第二百六十七話 一体何を卒業したのでしょうか

 およそパーティーの場にはそぐわない絶叫に、楽団が演奏を中断する。


 ダンスに興じていた者、談笑していた者、軽食で腹を満たしていた者。大講堂中の視線が、歓談スペースの壁際に集まっている少年少女に向く。


 彼等の間から学生服姿の少女が引き出され、足元もおぼつかずに倒れ込んだ。くすんだ白い髪がヴェールのように俯いた顔を隠し、その表情を窺い知る事は出来ない。


 ネーナは眉をひそめた。


 ドレスコードに従い、パーティーの参加者は来賓も含めてドレスアップしている。スタッフまで揃いの制服で統一されている中、ただ一人学生服を着ている少女は明らかに浮いていた。


 うずくまる少女に無慈悲な言葉が浴びせられる。


「被害者ぶっていないでさっさと立て、クラリッサ!」


 声の主は明るい栗色の髪に同色の瞳の少年。パーティーを台無しにする叫びを上げ、少女を乱暴に引っ張った人物でもある。


 クラリッサと呼ばれた少女がフラつきながら立ち上がる。袖口から覗く手首は病的に白く、枯れ枝のように細い。


「心優しいパトリシアに対する度重なる嫌がらせ! どこの誰とも知れぬ男とまぐわっているとも聞く!」


 少年は芝居がかった仕草で髪をかき上げ、クラリッサに指を突きつけた。周囲の者も同調するように頷き、冷たい視線を向ける。


「お前のような汚らわしく、陰気で性根の腐った女は、バーイン子爵家次期当主である、このビル・バーインに相応しくない!」


 傍らの少女――パトリシアを抱き寄せ、高らかに告げる。パトリシアは怯えるような表情でクラリッサを見ている。


 しかし二人は勿論、周囲の者も口許のニヤつきを隠しきれていなかった。酷い役者に安い芝居。プロの舞台を堪能してきたばかりのネーナには不快感しかない。


「クラリッサ! 僕はお前との婚約を破棄し、パトリシアと新たに婚約する!」


 ざわめきが大きくなり、注目を集めた少年が得意気に胸を張る。


 ネーナが隣を見れば、公爵のマリスアリアは苦虫を噛み潰したような顔で、それでも事態を静観していた。


 パーティーの趣向かと考えるも、すぐに否定する。クラリッサの挙動が不自然な事この上ない。芝居じみているという意味ではなく、不調を抱えているのがネーナには一目瞭然だったのである。


 目の前で繰り広げられる茶番劇に対する人々の反応は様々。しかしクラリッサに対して向けられる視線の多くは、決して好意的とは言えない。


「黙っていないで何とか言えっ!」


 少年がクラリッサを突き飛ばす。ネーナは小さく声を上げた。


「あっ」


 クラリッサのスカートがひるがえり、青黒く変色した膝回りが見えたからだ。先刻に彼女の挙動に対して覚えた違和感が重なり、医師の知識がネーナに強い警告を発する。


 ――私の予想通りならば、放ってはおけません。


 ネーナが席を立つ。バナナを齧っていたエイミーは顔を上げ、無言で姿を消した。


「少しお騒がせするかもしれません」

「構いません」


 フェスタに応えて、マリスアリアは頭を振る。


 本来ならば、シュムレイ公爵たるマリスアリアが収拾をつけなければならない事態。しかし女公爵には動けない事情があった。


 嫌われてしまうかもしれないなと思いながら、走り去るネーナの後ろ姿を眩しげに見る。


「ネーナ様は、真っ直ぐですね」


 舞台女優が演じたネーナ・ヘーネスより、本物の方がずっとヒロイックだと、女公爵は思った。


 公国における公爵家は、王国の王家と同じ立ち位置だ。良し悪しは別にして、地位に相応しい言動を取るよう厳しく教育される。マリスアリアがそうであったように、第二王女であったネーナも様々なものを諦めさせられたに違いない。


