第二百六十五話 手抜きされた上、ボッタクられたかもって話

「これよりシュムレイ公国の馬車が通過する! 街道を通行中の者は端に寄り、道を空けよ!」


 先触れの騎兵が大音声だいおんじょうで呼ばわると、旅慣れた者達が周囲を促しつつ街道の左右に寄る。


 都市間、国家間の交通と物流を支える街道では、このような要請は珍しくない。傷病者の搬送、貴人の通行、緊急性の高い伝令、戦争や災害対応、或いは商業利用を目的に優先通行の免状を購入する者もいる。


 旅人が優先通行に協力する理由は至って簡単。管理者や富裕層が拠出する資金で、街道が良好な状態を維持しているからだ。


 興味深げに人々が見守る中を、四頭立ての馬車が騎兵の一団に護られながら駆け抜けて行く。


 派手な装飾をはぶいた落ち着いた造りながら、客車の扉にはシュムレイ公国の紋章が大きく描かれ、公用車である事が示されていた。




 窓から見える景色は次々と移り変わり、並走する騎兵達は振り落とされぬよう上体を深く前傾させている。


 馬車もかなりの速度を出している筈だが、乗客には振動も騒音も殆ど感じられない。


「何か落ち着かないねえ」

「ええ」


 ゆったりとした広い車内で、レナとフェスタが苦笑する。【菫の庭園】一行を乗せて、馬車はシュムレイ公国の公都である北セレスタに向けひた走る。


 普段ネーナ達が利用する駅馬車のような開放感は、公用車には無い。代わりに襲撃にも耐えうる装甲や、高い静粛性と快適性、機能性を兼ね備えている。時には公爵や他国の要人も利用するという。


 レナは小型のワインセラーを物色し、希少なワインのボトルを見つけて抱え込んでいる。柔らかな座面に寝転がるエイミーは、収納から出した毛布に包まり微睡まどろんでいた。


 馬車は所謂リムジンと呼ばれる形式のもの。御者席には御者の他に、【菫の庭園】のエスコートをする公国外交官が控えている。呼び鈴の紐を引けば、走行中の今でも客車に取り付けられたステップを伝って入って来るだろう。


 薬学書を読みふけっていたネーナが顔を上げた。


「仕方ありませんよ、今回の私達は賓客ですから」


 公国への訪問は以前から予定されていたもの。ネーナ達は、かつて公国に大きな被害をもたらした『剣聖』マルセロが討伐された事を記念する式典の主賓なのである。


 【菫の庭園】が招待を受ける意味は大きい。英雄の式典参加は政情不安が続く公国の民心を安定させ、マリスアリアとの親密さを示せば彼女と対立する貴族達への強い牽制となるのだ。


