を警戒する者が数名。ネーナは彼等の姿に覚えがあった。


「【黄色い太陽アマリージャ】のボアードさんですね。お迎え有難うございます」


 モヒカンの男とその仲間達が、驚きで目を丸くする。傲慢さが表情に出ていた以前の彼等とは別人のように感じられる。


 クラン『ガスコバーニ』傘下さんかのAランクパーティー【黄色い太陽】。リーダーのボアードは、以前ヴァレーゼ支部でトラブルを起こした際、レナに頭突き一発で沈められていた。


 その後クランリーダーとオルトの話し合いタイマンに発展したが、『黄色い太陽』の謝罪を経て手打ちとなった。ネーナ達も今更含む所は無い。


「んじゃ、あたしはちょっとだけ別行動するから」


 レナは馬車に乗らず、ヒラヒラと手を振る。彼女はシュムレイ公国の闇の中で、する事があるのだ。




「まさかメラニアさんとジャックさんにお会い出来るとは思いませんでした」


 滑るように進む馬車の中でネーナが言う。


 元々の予定では、公国での行事が終われば【菫の庭園】はそのままシルファリオに戻る筈であった。


 メラニアは自らのクランを立ち上げる為に『ガスコバーニ』で研修を受けているし、ネーナは必要でなければ外出せず、オルトの側にいる。文のやり取りはしていたが、二人が会う機会は無かった。


「私も驚きました。出来るだけ人目につかないように皆さんをお迎えして欲しい、と言われて」


 残業扱いなので来月の給料が少し増えると、メラニアは悪戯っぽく笑った。


 ジャックが御者の隣に乗り込んだ為、車内にいるのはメラニアとネーナ、エイミー、フェスタ、眠っているクラリッサの五名のみだ。


「イリーナとクロスがお世話になっているようで、有難うございます。二人はお役に立っていますか?」


 現在メラニア達のパーティー【運命の輪】は、活動を休止している。その間もイリーナとクロスは冒険者として実績を重ね、大きく名を上げていた。


 こまめに連絡を取ってはいても、幼馴染の四人が長く別行動になるのは、冒険者になってから始めての事。メラニアが心配する気持ちも、ネーナには良くわかった。


「イリーナさん達が来てくれて、とても助かっていますよ」


 お世辞ではない。二人が屋敷にいてくれるからこそ、ネーナはオルトやメイド達を託して出かけられるのだ。いつまでも引き止められないとわかっているが、二人には感謝しかない。


 馬車が一旦停止し、その後ゆっくりと前進する。クランハウスの門を通過した所で、【菫の庭園】の面々は漸く緊張を緩めたのだった。




 ◆◆◆◆◆




「よく来てくれた、【菫の庭園】。久方ぶりだな」


 応接室でネーナ達を迎えたのは、Sランクパーティー【屠竜の炎刃】のメンバー達。クランリーダーも兼ねるマヌエル・ガスコバーニに、ネーナは礼を述べた。


「マヌエルさん、ご無沙汰しております。お招き頂いて、とても助かりました」


 誰かを探すような視線に気づき、エルフのテルミナが笑う。


「スージーなら、レナと会いたくないからって自室に引きこもってるわよ」

「【菫の庭園】が来ると聞いて、慌てふためいていたね。彼女のあんな姿は初めて見たよ」


 ガスコバーニ三兄弟の末弟、インメルも楽しげに付け加える。


 スージーは以前、立て続けに失態を演じてレナから厳しい言葉を浴びせられている。非は明らかにスージーにあったが、苦手になるのも無理からぬ事だとネーナは思った。


 ふむ、とマヌエルが腕を組む。


「ネーナ・ヘーネス。我々もそちらの状況を正しくは把握してはいないのだ。差し障りの無い部分だけでも話して貰えないだろうか」


 クランハウスを訪れた公爵の使者が告げたのは、ある公国貴族と【菫の庭園】がトラブルになりそうだという内容。それだけの断片的な情報でマヌエルは動き、ネーナ達を探して迎えを差し向けたのだという。


