第二百六十八話 聖女クララの血族

 公立学院を出た【菫の庭園】一行は、迎賓館に戻ると着替えを済ませ、残りの宿泊予定をキャンセルした。


 貴族とのトラブルに発展する気配が濃厚であり、マリスアリアの体面を考えれば迎賓館や公爵邸には居られない。シュムレイ公国の公用車を使うのもここまでだ。


 眠っているクラリッサをレナが背負い、菫色の外套を身に纏った一行は、魔力灯に照らされた石畳の道を歩き始める。


「さあて、これからどうするかなあ」

「全くのノープランでしたからね」


 レナとネーナのやり取りは呑気なものだが、状況は良くなかった。後々迷惑をかけかねない為、気軽に宿や食堂に入る事も、馬車を借りるのも躊躇われるのだ。


「まあ最悪、この町の――」

「フェスタさん」


 抑え気味の音量で呼びかける声が、レナの言葉を遮った。


「あそこだよ」


 エイミーがいち早く声の主を見つけ、薄暗い路地へと入っていく。仲間達も後を追う。


 そこには一組の男女がいた。眼鏡をかけた私服姿の冒険者ギルド職員に、フェスタは表情を綻ばせる。


「カミラじゃないの。それと――」

「【明けの一番鶏】のコリンさん、ですね」


 もう一人はネーナに正体を看破されて肩を竦めた。


「中々良い出来の変装だったけど、【菫の庭園】の皆さんには通じませんね」


 正体はわかっても、どうして二人がこのような形で接触してきたのかはわからない。戸惑うネーナ達に、カミラは移動を促した。


「話は後で。私について来て」


 カミラとコリンが路地の奥へと進む。ネーナ達は顔を見合わせ、後を追った。


 複雑な順路。カミラと一緒にスカウトのコリンもいるのは、夜間に女性一人で歩くのが物騒だからというだけではない。警戒の必要があると考えているのだと、ネーナは察した。


 小さな声で認識阻害の術を行使する。


 やがて一行は、ある建物の裏口に辿り着いた。


 ――コン、ココン、コン――


 カミラが扉を叩けば、その向こうから声がする。


「……『冒険者はまんぷく』」

「私達は腹ぺこ」


 いつの間に決めたのか、カミラが符丁のように応じた。


「『パンが無ければ』」

「お菓子を食べればいいじゃない」


 ギイッと扉が開き、エプロン姿のいかつい男が現れる。その顔に、ネーナは見覚えがあった。


「尾けられてないか」

「大丈夫」


 招き入れられた先は厨房。数名いる料理人や給仕もネーナの記憶にある。以前は全員、北セレスタ支部の冒険者だった筈だ。


 ホールからは陽気な音楽や楽しげな声が聞こえてくる。


「『まんぷく冒険者亭』、ですか」


 かつて訪れた事のある食堂だと思い当たり目を丸くするネーナに、店主はニヤリと笑った。




 ◆◆◆◆◆




 ネーナ達は『まんぷく冒険者亭』地下の一室に案内された。


 広い室内に【菫の庭園】と【明けの一番鶏】の面々、カミラと店の女将がいて、目覚めないクラリッサは簡易ベッドに寝かされている。


「今日のおすすめ、ゴロゴロ野菜のシチューだよ。おかわりもあるから遠慮なくおあがりよ」


 女将がテーブル上の寸胴鍋から蓋を取る。香ばしい匂いが部屋一杯に広がり、誰かの腹の虫が騒ぎ立てた。


 湯気の立つ深皿が配膳され、エイミーとレナが競うように取り付く。


「おいしい!」

「迎賓館のメシなんて目じゃないね」

「嬉しい事言うじゃないか」


 掛け値無しの賛辞で、満足げに女将が笑う。


『いだたきます』


 ネーナはフェスタと共に感謝を述べ、スプーンを口に運んだ。


 ホクホクのじゃがいも。人参には少し甘みがあり、優しい味つけのホワイトソースが空腹の胃に染みる。


 元々今日は昼食は控えめで、謝恩パーティーでは何も食べずに迎賓館に戻ってからマリスアリアと晩餐の予定だったのだ。


 あの後パーティーはどうなったろうか、リア様に迷惑をかけてしまったと、ネーナは申し訳無い気持ちをいだく。けれどもクラリッサを助けた事については、微塵の後悔も無かった。


