第二百六十四話 むしろ怒っていいと思いますよ

 大剣がゴウッと風を裂く。


「フッ!」


 レナが尋常でない反応速度で剣の腹に肘を打ち、軌道を変える。しかしイリーナは間髪入れず、振り切った大剣を鋭く返す。


 反撃の糸口を掴めず、レナは顔をしかめて舌を打った。


 暴風のような連撃をどうにかい潜っても、イリーナの身体は常に彼女の大剣の向こう側にある。いくら揺さぶっても集中を切らさず立ち回られ、レナは攻めあぐねていた。


 一方でイリーナも、持ち前の重い斬撃を捌かれて前進出来ず、レナに圧力をかけられずにいる。お互いに膠着状態を打開しようとしながら、決め手に欠けて相手の防御を破れずにいた。




「……そろそろ、です」


 ベンチに座って見守るネーナが、手元に視線を向けた。砂時計の砂が落ち切ると同時に声を上げる。


「そこまでです!」




『うっはあああっっ!』




 汗だくのレナとイリーナが手を止め、声を揃えて、裏庭の芝生に倒れ込み大の字になる。


「お疲れ様です!」


 ネーナがパタパタと駆け寄ってヤカンを傾けると、二人は交替で流れ落ちる水に頭を突っ込み歓声を上げた。


「やっぱり調子の戻ったレナには敵わないかあ」

「あたしこれでも、Sランクの奴とか張り倒してるからね。名前忘れたけど」


 本気で悔しがるイリーナに、レナは苦笑する。ちなみにレナに名前を忘れられたSランク冒険者は、アルテナ帝国と共謀してギルドに攻撃したと認定されてオルトに斬られ、既にこの世にいない。


 イリーナは先日、不調とはいえ明らかな格上のレナから一本を奪った。さらにその後、三日間昼夜を問わず続けられたレナの猛稽古に最後まで食い下がっている。これをまぐれでは片づけられない。


 まだまだレナには及ばないが、今のイリーナは充実している。旧アルテナ帝国での経験に加えて、これまでの鍛錬が実を結びつつあるのだとネーナは感じた。


「でも、イリーナは凄く戦り辛くなったよ。カウンター取れなくなったし、大剣の裏に飛び込むのも難しくなった」

「そう、かな」


 レナの絶賛にもピンと来ない風に、イリーナは首を傾げる。高い目標を掲げている為か、イリーナは自己評価が低い。


「前はとにかくしぶとかったけど、一本調子だったし雑なとこもあった。今は一振りごとに剣速が違うし、目線だの体捌きだの踏み込みだので誘ったり牽制してくるもんね」

「――お二人とも、朝食の用意は出来ていますよ。先に汗を流して下さい」


 促された二人がモソモソと起き上がる。裏庭に誰もいなくなると、ネーナはベンチに腰を下ろした。




 ふうっと溜息をつく。


 流石と言うべきか、レナは宣言通りに三日で身体を仕上げて来た。今の状態ならば【菫の庭園】が活動を再開してもやって行ける、ネーナを含めた仲間達はそう判断している。


「ただ、気持ちの方は……」


 明るく振る舞っていても、空元気でしかないのは見ればわかる。三日間打ち込んだ稽古も、他の事を考えたくなかったからだ。レナの心の傷は未だ癒えていない。


 ネーナは腰のポーチから黒い小箱ブラックボックスを取り出した。掌に収まる大きさのそれは、【菫の庭園】を離脱して故郷に帰ったスミスが、餞別せんべつとしてネーナに譲った魔道具の一つだ。


 魔力を込めると、箱の上部に映像が浮かび上がる。魔力を注いでいる間しか動作しないものの、術者視点で目にしたものや耳にした音が記録される。それらは何度でも再生可能だ。


 激しく斬り結ぶ二人の剣士。一方はオルト、もう一方は魔人と化した『剣聖』マルセロ。肩で息をするレナの姿もある。映像は【菫の庭園】がマルセロ討伐に成功したハイランドでの一戦であった。


 マルセロが振るう魔剣『魔神の尾デビルエンド』の刃は、高速のあまりネーナの目では捉えきれない。対するオルトのスタインベルガーは剣速のバラつきが大きく、時に斬撃の軌道が見える。