 実際、マリスアリアが十代の頃に一度だけ会ったアン王女ネーナは大人しげで、いかにもわきまえた印象であった。


 けれども今のネーナは生気に満ちていて、強い意志が感じられる。異国の地に招かれていようと、理不尽に虐げられている少女を見過ごす事などしない。


 マリスアリアが諦めて置き去りにしてしまったものを、ネーナは取り戻しているのだ。それをとても羨ましく思えた。




 自己顕示欲を満たして陶酔に浸る少年達が、駆け寄ってくるネーナに気づく。その美しさに少年達は頬を染めるが、ネーナは彼等を一瞥もせず、クラリッサの側に膝を着いた。


 背中を丸め、身体を強張らせる少女に、ネーナは優しく声をかける。


「クラリッサさん、私の声が聞こえますか?」

「…………」

「私はネーナ・ヘーネスと申します。医師です。貴女の体調がとても気がかりでして、診察をさせて頂きたいのです。宜しいですか?」


 震えていた少女が薄っすらと目を開ける。不揃いに切られた髪の間から覗く色素の薄い紫の瞳が、ゆっくりとネーナに向く。


 制服同様、髪も汚れている。白髪かと思っていたが、元の色は恐らく銀だ。


 やや応答に間が開いたのは、クラリッサの逡巡か。それでも少女は小さく頷き、了承を示す。


 診察を始めるなり、ネーナは息を呑んだ


 ――酷い。


 思わず口に出そうになった言葉をグッと飲み込み、顔をしかめる。外れて欲しい予想が当たってしまっていた。


 制服の襟や裾、袖口から見ただけでも、クラリッサの全身にアザが広がっている。比較的新しい青アザから、時間経過で茶色や黄色に変色したものまで様々。それら全てが、着衣で隠れる位置にある。


 非常に悪質だと、ネーナは思った。自分ではつけようがない場所のアザもあり、日常的に暴力を振るわれていると見て間違いない。この状態では身体を動かす度、何かに触れる度に激痛が走る筈だ。


「レナさん!」

「あいよっ」


 お呼びがかかったと、レナが立ち上がる。ドレス姿のネーナはいつものポーチを持っていない。治療が必要なのだと、レナは察した。


「――レナ様」

「ん?」


 マリスアリアが呼び止める。


「彼女は……クラリッサ・ガタッタは、一族最後の一人です」

「そっか。ありがと」


 レナはヒラヒラと手を振った。


「公爵様、大丈夫よ。ネーナは公爵様を嫌ったりしないから」


 レナがニッと笑えば、マリスアリアも硬い表情を僅かに緩めるのだった。




 ネーナが指をパチンと鳴らし、漆黒のカーテンで周囲を覆う。いかに診察とはいえ、衆人環視の中で少女の肌を晒す訳には行かないからだ。


 この大講堂にいる者の多くは、多かれ少なかれクラリッサの身に何が起きたのかを知っているだろう、ネーナはそう確信している。だが彼女を苦しめる者を突き止め責め立てるよりも、ネーナはクラリッサの尊厳を守り、身体の痛みから今すぐに解放する道を選んだ。


