第二百六十六話 流石にそのような無分別な方は――いました!

 演習場の静寂を破り、半ば自棄やけ気味の号令が飛ぶ。


「撃てぇぇェいっっ!」


 直後に無数の矢と魔術が降り注ぎ、あっという間に攻撃対象が見えなくなる。間髪を入れず、指揮官は次の命令を下す。


「次、かかれっ!」

『おおおおおっ!!』


 遠距離攻撃が止み、勇ましい雄叫びを上げて公国軍の兵士達が駆けて行く。攻撃対象を包囲し、握り締めた槍を入れ代わり立ち代わり突き入れる。


 濛々もうもうと立ち込めた砂煙が前方の視界を奪う。指揮官は不安げに振り返り、後方で視察するシュムレイ公爵と公国の重臣達を仰ぎ見た。




 前日に軍務卿から受けた命令は、公国軍の指揮官を困惑させた。内容は「演習場にて攻撃対象を破壊せよ」という、至ってシンプルなもの。


 急ではあるが、公国軍の練度を見たいという話であれば納得出来る。公国騎士団が統合され、軍が再編された後だからだ。


 幸いにして待機中の一個連隊はすぐに出動可能で、任務遂行に障害は無い。


 しかし軍務卿から攻撃対象を聞かされた指揮官は、間抜けな顔でもう一度聞き返した――




 貴賓席のマリスアリアが、凛とした表情で頷く。


「そこまでっ!」


 号令に従い公国兵が攻撃を停止し、包囲を解いて整然と後退する。


 砂煙が風に流されると、演習場に大きなどよめきが起きた。


 そこに残された攻撃対象――馬車は全くの無傷であった。


「へあッ!?」


 公国軍の指揮官は愕然とした。




 ざわめきの中、レナがポキポキと指を鳴らしながら前に出る。


「仕上げに一発、イッとく?」

「お願いします」


 ネーナは応えて、眉をひそめる。


「レナさん、それをやると指が太くなりますよ」

「はぁい」


 たしなめられたレナは、バツの悪そうな顔で両手を離した。


「で、どれくらいでやればいいの?」

「そうですね……クレーターが出来る程度でお願いします」

「おっけー」


 ヒラヒラと手を振り、レナが了解を示す。


「クレーター……?」


 一体何を言っているのか。誰かのそんな呟きは、このデモンストレーションに駆り出された多くの者に共通した思いだ。


 マリスアリアが公用車の付与魔術を新たなものに変更すると表明した時、重臣達は血迷ったのかと言わんばかりに反対した。


 曰く、無駄な出費は容認出来ない。巨大組織である賢者の塔が施工した術式を除去すれば関係が悪化する。公爵閣下は冒険者にたばかられている。友誼を尊ぶあまり、冷静な判断を欠いているのではないか、等々。