 オルトが貫くポーカーフェイスを差し引いても、魔人化により大幅に身体能力が向上した筈のマルセロは、映像の中で翻弄され苛立ちをあらわにしている。


 現時点の完成度では遠く及ばないものの、イリーナはこの技術を修得しようと試みている。レナのカウンターも然り。


「っく」


 ネーナが唇を噛み締める。映像のオルトは、自らの身体ごと背後のマルセロを刺し貫いていた。


 何度見ても慣れない苦しさ。この思いは、【菫の庭園】のメンバー全員が共有しているものだ。


 中でもオルトの一番近くでサポートをしていたレナは、最後の最後で当のオルトに投げ飛ばされ、離れて何も出来なかったと自分を責めている。


「――トウヤ様の最期の時も、似たような状況だったとか」


 回復役ヒーラーとして高い能力を持つが故に、難しい戦いであるほどレナの存在が欠かせない。そして難しい戦いであればこそ、レナの力も及ばない事態が起こり得る。


 【菫の庭園】に加入した際、レナは出来ればスカウトの役割に集中したいと言った。しかしそれが許される状況ではなく、レナもやれる事は全てやってきた。


 今もレナは言い訳の一つもせず、オルトが倒れた責任を一人で背負おうとしている。


 ネーナはかぶりを振った。


「それはいけません。何よりお兄様が、そんな事を望みません」


 映像が止まり、今度は時間が戻るように場面をさかのぼっていく。


 再び映像が静止したのは、オルトが縦に振り下ろした一撃でマルセロに深手を追わせた場面だ。ここから二人の攻防は、決着に向けて急転する。


 映像が当時黒い小箱を所持していたスミスの視点である為に、オルトは仲間達に背を向けてマルセロと対峙しており、その表情を窺い知る事は出来ない。


 ネーナは動かないオルトの背中を、じっと見つめていた。




 ◆◆◆◆◆




 昼過ぎ、ネーナはエイミーと共にオルトの部屋にいた。


 ネーナは窓の前で空に浮かぶ雲を描き、エイミーはスミスや叔母に手紙を書く為に苦手な文字の書き取りをするなど、思い思いに過ごしている。


 扉がノックされ、向こうから声が聞こえた。


「ネーナさん、エイミーさん、プリシラです。チェルシーさんをご案内しました」

『どうぞ!』


 二人が声を揃えて応えると、獣人のメイドに続き、長くシルファリオを離れていたチェルシーが入室する。


 だがチェルシーは、ベッドで眠るオルトの姿を見るやヘナヘナと崩れ落ちた。




「……申し訳ありません、お恥ずかしい所をお見せしました」


 突然泣き出したチェルシーを連れ、ネーナ達はティータイムの準備が出来た食堂へと移動した。


 焼きたてのマカロンとクラッカーの、チーズ、グスベリやオレンジのジャムが並べられ、食いしん坊のエイミーはチラチラと皿を気にしている。


「落ち着きましたか?」

「はい」


 ネーナが尋ねるとチェルシーは小さく頷き、ハンカチで涙を拭った。


 オルトを見舞った客が取り乱すのは珍しくない。ネーナ達の対応は慣れたものだった。チェルシーもやはり、実際に眠り続けるオルトの姿を見て動揺したのだという。


「……ヒューダーの一件、ファラお嬢、いえ代表より伺いました。オルト様に御礼を申し上げたかったのですが」


 お嬢様と言いかけて訂正し、チェルシーが鼻を啜る。


 ヒューダーとは、ファラの実家の商会で番頭をしていた男だ。味方のような顔をしてファラに言い寄り、相手にされないとわかると躊躇ちゅうちょせず裏切り、陥れた。


 【菫の庭園】一行が大銀海砂漠で野盗の一団を捕縛した際、ヒューダーも拘束されていた。オルトの手配で『通商都市』アイルトンの当局に送られ、厳しい取り調べによりファラの家族と共に働いた様々な悪事を自白したという。


「ヒューダーの供述から、大旦那――クズネロが従業員に行った暴力や暴言、無茶な業務命令などが明らかになりました。夫の事も……」


 チェルシーが声を詰まらせる。クズネロとはファラをしいたげていた実父だ。


 チェルシーの夫は一攫千金を狙ったクズネロに危険なルートでの仕入れを強要され、その途中で命を落としていた。それだけでなくクズネロは、彼女にも愛人になるよう迫っていたのである。


 亡くなった者が生き返る訳では無い。しかし残された者の区切りにはなる。チェルシーの夫はアイルトンの共同墓地に葬られており、いずれ彼女は夫の墓前に事の次第を報告するのだろうとネーナは思った。