 渦中のクラリッサは未だ目覚めず、フェスタとメラニアが付き添って医務室で休んでいる。ネーナはマヌエル達に対しては、知る限りを話して協力を求めるべきだと考えた。


「承知しました。まず彼女、クラリッサさんは――」




『…………』


 ネーナが話し終えた時、マヌエル達は言葉を失っていた。【菫の庭園】が保護したという少女。チラリと姿を見ただけの彼女が、そのような壮絶な経験をしていたとは、予想もしなかったのだ。


「私が知るのは、これが全てです。レナさんは恐らく、虐待や暴行の裏付けを取り、相手を確定させる為に単独行動をしているのだと思います」


 シュムレイ公国は一度、国内で猛威をふるっていた凶悪犯罪組織の『災厄の大蛇グローツラング』を一掃している。その後釜に座ったのが、『災厄の大蛇』と敵対していたハイネッサ盗賊ギルドだ。


 オルトと懇意のギルドメンバー、ドリューは空白地帯となった公国にいち早く乗り込み、『災厄の大蛇』の残党を狩って自らの縄張りを得た。今や大幹部となったドリューの伝手で、レナは情報を得ようとしていたのだ。


「成程。盗賊ギルドか」


 ガスコバーニ三兄弟の次兄、ケプケは納得したように頷く。彼はパーティーのスカウトであり、裏社会の情報にも通じていて不思議ではない。


 使える情報源は他にもあるが、ネーナもレナが繋ぎを取ったのは盗賊ギルドだと考えていた。


「そのバーイン子爵とやらの仕業に、間違いは無いのか」

「バーイン子爵がクラリッサさんの後見人であるならば、全く関わっていないとは考えられません。むしろその方の行動が事態をさらに悪化させたと、私は見ています」


 慎重に尋ねるマヌエルに、ネーナは踏み込んだ見解を告げた。


 レナが持ち帰る情報待ちのスタンスは崩していないものの、クラリッサが受けた暴行や虐待の主犯はバーイン子爵だと確信している。


「保護すべき立場の者が、あろう事か率先して息子の婚約者をしいたげていたとするならば……周囲が追随するのも道理か」


 ネーナと同様の思考に至ったのか、マヌエルは眉根を寄せた。


「私達は何をすればいいの?」


 テルミナがやる気に満ちた表情で手指をワキワキと動かす。


「このクランハウスに受け入れて頂いただけで十分です。まだ私達菫の庭園がここにいるとは、誰も知らないでしょうし」

「そう……」


 ネーナの返事で、テルミナのテンションが落ちた。マヌエルが苦笑する。


「クラリッサ嬢の安全さえ確保されれば、それ以上の手助けは必要あるまいよ。【菫の庭園】の力は俺よりもテルミナ、お前の方が良く知っているだろう」


 一時期行動を共にしていたテルミナは、パーティー戦力が一時的に落ちている今でも、【菫の庭園】にはSランクパーティーの【屠竜の炎刃】と戦り合うだけの力があると疑っていない。公国貴族程度に遅れを取る訳がないのだ。


 ネーナ達に必要なのは、事態を見極める為の時間と、クラリッサを休ませられる場所だ。その点で『ガスコバーニ』のクランハウスは申し分ない。大使館や冒険者ギルド支部同様、敷地全域に治外法権が認められているからだ。