 公国貴族の多くは、既得権益を奪おうとするマリスアリアと政治的に対立している。彼等は女公爵の発言を明らかな失策と見て、ここぞとばかりに非難した。


 マリスアリアはそれらの声を一蹴し、自らの目で確かめろと貴族達を演習場に引きずり出したのである。


 彼女は友人達に、そんな裏事情を告げたりしない。そんな必要も無いからだ。


 ネーナはレナに続けて、エイミー達に声をかけた。


「エイミー、どうですか?」

「いつでもいいよー」

「ガウさんはリア様や重臣の方々をお願いします」

『ガウッ』


 精霊熊のガウェインは右前脚を挙げて応え、マリスアリアの隣にドスンと座り込んだ。巨体に恐れをなして重臣達が後退る中、女公爵は嬉しそうに白い毛並みを撫でた。


 入念なストレッチを終え、レナがペロリと舌を出す。


「そうだねえ、じゃあ『稲妻重力踵落としサンダーボルト・ストライク』で行くよっ」


 レナは軽く手を挙げて走り出し、二十メートル程でトップスピードに達する。


 側転からのハンドスプリングで高く跳躍。膝を抱え込み高速回転しながら頂点へ。


「レナ、割と本気で結界を壊そうとしてない?」

「……はい」


 馬車に施された防御結界の強度を証明するには、相応の攻撃力が必要だ。だがフェスタとネーナには、レナの目的が証明から破壊に移ってしまっているように見えた。


「ウラアアアアッ!!」


 さながら天より降り注ぐ一筋の雷。


 回転と落下速度を利した踵落としが炸裂し、先刻の公国軍による攻撃の比にならない轟音と爆風を呼ぶ。


 精霊熊が土精の壁を展開して防ぐが、観覧席の貴族達は恐怖で硬直した。


「――残念、足りなかった」


 着地したレナが、悔しげに指を鳴らした。土壁が崩れ、大地に還る。


 エイミーが大地の精霊術で固定した馬車には、傷一つ無い。しかしその地点を残し、周囲は半径十五メートル程に渡って深く抉れていた。


「……レナさん、本気出しすぎです」


 苦笑しつつネーナが言えば、レナは頬を掻く。


「ごめんて。大丈夫そうだから、つい」




 散々無礼な物言いをしていた重臣達も、眼前の光景に絶句している。マリスアリアは彼等を一瞥すると席を立ち、公国軍指揮官に歩み寄った。


 指揮官がハッと我に返り、女公爵に頭を垂れる。


 叱責が部下に及ばないようにと必死に弁明を考えるが、マリスアリアの言葉は指揮官が想像もしない、労いであった。


「公国軍の練度は素晴らしいものでした。日頃の研鑽の成果は十分に伝わりました」


 攻撃目標の破壊に失敗した事を責められるかと身構えていた指揮官が、思わず顔を上げる。自らの非礼に気づき慌てて頭を下げるが、咎める声は無かった。


「あの馬車は、私の大切な友人が、私の身を案じて魔術を施してくれたものです。これからも鍛錬を怠らず、あの馬車のように国民を守れるよう努めて下さい」

「……はっ!」


 マリスアリアは微笑んで立ち去る。指揮官はバネが入っているかのように立ち上がり、部下に号令をかけた。


「総員、公爵閣下に敬礼!!」


 公爵の一言は、指揮官や公国兵達をいたく感激させた。


 組織が再編された新生公国軍は、統合した公国騎士団との兼ね合いもあり、多くの変更をする必要に迫られていた。中でも悩みの種は、良案に恵まれない軍旗やシンボルであった。


 次の会議で、いや帰還次第上将に提案してみよう。指揮官はそう決めて、クレーターの中心で静かに佇む公用車を見た。




 ◆◆◆◆◆




「やぁやぁ我こそは〜、西方五剣筆頭にしてSランク冒険者〜、人呼んで『刃壊者ソードブレイカー』〜、オルト〜、ヘーネスな〜り〜」

「何をしゃらくさい〜、この『剣聖』マルセロこそが五剣筆頭ぞ〜、貴様なぞ〜魔剣『魔神の尾デビルエンド』の錆にしてくれ〜る〜」


 観客が役者達に、やんやの喝采を送る。


『わーっ!』


 ネーナとエイミーも目を輝かせて拍手をしていた。


「うはははは! オルトの俳優がめっちゃイケメンでウケる! オルト役喋りすぎで超ウケる! っていうかフェスタ役以外全然似てない!」


 レナは色々とツボにはまったらしく、腹を抱えて爆笑している。


「最強の剣士は二人も要らぬ〜」

「どちらが強いか、戦えばわかることよ〜」

「しからばいざ!」

「いざ!」

『いざいざいざいざ!!』

『尋常に〜、あ、勝負〜!!』


 客席の盛り上がりは最高潮。


 マリスアリアは【菫の庭園】メンバーの反応を見て、胸を撫で下ろしていた。


 シュムレイ公国の式典に参加する為やって来たネーナ達には、滞在期間中に様々な予定が組まれていた。式典は既につつが無く終わっており、残すは観劇と公立学院の謝恩パーティー。


 公国側から打診したものの、観劇についてはキャンセルしても良いと、マリスアリアは考えていた。


 公国では大衆向けの娯楽が流行しており、身分を問わずに楽しんでいる。演劇は東方サンライズ由来の台詞回しや振り付けを取り入れた、一風変わったもの。


 しかし問題が一つ。現在人気の演目は、オルトとマルセロの激突を題材にしているのだ。


 オルトが倒れて残されたメンバーが悲しんでいる事を、マリスアリアは良く理解していた。故に予定の変更も提案したが、【菫の庭園】側から気遣い無用と言ってきたのである。


 舞台ではカーテンコールが始まっている。


「――公爵閣下」

「フェスタ様」


 フェスタが一礼した。


「この度は色々とご配慮頂き、有難うございます」

「いえ、随分と出過ぎた真似をしていたようです。皆様、お強いのですね」


 マリスアリアが言えば、フェスタはかぶりを振った。


「屋敷の使用人を増やす予定もありますし、オルトが安心して寝ていられるように頑張らなくてはいけませんから」


 いつまでも落ち込んではいられないのだと、フェスタが笑う。その指で落ち着いた輝きを放つ指輪を見つけて、マリスアリアも笑みを返す。


 二人の様子を横目で窺い、ネーナ達も微笑んだ。


 オルト・ヘーネスがリスクを冒してもマルセロを仕留めたのなら、きっとそうするだけの理由があったのだ。彼を知る者はそう信じている。


 ならば残された者がすべき事は決まっている。より良い未来を目指したその先に、きっと目覚めたオルトがいる筈だから。



 