 異国で奮闘する友人の力となるのに、ネーナ達には何の躊躇ためらいもなかった。


 当初は二人を留守に残してネーナとフェスタのみ出向くつもりが、イリーナとクロスが屋敷の警備に決まった為に全員参加と相成ったのである。


「乗り心地は良いんだけどさ、ここまでガチガチの警備だと護送されてる気分にならない?」


 レナが行儀悪く、ワインボトルを抱えたまま座面に倒れ込む。


 自身も王侯貴族に対する聖女としての振る舞いを叩き込まれているが、元々は貧民街スラムの孤児。そもそも戦いに明け暮れる日々では、上品さなど無用の長物でしかなかった。


「やっぱりネーナはお姫様だよね、堂々としてるわ」

「そうですか?」


 向かい側に姿勢良く座る美少女が小首を傾げる。生まれついてのプリンセスは違うなと、レナは妙な感想を抱いた。


「護衛は公国騎士じゃないのね」


 フェスタの呟きを聞き、ネーナも馬車の外を見る。


 軽装の騎兵達は一様にクロスボウとショートスピアを装備している。公国騎士は重装備であり、明らかな違いがあった。


 ネーナが知る限り、シュムレイ公国の儀仗隊は貴族の子弟で構成される公国騎士団に属し、来賓警護や式典警備も公国騎士団が担っていた――以前は。


 それに対して、公国軍の主任務は平時の警戒や治安維持。その騎兵が【菫の庭園】を迎えに来たのは、公国側の国内事情が絡んでいた。


「前にあたしらを捕まえようとしたのが国際問題になりかけた上、それをきっかけに強制捜査をしたら不正やら癒着やら贈収賄がボロボロ出て来たんだっけ?」

「ですね」


 ネーナが肯定する。結果、騎士団幹部は一斉解任の上で投獄された。


 市民に政治の門戸を開こうとしているマリスアリアにとって、特権階級故の横柄な振る舞いが目立つ公国騎士団を解体しない手は無かったのだ。


 結果、騎士団は実力主義の公国軍に統合され再編成された。その際にも貴族主義から抜け出せない者達が離脱している。


「公爵様も敵が多いね。冒険者ギルドが後ろで睨みを効かせてるから、表立った不満は出ないんだろうけどさ」


 現在北セレスタには、ギルド支部の他にSランクパーティーのクランが拠点を置いている。公国の総戦力を上回る、親公爵派の実力組織が存在するのだ。


 既得権益を手放したくない貴族達も、マリスアリアには手を出せない。彼等にとって煩わしい女公爵が、皮肉にも急激な貴族制撤廃を押し止める防波堤となっているからだ。


「レナさん」

「ん?」


 ネーナはレナが抱えるワインボトルを指差した。


「人肌の温度では、ワインの劣化が早まってしまいますよ」

「あっ」


 レナが起き上がり、慌ててワインセラーを開く。


 オルトが倒れてから、レナの酒量は激減した。今も以前のレナならば、さっさとコルクを抜いてラッパ飲みしている所だ。


 フェスタを見れば、笑みを浮かべて頷いている。だからネーナは、ワイングラスを三脚用意した。


「そのボトル、開けてしまいましょう」


 北セレスタに到着するまで、まだまだ時間はある。ネーナは車内を見回す。


 ――少し気になる事はありますが、それは置いておきましょうか。


 独り占めしても、気の置けない仲間達とシェアしても、ワインの味に変わりは無いのだ。ならば楽しい方がいい、


 久しぶりにレナに付き合おうと、ネーナは思った。




 ◆◆◆◆◆




 北セレスタの市門前。公爵マリスアリアと公国政府の重鎮や貴族、都市の名士が勢揃いしている。


「【菫の庭園】の皆様、遠い所をお越し頂き有難うございます」

「お招きに預かり光栄です、公爵閣下」


 ネーナは【菫の庭園】を代表し、スカートの裾を摘んで優雅なカーテシーを披露した。


 公国貴族の中でも目端の利く者達が、ほうっと感嘆の声を漏らす。


 歓待を受けた一行は迎賓館へ向かう為、マリスアリアと同じ馬車に乗り込んだ。北セレスタまで乗って来たものとは違うフルオープンの馬車が、目抜き通りをゆっくりと進む。


 石畳の道には、麗しき英雄達の姿を見ようと多くの市民が駆けつけていた。稼ぎ時とばかりに屋台や大道芸人、大きな帽子を被った吟遊詩人の姿も見られる。


 マリスアリアは歓声に対してにこやかに手を振り、人々に応える。その彼女の耳に口を寄せ、何とも言えない作り笑いでネーナは尋ねた。


「リア樣、この馬車や私達がシルファリオから送って頂いた公用車にかかっている魔術は、どなたが施されたのですか?」


 ネーナの気がかりは、シルファリオを出てからずっと抱いていたものだ。それは北セレスタに到着して更に膨らみ、第三者の介入が無いタイミングでの質問となった。


 マリスアリアが質問の意図を推し量り、首を傾げる。


「馬車の魔術、ですか? 賢者の塔に依頼し、高位の導師によるものと聞いています。先方の予定を押さえられず、費用を上乗せしてそれでも数ヶ月待ったとか……それがどうかなさいましたか?」