 無言でドライフルーツを口に運ぶエイミーは、テルミナの視線に気づいて笑みを浮かべた。


「だいじょうぶ。あの子にいじわるする人、みんなやっつけるよ」

「当然です」


 ネーナが両拳をグッと握る。守りたいものはたくさんあるのだ。一人増えてもどうという事はない。


「……全く。年の頃十五、六の娘達の方が落ち着いているではないか」


 ケプケは呆れたような視線をテルミナに向ける。実年齢は二百歳に迫るテルミナが、子供のようにむくれて言い返した。


「そうね、ネーナもエイミーも、駆け出しの頃の貴方達よりずっとしっかりしているものね」

「むう……」


 二十年に及ぶであろう年月、生き延びて苦楽を共にした仲間達の、気の置けないやり取り。見ているネーナも自然と頬が緩む。


 それは彼等が過酷な冒険者稼業を生き延びた末に手に入れたものだ。


 人の生き方も、パーティーの在り方もそれぞれ違う。けれどもネーナは、自分達菫の庭園もこうありたいと思った。




 ◆◆◆◆◆




「お話は済みましたか?」


 医務室に入ったネーナに、メラニアが声をかけた。


 本来ならば、メラニアはとうに業務を終えて帰宅している筈。ネーナは申し訳無いという思いで詫びを述べる。


「すみません、メラニアさん。こんな時間まで」


 だがメラニアは頭を振った。


「いいんです。先程、私とジャックは皆さんについているようにとの指示がありましたから。それに皆さんとは中々お会い出来ませんし」


 部屋に姿の見えないジャックは、諸々の手配に走り回っているという。


「クラリッサは眠ったままね。状態は変わらないわ」


 少女が横たわるベッドの側で、フェスタは読んでいた本を閉じた。


「その本は?」

「メラニアに借りたの。北セレスタで流行ってるとかいう大衆小説」


 ネーナは差し出された本を手に取り、タイトルを読み上げる。


「『悪役令嬢である婚約者がヒロインを虐めていたので、前世不遇だったけど転生チートを得た俺が断罪から婚約破棄ざまぁした件。俺がヒロインと結ばれた後で悪役令嬢がいくら後悔してももう遅い追放だ!』、ですか?」


 長い、その一言に尽きる。本を開く前に読み終えた気分になり、お腹いっぱいだ。


「表題があらすじになっているような……」

「そうですね。大まかな展開がわかるので安心して読めるといいますか、時間を潰したい時に読み流す感じでしょうか」

「ふわぁ……」


 メラニアの説明を聞き、パラパラとページをめくる。ネーナはある事に気づいた。


「これは……」

「どこかで見た、安っぽい寸劇と似てると思わない?」


 フェスタの問いは、そのまま答えであった。


 学校の卒業パーティーで悪役令嬢を断罪するという舞台設定。悪役令嬢を糾弾する主人公の台詞。ヒロインを支える男子生徒達。先立って見たものと被る。


「でもこれ、主人公の行動は明らかに浮気ですよね? ヒロインに至っては泥棒猫の上に八方美人ではありませんか」


 ヒロインが婚約者のいる男性に懸想し、主人公も心変わりから婚約者を捨てたようにしか思えない。その一方でヒロインは、幾人もの男性から寄せられる好意に思わせぶりな態度を取り続けて利益を享受している。


 初めは卑屈で無気力な主人公とヒロインが、状況が好転するなり傲慢に振る舞う流れも受け入れ難い。少なくともネーナには、悪役令嬢と言われる婚約者が一方的に責め立てられる流れには違和感しかなかった。


「どう言えばいいのか……ストーリーを進める為なのか、登場人物達が現実味のない愚かしさで、全く共感出来ません」


 辛辣な感想に、フェスタとメラニアが苦笑する。


「私もモヤモヤの方が多かったかな」

「ネーナさんのように、悪役令嬢を擁護する感想が多いようです。昨今流行っている作品はそのような傾向が強いですね」

 

 釈然としない表情で、ネーナはむうっと唸った。

 

「この小説も理解出来ませんが、クラリッサさんを巻き込んでこの小説を現実に再現しようという発想はもっと理解出来ません」

 



 話題についていけず、つまらなそうにしていたエイミーが部屋の入口を見やった。

 

「だれか来たよ」

 

 直後、ノック無しに扉が開く。ズンズンと入って来たレナは渋い顔をしていた。

 

「――どうやら相手さん、大分調子に乗ってるみたいだわ」


 レナは菫色の外套を身に纏っていなかった。それは彼女に続き、不安げな様子で入室した人物が羽織っていたからだ。


 立ち止まった人物を見たネーナが、驚きのあまり開いた口に手を当てる。メラニアは目を丸くした。


「フェスタお姉さんが、ふたり!?」

 

 エイミーが両者を見比べ、ゴシゴシと目をこする。

 

 医務室の中では、良く似た顔立ちの二人が見つめ合い、硬直していた。

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