 ◆◆◆◆◆




 【菫の庭園】一行は迎賓館に戻り、ドレスを着替えてからメレセルス公立学院を訪問した。


 正門を抜け、在校生による手製のアーチのトンネルを潜って校舎へと入る。そこからは案内役の生徒会長に続き、歩を進める。


「生徒達は皆様に興味津々のようですよ」

「私は王城で教育を受けましたから、学校がとても新鮮です」


 マリスアリアに応え、ネーナが微笑む。


 祖国サン・ジハール王国にも学校はあるが、ネーナは通っていない。姉が他国へ嫁いで国王の実子が一人になった為、同年齢の子女を学友として城へ招き、学業を修めていた。


 教室の中から一行を見つめる生徒達が、歓声を上げた。成人年齢での卒業となる生徒は、ネーナやエイミーと然程変わらない。けれどもネーナの目に彼等彼女等は、とても幼く感じられた。


 応接室で学院の理事や校長と歓談した後、一行は再び生徒会長の案内で、謝恩パーティーの会場である大講堂へ。

 

 大講堂は元々市庁舎の倉庫であり、学院初期には本校舎として使われていたという。非常に古い造りの建物だが、中は在校生によって綺麗に飾り付けられていた。

 

 中央はダンスホール、端に立食スペース、歓談スペース、楽団は既に着席し、準備を終えている。ネーナ達も来賓席に腰を下ろした。

 

 謝恩パーティーは公立学院の卒業式後に開催されるのだと、マリスアリアは説明した。最長四年間の学生生活を終えて社会に羽ばたく卒業生に、後輩達が感謝と激励を贈るのだ。


 公爵を始め来賓が招かれている事から学院の活動を外部に知らしめる機会でもあり、卒業生にとっては大人達に立ち振る舞いを見られ、社会に踏み出す第一歩ともなる。


 公爵のマリスアリアが来賓を代表して式辞を述べると、生徒会長がパーティーの開催を宣言した。


「そう言えば、リア様」

 

 席に戻って来たマリスアリアに、ネーナが気になっていた事を尋ねる。

 

「大衆向けの娯楽が流行しているとお聞きしましたが、生徒さん達や市民の皆様がお持ちの書籍もそうですか?」

「ネーナ様もお気づきでしたか」


 マリスアリアは頷きで肯定した。


「マティアス・ザマーという作家の小説で人気に火がつき、後続で刊行された類似の作品まで一時は品薄で入手困難になった程だそうです。何でも、それらを纏めて『ザマー系』と分類されるとか」


 公爵家の使用人や護衛達も所持しているのだと苦笑する。ネーナはそれを聞いて納得した。

 

 売れるからには小説自体も面白いものなのだろう。けれども買った者が全て読んでいるとは限らない。

 

 小説そのものの魅力とは別に、所有をアピールする為のアイテムにもなっているのだ。大陸西方サンセットで写本や複製の技術が発達し、書籍が以前より手頃な価格になった事もブームを後押ししたかもしれない。

 

「あー、私は流行に敏感ですみたいな感じ? 後は友達に対する見栄とか、あわよくばそれをネタに異性にお近づきになりたいとか?」

「仰る通りです、レナ様」

 

 横から口を挟むレナに、マリスアリアが応える。だが、その表情は少し複雑そうでもあった。ネーナは首を傾げる。

 

「何か問題でも?」

 

 楽団が演奏を開始し、卒業生達がダンスを始める。婚約者がいる者はパートナーと、いない者は意中の相手を誘うのだという。ダンスホールでは既に何組もの若者が踊っていた。

 

「若さゆえと申しますか、風紀が緩んでいると申しますか……公の場で、人気小説の一場面を再現しようとする者が現れまして」

「それって、例えばこんなパーティーで、『婚約破棄だ!』とか叫ぶ馬鹿がいるって事?」

 

 レナが冗談交じりに言えば、マリスアリアは無表情で頷いた。

 

 ネーナがクスクスと笑う。

 

「ここにいるのは学院で学び、成年に達したか成年間近の方々ですよね? 流石にそのような無分別な方は――」


 突如ネーナの言葉を遮るように、少し裏返った絶叫が大講堂中に響いた。

 

 

 

「婚約破棄だあァァァァァっっ!!」

 

 

 

「――いました!」

 

 ネーナが驚愕で目を見開く。その隣で、マリスアリアはガックリと肩を落とした。

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