「それにしても皆様、大変でしたのね」


 事情を聞いたアラベラが【菫の庭園】一行を労る。彼女がこの場にいるのには理由があった。


 謝恩パーティーのトラブルにネーナが首を突っ込んだ時、マリスアリアは護衛であるガエタノ・シレアに言伝ことづてを預けて大講堂の外に走らせた。


 ガエタノは娘のアラベラを探してまず自宅へ行ったものの、帰っていなかった。次に向かった冒険者ギルドで娘を見つけ、【菫の庭園】の状況を伝えた。


 アラベラはカミラに相談してネーナ達を迎えに行かせ、自らは『まんぷく冒険者亭』に足を運んで、店主に一時かくまってくれるよう頼み込んだのである。


「面倒を持ち込んで申し訳ありません」

「何言ってるんだい」


 ネーナの詫びに、女将は呆れたような顔をする。


「あんた達はマルセロをやっつけてくれた英雄なんだよ。そこで寝てる娘を助けたのも、やましい事は無いんだろう? だったら胸を張りな。それで沢山食べな」


 有難いなと、ネーナはこうべを垂れた。


「皆様とトラブルになった、ビル・バーインという少年ですが。バーイン子爵家の嫡男で間違いありませんわ」


 シュムレイ公国貴族の子女であるアラベラは、ある程度貴族の情報に通じている。


「バーイン家は、元々公爵家の執事でした。八代前の『武闘執事オーラバトラー』ダン・バーインが、当時のシュムレイ公爵を暗殺から守り抜いた功績で爵位を賜り、新たな貴族家を興したのです。代々公爵派ではあるのですが……」

「あんまり評判は良くないんだね。息子もアレだし」


 レナの言葉を、アラベラは曖昧な笑みで肯定する。代わりにカミラが答えた。


「直参である事を鼻にかけて、プライドが高く他人を見下していて。特に当代のバーイン子爵は下位の貴族や平民に対して横柄で、公爵派が多少盛り返してる今はちょっと、こう……面倒臭いというか、鬱陶しい感じね」

「ワオ、辛辣しんらつぅ」


 レナが何故か嬉しそうな顔をする。


「カミラさん、貴族のご出身ですか?」


 ネーナの問いに、カミラは肩を竦めた。


「実家が騎士爵を持ってるだけで、多少お金のある平民と同じよ。彼女――クラリッサ・ガタッタの事も知ってるわ」


 チラリと簡易ベッドに向けられた視線でネーナは察し、クラリッサに聞こえないよう遮音結界を構築する。


「ガタッタ男爵家は取り潰されて、もう存在しないけれどね」


 ネーナも仲間達も、大講堂でのビル・バーインの発言から予想はしていた。【菫の庭園】や他の冒険者の活躍により旧コスタクルタ伯爵家の暴政、犯罪組織との癒着、不正な蓄財や軍備増強が明るみに出て、伯爵家の寄り子であるガタッタ男爵家にも連座が適用されたのだ。


 再びアラベラが話を引き取る。


「旧ガタッタ男爵家は過去に一度断絶していて、それを『聖女クララ』が復興させています。ただクラリッサさんはクララの血族ではありますが、直系の子孫ではありません」

「兄弟姉妹から養子を取ったのね?」

「はい。クララの姉が他家に嫁いでおり、その子だそうです」


 フェスタの問いに、アラベラは肯定を返した。


「クララは多くの求婚を蹴り、生涯独身を貫いたと言われています。姉が嫁いだ家も既に途絶えていますし、先般の一件でガタッタ男爵の血縁は軒並み処断されました。恐らく、クラリッサさんが一族最後の一人でしょう」

「うん、公爵様もそんな事言ってた」


 レナが頷く。


「ちなみに、聖女クララって呼び名は定着してるし、聖典にも名前が載ってるけど、ストラ聖教に籍は無いんだよ。還俗したからね」


 レナも元聖女、元教会関係者だ。ストラ聖教の歴代聖女についての知識を持っていてもおかしくない。


「聖女クララは魔王討伐後に還俗して教会から離れたの。表向きは魔王軍の襲撃で当主以下が軒並み死んだ実家を継ぐ為になってるけど、ストラ聖教の結構デカいやらかしがあったらしいんだよね。何があったかまでは、聖女のあたしでもアクセス出来なかったな」