「な、何をしている!?」


 黒いカーテンでクラリッサが見えなくなり、彼女を責め立てていた少年達が動揺を見せる。


 ネーナの行動を阻止せんと、ビル・バーインが右足を踏み出す。しかしその足はズルリと滑り、ビルは視界の端に自分が踏んだ物を見て驚愕する。


「そんな、バナ――なッ!?」

「んぎゃッ!」


 ビルが仰向けに倒れて後頭部を強打し、白目を剥く。その腕にしがみついていたパトリシアも巻き沿えを食らい、顔から床に突っ込んだ。


 エイミーが姿を現し、黒いカーテンを背に立ちはだかる。口の中のバナナを呑み込むと、不機嫌そうに言い放った。


「ネーナは今、しんさつ中だよ。邪魔しないで」




 その間にレナは、黒いカーテンの中へと踏み込む。


「あたしは何をすれば――っ」


 レナもネーナ同様に絶句した。わざわざ魔術で周囲の視線を遮った意味がわかったのだ。


「服で隠れる部分全身に、打撲痕と擦過傷、創傷、内出血が見られます」


 裾や袖、スカートを捲られた少女が横たわっている。レナの目は、太ももや下腹部の内出血に向いていた。それが意味する所は――


「――レナさん」


 その先は言ってくれるなと、ネーナが目で制していた。


「内蔵や筋肉など、体内にも深いダメージがあると考えるべきです。ここは環境が良くありませんから、まず外傷や視認出来る部分を治療して移動しましょう」

「……おっけー」


 レナが腕まくりをする傍で、ネーナはクラリッサに微笑みかける。


「クラリッサさん、これから治療を始めます。終わるまで暫く眠って頂く事になりますが、宜しいですか?」


 少女は全てを託したように、小さく頷いた。


「目が覚めたら、身体の痛みの殆どは解消している筈です。私達がお守りしますから、ゆっくり休んで下さい――『睡眠スリープ』」


 抵抗する様子もなく、クラリッサが眠りに落ちる。信頼したのではなく、諦めて受け入れたのだと察し、ネーナは唇を噛んだ。




 指を鳴らす音がパチンと響き、黒いカーテンが消滅する。


 ひとまず治療を終えたネーナの前で、クラリッサを貶めた少年少女や茶番劇を面白半分に眺めていた人々が滝のような汗を流し、真っ青な顔で尻餅をついていた。


 手加減の必要なしと判断した、英雄たるエイミーの威嚇。学院の警備兵や公爵の護衛までもが呼吸を荒くし、膝を屈している。


「フェスタお姉さんが、馬車をお外に待たせてるって」

「有難うございます、エイミー」


 振り返るエイミーに礼を述べ、ネーナは大講堂をぐるりと見回した。


 マリスアリアを含む来賓や楽団員を巻き込んでしまった申し訳無さはあるが、クラリッサへの処置が最優先であったと諦めて貰うしかない。少女はそれ程に急を要する状態であった。


「げほっ、このような暴挙、許されないぞっ!」


 エイミーが威嚇を止めると、ビルは咳き込みながら抗議をした。


 ネーナは全く動じず、首を傾げて一蹴する。


「このような暴挙とは、暴行を受けて歩くのもままならない少女を茶番に引きずり出して辱めた事でしょうか? それともそのような茶番を、他国から招かれた来賓である私達に披露した事でしょうか?」


 クラリッサは眠ったまま、レナに抱きかかえられられている。


「まずはっきりさせておきたいのですが、この場でクラリッサさんに投げつけられた暴言は事実なのですか? 単なる悪趣味な催しなのですか?」


 ネーナが静かに問う。その声は大講堂の静寂に良く響いた。


 自らに多くの視線が集まっているという実感。目の前の少年少女からは強い敵意が、それ以外の大半からも、突然乱入してきた部外者に対する不審感や反感などのネガティブな感情が向けられている。


 予想はしていたもののキツい。足に震えが走る。クラリッサはずっとこんな環境で耐えていたのだと、ネーナは思った。


 少年から返答は無く、ネーナは話を続ける。


「……クラリッサさんの全身には、長期に渡り様々な虐待を受けた痕跡がありました。彼女がどのような仕打ちを受けてきたのか、診察をした私にはわかります。この学院の誰一人として知らないなどという事はあり得ません」


 何人かが固唾を呑んだ。心当たりがあるのだ。


「そ、そいつクラリッサはガタッタの者だ! 公国にそむいたコスタクルタの寄り子だ!」

「その件は既に関係者が処断されています。クラリッサさんに対する私刑リンチを、公国の法は認めていません」


 ビルの主張を、ネーナは斬り捨てた。クラリッサへの暴行を正当化する理由は、存外に下らないものであった。だがコスタクルタ元伯爵の名前が出た以上、ネーナ達は無関係とは言えない。

 

「まだクラリッサさんの治療が残っていますので、私達はこれで失礼します。皆様はパーティーをお楽しみ下さい」


 ネーナは一礼し、レナやエイミーと共に歩き出す。

 

「――そうそう」

 

 そうして、大講堂の出口で立ち止まり、振り返った。


「クラリッサさんにかけられた嫌疑。彼女が受けた嫌がらせ、暴行も含めて精査致します。学生だから、貴族だから、傍観しただけだからと言い逃れはさせません」

 

 ニッコリと微笑むネーナの、目だけは笑っていない。

 

「卒業生の皆様、学院の皆様には、卒業式の祝いとして来賓の私より、『因果応報』の体験をお贈りしたく思います。早急にご実家へ、思い当たる事を包み隠さずご報告なされるのが宜しいかと」

 

 その言葉に、明日から社会に出る卒業生達が震え上がる。

 

 ――彼等彼女等は、一体何を卒業したのでしょうか。

 

 年齢が成人に達しようが、学院を卒業しようが、今日まで人並みの振る舞いが出来ぬ者が、明日から立派になる筈はないのだ。

 

 ネーナは内心で深く溜息をつくのだった。

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