「そうですか……後で落ち着いてから、お話しします」


 ネーナはそれだけを答え、その後は観衆に手を振り続けた。




 迎賓館に到着した一行は、広い客間に案内された。


 ソファーに腰を下ろすなり、レナがマリスアリアより先に口を開く。


「後ろにいたあたしにも聞こえてたけど、さっきのアレってもしかして……」

「はい」


 ネーナが言い辛そうに頷く。代わりにレナが、マリスアリアに告げた。


「あたしらがシルファリオから乗って来た馬車と、ここまで乗って来たオープンカーにかかってる魔法、何かショボいんだよね。いくらかかったか知らないけど」


 声こそ抑えたが、室内の使用人や公爵付きの護衛達が驚愕を顕わにした。勿論、マリスアリアもだ。


 公爵の信頼を得て抜擢された護衛の一人、冒険者アラベラの父親でもあるガエタノ・シレアが発言の許可を取る。


「レナ様、一体どういう……」

「もしかしたら、だけど。ぶっちゃけるとね、手抜きされた上、ボッタクられたかもって話」


 ガエタノが絶句する。どこがと名言こそしていないが、話の流れで主語が賢者の塔にあるのは明らかだ。


 公用車は自国他国を問わず多くの者の目に触れる為、潤沢に予算をかけて最高の品質と性能を追求する。安い造りと見られれば、他国には侮られ自国民は不安を募らせてしまう。


 何より、招待した客人をそのような馬車に乗せたとあれば国の恥。威信も面子も丸潰れである。


「それは間違いないのでしょうか。いえ、ネーナ様やレナ様をお疑いするのではありませんが……」


 マリスアリアは念を押すように確認する。一方的に話を鵜呑みにしない姿勢は流石だと、ネーナは胸の内で称えた。


「あたしは専門外だけど、スミスやネーナは勿論、冒険者ギルドにだってもう少しマシな強化する魔術師はいると思うよ」

「私もそう思います」


 同業者の仕事のアラを告げるのは心苦しいが、ことマリスアリアの安全に関わる話となれば言わざるを得ない。


「伝えるべきか悩んだのですが……馬車を利用するリア様や来賓の方々に何かあってからでは遅いと思いまして……」


 公用車もオープンカーもまだ新しかった。それもネーナが言い辛かった理由だ。


 何故ネーナは気づいたのか。それは、シルファリオの屋敷に冒険者ギルド長のヒンギスが見舞いに来た時期にまでさかのぼる。


 オルトの見舞いのついでに、ヒンギスと秘書のホランは【菫の庭園】の活動やパーティーランクなどについて意見や要望を伝えて来た。その一つが、自前の馬車かそれに準ずる移動手段を使って欲しいというものであった。


『高ランクの冒険者はそれなりの暮らし向きをアピールして欲しいし、目に見える形でお金を落として経済にも貢献して欲しいの』


 ヒンギスは申し訳無さそうな顔で、ギルドが強制は出来ないけれどと付け加えた。


 例えばAランク冒険者のリチャードは美しい白馬を、彼のパーティー【四葉の幸福クアドリフォリオ】は豪奢な馬車を所有し移動に使っている。Sランクパーティーの【屠龍の炎刃】は竜に乗る事もある。


 それらを維持するのには費用が必要で、雇用も生まれる。同じ資金を直接寄付や炊き出しに使うのではなく、対価として支払い地域の人々を潤わせるのだ。それはヴィオラ商会の活動からネーナが学んだ事でもある。


 未だにイメージが良いとは言えない冒険者が、社会に必要で有益な存在だと示したい。新ギルド長として不祥事が続いた冒険者ギルドの立て直しに奔走するヒンギスの狙いはわかる。


 気の置けない付き合いであるから、ヒンギスは態々わざわざ【菫の庭園】に頼み事をしてきたのだ。ネーナ達に協力しない手は無かった。


 他にも幾つか理由が重なり、【菫の庭園】は馬車の自家所有を検討していた。だからこそネーナは、公国の馬車のスペックが気になったのだった。




「――しかし困りましたね」


 マリスアリアが眉をハの字にして、悩まし気な表情を見せる。


 公用車には何種類もの結界魔術が施されている。防音だけならばまだ恥を忍んで現状のまま使う事も出来る。しかし耐物理、対価魔術の防御結界は安全性に直結するのだ。


「賢者の塔に再依頼を受けて頂けるか……仮に受けて頂けても、納期と費用が……」

「あの、リア様」


 ブツブツと呟く女公爵の顔を、ネーナが覗き込む。


「――宜しければ、私がやりましょうか?」

「ええっ!?」


 マリスアリアの顔が物凄い勢いでネーナに向いた。どういう事かと説明を求められ、ネーナは引き気味に答える。


「わ、私が乗った二台の術ならば、私の魔力で問題なく解除ディスペル出来ます。その後に術を付与するだけです。他の馬車は見てみないと何とも」


 マリスアリアは硬直した。見てみないとわからないと言いながら、ネーナの口ぶりからは自信が感じられる。


 こうして話しているとつい忘れてしまうが、ネーナ・ヘーネスは勇者パーティーの『大賢者』スミスが送り出した弟子。そして一躍名を挙げた冒険者パーティー【菫の庭園】の一員なのだ。


「無理せずとも一日一台は仕上げられると思います。試しにやってみましょうか?」

「うふふふふ」

「リア様?」


 何でもない顔でとんでもない事を言うネーナが可笑しくて、気づけばマリスアリアは笑っていた。

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