「後ほど、改めてオルト様に御見舞いさせて頂きたいのですが……」


 言いながらチェルシーが、バッグから取り出した箱をテーブルに置く。


「こちらは、オルト様よりご注文を頂いた品です。『鉱山都市』ピックスの細工職人が丹念に仕上げた逸品です」


 箱の中には、磨き上げられた銀の指輪が二つ。


 ピックスは良質な鉱石と宝石を産出し、それらを加工するドワーフの鍛冶師や細工師も名工揃いだ。チェルシーは彼等の腕を見込んで、多忙の合間を縫って指輪の製作を依頼していた。


「オルト様がこのような状態ですのでファラ代表と相談しましたが、フェスタ様への贈り物であると事前にオルト様より伺っておりました。代金も受領済みですので、フェスタ様にお渡し致します」

「……私に?」


 驚きの表情でフェスタが聞く。チェルシーは頷いた。

 

 ネーナが箱に手を伸ばし、指輪に刻まれた文字を確認する。

 

「こちらが女性用ですね。お兄様はお休みになられているので、私が代理です」

 

 小さい方のリングをフェスタの指に通す。


「……大事な時に寝ているんだもの。困った人ね」


 左手の薬指を眺め、微笑むフェスタの瞳に涙が滲んだ。


「レオンさんがチェルシーさんに指輪を注文したので、お兄様も不味いと思ったのでしょう」


 現状、オルトが目覚める保証は無い。けれどもネーナは、フェスタが羨ましかった。同時に、オルトがきちんとフェスタを気にかけていた事を、良かったと思った。


 お祝いムードの中、一人俯いているレナが目に入る。

 

「レナさん」

「へっ?」

 

 唐突に呼ばれたレナが、顔を上げて間抜けな声を出す。ネーナは黒い小箱をテーブルに置き、起動させた。

 

「良い機会ですから、レナさんが気に病まなくてもいいのだと、もう一度お伝えします」

 

 映像が浮かび上がり、動き出す。恐ろしげな魔人の姿に、メイド達とチェルシーは真っ青になった。


 メイドの中でもマリア、ルチア、セシリアの三人は【菫の庭園】の戦いぶりを知らない。三人の夫であるブルーノは高ランク冒険者であり、不安にさせないようネーナ達が配慮してきたからだ。


 怖れも痛みも知らぬかのように、何度斬られてもオルトは臆せず反撃に転じる。その背後ではレナが懸命に癒しの力を振り絞る。


「ひっ」

 

 オルトの傷が血を噴き、ルチアが短い悲鳴を上げた。食堂にいる誰もが、食い入るように映像を見つめている。

 

「あの戦いをレナさんが客観的に振り返るのは初めてだと思います」

「……うん」

 

 レナが肯定する。当時レナはオルトの背中だけに注意を払い、魔剣に付与された麻痺を即座に解除する事に注力していた。覚えているのは、オルトが最後に自分の腹を刺したシーンだけ。

 

「お兄様はレナさんの援護で戦いを継続し、何度もマルセロに深い傷を負わせました。その度にマルセロは不本意ながら魔人化を進め、人族を超える力を得ました」

 

 オルトが縦に振り下ろした一撃で、映像が一旦止まる。

 

「あの戦いで、この攻撃を仕掛けた後、お兄様が勝負を急ぐようになりました。マルセロの魔人化もこの後は進んでいません」

「どういうこと?」

 

 エイミーの興味は、お菓子から映像に移っている。再び映像が動き出した。


「マルセロにどれだけの余力が残されていたかはわかりませんが、お兄様はそれを見越して、マルセロがさらに強化されるのを嫌ったのだと思います」

 

 映像の中で、【菫の庭園】に対峙するマルセロがレナを見た。疲労困憊のレナはそれに気づいていない。


 マルセロがレナに襲い掛かり、オルトは反転してマルセロの攻撃より一瞬早く、レナを後衛に投げ飛ばした。


 ネーナが映像を止める。この後はオルトが腹を刺すショッキングな場面だから。


「レナさんは役に立たなかったどころか、お兄様が決着を早めようとマルセロに決定的な隙を作る為に利用されたんです。これに関しては、むしろ怒っていいと思いますよ」

「……そうなんだ」

 

 レナはポツリと呟いた。


「あたしのせいで、オルトが寝たきりになったんじゃないんだね」

「事実ではありません」

「よかった――」

 

 レナが両手で顔を覆う。その言葉には、心の底からの安堵が感じられた。

 

「――安心したら今度は腹立ってきた。オルト殴ってきていい?」

「お兄様が起きるまで我慢して下さい」

 

 ネーナは笑みを浮かべて、レナの要望を却下した。

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