「それ、私達が聞いていいのかしら……」


 レナがサラッとリークした情報に、フェスタは苦笑した。


 聖女クララは数百年前の勇者パーティーの一員であり、聖典にも登場する有名な聖人だ。以前はストラ聖教を信仰していたネーナも、勿論知っている。


「『クララ聖立』の聖女クララですよね?」

「そそ」


 レナはうんうんと頷いた。


『クララ聖立』とは、聖典に記載されたエピソードの一つだ。


 ――聖女クララは生まれつき身体が弱く寝たきりで、二十歳になるまで生きられないと言われていた。しかし周囲の人々は彼女に惜しみない愛情を与えた。


 クララは家族と同じようにストラ神の敬虔な信徒であり、何事につけても感謝の祈りを欠かさなかった。困っている人の為に役立てて欲しいと、自分のお小遣いを全て教会へ寄進していた。


 クララは十三歳になったある夜、いつものように姉や使用人と共に、一日を無事に過ごせた感謝の祈りを捧げていた。すると突然、部屋の灯りが落ちて窓が開いた。


 暗くなった部屋に、窓から神々しい光が差し込む。その光を浴びたクララは一人で起き上がり、誰の介助もなしに立ち、姉の前をゆっくりと歩いた。


 騒ぎを聞き部屋に駆けつけた両親も涙を流して喜び、神に感謝を捧げた。父親は外に飛び出し、「クララが立った」と叫びながら教会まで走ったという――


「まあ、そのエピソードって結局、『神様が助けてくれたり現世的なご利益をくれるかもしれないから、せっせと教会に寄付するなり奉仕活動しなさいよ』って話だからね」

「子供の頃の私の感動を返して欲しいです……」


 ネーナはガックリと肩を落としたが、考えてみれば聖典を作ったのがストラ聖教の人間なのだから当然である。




「それで――皆さんはどうするつもり?」


 カミラが眼鏡の縁をクイッと上げ、【菫の庭園】の面々を見据えた。


 問いかけのていを取った確認である。


「どうするって、そりゃあ――」


 レナの後を引き継ぎ、ネーナが言い切る。


「気に入りません」

「だね」


 エイミーも同意した。


 目を覚ました後、クラリッサがどうするかについては彼女次第としか言えない。何をしたいか、何もしたくないのか。それを考えられるようになるまで、心身を回復させる時間が必要だ。


 こうして関わったのも何かの縁。だが先に、クラリッサの当面の障害は取り除いておかなければならない。


「大講堂で見せられた不愉快な寸劇。クラリッサさんの身体に残されていた暴行の痕跡。どちらも子供の悪ふざけでは済まされません。特に暴行の方は、関与しているのが子供だけとは思えません」


 暴行の詳細な内容については、クラリッサの尊厳に関わる事でもあり、ネーナは【菫の庭園】の面々にしか伝えていない。


 あの寸劇の中で、ビル・バーインは確かに言った。


 ――どこの誰とも知れぬ男とまぐわっているとも聞く! ――


 それを事実無根とは切り捨てられないと、ネーナは知っている。同時にそれは、クラリッサの意思によるものではないとも確信している。抵抗したと見られる痕跡があったからだ。


「クラリッサさんのお住まいは、どちらでしょうか」


 彼女は実家が無ければ家族もいない。けれども公立学院の制服を着て、大講堂にいた。公爵と来賓を迎えた今日、学院の警備が関係者以外を入場させる筈は無いのだ。


 誰かがクラリッサの生活や学院に通う費用を、全く不十分ではあるが面倒見ている。いや、彼女を縛り付けている。そして、その誰かが――


「恐らく、ですけれど。皆様のお話を聞いた限りでは、婚約者の父親であるバーイン子爵が後見となっているのではないかと」


 アラベラの返事に、ネーナが目を細めた。低い声が出る。


「……バーイン子爵とは、しっかりと『お話し』する必要がありそうですね」


 女将とカミラ、【明けの一番鶏】のメンバーは顔を引きつらせた。


「下調べもしなきゃね。あたしは出かけてくるわ」

「ちょっと待って」


 部屋を出ようとするレナを、カミラが止める。


「もう少ししたら、お迎えが来ると思うの」

「お迎え?」

「ええ」

 

 この店に長居出来ないのは、ネーナもわかっている。しかし貴族とのトラブルが予想される今、クラリッサを抱えて身を寄せられる場所など、そうは無い。


 そこまで考えたネーナは、北セレスタに拠点を置く、貴族といえども迂闊に手出しの出来ない集団の存在に思い至った。


「カミラさん、もしかして――」


 言い終わる前に扉の外から、店主が来客を告げた。


「お久しぶりです、皆さん。クラン『ガスコバーニ』よりお迎えに上がりました」

「メラニアさん! ジャックさん!」


 ネーナが声を弾ませる。

 

 迎えの使いは、【菫の庭園】の盟友とも言える二人であった。

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